カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ちょうど一ヶ月前の9月11日のことでした。この日の松本は、未明の午前1時頃から雨が降り始め、朝7時頃まで途中結構土砂降り状態の降りもあったりしました。 
午前2時過ぎに目が覚めて眠れなくて、久し振りの雨音が気持ち良くて、ベッドから起きてベランダに出て、暫くの間雨音を聞いていました。
 以前も書いた様な気がしますが、雨音にはヒーリング効果があると云われ、雨音を聞くことで、脳波にアルファ波が増加し、リラックス、ストレス軽減、集中力向上などの効果が期待出来ると云われています。

これは、雨音や川のせせらぎ、浜辺の波音など、自然界の音に含まれる、完全ではなく不規則でありながらある程度の規則性を持った「1/fゆらぎ」や、人間には聞き取れない高周波「ハイパーソニック」が脳を心地よく刺激するためで、特に穏やかな雨音はこれらの効果を高めるとされているからです。
実際に、YouTubeにも雨音やせせらぎの音など、癒し効果の音が色々登録されているので、例えば雨が降らない日でも寝る前にタイマーをセットして、YouTubeの雨音を聴きながら寝ることもあります。
そうした中で、TV画面からの音ではなく“生”の雨を見ていると、聴覚の音だけでなく視覚的にも目の前に拡がる雨に煙る実際の世界は、ネクラな性格にも依るのかもしれませんが、何となく心を落ち着かせてくれるのです(雨の写真は無いので、これまで行った“川のせせらぎ”の写真の中から、瀬音が聞こえて来そうな“阿寺ブルー”の阿寺渓谷と、同じく美ヶ原への三城からの沢沿いの登山道のせせらぎ、そして馬籠峠から妻籠へ下る途中で見つけた小さな滝です)。
 そんな風にベランダからボーっと外の雨降る様子を眺めていたら、視界の中に何だか違和感のある“黒い線”があるのに気づきました。
それは、ベランダの天井にある黒い筋の様な“物体”でした。
雨降りの深夜の暗闇の中、目を凝らすと・・・次第に視界の中で焦点を結び、その形を脳が認識して理解したのが・・・トンボのオニヤンマだったのです。
大きなオニヤンマが、しっかりとベランダの天井を掴んでぶら下がっていたのです。どうやら、このオニヤンマは久しぶりの土砂降りで、真夜中に雨宿りの場所を探して、結果、我が家のベランダの天井をその場所に決めた様なのです。
そこで、せっかくの雨宿りの邪魔をしない様に、またこの土砂降りの雨の中に飛び出して行かぬ様に、驚かしては可哀想なので、そっと静かにその場を離れてまた寝ることにしました。

 5時過ぎに起きて、雨が止んだので7時頃からのワンコたちの散歩の後、7時半過ぎに戻ってワンコたちにご飯を食べさせてから見てみると、まだベランダの天井にオニヤンマがそのまま宙吊りで止まっていました。
体長が10㎝位ありそうな、結構大きなオニヤンマです。
このオニヤンマ(鬼蜻蜓、馬大頭、学名:Anotogaster sieboldii Sélys,)は、トンボ目オニヤンマ科に分類されるトンボの一種で、日本最大のトンボとして知られます。因みに、学名の種小名"sieboldii" は、日本の生物研究に功績を残したフランツ・フォン・シーボルトに対する“献名”なのだとか。知りませんでした。
オニヤンマは、小川や水路など水際ぎりぎりの浅い水底の柔らかい泥や砂の中に産卵し、産卵から1ヵ月ほどで孵化するのだそうです。そして、何度も脱皮を繰り返し、3~5年かけて成長するのだとか。6月頃から羽化し、9月頃までの夏の間に見られ、そして漸く羽化した後の成虫は僅か1~2ヶ月の寿命なのだとか。成虫のオニヤンマは、頭部から腹の先端までの体長が9 ~11 cmほどに達し、メスの方が大きいのだそうです。
 雨宿りをしていたこのオニヤンマも、この夏に羽化した成虫で、夏の終わりと共にその寿命は尽きてしまうのでしょう。オニヤンマにとっては、ホンのひと時の平和な雨宿りだったのでしょうか。
雨の日に見つけた、夏の終わりのオニヤンマでした。

