皆さん、今日も元気ですか?
6月に入り、FDA就航開始やら先週末の事務局長の結婚やらで大変“あつい”日々が続いておりますが、いよいよ全国城下町シンポジウム弘前大会が今週末にあります。体調とアルコールとお金の管理に気をつけたい専務井上です。
さて、GNHとマズローの欲求段階説について前編と後編に分けたのは、書いている途中で極度の眠気に襲われてしまい中断したからです。最初これら二つのコンセプトはつながるかな、と書き始めていろいろ考えていたら結局上手く結びつけることができず断念した、というのが事の真相です。
「GNH(国民総幸福量)」という尺度についてネットでリサーチしていると、GNHが“物質的な豊かさの指標≒GNP”に対するアンチテーゼという考え方に基づいて提唱され、そして研究されているケースが多く、正直この手の“哲学”は苦手な分野です。
確かに、GNPやGDPを以て「国の豊かさ」と短絡的に捉えるのは“経済至上主義”と揶揄されてしまうところもあると思いますが、これらはあくまで指標ですが「国の豊かさ」の一面を示していることは紛れもない事実だと思います。
であるならば、GNP重視に対するアンチテーゼとしてのGNHではなく、国の豊かさを測る手段の一つとしてこの「幸福量」なるものを取り入れていったらよいのではないかな、と個人的には思います。
ブータンの国民の90%が幸せである、とアンケートで答えていて一見「GNH」という指標がが成り立つような気もするのですが、日本の場合、世界第2位の経済力の堅持があってこそ現在の経済的に豊かな暮らしが担保されているので、国民の意識が現在の生活水準を落としてまで精神的な豊かさにシフトできるかどうか、は現実的には難しいのではないか、と考えます。 ミクロで実践するのは個人の勝手で済みますが、マクロでGNPよりGNHを優先するようになった場合、日本のGNHが上がるのか?
むしろ下がってしまう気がします。(ここでも“合成の誤謬”が生じます。)
結局、私たち日本人が目指すべきは、“物質的にも精神的にも豊かな社会の実現”ではないのかな、というのが本日の結論。
GNH・・・皆さんはどうお考えでしょうか?