職人のひとり言
2011/06/30 14:25

いやーびっくりしました・・・

今まで経験したことのない揺れでした。





松本で8時16分に震度5強の地震、5分後にも震度4の余震がありました。



私は、その時、朝のテレビ小説「おひさま」を見終わって、

3階の自分の部屋で、さあ、着替えて仕事の準備をしようとしている時でした。



急にガタガタと大きな揺れが来て、自分がとった行動といえば、

恥ずかしながら、大きく揺れている最近買ったばかりの

40型薄型テレビを倒れないように押さえておりました。


揺れが収まった頃、倒れずにすんだテレビから緊急地震速報が流れていました。




私共の店では、多少棚から落ちたり、倒れたりする物のありましたが、

ほとんど被害はありませんでした。


松本市内では、けがをした人や、屋根がわらが落ちたり、ガラス窓が割れたり、

ブロック塀が倒れたりという事もありました。




心配して、お見舞いのお電話をいただいた方々、また、ご心配をお掛けした皆様には、

この場をお借りして、あらためてお礼を申し上げます。



松本は今のところ、それほど大きな被害にはなっておりません。

当店も通常通り営業させて頂いております。


さわやか信州、松本浅間温泉へ是非お越しください。

2011/06/27 19:18

「おいでなさんし~」 ようこそ松本浅間温泉へ・・・


当店の物干しから見た、アルプスの夕日の空、

おひさまは日中の太陽だけじゃなく、朝日もあれば

こんな美しい夕日もあるんですね~



 



朝のテレビ小説「おひさま」で、松本のそば屋「丸庵」が

「おいでなさんし~」というあいさつでお客様を迎えますが、

私は、今まで「おいでなさんし~」という言葉を聞いたことが無かったので、

九十才になる親父さんに、昔は松本でも「おいでなさんし~」という言葉を

あいさつで使っていたのか聞いてみると、自分が若いころ(戦前)までは、

どこの家でも使っていたが、戦後はあまり使われなくなったと言っていた。



「おいでなさんし~」 私の耳になにか良い響きで残っている言葉。

昔、使っていた言葉なら復活させてみようかと、早速お客様に言ってみたけど、

今まで使った事が無いのと、なにか照れくさいのとで、

ドラマで俳優さんが言うように上手に言えません。

まあ、これも慣れが必要かと「いらしゃいませ」と併用して

「おいでなさんし~」という言葉を使わしていただきます。



どうか、宜しくお願い申し上げます。


             べん



2011/06/20 13:48

「ツールド美ヶ原・2011」

今年は例年より1週間程早く6月19日に開催されました。





前日までの雨も上がり、良いコンデションでスタート!!





私は、朝5時半から駐車場係・・・

店長は、大きな声で店の前で選手の応援・・・






のぼりも立てて・・・






大いに盛り上がりました!

選手の皆さん、応援にいらした皆さん、お疲れ様でした。

                  べん

2011/06/10 23:48

「懐かしのチンチン電車」

浅間線チンチン電車は、1924年(大正13年)に松本駅~浅間温泉間で開業し、

1964年(昭和39年)の廃止まで40年間にわたり、松本市内を走りました。





このバスは、松本電鉄90周年を記念し、浅間線「チンチン電車」

のカラーを復刻した「チンチン電車」バスです。






私も、子供の頃何度も利用した、懐かしのチンチン電車です。





PS・

子供の頃のチンチン電車の思い出といえば・・・


大きな声では言えませんが、自宅の近所の線路の上に、

釘を乗せておくと、電車が通った後ペチャンコになっていて、

それを、ヤスリで削って結んで手裏剣を作って、

忍者ごっこをして遊びました。


日がな一日、裏山を駆けずりまわっておりました。

いや~・・懐かしい思い出です。


五十年も前の事ですので、どうかお許しを・・・

「良い子の皆さん、絶対に真似をしないでください」






          べん

2011/06/02 18:20

『おひさまとそば屋』

NHKテレビ小説「おひさま」





4月から始まったテレビ小説「おひさま」・・・

私も毎朝楽しみにしております。


ドラマの舞台は、豊かな自然の安曇野、松本です!







長野県のほぼ中央に位置し、雄大な北アルプスと川に抱かれた安曇野、松本!

そして、日本でも有数の産地と知られる信州そばは、

古くから貴重な食べ物として人々の生活を支えてきました。

私たちの大好きな日本食、そばが人々をつないでいきます。


ヒロイン・陽子が「太陽のようにいつも笑って世界を照らす」という

亡き母との約束を胸に、戦前、戦中、戦後を生きていくさわやかな一代記。



愛する母との別れがあった少女時代・明るく青春時代を駆け抜けた女学校時代、

小学校が国民学校となった昭和16年、念願の教師となる、つらい生活を強いられれる

戦時下で子ども達の笑顔を守ろうと奮闘するヒロイン陽子・・・


そして、陽子は松本の老舗そば屋にお見合いにより嫁ぎ、戦地へ赴いた夫のいない

婚家で、教師を続けながら義父母との生活を始めます。


「家の中では笑って暮らしましょう」と、たくましい姑とのかかわり合いに、

陽子は忘れかけていた生きる喜びを思い出します。


姑が大切にする家族や近所の人達とのつながり、そして・・・そば。

守るもののある心強さを陽子は受け継いでいきます。






私の両親は、ちょうど陽子と同世代で、三年半前に亡くなった母は、安曇野のとなりの

梓川村(現在、松本市梓川)から、本郷村の浅間温泉(現在、松本市浅間温泉)の

そば屋(当店)に戦後すぐに嫁いできました。


母は大正14年4月29日生まれ、春に生まれたので名前は春子、

戦時中は愛知県の航空機製作所に挺身隊として赴き、

戦時中は空襲により多くの人々が命を落とし、命からがら故郷に戻り結婚しました。



父は満州の戦地に出征し、終戦後シベリアに2年半抑留し帰還致しました。

もちろん戦地では多くの戦友を亡くし、抑留でも厳しい環境の中で、多くの方が

命を落とされたと最近になって聞かされました。


私が子どものころ、父は戦争の事を、あまり話をすることがありませんでした。

今思うと、口では簡単に言い表せない重たいものがあったのだと思います。


その父も今年90才になります。(大正10年生まれです)「陽子さんは11年生まれ」


ヒロイン陽子の人生と、私の両親の人生がドラマを見ていると

オーバーラップしてつい見入ってしまいます。


いずれにしても大変な時代を生き抜いて来たきたんだと思うと同時に,

その苦労の多い時代を生き抜いた来てくれたおかげで、


今の私自身と今年で創業百十八年になる当店が存在するんだと、

あらためて考えさせられます。


                   べん

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プロフィール
手打ちそば あるぷす 四代目店主 齊川 洋です。
このブログでは、『そば』について、私が日々感じることを書いていこうと思います。

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