「ハイデガー拾い読み」
著者:木田 元(キダ ゲン)
木田 元もこれまであまり近づかずにいた人で
多分これが初めて読む本だと思います
なんとなく「学者」さんというイメージで
おもしろくなさそうという先入観から
手に取らずにいたのですが
始めて読んでみると面白かったです
食わず、いや、読まず嫌いはよくないですね
確かに学者さんがハイデガー
の「存在と時間」以外の関連文献や講義録の
内容を特に順序立てず「拾い読み」という形で
様々説明してくれています
ハイデガーと言えば「存在と時間」
ですが、それ以外の講義録や何かが
こんなにあって面白い内容のものもあるとは
当たり前ですが知りませんでした
ハイデガーがアリストテレスの学者であり
存在に関するプラトン以前にまでさかのぼった
歴史に挑戦しようとしていた
とは、ワタシ共素人にはそれこそ
考えも及びませんでした
この本で語られる
プラトン・アリストテレス・カント・ニーチェ ・キルケゴールetc
その思想や特に訳語に関する鋭い指摘(?)
はさすが学者と言う感じです
原語であるドイツ語やギリシャ語を完全に理解して
いるからこそでしょうが
これまでに日本語に訳された哲学用語が
不適切で何を言っているのかわからないものや
意味を完全に逆転して伝えてしまっていて
それがこれまでそのままに来てしまっていて
困ったことになっている みたいな
さすがだなあ と感心させられるとともに
「なんだ、意味わからないのは俺がバカだからじゃなかったんだ」
と安心してみたり (笑
いまさら理解が深まってよかったかも
と思ったのはよくつかわれる
「形而上学」という言葉
普通に形而上・形而下なんて最近では
この言葉はこの言葉として
「メタ・フィジカル」じゃわいくらいな感じで
「はて、具体的にどういう意味だっけ?」
とおさらいすることもなくなっていましたが
改めて取り上げられていたのと知らなかった
言葉のルーツを教えてもらってまた感心
アリストテレスの資料を編纂した時の
本の配列を示すラテン語の「メタフュシカ」
(これ以前の経緯は省きます)
キリスト教に取り込まれて
「後に」と言う『メタ』が「超えて」と言うに読みかえられ
「メタフュシカ」が『超自然学』という新しい
意味を与えられ第一哲学という意味になったらしい
「形而上学」という言葉は明治の初め
「易経」の内容を(長いので書きませんが)
参考にして作られた言葉で
形あるものより上の形なきものを論ずる学問
という意味で作られた訳語
だそうです
この手のもの読むたび
はるか2000年以上も前のプラトンやアリストテレス
の張り巡らした体系を超える事はもうない
というすごさ
言葉でしか世界はないという事の実感
を感じさせられます
「はじめに言葉があった。・・・」
(ヨハネによる福音書第1章第一節)
となるわけですよね・・・