「幻の蕎麦」
もう、ずいぶん前の話になりますが、私が中学生だった頃
今の天皇陛下が皇太子の頃、浅間温泉のある旅館に宿泊したことがありました。
その節、当店の蕎麦を出前で召し上がって頂いたことがありました。
その時の蕎麦を私も味見させてもらいました、
舌の上でとろけてしまいそうな、上品でやさしい味・・・
いままでに食べたことのない、忘れられない味でした。
最近になって、親父さんにその時の蕎麦の話を聞きますと、
「別に特別な蕎麦じゃない、普通の蕎麦だったと思う」と言う。
しかし、今でも私はあの時の蕎麦の味は、
もう一度食べてみたい幻の味であり・・・
いつの日か作ってみたい幻の蕎麦である。
「普通の蕎麦」
まだ、私が蕎麦を打ち出して数年の頃だったと思います。
その頃、当店の職人だったシゲちゃんが調理場から店内の一点を見ていた。
そこを通りがかった私は「シゲちゃんどうしたの・・・」と聞いたら、
いやー「俺も何十年この仕事をしてきたが、あんなに見事に蕎麦を食べる
お客さんに出会ったのは初めてだ」と見入っていた。
私も、そのお客さんの蕎麦を召し上がっている姿に目を奪われました。
「蕎麦を食べるリズムが一定で無駄がないんです、流れるように自然で、
美しいんです」私は思わず、お客さんに声をかけてしまいました。
「お蕎麦はいかがでしたか?」
すると、う~ん、と首をひねって・・・
「そうだな~ここの蕎麦は、生まれて初めてここの蕎麦を食べて、
そして、あちこちでいろいろな蕎麦を食べて・・・死ぬ前にもう一度
ここの蕎麦を食べて死にたい!」そういう蕎麦だな~と 一言。
「ごちそうさま!会計して下さい」 そして、二~三歩 玄関の方へ歩いたあと・・・
「あなたは真面目に仕事をしていますね! 私はこういう普通の蕎麦が
あってもいいと思う。頑張って、これからも蕎麦を作り続けてください」と言って・・・
颯爽と玄関の戸を開けて去って行きました。
私は、先程言われたお客さんの言葉に、ガーンと頭を殴られたようで
しばらくの間金縛り状態で、お客さんの名前を聞くことも考えられませんでした。
私は、この時から「普通の蕎麦を作り続けていきたい」 と、心に刻みました。
べん
前後裁断
過去を悔むより
先を不安に思うより
今あることを考える
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