昨夜は三役会、いやむしろその後は恒例のミズノヤナイトで相変わらずブログアップが金曜日を過ぎてしまいました。
8月6日、この日は広島「原爆の日」。
すでに翌日になっていますが、この場でご冥福をお祈り申し上げます。
暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 暑い日にはちょっとお出かけして山形村にあるショッピングセンターに涼みに来て下さい、と営業トークの専務井上です。
さて、広島では、65回目の平和記念式典が開かれ、アメリカのルース駐日大使と国連の潘事務総長が初めて参列した、とのことです。そこで、広島市秋葉市長が、アメリカの核の傘からの離脱など、日本政府に具体的な行動を求める平和宣言をしたとかしないとか・・・
私見ですが、原爆で亡くなった方々を偲び、世界平和を祈るあのような場で、市長として上記のような政治的意志を持った発言は控えるべきではないか、と正直思います。
市長は、当然市民を代表しているわけですが、日本国民を代表しているわけではありません。「核の傘からの離脱」云々については、明らかに外交問題です。
市長の立場で発言をしていても、国の代表者が臨席している公式の場で日本国政府の見解と異なる発言は当然慎むべきであると考えます。
ちなみに、どんなに内輪でもめていたとしても、こと外交に関しては国民は一枚岩であたらなければならない、というのが世界の常識です。残念ながら、日本にはその常識は通用しないようです。
仮に市長の言っていることが市民の民意を反映していると仮定して(実際の広島市民は核の傘についてどう思っているのだろう?)、それでも公の場でこうした外交問題について、一市長の分際で(おっと失礼)公式な立場でかような発言をして良いものかどうか?
いや、国政を預かる人間がなかなか言えないことを市長の立場で発信したことは逆に評価すべきか?
実は、そもそも日本国としてダブルスタンダード(本音と建前)を用いての外交手法なのか?
・・・世界の核廃絶による平和が訪れたらそんな素晴らしいことはない、と確かに思います。
そうは思うのですが、現実的にはアメリカの「核の傘」≒日米安全保障条約があったからこそ、日本が軍を持たずとも他国から侵略されるようなリスクを避けることが出来、自国の経済成長を成し遂げ、今の我が国の生活水準をもたらしたことは、紛れもない事実です。
「核の傘」からの離脱という市長の個人的な希望(あくまでコンセンサスを得ていない、という意味において)が仮に多くの賛同を得ていたとしても、やはり不適切な発言であった、というのが私個人の見解です。
多くの尊い命を一瞬にして奪った大量破壊兵器である核兵器について、世界の中で最も発言権のあるのはもちろん最大の被爆国である日本であると思います。
であるならばこの件に関して、我が国こそもっともっと世界に対して訴えても良いのではないか、と思います。
ちなみに、私は日本が核兵器を保有することに関しては基本的には慎重ですが、核保有を議論することは外交上大いにすべきである、と思う人間の1人です。
こうした議論はなかなかデリケートであると思いますが、敢えて取り上げてみました。
皆さんはどう思いますか?
社会党の衆議院議員時代に成し得なかったことを実行したいがための発言か?
アメリカ憎しからきた発言か?
国民の議論喚起?
真意は分かりませんが、市民の民意を反映していないものだとすれば、訴求力はありません。
核兵器の保有検討は賛成。
冷戦後、多くの国が持ってしまった
戦勝国の優位性が消え、武器を売るにも「(手軽で効果大な)核があるので結構です」と断わられる
やはり核廃絶も兵器ビジネスのためなのではないのでしょうか・・・・・
「幸福」は人それぞれ感じ方が違うものですが、「恐怖」は皆がほぼ共通して抱く感情だと思いますから。
・・・・・・それを踏まえ、某総統閣下のリーダーシップはやはり見事なものだと思います(笑)
弾き方によって、天国を地獄にも、地獄を天国にも思わせることができる。
(ア○ルフ・ヒト○ー語録より)
思えば彼も民主主義の中から生まれた人物。
民主主義が常に正しいとは限らない。
ここ数年の選挙の動向を見ているとそう感じます。
沖縄県民の利益と国益とを秤にかけてのドタバタ劇、見方によっては滑稽な議論ではありました。
政治の議論って、何処か支離滅裂感が拭えないのは、議論の整理がきちんとできていない状態で、強面のお年寄りがワーワー喚くからなのかもしれませんね。