 以前、「源智の井戸」清掃ボランティアのその後の状況をご紹介させていただいた(第2013話)中で、
『複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会もドーナツ化現象と少子高齢化で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、行政としても全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって、やがて全体に水平展開されていくことが絶対に必要になると思います。』
と書いたのですが、早くもその危惧が現実に的中していたのです。

 先日、見ず知らずで集まってくださった“隊員”の皆さんの親睦を兼ねて、初めての懇親会を行いました。
余談ながら、日頃事務局を務めていただいている市の課長さんと飲み会進行での余興のアイデアを練る中で、自分たちの関わっている「源智の井戸」をしっかりと知るべく、“利き酒”ならぬ“利き水”を実施することにして、「まつもと城下町湧水群」で唯一の硬水である「源智の井戸」と、他に湧水群の中から、これも人気の「鯛萬の井戸」と“加助騒動”縁の「伊織霊水」、そして松本市の水道水の4種類を用意して貰い、課長さん以外は答えを知らず、私も含めて参加者全員で試した結果、唯一私が全問正解で、しかも「源智の井戸」の正解者は私のみ。名前だけの隊長とはいえ“面目躍如”となって、皆さんからは「さすが!」と評価いただいたのですが、本人としては「源智の井戸」をこの10年来コーヒーのドリップ用に利用させて頂いてきた者として、一応の面目が立って、取り敢えずホッと胸を撫で下ろした次第です。いずれにしても、「源智の井戸」の清掃活動を機に、自分たちが住む街の素晴らしい水資源に感心を持って貰えたら、清掃活動の副次的効果としてこんな嬉しいことはありません。
因みに、松本の水道水は、市のHPに依ると、2014年のモンドセレクションで、松本市水道原水のペットボトル「信州松本の水」が食品、飲料などの品質を審査する国際的な品評機関「モンドセレクション2014」のビール・飲料水・ソフトドリンク部門で金賞を受賞しているので、水道水としては大変美味しい水なのです。この「信州松本の水」は、松本の地下水源のうち、最も多く水道水として使われている「島内第1水源地」の地下水を採水し、非加熱除菌したものだそうです。

 さて、当日は仕事や用事等で来れない方もあり、半分くらいの出席だったのですが、簡単に清掃ボランティアに参加した思いを自己紹介を兼ねてお話しいただいた中で、お一人が
 「私は“下心”があって、参加させて貰っています。」
と切り出されたのです。
いきなり何かと思ったら、その方の仰るには、「源智の井戸」と同じく「まつもと城下町湧水群」の中の人気の井戸、「鯛萬の井戸」を毎週掃除をされておられる有志三名(たった3名です!)の内のお一人なのだとか。
 この「鯛萬の井戸」の在る下横田町は、江戸時代に松本の城下町で東町の宿場街と共に呼び込みの茶屋店の多かったエリアで、その後も“裏町”と呼ばれ、バブルの頃までは松本一の飲み屋街として賑わった場所。会社勤めの頃は私も時々お世話になりました。
この「鯛萬の井戸」は水温13.2℃という湧水群の中でも一番の冷たい水で、平成の「街なみ環境整備事業」により周辺を井戸公園として整備され、維持管理は他の井戸同様にその地元の町会などに委ねられています。
元々この井戸は大正11年に生活密着の井戸として、当時この場所に在った老舗の割烹料亭「鯛萬」に依って掘られました。その後「鯛萬」は別の場所に移転して現在はこの地にはありませんが、井戸は残り公園として多くの人に親しまれています。
因みに、割烹料亭「鯛萬」は戦前にフレンチレストランとなり、蔦の絡まるアルザス風の洋館は今でも松本を代表する老舗として人気のフレンチレストランです。
そして、その名を遺す「鯛萬の井戸」は町会の有志の皆さんに依り維持管理されているのですが、やはり「源智の井戸」同様にメンバーの方々の高齢化が進み、その活動が段々厳しくなってきており、先行する「源智の井戸」のボランティアの様子を探って、採り入れられるモノがあれば参考にすべく、ご自身が「源智の井戸」の清掃ボランティアに参加されたのだそうです。
 「もし“市長への手紙”がそんなに有効だったのなら、私たちも投書しようかと考えているんです!」
 やはり危惧していた通り、湧水群の井戸の中では上手く運営されていると評価されている筈の「鯛萬の井戸」でさえも、「源智の井戸」と同じ状況に陥りつつあるのだということを初めて知りました。
この4月にスタートした「源智の井戸」の清掃ボランティアもまだ緒に就いたばかりなのですが、早くも水平展開が必要な状況になりつつあるのです。
しかし、我々「源智の井戸」の清掃ボランティアもスタートしたばかりなので、まだそこまでの余裕はありませんが、いずれそうした事態になるだろう事は十分予想出来ていただけに、何か手助けになることが無いか、協力し得ることはないか、それこそ金は無くても“知恵”と“ズク”を出して、お互いが連携していけたらと考えさせられた次第です。
【追記】
懇親会はいつもの清掃の時の半分程の出席数でしたので、9月の「源智の井戸」のボランティア清掃の際、こちらからお願いしてその“下心”をこの日集まった皆さんにも改めてお話しいただきました。
また今回は、「市長への手紙」をふまえて、最初に私にご連絡をいただいた市の地域づくりを統括される部局の局長さんにもお越しいただいており、一緒に清掃活動にも参加していただき最後に一言挨拶も頂いたのですが、その場で「鯛萬の井戸」の窮状も併せて行政サイドにも認識頂けたので良かったと感じています(フム、先ずは仕掛け成功!)。

