最後のブログとなります。一年間本当にありがとうございました。
ラストメッセージは何が良いのかと熟考しましたが、少し前の事ですがブログアップしなかった事項がありますので、その事について記したいと思います。
10月16日にFDA様からのお誘いを受け、4号機のデモフライトに搭乗させていただきました(念願の松本山雅カラーのグリーンです)。
絶好の天候に恵まれいざフライトです。
松本平と北アルプスです。
槍ヶ岳と穂高連峰です。
御嶽山です。
富士山もくっきりと。
最後は諏訪湖を望み。
記念撮影を増田博志松本JCシニア会長に撮っていただきました。増田先輩ありがとうございました。
約40分のフライトでしたが、本当に素晴しい景色を眺めることができました。
遂に我が社事務所カウンターに全てのミニチュアが揃いました。
この地域の宝である「信州まつもと空港」から新しい翼が飛び立ちはじめて半年が過ぎました。私ども社団法人松本青年会議所も昨年創立50周年を迎え、本年より新たな半世紀に向けて飛び立ちはじめたところです。2011年は大きな事業も控え、また松本JCという組織も大きな転換期を迎えます。社団法人松本青年会議所第51代理事長としてのJAYCEEは終焉しますが、この経験を糧にさせていただき、2011年もさらに熱い情熱を胸に抱き邁進させていただきます。今年皆様方から御指導を賜ったこと、末筆ながら本当に感謝致します。ありがとうございました。
MAKE IMPACT
~ 足元を見つめ 天高くを望もう
新たな歴史の幕開けに 未知なる可能性を求めて ~
このブログの原稿締切がだいぶ過ぎ、広報国際アイデンティティー委員会副委員長からの鬼のような催促に心が折れながら、うれしい報告をします。
12月23日15時11分、うれしい電話を着信しました。今年私ども松本JCの理事として活躍していただいている6つ年下のメンバーからです。「無事長男が約2,950gで13時頃に誕生しました。」
今年彼には松本JCの今後の組織の在り方を考えることをお願いしました。当然話す内容もその事は大半を占めたが、これから生まれてくる子どものことについても話し合いました。22日は別件で話をした際、「おしるしが来ましたが、もうじき生まれますか!?」なんて話をしていたばかり。大晦日が予定日と聞いていたので、「我が息子と一緒で今年中に生まれれば寅年の同士になれる!!」と会うたびに伝えていたので、念願叶い非常にうれしい。名前もひそかに「虎仁」というのはどうかなと大きなお世話をしております。
今年は会員を一人病気で亡くしました。辛い時期も過ごしましたが、彼のためにもいつまでも悲しんではいられません。今年は多くのメンバーが結婚し、新たな人生を歩み始めました。既に婚約を済まされているメンバーも多数いると聞いております。我が家もそうですが、多くの新しい生命も誕生しました。来年に出産を控えている理事メンバーもいます。今年も後残り一週間でうれしいニュースに心が躍りました。
私のブログもあと1回となります。月一回ペースの期日も守れないにも関わらず、副理事長には「ブログをアップしなさい!!」と強い口調で言い続けていました。来週またアップすることをお約束致します。
1カ月以上振りのブログアップです。
今年度も終焉に近づいている訳ですが、慌しいJCライフを過ごしています。訃報、悲しい知らせなどが続いた10月中旬から11月初旬でしたが大阪世界会議での姉妹JCである中華民国台南女青年商会との交流から始まり、今月も事業が目白押しです。メンバー一丸となって2010年度の集大成を発揮しますのでご期待願います。
先日仕事で安曇野市三郷に行きまして、ジャスコ三郷店前を通ったので下の写真を撮ってきました。
昨年、当青年会議所創立50周年を記念して「世界の宮脇方式」にて行った植樹です。私がこの現場を担当させていただき、雨の中で行ってからもう一年以上になります。この時はまだ今年度の理事長になることが決まっていませんでした。
帰りにアルウィンまで足を伸ばし、今年の6月にJFLで奮闘中の松本山雅FCの選手と子どもたちと共に「夢」を込めて植樹を行った現状を見てきました。植えた木が少なかったので写真では分かりづらいですが、着々と育っています。三郷とアルウィン。この木々の生長と私自身の理事長として、また2010年度松本JCの成長を照らし合わせるつもりはなかったのですが、なんとなくそんな事をふと思い、それぞれの場所で10分位眺めてきました。
妻の弟の長男が現在戸倉上山田中学2年生で野球部に所属しています。11月14日の日曜日は久しぶりのJCオフ日。甥の野球大会が塩尻市総合グランドに行われたので、妻と息子と共に応援に行ってきました。この塩尻市総合グランドは私自身も少年時代に本当にお世話になった場所です。少年時代から野球漬けだった血が騒ぎ、気がついたらPTAの皆さんよりも前面に出て大声をだしていました。妻からは「恥ずかしいから静かにしていて!!」と言われましたが、抑えることができませんでした。私の夢は高校野球の監督になることでしたので、プロ野球よりも少年・高校野球を見る方が好きです。いつの日か少年に野球を教えてみたいなといまだに心のどこかで思っています。残念ながら甥は風邪のため出番がありませんでしたが、楽しいひと時を過ごせました。我が息子も何年後かに野球をやりたいと言ってくれればいいのですが・・・。
