理事長ブログ
3月23日(土)、信州まつもと空港にて、15時55分に松本に到着した札幌便に搭乗されていた乗客の皆様へのおもてなし活動とアンケート調査に参加してきました。「最近、信州まつもと空港で勝手におもてなし隊という有志の皆さんが活動をされている。」そんな話を三役会でした後すぐに故郷の光彩を描く委員会のメンバーが勝手におもてなし隊の方に連絡をとり今回一緒にお手伝いをさせていただく事になったようです。勝手におもてなし隊の吉國様にお話をうかがいますと、座席番号で当選した乗客の皆さんに長野県各地の名産品をプレゼントされる取り組みで今回で2回目との事。23日には松本や塩尻の地元だけでなく伊那からも名産品の出品があり、今後はオール信州から出品を募っていければとおっしゃってました。
ゆるキャラの「アルクマ」や「げんすけ」も出迎える中、空港に到着した乗客の皆さんは、驚きながらも笑顔になられていたのがとても印象的でした。
地域の人からこんな熱烈歓迎をされる空港は世界中を探しても信州まつもと空港しかないのでは!
上嶋委員長、金田副委員長を中心に委員会メンバーも一生懸命にアンケート調査をしていました。
(アンケート調査をする上嶋委員長)
アンケートをしてみていろんな気づきや出会いもあったとの事。4月第一例会が楽しみです。
実際に自ら現場に足を運び、外部の方々と話す事の大切さをあらためて実感できました。
3月9日早朝、松本を出発しお昼には仙台に到着をしました。午後は、東日本大震災で被災された地域を訪れてみようと仙台駅から在来線の仙石線に乗りまずは塩竃に行きました。徒歩で高台にある塩竃神社まで登りました。海岸付近から塩竃神社までは1.5㎞ほどあるそうですが、この近くまで津波が到達したとの石碑を見付け驚きました。その後、2008年に日本JCの東北地区担当常任理事をされた塩竃JC矢部先輩が営まれています矢部園様に伺い美味しいお茶を頂きながら、矢部先輩のお母様より当時店はそのままにしてスタッフの皆さんと塩竃神社まで避難されたお話などをお聞きしました。塩竃の後は、松島海岸に立ち寄り日本三景の一つ松島を観てきました。多くの観光客が訪れお土産さんなども頑張って営業をされておられましたが、ここまでになるまでには相当のご苦労があった事と思います。松島海岸から先は一部区間で電車が復旧しておらずバスにて代行運転をされている状況でした。タクシーで石巻市まで移動中に津波により一瞬にして多くの方や建物を失われた海岸線の地域を通りました。何もない空き地が広がっている地域で、タクシーの運転手さんが突然、車を停車されました。「ここには、自分の家もあった。この角には酒屋さんがあり旦那さんは消防で町内のみんなを誘導し避難させていて津波にのみこまれ奥さんと一緒に亡くなってしまわれたんだよ・・・」
そんな辛いお話をお聞きし胸がしめつけられる思いでした。石巻市に着き市内を一望できる日和山公園に行きました。海岸の港付近はテレビ映像でみる景色そのままで2年前から時間が止まっているようでした。
石巻では両親を失ってしまった子どもたちへの就学支援をされている方々がいるとのお話も聞きました。
10日仙台にて開催された復興フォーラム2013では石巻で昨年小学校の先生となり、心に傷を負った子どもたちと苦しみながら必死に向き合ってこられた須田先生の話を聞く事が出来ました。須田先生の話を聴き、松本で暮らせている我々にもまだまだできる事があるはずだと感じましたし、これからも我々はあの日を決して忘れる事なく心を寄せさせていただきたいと強く思いました。愛する南三陸町で生まれ地域に育ててもらったという及川さんという方の言葉です。「まちが高台に移っていくのは復旧です。大切な人と穏やかな生活を送るという幸せを南三陸の人たちが取り戻せる事が復興だと思います。自分の孫やその子どもたちにそんな日がくる次代を残す為に頑張っていきます!」
明日11日は、松本JCでも新しく入会したメンバーの委員会「流汗悟道委員会」が中心となり、決して忘れないという思いをこめ黙祷を捧げようという「復興への祈り~私たちはあの日を忘れない~」を14時30分より松本駅前広場でおこないます。9日10日と街に出て自分たちの言葉で呼びかけてきました。
少しだけ時間を止めて、一緒に東北の方々に心を寄せさせていただきましょう。我々は今、大切な人と穏やかに生活できているのですから・・・・・
(社)松本青年会議所 2013年度理事長の山本篤司です。
このブログでは、活動の様子やまちづくりについて感じたことなどを書き綴っていきたいと思います。