 5月から、ベランダで育てて来たプランター栽培の夏野菜。
大きな深鉢で、キュウリが二本、ミニトマトが二本、ナスは一本、後は大量の大葉と種から育てたサラダに使うルッコラ。
 今年は日本中が異常な猛暑続きに依り各地で水不足が相次ぎ、朝晩プランターに水遣りをしてもやはりその影響は避けられなかった様に感じました。
また暑さとは関係ありませんが、キュウリは最初の頃は順調で、何本か収穫するなど良かったのですが、途中からハダニなのか、アブラムシよりもずっと小さな虫が集って葉やせっかくの実が枯れてしまい、手許に会った野菜や花用の消毒スプレーを使ってみても殆ど効果が無く、結局十分な収穫は出来ませんでした。
一方、プランター栽培に一番向いているというミニトマトは、それなりに順調に収穫することが出来ました。
また零れ種からたくさん生えてかなり間引いた大葉や、店頭に苗が無くて種から育てたルッコラは、使い切れない程収穫して色んな料理やサラダに使うことが出来ました。
また二年目のパセリはやはり無理だったようで、途中から葉よりも花芽が伸びてきてしまいました。パセリは毎年新しい苗を植えた方が良さそうです。
そうした中で、大きな鉢に一本植えしたナスは、結構たくさん収穫出来て、真夏には少し“とぼった”様にも感じたこともあったのですが、秋口になると、またたくさんの花を付ける様になったのです。
 「秋茄子は嫁に食わすな!」
秋になると皮が柔らかくなるので、秋に収穫する茄子の美味しさを表わしたと云われる古来からのこの格言は、決して意地悪な舅の嫁いびりではなく、お腹に赤ちゃんがいる妊婦さんには「ナスは体を冷やすため、子を産む大事な嫁の体を冷やさないように」という説の方が多分正しいのではないかと思うのですが、少し涼しくなってから、その秋茄子がたくさんの実を着ける様になりました。
そして一杯に茂ってくれた大葉(青じそ)ですが、使い切れなかったので、秋になる前に柔らかそうな葉を摘んで冷凍保存にしてみました。

 家庭菜園など畑で育てるのと比べると、やはりプランター栽培は土壌の力、土の持つ保水力などがどうしても限られてしまい、なかなか満足出来るレベルとは言えませんでした。でも、日ごと少しずつ成長していく“植物”の様子は、少なからぬ“育てる喜び”を感じることが出来、朝夕の水遣りがルーティーンとなって、チョッピリですが“畑仕事”に似た遣り甲斐を感ずることも出来ました。
 今年の結果を振り返ってみると、来年はもうキュウリの栽培は諦めようと思います。その代わりに街中でグリーンカーテンとしてゴーヤをプランターで育てているカフェを見掛けたのですが、通る度に見るとプランターでもしっかりと葉が茂っていたので、ゴーヤチャンプルーは我が家の大好物でもあることから、来年はキュウリではなく同じウリ科の植物であるゴーヤをプランターで育ててみようと思っています。
ゴーヤは本来沖縄地方などでの呼び方で、和名はツルレイシ(蔓茘枝、蔓荔枝)だそうで、昔父も一度ブドウ棚の端を使って栽培したことがったのですが、当時はニガウリ(苦瓜)と呼ばれていた様に思います(多分30年以上も前だったと思いますが、その頃小学生だった子供たちは勿論、当時の我が家ではゴーヤは人気が無く、父も一年限りで栽培は止めてしまいました)。
しかし歳を取ったせいか、今の我が家では私も家内もゴーヤの苦味こそがゴーヤの美味しさだと思っていますので、塩揉みで苦みを消す様なことは一切しません。
因みに、このゴーヤの苦味の元は「モモルデシン」という成分で、このモモルデシンは水溶性のために、サッと熱湯をかけての湯通しや塩揉みをすることで苦味が抜けるのだそうです。
我が家では、この夏場に毎週とまではいかなくても少なくともニ週間に一度は必ずゴーヤチャンプルーを食べていましたので、家庭菜園としてはむしろキュウリよりもゴーヤの方が我が家の食卓への貢献度は高いのかもしれません。

