こんにちは、LOMではフリーダム井上です。本年は何を血迷ったか日本に出向し憲法に取り組む毎日を過ごしております。
どうやら本年はブログを書く機会が委員会メンバーにも与えられているようで、誰からも期待されているわけではないのですが、最近書き上げたWe believe2月号の原稿がいろいろこちらの不備で結局ボツになってしまい、悔しいのでここでささやかに載せてしまおう、と不連続の連続シリーズを復活してしまいました。
今回はかなりの長文ですので、ほどほどにお付き合いください。 それでは皆さん、チャオ。
以下、原文
「2010年9月7日、我が国の領海である尖閣諸島付近に侵入した中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきたことに端を発する一連の事件について、那覇地検が処分保留のまま中国人船長を釈放した問題やビデオ映像流出騒動など政府の対応も含め様々な問題が取り上げられていますが、とりわけ我が国の安全保障問題が浮き彫りにされ、日本国民の関心が高まっています。尖閣諸島は我が国固有の領土でありますが、一方では、「中国外交筋の話として、同国が、尖閣諸島のある東シナ海や、ベトナムなどと領有権を争う南シナ海を、(台湾、チベット、新疆ウィグル自治区と並ぶ)国家の領土保全にとって最重要な『核心的利益』に属する地域とする方針を新たに定めていた」と2010年10月2日付サウスチャイナ・モーニングポスト(香港英字紙)の報道にあるように、今後中国の東シナ海実効支配への動きが活発化していくことが予想されます。こうした動きに対して、尖閣諸島付近の監視・警備・防衛体制の強化及び自衛隊による領域警備任務の法的根拠の付与等の法令整備を進めることは喫緊の課題ですが、元々現況を許している根源的な背景に「憲法第九条」があるのではないか?という声が上がっているのも事実です。尖閣諸島問題=憲法改正というのは少々短絡的ですが、今回の一連の事件が改めて国民が憲法、とりわけ憲法第九条を考える機会となったのではないでしょうか?
~そもそも何故「憲法第九条」なのか?~
戦後、憲法改正か否か?という議論の主な論点で先ず取り上げられるのは第九条ですが、その主因は自衛隊の存在にあると言えるでしょう。政府解釈では、「わが国が憲法上保持し得る自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならない」とし、自衛隊は、第九条第二項でいう「自衛のために必要な最小限度の実力を超えるもの」である“戦力”にはあたらない、というものです。保持し得る自衛力の限度についても、「その時々の国際情勢・軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る」とあり、あいまいな定義となっています。また、①わが国に対する急迫不正の侵害があること②この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という三要件に該当する場合に限って初めて自衛権の発動としての武力の行使が認められる為、多くの制約を受けている自衛隊ですが、1991年の湾岸戦争をきっかけに自衛隊の「国際協力」を目的とした海外活動が積極的に展開されることとなり、1992年のカンボジア派遣に続きモザンビーク(1993年)、ザイール(1994年)、ゴラン高原(1996年)、そして2010年まで行われたインド洋上での給油補給と、設立当初と比較してもその活動範囲が拡大しています。厳しい制限を課せられた状態のままの海外派遣による隊員自身の安全問題もさることながら、解釈拡大による憲法形骸化という可能性も内包しているわけです。また近年の北朝鮮の核開発問題に見られるように北東アジア情勢が緊張下にある現在、我が国の安全保障は日米安保条約に拠るところが多いわけですが、政府が「保有しているが、行使できない権利」と解釈している集団的自衛権と安全保障体制の問題もクリアしていかなくてはいけない点です。
憲法第九条は、発案の段階から成立するに至るまで実に多くの修正がなされていますが、その発案はマッカーサー・ノートの第2原則に起因します(※1)。その成立経緯をたどると、無条件に戦力放棄をしたものではなく自衛のための戦争を可能にしようと意図して修正されたことが見て取れます。当時GHQ民政局次長であったケーディス氏によると、マッカーサー・ノートに記載されてあった「自己の安全を保持する為の手段としての戦争」を削除した理由として「もしその部分を残しておけば主権国家として非現実的になると思ったからである。」(※2)と述べていることや芦田均氏が「前項の目的を達するため」という語句を入れた理由(※3)からも伺えます。戦後、「自衛権の行使」の解釈については、自衛隊違憲説や自衛のための戦争は放棄されていない、とする説など諸説あり、議論が今なお絶えないのは、憲法第九条があいまいに規定されているが故に起こる問題だと言えそうです。」
(※1)マッカーサー・ノート第2原則「War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争及び自己の安全を保持する為の手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる日本の陸、海、空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍隊に決して与えられない。」※「日本国憲法の誕生」より引用 資料と解説3-10 マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」)1946年2月3日・httpアドレス(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072/072tx.html)参照日時2011年1月20日12:11
(※2)駒澤大学法学部教授 西修「憲法9条の成立経緯」より引用
httpアドレス(http://www.komazawa-u.ac.jp/~nishi/Nishi-text/daik9jyo.htm)参照日時2011年1月20日14:45
(※3)芦田均氏の証言
「私は一つの含蓄をもってこの修正をいたしたのであります。『前項の目的を達する為』という辞句をそう入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないことになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。これだけは何人も認めざるを得ないと思うのです。そうすると、この修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがって、この修正があっても第九条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります。」
(西修 著『ここがヘンだよ!日本国憲法』91‐92頁(株式会社アスキー、2001年))