(安曇野市穂高有明山麓線沿い)



この地区のほとんどの民が武田(信玄)軍との戦で亡くなったとのこと。当時の哀れさ、儚さを感じつつも、私が城主であったらどう幕引きをしたのかと考えさせられる。