 来年はエコのためのグリーンカーテンというよりも、むしろ食べるためにゴーヤを頑張って栽培しようと思います。

 二泊三日の軽井沢旅行最終日。
もうアウトレットで買うモノも無いという娘夫婦の話もあり、ゆっくりと昨夕ハルニレテラスの「沢村」で買ったパンで朝食を食べ、それから各々ホテルの温泉に入るなどしてチェックアウトまで時間を有効に使いながら過ごし、娘がこの日のランチに予約してあるという「ピレネー」という旧軽のレストランへ向かいました。

 ピレネーは軽井沢の名所でもある、紅葉の名所雲場池近くの六本辻の六差路交差点のラウンドアバウト(Roundabout)、所謂環状交差点に在るレストランだそうです。
因みに、シンガポールにもニュートンサーカスと呼ばれる環状交差点があって、赴任した当初は慣れずに戸惑ったものです。この“サーカス”という名称は、ピカデリー・サーカスに代表される英国風のラウンドアバウトの呼び方ですが、この「サーカス(circus)」というのはラテン語で「円(circle)」という意味から来ているのだとか。
ラウンドアバウトで最も有名なのは、パリの凱旋門を取り囲むエトワール広場でしょうか。12本もの道路が交差する環状交差点で、パリに来て間もない若手の赴任者が、出張者を迎えに行って凱旋門を抜けられず、段々中心に追い詰められて行ってしまったという謂わば伝説になっていました(作り話ではなく、実在のその当人は私よりも後輩で、出張者の送迎は若手赴任者の仕事でした)。
でも慣れれば或る意味単純で、(英国風に車が左走行時では)左折のみの一方通行なので、右から来る車が優先。次から次へと車が来る間は待つしかありませんが、信号で何差路を捌くよりも、結果は渋滞を避け、信号よりも遥かに短い時間で車の往来を制御可能な印象を持ちました。そして、この旧軽の六本辻のラウンドアバウトも、10年程前に渋滞緩和策の社会的実験として始まったのだそうです。
 さて、そのラウンドアバウトの六本辻の交差点に面した、林に囲まれた一軒家のビストロ「ピレネー」。
このピレネーの駐車場に入って行く道も六本辻のラウンドアバウトから直接入るので、実際には六差路ではなく七差路とも言えなくもないのですが、しかも結構狭くて、アルファードはギリギリです(こちらの道は侵入のみの一方通行で、駐車場からの出口は別にあります)。
さて人気ビストロだという「ピレネー」。店のH/Pから拝借すると、
『2004年4月、軽井沢・六本辻に誕生した一軒家のレストラン。
フランス南西部とスペイン東部を結ぶピレネー山脈では、素朴で心温まる料理が受け継がれてきました。軽井沢「ピレネー」のイメージの源はピレネー山脈を仰ぐ一軒家。店内に足を踏み入れると 存在感溢れるシュミネ(調理用暖炉)が出迎えます。
薪のおき火でじっくり炙られるのは、信州の千代幻豚や赤身肉の熟成牛、若鶏など その時期イチオシの厳選素材。焼き上がりを待つ至福の時間は、4000本以上が並ぶ自慢のワインセラーから運ばれるワインと、自家農園の無農薬野菜や日本海直送の魚介類が奏でる珠玉の前菜でお楽しみください。』とのこと。
 ホテルを既にチェックアウトして来たので、この日は当然ワンコたちも一緒。こちらのピレネーでは、屋根付きのテラス席とテラス席外の庭にもパラソル付きのテーブル席が設けられていて(雨の日の庭の席はちょっとキツイかもしれませんが)、ワンコと一緒に食べることが出来ます。なおランチは大丈夫ですが、ディナーでは子供は7歳以上とのことですので、ディナーには我が家は当分来れそうもありません。
室内には大きなシュミネと呼ばれる大きな調理用暖炉があり、薪の火でメインディッシュがじっくりと焼かれ、その暖炉の前に置かれた大皿に10種類近い前菜が盛られています(4枚目からの7枚目までのレストラン室内の写真は、H/P等から拝借しました)。