最後に、
志半ばで旅立たれた当青年会議所宮下眞一君、昨年長野ブロック協議会副会長として松本JCが大変お世話になった(社)中野青年会議所武田健児君、私が2001年に日本JCへ出向した際に大変お世話になった2002年に栃木ブロック協議会(社)佐野青年会議所理事長を務められた嶋田雅章先輩。故人の生前の功績を偲び、御冥福を心よりお祈り申し上げます。
夏が好きな私でもさすがに今年の猛暑には閉口し、早く秋が訪れないかなと心待ちに
していたのも束の間で肌寒い日々が続く今日この頃になりました。
この季節、JCで言うところ卒業式というフレーズもひとつのキーワードになります。松
本JCも9月25日に佐久の地にて行なわれた「長野ブロック協議会会員大会」、そして
10月2日に神奈川県小田原市にて行なわれた「全国会員大会小田原・箱根大会」に大勢
のメンバーと共に参加してきました。
今年度松本JCの卒業生は16名。1999年に一緒に松本JCの門を叩いた同期生、高
校時代の同窓生、理事を一緒に務めたメンバー、そしてこれから結婚式を控えているある
特定の方。私は昭和46年1月生まれですので、今年度卒業生のほとんどのメンバーは同
学年です。長野ブロック協議会内18青年会議所の理事長の中にも何人か今年卒業される
方々がおり、「武士、俺たちのことをこれから先輩と呼べ!!」とブロック会員大会の際に
は吠えていました。毎年思うことですが、この時期を迎えると「この人今年卒業生なんだ。」
と感慨深く感じます。JC運動を短い、長いと期間関係なく共に邁進してきて、色々なこと
が脳裏を横切りますが、まだ残り2ケ月半ありますので、最大級なパワーを発揮していた
だきたいと思います。「卒業おめでとう!!」という言葉はまたの機会にて。
上記の写真は「未来のJAYCEE育成委員会」の中野勝志君との一枚です。上下真白なジ
ャージが決まっています。敢えてどの場面で撮った一枚かという説明はしませんが、彼は
毎年オーディエンスとして来場するそうです。ちなみに私は審査員として来場しました。
高校生時代の野球部のコーチが29日に他界し、昨日葬儀に参列してきました。享年66歳。故人とは同じ地区で暮らし、私たちのチームの主将を務めた親友の叔父であったため、小学生の時から野球を教わり、「たけし、タケシ」と呼ばれ可愛がっていただいた。私の父親とは月一回の飲み仲間であり、ここ数年体調が芳しくないと聞いていましたが、先月20日の時はビールを飲んでいたと聞いてホッとした矢先の事でした。
葬儀に参列して思ったこと。本当に何十年ぶりかで再会した先輩や後輩、そして当時お世話になった監督と部長先生。不謹慎な言い方かもしれませんが、「お葬式」は人とひとの再会の場面とよく言われるが本当にそうなのだなと。1989年3月に卒業し、約21年。非常に仲が良いと言われていた同期の仲間も、少年野球の監督になったり、PTA、勤務先でのポスト、そして私みたいにJCの理事長になったりと年2回行ってきたゴルフコンペも時間的に都合が合わず、ここ数年は開催したりしなかったり。それでも毎年12月30日に行なう忘年会だけは続いているから結構なことだとお互いに納得済みのところが話の節々に感じるようになってきました。
本葬終了後、精進落としの際に様々な方から「今年JCの理事長なんだってな。新聞で見たよ。」とお声掛けいただき、ある先生からは「青年だから若々しく思いっきり主張をぶつけなさい。高校時代もそうだったけどお利口さんにやれと言っても無理だから個性を生かしてやんちゃしなさい。」というお言葉を頂戴しました。まさか先生が松本JCを知っていることに驚いたことと、言われた一言によって改めて気持ちを引き締めていただきました。
一つの目標に向かい純真な気持ちで白球を追いかけた高校時代。39歳になった現在の使命は、こんな時代だからと嘆くのではなく、こんな時代だからこそと声を大きく発信すること。9月1日からこの信州も新しい県政に移行しました。今月はまたもや我が国のトップがまたもや交代するかもしれないと言われております。現状を注視しながら、この松本の地から強い意思を発信していきます。
再度この場をお借りし、コーチのご冥福をお祈り申し上げます。長い年月、本当にありがとうございました。
追伸 私が高校1年生の時お世話になった監督は、次の赴任地にて長野ブロック協議会堀本喜正事務局長の監督になりました。「あいつはいい奴だよ。先日も彼に家族写真を撮ってもらったよ。」と監督は仰っていました。以前お互いに高校球児で同じ監督から指導を受けたということにビックリ。縁というものはどこでどう繋がっているか分からないものです。落ち着いたらゆっくり当時のことを話しましょう!!
