2019/11/06 21:20

誠に恐縮ですが


12月1日より長期休業させて頂く事となりました。




少なくとも冬期間は休業となりますので


宜しくお願い申し上げます。






少々話しが長くなりますが


宜しかったらお付き合い頂ければ幸いです。







明治二十七年に、初代「為吉・まつ夫婦」が


この地で蕎麦屋を創業した訳ですが…


まつさんは、蕎麦作りが上手だったそうで


親戚や近所の方々の評判となり、そば屋が本業となったとの事⁉


それまでは、養蚕や浅間焼(生活雑器)を焼いていました…


そこで、初代の頃は屋号を「せとや」と言いました。






時代は明治から大正に入る頃、二代目「龍太郎」は


北アルプスに何度も登るほどの山好きだったそうで


店名を「せとや」から「アルプス」に変更しました。


龍太郎の妻「ひでの」は、山陰の松江市の生まれで


仕事が忙しかった両親に代わって、私の面倒をよく見てくれました。



(大正10年生まれの父の話では自分が生まれた頃には

すでに「アルプス」という屋号だったそうです)






三代目の私の父は、若い頃から野球が好きで…


松本城(深志城)の広場で「キャッスル」という


チーム名で六大学のチームとも試合をやったそうです。




しかし、時は第二次世界大戦の頃…北支(満州)へ出兵!


戦後、ソ連で2年余り捕虜として抑留され


厳しい状況下の中,何とか帰還しました。




私の母は、大正14年松本近郊の梓川村で生まれ…


戦時中は挺身隊として、名古屋の「中島航空機製作所」にて


米軍の孟爆撃を受け、命からがら故郷に帰って来ました。




そんな二人が、縁あって結婚して夫婦になったわけです。


(母の話では、その頃父はノンプロで左ピッチャーとして活躍していて、阪神タイガースから入団の誘いがあったそうですが、母が反対して蕎麦屋を継ぐことになったそうです)




昭和27年1月に長男として私が生まれた訳ですが…


その一年前の昭和26年4月に三代目の父は資本金27万円で


「有限会社アルプスそば店」を設立、今年で69期となりました。





その後、私が二十歳になった時に今の店を新築して


その時に、カタカナの「アルプス」から


ひらがなの「あるぷすそば店」に変えました。





後一年で70年というこの11月末で…


「有限会社あるぷすそば店」を解散させて頂く事となりました。



高校卒業後,家業の蕎麦屋に入って今年で50年目…


心身共に金属疲労(勤続疲労)⁉ 


寄る年波には勝てません(笑)




『早々とあきらめるな・いつまでもしがみつくな』


この言葉を胸に刻み、頑張って参りましたが…


このあたりが潮時かなあ と判断した次第です!





しかし、店の経営から身を引いても


何かしら私でお役に立てる事があれば


そば職人として生きて行きたいと思っております。






また、おかげさまで初代が明治二十七年に創業以来


今年で125年目を迎えることができました。


そう考えますと…私といたしましては


「誠に不徳の致すところ」ではありますが…


今まで、ご愛顧頂きましたお客様はじめ


多くの方々に心より深く感謝申し上げます。






12月1日からは長期休業(冬眠)させて頂きますが


出来ますれば、暖かい季節を迎えた頃…


この地にて、若い方々に新しい蕎麦屋を


やって行っていただければ幸いに思っております。





                店主敬白