ランチは、暖炉で焼かれるメインディッシュを頼むと、このブッフェでの前菜と、ピレネーサラダとバゲットのパンがそれぞれ付いてきます。
予約で確保頂いていた席が4人掛けのテーブル席二つだったので、それぞれのテーブルに分かれて座ります。木々の茂った林の様な中庭に置かれたテーブルで、軽井沢の中心街である旧軽の六本辻交差点、六差路のすぐ横だというのに車の喧騒を全く感じないのが不思議で、木々の中にいると如何にも軽井沢の林の中に佇んでいる様な感じがします。
我々のオーダーは、娘と家内が半身の若鶏(4200円)、婿殿と私がアンガス牛のサーロンインステーキ(5500円)。どちらも暖炉の薪の火でじっくりとローストされています。
因みに、4歳以上10歳未満の子供用には、お子様用前菜ブッフェ(1200円)もある様です。孫たちは3歳以下のため、大人とブッフェを共有することで今回は不要。そのため、子供用には季節のポタージュスープ(400円)をそれぞれオーダーしました。
 先に、ブッフェの前菜を取りに行ったのですが、サラダやマリネ、スモークサーモン、手羽焼き、ポテトグラタンなどなど・・・。これがどれも美味しいのです。メインディッシュ無しで、これだけでも十分な気がする程です。ついぞ、二皿お代わりしてしまいました。更にバゲットも中がもっちりしていて、しっかり小麦の味がする・・・。
そして運ばれて来たメインディッシュ。若鶏とサーロンイン。フロアスタッフの方から、「にんにく醤油も美味しいので、お好みでどうぞ!」とのことですが、ステーキはシンプルに塩コショウだけで充分。薪でじっくりと炙られているので香ばしく、如何にも肉!といった美味しさでした。
若鶏も皮がパリパリで、肉はジューシーでローストされた旨味がたっぷり。しかも若鶏なので柔らかいことといったら・・・。こちらにはニンニク醤油を少し付けると、味変でまた違った美味しさが味わえます。それにしても、半身とはいえ若鶏の大きさといったら半端ありません。結局添えられているフレンチフライは食べ切れませんでした。最後スタッフの方にその旨謝ると、
 「いえ、大丈夫です!結構残されるお客さん、多いんですヨ!」
もしそうでしたら、女性向けには半身の半身、1/4身のクォーターサイズで十分。もしメニューに加えて頂ければ、きっと女性は喜ぶかも・・・。或いは、ご当地佐久地方の名物、若鶏の“むしり”風のモモでも良いかもしれません。
 なお、娘曰く、ここの大葉とニンニク風味のミートソースのピレネー風パスタ(3000円)が、ランチのメインディッシュとしても人気なのだとか。ブッフェの前菜は必須(だと思いました)なので、カップルなら肉類どれか一つとそのパスタで十分なのかもしれません。二人でシェアするならおススメは若鶏でしょうか。娘と家内は、若鶏ではなく信州千代幻豚のソーセージ(4200円)でも良かったと後悔していました。
 いやぁ、美味しかったし満腹になりました。そして何よりも、この如何にも軽井沢らしい美しい緑の林の中で、避暑地軽井沢でも連日30℃超えの戸外にいることを感じさせない涼しさで、むしろ爽やかさを感じながらのランチでした。
 「うーん、これぞ軽井沢!」
軽井沢の最後に、娘のチョイスで如何にも軽井沢らしい食事を楽しむことが出来ました。しかも娘たち夫婦が二週間のお礼にと、ご馳走してくれました(おかたじけ!)。

 「ピレネー」。予約が必須の軽井沢の人気店の様ですが、また是非来たいと思います。

 婿殿が軽井沢に来た日の夕食です。
当初の二泊三日の予定が、急な病院での都合もあって一泊二日になってしまったのですが、唯一の信州での夕飯ですので、ここは満を持して婿殿が好きな「信州そば」にしました。

