万年体調不良の奥村副理事長のお後を受けます、木曜ブログ担当の牛越です。奥村副理事長はきっと、日本の敗戦のショックから立ち直れず、今頃何時にも増してクラクラしている頃合いかと思いますが、お大事に。
さて、日本代表、結果は残念でしたけれど、本当に良く頑張りましたよね。サッカーでは負けなかったけど、サドンデスで負けた、ま、ジャンケンで負けたようなものですので、諦めるしかないのかもしれません。
日本はフランス大会以降は、ワールドカップに連続して出場しておりまして、まずまずサッカーの業界では「アジアの顔」といったスタンスを確立したといえるのかもしれません。
思い返せば、私がワールドカップをテレビで初めて見たのは、1982年のスペイン大会でした。「白いペレ」ことジーコ、フランスの「将軍」プラティニ、まだ「人の子」に過ぎなかったマラドーナ、図抜けたスーパースターが綺羅星の如く輝いていた古き良き時代でした。86年のメキシコ大会では「人の子」マラドーナが「神の子」になったことが印象的でしたかねぇ、あれは間違い無くハンドですが、5人もぶち抜かれたので結果は変わらなかったものなのでしょう。
ま、昔話はともかくとして、この当時、日本のサッカーはワールドカップとは無縁のものだったんですよね。同じサッカーでも、世界のサッカーとは別のスポーツだったのかもしれません。
1990年でしたか、Jリーグが発足して、日本のサッカーがプロスポーツとなり、それから10年を経て「世界のサッカー」と同じサッカーができるようになった、振り返れば本当に遠い道程をよくぞここまで歩いてきたものだ、と正直感心いたします。
「ナンバー1」を目指すのがプロスポーツの本旨なのかもしれませんけれど、ベスト16、この価値は称賛に値するものだと思います。ポルトガルもチリもメキシコもイングランドもベスト16、だから良いということではないですが、この顔触れの中にニッポンが入っているということの価値を、幸福感をもって受け止めたいと思います。
話は飛びますが、我らの松本山雅FCは地方のクラブにすぎませんが、サッカーボールで世界へと通じている、そう思うと夢も膨らもうってものじゃぁあぁ~りませんか。頑張れ!松本山雅FC!!(只今連勝中!)。
4年後、次はブラジル大会でしたっけ?。岡田監督ではないですが、試合終了のホイッスルが、4年後に向けたスタートのホイッスルなのかもしれません。
次こそは!でございますよ。
本日もまた、にっちもさっちもでございますが、こんなところでまたの御目文字まで。
アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎
(隠れイングランドファン)
追伸:駒野選手、W杯でPK外すなんて、ミシェル・プラティニと同じです。プラティニの蹴ったボールはゴールにかすりもしませんでしたけど。気にしない気にしない!、4年後があるじゃないですか。