万年体調不良の奥村副理事長のお後を受けるはずのところ、東京出張のため木曜朝にアップされている花金ブログの井上専務のお後を受けることになってしまいました、木曜ブログ担当の牛越です。
新内閣、発足いたしました《祝?》。
期待値が上がってしまっているのがまたまた心配な船出ではございます。期待した分がっかりするのは私たち国民でございますので、あんまり期待しないで眺めていようと思っております。がっかりするのも心労の内ですから・・・。
ま、それはともかく、新閣僚の皇居での認証式ってのがあります。これ、出席者は盛装で!というのがしきたりなのだそうで、新任の内閣総理大臣はじめとして子分の閣僚の皆さんも、モーニング姿で総登城ということになったようです。
ところで、アイデンティティー育成室の担当副理事長といたしましては、本年は「和」というものに一抹のこだわりを持って過ごしていきたい、と常々思っておりますところでして、今回の皇居での認証式をつらつら眺めて思ったことを一筆言上奉ろうってなことを思っております。と申しましても、大したことは書けませんのでご心配なく。
さて、日本人の盛装は果たしてモーニングで良いものなのでしょうか。
余の儀なれば格別、悠久の伝統ある我らが日本国(ニッポンコク)の天皇陛下の御前に、悠久の歴史を誇る我が日本国(ニッポンコク)の閣僚が揃いも揃って雁首並べて、明治時代に西洋からひょっこり到来したに過ぎないモーニング姿、何だか寂しいような光景ではございますまいか。
じゃ、何を着て行けば良いのか。
ひょっとしたら、烏帽子着用ってのが本式なのかもしれませんが、閣僚とは申せ平民のはしくれ、紋付羽織袴が場所柄的にも身分的にも適当なのかな、と思うわけでございます。
少々大それた話になってしまいましたが、洋服の生活にすっかり慣れてしまっている私たちにしてみると、和服ってのは少々窮屈ではあります。でも、たまに着てみると、背筋がピン!と伸びて、気分の好いものですよ。
松本の御城下は、和服の似合う街でもあります。どうぞ皆さま、たまには虫干しのつもりで、和服をお召しになってみては如何でしょうか。作務衣も立派な和服ですし、浴衣も立派な和服です、お気軽にどうぞ。
相も変わらずにっちもさっちもまとまりませんが、こんなところでまたの御目文字まで。
アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎
(呉服商の廻し者)
追伸:明日より、第29回全国城下町シンポジウム・津軽弘前大会に出発いたします。道中長いなぁ・・・。
皆さん、今日も元気ですか?
6月に入り、FDA就航開始やら先週末の事務局長の結婚やらで大変“あつい”日々が続いておりますが、いよいよ全国城下町シンポジウム弘前大会が今週末にあります。体調とアルコールとお金の管理に気をつけたい専務井上です。
さて、GNHとマズローの欲求段階説について前編と後編に分けたのは、書いている途中で極度の眠気に襲われてしまい中断したからです。最初これら二つのコンセプトはつながるかな、と書き始めていろいろ考えていたら結局上手く結びつけることができず断念した、というのが事の真相です。
「GNH(国民総幸福量)」という尺度についてネットでリサーチしていると、GNHが“物質的な豊かさの指標≒GNP”に対するアンチテーゼという考え方に基づいて提唱され、そして研究されているケースが多く、正直この手の“哲学”は苦手な分野です。
確かに、GNPやGDPを以て「国の豊かさ」と短絡的に捉えるのは“経済至上主義”と揶揄されてしまうところもあると思いますが、これらはあくまで指標ですが「国の豊かさ」の一面を示していることは紛れもない事実だと思います。
であるならば、GNP重視に対するアンチテーゼとしてのGNHではなく、国の豊かさを測る手段の一つとしてこの「幸福量」なるものを取り入れていったらよいのではないかな、と個人的には思います。
ブータンの国民の90%が幸せである、とアンケートで答えていて一見「GNH」という指標がが成り立つような気もするのですが、日本の場合、世界第2位の経済力の堅持があってこそ現在の経済的に豊かな暮らしが担保されているので、国民の意識が現在の生活水準を落としてまで精神的な豊かさにシフトできるかどうか、は現実的には難しいのではないか、と考えます。 ミクロで実践するのは個人の勝手で済みますが、マクロでGNPよりGNHを優先するようになった場合、日本のGNHが上がるのか?
むしろ下がってしまう気がします。(ここでも“合成の誤謬”が生じます。)
結局、私たち日本人が目指すべきは、“物質的にも精神的にも豊かな社会の実現”ではないのかな、というのが本日の結論。
GNH・・・皆さんはどうお考えでしょうか?