 彼のスケジュールが直前まで確定出来ずに二転三転したため、次女も文句を言いたげでしたが、それは親が口出すことではないので夫婦間に任せ、こちらは孫たちとケセラセラ・・・。
しかし蕎麦屋さんは軽井沢もご多分に漏れず、信濃追分エリアにも「きこり」や「ささくら」といった人気店があるのですが、昼間のみの営業という店が多いのです。
そうした中で、娘が幾つも検索したり直接電話して確認したりした結果、夕食で予約出来たのが、旧軽に本店を構えるこちらも人気店の「川上庵」でした。
娘たちは東京にも展開している「川上庵」の麻布店で食べたことがあるそうですが、蕎麦好きな婿殿は余り感心しなかった由。しかし他に夕食で食べられそうな蕎麦店も無く、且つ「川上庵」は有難いことに予約が可能なので、今回は旧軽の本店ではなく、中軽の「ハルニレテラス」にある「川上庵 せきれい橋店」を予約してありました。

 人気の観光スポットである星野リゾートの「ハルニレテラス」は、「おもちゃ王国」での行き帰りなどで横を通ることもあったのですが、この日の昼頃はどの駐車場も満車で停められず、駐車場探しに苦労している県外車を何台も見掛けました。
そのため早目に夕刻5時の予約としたのですが、駐車場が一番の心配でした。
「おもちゃ王国」の帰り、「白糸の滝」と旧軽の別荘地エリアを回って時間を使いながら、時間近くになって中軽の「ハルニレテラス」に向かうと、幸い一番近い駐車場に空きがあり、すんなりとアルファードも停められて先ずは一安心。
以前、ここの川上庵には多分娘と(多分その時は長女)ナナを連れて昼食に来たことがあり、ワンコ連れだったためにテラス席で蕎麦を頂いた記憶があります。座ると、すぐにワンコ用の水を持って来てくださり、「さすがはDog Friendlyの軽井沢!」と感心したことを覚えているのですが、一方で、私メの当時の記憶だと、東京での婿殿と同様、評判程には蕎麦自体を美味しく感じたという記憶は残念ながらありません。
 軽井沢の清流湯川沿いに自生していた100 本を超えるというハルニレ(春楡)の間を縫うように、湯川の流れに沿って連なる9棟の 建物をウッドデッキでつないだ「ハルニレテラス」。
ここは「星のや旅館」に始まる星野リゾート発祥の地であり、湯川の清流がすぐそばを流れ、都会から来れば本当に信州の高原らしさを感じられるエリアで、我々も何度も来ているのですが、観光客の人気を集めるのも納得です。
予定通り夕刻5時に店へ伺い、先ずは先に子供たち用に、揚げ出し豆腐、鶏もも肉の粗塩焼き、だし巻玉子を注文。
我々はその上で、メインの蕎麦は家内が鴨せいろ、婿殿は天せいろ、娘がクルミだれせいろ、私メは普通のせいろを、娘たちと私メは大盛りで注文したのですが、大盛りは無く、通常の一段(せいろ一枚)を二段でとのことでしたが、二段重ねではなく一枚ずつ出してくださり、一枚目を食べ終わった都度のタイミングを見計らって、二枚目をサーブして頂ける由。
軽井沢を含めたこの上田佐久の東信地方も、昔私が地酒の美味しさに目覚めた「福無量」(沓掛酒造)をはじめ、江戸時代から続く様な歴史ある酒蔵や、クラフトビールを代表するよなよなエールのヤッホーブルーイング、そしてマンズワインやヴィラデストといった千曲川ワインバレーを構成するワイナリーなど、千曲川水系や霧ヶ峰からの美味しい水や、日当たりが良く水はけの良い土壌を活かした美味しいお酒に恵まれたエリアでもあります。ですので、本来蕎麦屋の流儀である“そば前”でビールや地酒を注文したいところ。しかし奥さまが(免許証もちゃんと持って来ているのですが)、「絶対にアルファードは運転したくない‼」との仰せ。そのため、止む無く私メはノンアルにして、婿殿には本場よなよなエールの「水曜日のネコ」を頼んで貰いました。
一品料理はどれも美味しかったのですが、石臼挽きの二八蕎麦は思いの外太目でゴワゴワしていて、二八本来ののど越しというよりも噛んで蕎麦そのものを味わうといった蕎麦でした。従って、人によって好みが分かれる蕎麦、でしょう。個人的に十割よりも二八を好む理由は、何と言っても二八蕎麦の(例えば、十割も九一でもなく、二八のみの「翁に代表される様な)やはり“のど越し”であって、その意味でここ川上庵の二八は私の好みとは言えませんでした。