連日の猛暑。先日自宅近くに開園したばかりの「庄内公園」へ姪と行ってきましたが、姪を含めて来園者の子どもたちが気持ち良さそうに噴水で水浴びをしていました。私もその小さい噴水に飛び込もうかと思いましたが、ちょうど植物用スプリンクラーが稼動していましたので、他の保護者さんたちと共にスプリンクラーの水を浴びながら子どもたちを観察していました。是非皆さんも一度「庄内公園」をご利用いただければと存じます。
7月24・25日の2日間横浜へ行って参りました。私どもJCメンバーにとっては夏の風物詩である「日本JCサマーコンファレンス2010」に参加するためです。毎年各界からの著名人による講演など本当に有意義なセミナーが開催される通称「サマコン」ですが、当青年会議所からも日本JCに出向しているメンバーの活躍している姿を拝見して、頼もしく思うと共に、私自身まだまだ気合を入れて理事長職を全うしなくてはいけないなと勇気づけられました。さて在籍年数のわりにはそんなに横浜に行っていない私ですが、以前からサマコン帰りはここに立寄ってから松本へ帰りたいと思っていた場所がありました。今回我々の行程を指揮いただいた三澤彰君のお陰で実現できました。横浜から45分程バスに揺られその意中の場所「靖国神社」に着きました。
「靖国神社」と聞いて皆さんは何を想うでしょうか。私の思想については敢えてここでは記載しませんが、議論するにも私自身一度も訪れたことがなければはじまらないと言う訳で初めての参拝へ。その後「遊就館」へ。39年という月日を生きておりますが、改めて日本人として生命を受けたことの意義を考えさせられた時間でした。
ちょっと気になった一品です。境内の売店にて販売していたその名も「靖国そば」。
県外でそばを注文した記憶はありませんが、お昼を食べてなかったこともあり、また名前のインパクトから注文しました。是非ご賞味あれ!!
追伸 先日、まもなく生後7ヶ月になる我が息子ですが、お風呂上がりに母親のおっぱいを飲み終えた後全てを戻してしまい私たち夫婦はパニックに。慌てて「松本市小児科・内科夜間急病センター」へ。結論から言いますと単なるおっぱいのあげすぎでした。このまちに何かあったら直ぐに対応してくれる医療機関があることに妻が安心している姿が印象的でした。
大変ご無沙汰しております。ブログを毎日もしくは毎週綴っている人々を最近一番尊敬致しております。
さて昨日(7月15日)は私ども松本JCにとって最も重要な一日でした。詳細は後日改めてお知らせしますが、今年度理事長として一つの責務を果たすことができました。期日通りに物事を決めることの難しさ、つらさなどを痛感しましたが、成し遂げた達成感は心地いいものです。
6月と7月はJCの繁忙期であります。6月1・2日は信州まつもと空港からFDA第1便に搭乗し札幌へ。11~13日は第29回全国城下町シンポジウム津軽弘前大会参加のため青森県弘前市へ。20日は長野ブロック協議会野球大会(結果は準優勝)。26日は松本山雅FCから5人の選手をお招きし、子どもたちと夢と命を込めて行った植樹事業「2010松本JCエコロプラン」。7月に入り、1日は宮田村で行なわれた「参議院選挙合同個人演説会」。3日は「女の101人会議」も皆様と一緒に行った奈良井川沿いでの「アレチウリ駆除」を午前中に行い、午後は有明高原寮にてソフトボール交流会。7日は終日松本合同庁舎にて「参議院選挙期日前投票」の管理人。9・10日は北陸信越地区フォーラム参加のため富山県高岡市へ。その他の日々は第一例会、三役会、理事会、そして委嘱団体の総会などが本当に沢山開催されました。
あっという間に半年が過ぎました。7月になると次年度モードに突入かという季節ですが、まだまだ沢山行動しなければならないことが残っています。残り半年、アクセル全開で前へ進み、高く飛び立ちます。
写真は6月2日に千歳空港でのワンショット。福岡便の搭乗率向上に向けダイヤ改正などのニュースが飛び交っています。松本JCも4月第一例会にて発表した提言を行動に移します。現在企画の真っ只中ですが、乞うご期待!!
