2008/02/24 1:51

<別れの風景>

友人のべんちゃんのおふくろさんが亡くなった。
枕経を読み終えたとき、べんちゃんは「おふくろの葬式は音楽葬でやりたい」と言った。

 べんちゃんには手仕事きち兵衛さんやギターリスト辻幹雄さんという音楽を介した友人が多い。
 
その友人たちによる音楽葬をべんちゃんはイメージしたのである。ぼくは賛成した。そして、おふくろさんを見送るためのプログラムを作った。

 このところ神宮寺のお葬式は大きく変化している。
10軒あれば10軒とも方法が異なるのである。

 本人が生前の意思を残してある場合はもちろんその通りに行い、残されていない場合は家族と相談し、その人が「生きた軌跡」をしっかりとたどることができるオリジナルなお葬式を行うことにしているからだ。

 慣習・慣例の中にからめとられているお葬式から脱皮し、個別化することは喪主家にとっても寺にとっても、とても勇気がいることであり、手間がかかる。しかし、何十年も一緒に生きた人を見送るのに手間を省いてはいけない。

 きち兵衛さんが歌う「色即是空」(永六輔作詞)にぼくは「般若心経」合わせ、引導を渡した。辻さんはおふくろさんのスライド映像の前で、心に深く沁み込むギターを奏でてくれた。

 泣いたところを見たことがない、べんちゃんがいっぱい泣いた。
つられてぼくも泣いた。それは悲しいけれど精一杯のお別れができた
という「納得」の涙だった。
               神宮寺住職 高橋 卓志

 平成20年2月19日 信濃毎日新聞「タウン情報」(展望台)より



 
「春ちゃが 逝った」

2月7日 母春子(先代あるぷすそば店女将)
が永眠いたしました。享年八十三歳でした。
こんなに小さくなちゃって!・・・

私の脳裏にやきついているおふくろさんは、着物に割烹着姿のふくよかな、まさに肝っ玉かあさんのような印象がありました。

 漬物を漬けるのが上手で、お客さんからは「春ちゃ、春ちゃ」と親しみをこめて呼ばれておりました。 

 晩年は闘病生活が長く、特にこの一年余りは
寝たきりの状態が続いておりました。
病院のベットでおふくろさんの手を握り、頭をなぜさせてもらい、
私にとって今までで一番おふくろさんに近づけた気がします。・・・

 おふくろさん!どうか安らかに眠ってください。

 音楽葬を執り行って頂きました神宮寺の高橋さん。
それに快くこたえてくれた、きち兵衛さん、辻幹雄さん。
祭壇を母春子の名のように、春の香りのする花でいっぱいに
飾ってくれた飯沼さん。記念の写真やビデオで記録してくれた宮下さん。他にも大勢の友人知人に支えられておふくろさんを送ることができました。感謝申し上げます。

 葬儀にご参列頂いた皆々様、誠に有難うございました。 
母春子が生前賜りましたご厚情に感謝すると共に、今後とも
あるぷすそば店をご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。
                                                       べん 齊川 洋