高校生時代の野球部のコーチが29日に他界し、昨日葬儀に参列してきました。享年66歳。故人とは同じ地区で暮らし、私たちのチームの主将を務めた親友の叔父であったため、小学生の時から野球を教わり、「たけし、タケシ」と呼ばれ可愛がっていただいた。私の父親とは月一回の飲み仲間であり、ここ数年体調が芳しくないと聞いていましたが、先月20日の時はビールを飲んでいたと聞いてホッとした矢先の事でした。
葬儀に参列して思ったこと。本当に何十年ぶりかで再会した先輩や後輩、そして当時お世話になった監督と部長先生。不謹慎な言い方かもしれませんが、「お葬式」は人とひとの再会の場面とよく言われるが本当にそうなのだなと。1989年3月に卒業し、約21年。非常に仲が良いと言われていた同期の仲間も、少年野球の監督になったり、PTA、勤務先でのポスト、そして私みたいにJCの理事長になったりと年2回行ってきたゴルフコンペも時間的に都合が合わず、ここ数年は開催したりしなかったり。それでも毎年12月30日に行なう忘年会だけは続いているから結構なことだとお互いに納得済みのところが話の節々に感じるようになってきました。
本葬終了後、精進落としの際に様々な方から「今年JCの理事長なんだってな。新聞で見たよ。」とお声掛けいただき、ある先生からは「青年だから若々しく思いっきり主張をぶつけなさい。高校時代もそうだったけどお利口さんにやれと言っても無理だから個性を生かしてやんちゃしなさい。」というお言葉を頂戴しました。まさか先生が松本JCを知っていることに驚いたことと、言われた一言によって改めて気持ちを引き締めていただきました。
一つの目標に向かい純真な気持ちで白球を追いかけた高校時代。39歳になった現在の使命は、こんな時代だからと嘆くのではなく、こんな時代だからこそと声を大きく発信すること。9月1日からこの信州も新しい県政に移行しました。今月はまたもや我が国のトップがまたもや交代するかもしれないと言われております。現状を注視しながら、この松本の地から強い意思を発信していきます。
再度この場をお借りし、コーチのご冥福をお祈り申し上げます。長い年月、本当にありがとうございました。
追伸 私が高校1年生の時お世話になった監督は、次の赴任地にて長野ブロック協議会堀本喜正事務局長の監督になりました。「あいつはいい奴だよ。先日も彼に家族写真を撮ってもらったよ。」と監督は仰っていました。以前お互いに高校球児で同じ監督から指導を受けたということにビックリ。縁というものはどこでどう繋がっているか分からないものです。落ち着いたらゆっくり当時のことを話しましょう!!
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