因みに、日本三大蕎麦の一つにも数えられる戸隠蕎麦は、本来(蕎麦粉よりも小麦粉の方が当時の戸隠では贅沢品だったため、宿坊に泊まる参拝客へのもてなしとして小麦粉の分量を敢えて増やした)七三なのですが、小麦粉が3割以上になると、例えどんなにのど越しが良くても個人的にはどうしても蕎麦ではなくて、むしろうどんを感じてしまいます。
 しかし、ではガッカリしたかというと、この「川上庵」の真骨頂はその蕎麦のみに非ず!
この店の一番の素晴らしさは、何と言ってもスタッフの質の高さ(=教育、指導の賜物)ではないかと思うのです。
席に着いて、手荷物一つ、またおしぼりのウェットティッシュと一緒に供された夏の冷茶然り。そして注文したオーダー品や、一段目を食べ終わっての大盛りの代わりの二段目の提供もまた然り。
例えば、注文の時に皆で相談しながら「くらかけ豆(鞍掛豆)のお浸しも頼もうか!?」と皆で話していたら、たまたま横を通り掛かった男性スタッフが耳にしたらしく、すぐさま、
  「申し訳ありません!くらかけ豆はもう終わってしまいました!」
また、手持ち品を入れてあった足元の籠を、「埃とかが掛かってはいけませんので」と言って、カバーの布を丁寧に全面にきちんと駆け直してくれました。
また冷茶にも目を配りながら、客への声掛けの上で、必要ならすぐに継ぎ足して注いでくれるのです。
ことほど左様に、スタッフの皆さんが「目配り、気配り、心配り」で、常に客に目を配らせている感じが見て取れるのです。しかも客と相対する雰囲気には決して押しつけがましさもわざとらしさもなく、極々自然でさりげない・・・。
客にとって居心地の良い店内の雰囲気は、落ち着いたインテリアや料理以上に、むしろこうしたスタッフの様子が醸し出しているのではないか・・・。そんな風にさえ感じられるのです。
  「うーん、さすがだなぁ・・・」
食べ物の印象以上に、“味わえた”店の雰囲気に個人的には大いに感心したのでした。
失礼を顧みずに勝手な想像で云わせていただくならば、もしかすると軽井沢のこうした老舗店は、私たちの様な一見の客ではなく、一家言を持ち、ある種“小姑”の様な厳しい別荘族に(例えば嘗ての華族が使用人を躾ける様に)長年育てられて来たからなのかもしれない・・・とさえ感じられたのです。
 食べ終わり、清算を済ませ、ジャムで有名な沢村がハルニレテラスにも「ベーカリー&レストラン沢村」を出店しているので、明日の朝食用にパンを購入しようと外に出ると、突然雷が鳴って急に土砂降りの雨になりました。そのため、止む無く出たばかりの「川上庵」の軒先を借りての雨宿りを余儀なくされてしまいました。
暫くすると、清算時に駐車料金の無料扱いの手続きをしていなかったことを思い出し、中のレジに戻って手続き(こちらの駐車場は駐車券が無く、入庫時にナンバーが記録されているので、店での購入額に依ってレジで4時間無料のQRコードを印刷してくれ、精算機に自分車のナンバーを入力して店の発行するQRコードをかざすと処理が終了します)をすると、すぐに対応してくれ、
  「気になさらずに、どうぞ雨が止むまでそちらで雨宿りしていただいて結構ですので・・・」
大変ありたかったのは勿論なのですが、ウーンさすが・・・と、ここでもスタッフの心配りに唸らされたのでした。
 突然の夕立での雨宿りは30分程だったのでしょうか、小降りになったので、家内の持っていた日傘で子供たちを保護しながら、皆でベーカリーの「沢村」に移動して明日用のパンを購入し、お陰さまで無事駐車場まで濡れずに行けて、ハルニレテラスを後にすることが出来ました。

 何とも感心しきりの、この日の「川上庵」でした。

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