2010年5月19日(水)、第1回長野ブロック協議会各地会員会議所理事長懇親会
を我がまち松本市の割烹松本館様にて開催しました。
2月の長野ブロック協議会会員会議所会議で意見交換会の時に、「理事長の懇親を深めて話しようよ!!」との意見が飛び交い、地理的にほぼ信州の真ん中に位置する松本青年会議所理事長の私が幹事をかってでましたが、5月になっての開催になってしまい申し訳ありません。理事長という役職柄、ほぼ連日連夜何かしらの予定があるなかで私を含めて11名もの理事長が集まりました。
予定者の段階を含めて約9ケ月が過ぎ、次年度理事長の声もチラホラと聞こえ始めるなか、各々が書いた理事長所信に基づいて運動が行われているか、その運動が活動を通じて任期残り約半年をどのように挑むか、理事長としての悩みなど、周りに理事長という肩書きのメンバーしかいませんので、気兼ねなく本音トークでぶつかり合いました。
悩みに悩みぬいて2010年社団法人松本青年会議所理事長の命をお受けしましたが、理事長という役職は今でも重く、辛いと感じる時もありますが、長野ブロック協議会17名の理事長と出会えたこと、一緒に議論できることを心から感謝しています。今年度中もそうだけど、JCを卒業しても集まろう。
そういえば次回開催地(幹事)決めるの忘れちゃったね!!
理事長 水野谷武士
4月26日の地元紙「市民タイムス」を見て、私ども家族の写真が掲載されていて、ビックリしましたのでブログアップします。姉の嫁ぎ先である「呉服のマルヤ」に大相撲東前頭七枚目の玉鷲関が訪れるということを聞いて家族共々訪問しました。
玉鷲関の後援会代表の方がマルヤさんのお得意様ということで昨年に続いて2回目の訪問が実現しました。ご近所の皆様、姪のお友だちなどが一目玉鷲関を見ようと大賑わい。我が息子も実父に抱かれるより数段居心地が良いのか、玉鷲関の懐の深さにぞっこんでした。市民タイムスの記事での妻のコメントではありませんが、力士に抱きあげてもらったので丈夫な子に育ちそうです。玉鷲関は物静かで非常に凛々しい顔立ちの力士です。今年中には三役昇進を目指すと力強く語っていましたので、松本の地から応援していきたいと思っております。
相撲といえば、(社)長野青年会議所理事長 山本修君のご子息である山本正克君も少年相撲横綱として全国的に有名であります。玉鷲関と山本正克君、近い将来お二人の横綱土俵入りを見ることを心待ちにしております。
※ 「呉服のマルヤ」山本俊幸専務は2001年に松本JC理事長を務められ、「玉鷲会」
鰐川正夫会長(株式会社ジュエリー金賞堂代表取締役)も松本JCの先輩であります。
すっかりご無沙汰しております。1ヶ月ぶりのブログ更新になってしまいました。「口は達者だが筆不精である。」なんて声がちらほら周りから聞こえてきていますが、気を取り直して記したいと思います。
春です。寒暖の差はまだまだ厳しいですが、我が家(松本市並柳)から見た弘法山もすっかり桜が満開になりました。
さて先週末に念願叶いある映画を観賞しました。タイトルは「SOUL RED 松田優作」。故松田優作氏生誕60年、没20年を機につくられた公式ドキュメンタリー映画です。私自身、少年時代から特別故松田優作氏のファンという訳ではなかったのですが、1989年8月に渡米し、米国で初めてに映画館に行って見た作品が「ブラック・レイン」。彼の演技を体感して鳥肌がたった事を未だに鮮明に覚えています。それから1ヶ月も経たないうちに40歳という若さで亡くなられたということを姉からの手紙で知りました。
私は昭和46年1月生まれですので現在39歳です。この4月から40歳を迎える学年になりました。私ども松本JCの理事を見渡すと、武田哲也君、中田忠章君、牛越愼太郎君、北原誠君、高木茂君、新保次郎君、月岡信君と私で実に8人もいます。
『子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』
かの有名な論語の中にある孔子の言葉です。不惑を目前に控え己を見つめなおす反面、まだまだ半年以上30代が残っているので思いっきり暴れることが大事ではないかと「SOUL RED 松田優作」を見終わって感じている今日この頃です。
最後に昨年東京で封切られたこの映画。まさか松本平での上映は叶うまいと思っていたけど、アイシティシネマさんに感謝、感謝です。博文、裕ありがとうね。