10/05/13

平成中村座

珍しく健康的な話題だった奥村副理事長のお後を受けます、体調不良真っ只中の木曜ブログ担当の牛越です、ゲホゲホ・・・。やはり人間、元気ってのが何よりでございますようで・・・。

先頃、平成中村座の2010年松本公演のチケットが売り出しになったなんていうニュースが報じられておりましたが、実は私、人後に落ちぬ歌舞伎ファンなのでございます。「この人は多趣味だから」と褒めた舌の根の乾かぬうちに「だから嫁が来ない」と詰られるほどに多趣味、ということのようですが、当人には左程の自覚も無く、単なる歌舞伎ファンを気取っている、というのが本音のところでございます。

とまれ、歌舞伎。
私が歌舞伎にはまりましたのは東京で暮らしておりました学生時代のこと。池波正太郎先生原作のテレビドラマ、御存知「鬼平犯科帳」にはまったのがきっかけで池波作品を読み漁るうちに、名優中村又五郎さんなんかを紹介するエッセイに触れ感銘を受け、「ここは一つ百聞は一見に如かず」ということで、歌舞伎座に足を向けたのが歌舞伎との出会いでございました。03-5565-6000番が、歌舞伎座のチケットセンターだったかなぁ・・・。
最初に見た演目は「伊勢音頭恋寝刃」だったかしら、片岡孝夫さん(御当代の仁左衛門さん)が出ていらっしゃったのを今でも覚えております。あれこれ見ましたが、印象深かったのは中村吉右衛門さんが弁慶をつとめた「勧進帳」ですとか、市川新之助さん(現海老蔵さん)が初役で花川戸助六をつとめた新橋演舞場の公演ですとか、数え上げれば様々ございます。歌舞伎とは少し離れますが、新橋演舞場の思い出としては、「鬼平犯科帳」の舞台公演でしょうか。「舞台に上がると五月の風が吹く」と賞される池内淳子さんの演技もお見事でしたよねぇ・・・。

ちょうど上手い具合に脱線いたしましたといいますか、私が歌舞伎にはまった理由というのがありまして、とってつけたような理由ではあるのですが、兎角「伝統芸能」「古典芸能」なんていう捉え方をされがちな歌舞伎が、実は現代演劇として十分に観衆の心を掴んでいるということがその理由ですし、なればこそファンになった、ということなのだと思います。歌舞伎は会場にイヤホンガイドがあるところからもわかるように、如何せん台詞回しが文語調ですし、台詞の半分は役者の代わりに舞台後ろに控える長唄の皆さんが唸っておられるので、そこそこの文語読解能力がないとイヤホンガイドなしでは楽しめない、これが現実です(実際には時代背景とか登場人物の血縁図なんかも理解していないと、芝居全体の筋書きを理解することができない、ということもあります)。しかし、二十歳も過ぎてそこそこの教養とそこそこの分別がつくお年頃になりますと、意外に違和感なく台詞も長唄の唸り声も受け止められるようになりますし、沈黙の意味も理解できるようになります。そんな出会いのタイミングもあったものでしょうか、ぐっと舞台に引き込まれるような感覚に襲われて、それ以来歌舞伎ファンとなったような次第です。但し、伝統芸能としての歌舞伎ではなくて、現代演劇としての歌舞伎に。

そんな、伝統芸能・古典芸能の芬々たる匂いの歌舞伎を名実ともに現代演劇として復権させたのが、おそらく宙乗りでお馴染の市川猿之助さんであったり、平成中村座でお馴染の中村勘九郎さ・・・もといっ!、中村勘三郎さんであったりするのだと思います。

一昨年の平成中村座松本公演の演目の「夏祭浪花鑑」ですが、初演のニューヨーク公演でのラストシーン、数十人のNYPDの本物の警察官と、数十台のモノホンのNYPDのパトカーが舞台奥から登場し、逃げようとする中村勘三郎さんと中村橋之助さんの背中に「FREEZE!」と叫んで一斉に拳銃を構えたあの場面、実に痛快で、今でも記憶に新しい一コマですし、日本の演劇史に何時までも語り継がれるワンシーンになるのでしょうね。
GHQ占領下で風前の灯だった歌舞伎をここまで盛り上げてきた関係各位の長い戦後が、報われた瞬間だったのではないかなぁ、とか、ちょっとしみじみ思ってみたりして・・・。

長くなりましたが、平成中村座松本公演、是非大勢の皆さんに味わって頂きたいと思いますし、カビ臭い古典芸能・伝統芸能が何故これほどまでに人々の心を鷲掴みにして放さないのか、体感して頂ければと思います。
珍しくにっちもさっちもバッチリまとまったところで、ボロを出さないうちに、またの御目文字まで。

アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