委員会活動ブログ
こんにちは
「日々是修練」の総務政策発信委員会の井上です。
皆さん、お元気ですか?
ところで皆さんは「アビリーンのパラドックス」をご存じですか?
ウィキリークス、もとい、Wikipediaによると、経営学者ジェリー・B・ハーヴェイ (Jerry B. Harvey) が著書『アビリーンのパラドックスと経営に関する省察』The Abilene Paradox and other Meditations on Managementで、この現象を説明する小話の中でハーヴェイが用いた町の名にちなんでつけられた名称だそうです。
以下はその要旨です。
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ある八月の暑い日、アメリカ合衆国テキサス州のある町で、ある家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず、皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者を含めて誰もアビリーンへ行きたくなかったという事を皆が知ったのは、旅行が終わった後だった。
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ある集団がある行動をするのに際し、その構成員の実際の嗜好とは異なる決定をする状況をあらわすパラドックスのことを指す事例ですが、皆で決めたことに対して「実はこう思っていた」とか「本当は反対だった」とか、みなさん、多かれ少なかれこのような経験ありませんか?
これは民主主義における機能不全の一つを象徴する話だと思うのですが、これを防ぐ為には構成員同士の意思の確認作業が非常に重要なわけです。つまり「議論」ですね。
議論をするということは、数ある主張を比較検討する中で、それぞれのもつメリット、デメリット、あるいはその価値などが検討され、意志決定を行う際の重要な判断材料を提供することができ、それによって適切な意志決定が実現する可能性が高くなるという建設的な効用のみならず、上記で紹介されるような「不作為の作為」的な機能不全を防ぐ意味でも大変重要なわけです。
また、「何かやる」ことがすでに決まってしまっていても議論になりません。手段の目的化が生じるような状況でよく起こる現象で、特にJCにおいてはよく見かけます。
毎回の議論の場において出される意見の一つ一つは、少しでも事業目的達成に近づく要素を含有している可能性があり、それは時に相反する価値観を内包していたものであったとしても検討する価値があり、検討すべきであると思うわけです。
この過程を蔑ろにして「もう決まったことだから」としてしまうと議論が成り立ちません。
議論の場は常に用意されており、それを活かすも殺すも自分達次第です。
限られた時間の中で答えを出していかなければならない過程の中で、議論を行う難しさを日々感じる今日この頃、正に「日々是修練(ひびこれしゅうれん)」というわけです。
それではまた会える日まで、ごきげんよう
2014委員会活動ブログです。
よろしくお願いします。