お菓子作り
先日お休みにスポンジケーキを作ろうとして卵を割り泡立てをしてさて小麦粉を出そうとしましたらちょうど小麦粉が切れていました。食品庫を見ると某メーカーのすいとん粉がありそれを代用品として使ってみようと思いました。粉なので同じではないかと使用したところ少しパサパサしていましたが普通に作ることが出来ました。何かあせっていせいか牛乳とバターも入れ忘れてしまい散々なケーキになりましたが味は美味しかったです。以前発砲スチロールで作っていただいたケーキがありますのでその画像も載せてみました。(グリーンのケーキは模造品)
宇佐美雅子でした。
新築工事着工中
松本市里山辺にて2x4工法平屋建て36坪の住宅を建築中であります、2月8日の思いがけない大雪で現場での除雪に追われ2月末完成(本体)を目指しております、内部は全室床暖房完備で床、壁、天井共、高性能断熱材を使用、松本の寒い場所に合った住まいとなっております、各業者の責任施工により外構工事含め3月下旬竣工予定でございます。
奥原
SBCラジオを聞いて思い出したこと
先日、車の運転中、SBCラジオで作家藤原ていさんの代表作、“流れる星は生きている”
の事を云っていました。その名前を聞いた時、入社当時の新入社員合宿訓練の事を思い出しました。
現在は行われていませんが、その当時は、新入社員の私達、2年社員全員と、参加希望の先輩達
とで4月一ヶ月の合宿訓練が有り、入社式の夜から合宿所に寝泊りし、日中は会社で業務を
普通に行い、夕方から夜~朝は合宿所で新入社員教育を受けました。
当然の事ながら、朝夕の食事は当番にて、自分たちで先輩達の指導を仰ぎながらつくり
‘食事に感謝して合掌’後 いただいていました。
その教育訓練の中に全員での読書の時間があり、当時一緒に参加され、朝講の担当をされていた
穂苅社長(現会長)が選定され、全員に一冊づつ渡されたのがこの本でした。
太平洋戦争末期の昭和20年、満州国の新京(現中国の長春)から陸路朝鮮半島の北部を廻り
半島を南下して、釜山から博多へ引き揚げ船にて帰国した主人公親子の物語で、彼女の自伝的
経験を綴ったものでした。当時のソ連占領地域の実態を表した記録で、昭和25年ベストセラーに
なった本でした。
当時(昭和48年)24歳の私はその本の衝撃的内容に、自然と流れ落ちる涙を止める事が
できなかった事を思い出しました。
極限状態における人間の本性の表れ方、その反面の癒される場面等、必死の想いで幼子3人を
母親が一人で守って引き揚げて来たことが、克明に記述されていました。
戦後69年経過した現在、国会で何やらきな臭い議論がされていますが、彼女が述べていた
あの戦争の総括“終戦でなく敗戦”を考えた時、戦勝国が常任理事国、敗戦国日本、ドイツ、イタリア
他諸国という国連の枠組みが変わらない限り、日本は他の方面に活路を見出すことの方が懸命と
考えるのは、私だけでしょうかねー?
未だ読んだ事の無い同世代の方々、初めて聞いた若い世代の方々、一読の価値があると
思います。手にとって見て下さい。戦争の愚かさが共感できると思います。
今日は久しぶりに大雪です。道路を見ていると、車の運転もままならないようです。暖かくなったら
又、現場からの報告をさせていただきます。
木造りの家を全国に発信したい 務台がお送りしました。