カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
11月10日、コユキを世話していただいた保護犬団体のオフ会として、今年の里親会が今回も埼玉県の狭山市に在るいつものドッグランで開催されました。
そのため、コユキを連れてコユキを世話してくださった西東京のボランティアさんに挨拶を兼ねて、コユキの元気な顔を見せがてら、中央道から圏央道経由で狭山に向かいました。
その後、今月の育児サポートで横浜に残る家内を置いて、私とコユキは松本へ車で戻って来る予定です。
狭山には八王子JCTから圏央道経由で、3時間程で到着しました。そこから、横浜の都筑区には殆ど一般道でしたが2時間半程掛かりました。
無事到着し、顔を出すと「バァバ、ジイジ!」。どうやら、ちゃんと覚えていてくれたようです。今回は3泊ですが、また暫し孫との日々が始まりました。
今回孫たちが娘の実家である松本へ来るにあたって、とても印象的だった出来事がありました。
日本社会では少子化が将来へ向けての大きな問題となっていますが、そのためには如何に出生率を上げるかが、日本政府ばかりではなく、各地方自治体にとっても重要課題になっています。
政府や各自治体が知恵を絞り行う、その一つ一つの政策・施策がその課題解決に繋がって行くのですが、でも決してそれだけで解決できる訳ではありません。そのためには、“子供の産み易さ”、“子育てのし易さ“という、我々の社会全体が持つ環境や“雰囲気”がそれを側面からしっかりと支えて行かなければならないだろうことは言を俟ちません。
前回も書いた様に、日頃ワンコを連れて出掛けたり、また次女の子育て中の電車や買い物での体験談を聞いたり、実際に今回の様に二週間我が家に孫たちが滞在中に出歩いたりすると、とかく“Dog Friendly”や“子育てに優しい”社会について感じたり思うことが少なくありません。
マタニティーの若い女性の方だったり、若いママさんが小さな子を連れたり赤ちゃんを抱いたりして電車で立っていても、知らん顔して座っている人たちが大勢います。
また、実際に今二人の孫の子育て真っ最中の次女もそうだそうですが、ベビーカーに子供たちを乗せて電車で移動したり、スーパーやショッピングモールで買い物をする際、少しでも子供たちが泣いたり騒いだりすると、本当に申し訳なさそうに「スイマセン!」と周囲に謝ったり恐縮している若いお母さんを見掛けます。
そんな時、子育て経験のある中高年のご婦人や初老のおバアさまから、「大丈夫ですよ!」とかと優しい言葉を掛けて貰ったり、泣いている子供をあやして貰ったりすると、本当に涙が出る程嬉しいのだそうです。
ですので、子供たちの遊ぶ声が騒音だというクレームに、まるで“元から切るのではなく、臭いモノには手っ取り早くフタをする”かの如く、その公園を閉鎖してしまったどこかの自治体の様に、総論では少子化対策の重要性を叫びながら、目先の課題には逆の対応をするという様な呆れた施策をするのではなく、こうした各論の小さなことから社会全体が取り組んでいかないと、「少子化対策」や「子育てに優しい社会」実現への課題解決へ向けては、“言うは易し・・・”だけで、“されど・・・”この社会は何も変わらないのではないか・・・と思ってしまうのです。
今回娘は家内と一緒に、孫二人をベビーカーに乗せて横浜線で八王子まで来て、八王子から新宿12時発のあずさ21号に乗り換えて松本まで来ました。
そして、その八王子から特急あずさに乗り換えてから間もなく、3歳の上の子が電車酔いか、何度か吐いてしまったのだそうです。
その時、たまたま通りかかった車内販売の売り子さんの女性スタッフの方が気が付いて、持っておられたおしぼりを何本か下さり、それからどうやら車掌さんに取り次いでいただいたらしく、すぐに若い車掌さんが掛け付けてくださって、グリーン車に併設された「多目的室」を開けて下さって、
「具合が良くなるまで、こちらでお子さんを寝かせて休んでください」
と仰っていただいたのだそうです。
孫が吐いてしまった時に、車内では後ろの席に座っていた中年のおばさまグループからは露骨にイヤな顔をされ、聞こえよがしに「いやぁネェ・・・」という嫌味も聞こえて来ていたそうなので、家内も次女もそうしたJREのスタッフの皆さんの親切な対応に本当に涙が出る程有難かったそうです。
お陰さまで、上の孫はそれこそ松本駅に到着する前、降りる準備をするまで娘が付き添って多目的室で休ませていただいたそうです。
因みに、汚してしまったシートは、その旨連絡が行っていたのでしょう、松本駅到着後清掃係のスタッフがすぐに駆け付けて、上りの折り返し運転のために丁寧に拭き掃除などをされていたそうです。
あずさに乗車されていたスタッフの皆さん、そして松本駅の清掃係の皆さんや取り次いでいただいた駅スタッフの皆さん、JREのスタッフの方々の連携プレーに本当に感謝、感謝でした。
事前に家内から松本到着前にLINEで連絡があり、入場券を買って松本駅のホームに行って、孫たちが乗っている車両が停止する場所まで出迎えに行っていました。
ほぼ定刻であずさが到着し、他の乗客の方々が降りられてから、ベビーカーを降ろしてホームで組み立て、ベビーカーに孫たちを乗せてホーム内のエレベーターで改札口フロアに向かいました。その時、同じあずさに乗車されていたベテラン風の車内販売の女性の方もおられ、「大丈夫でしたか?」と声を掛けてくださり、娘と家内が丁重にお礼を述べていました。
その時は、車内販売の女性スタッフの方とのそうした経緯経過を私は未だ知らなかったのですが、後で娘と家内から聞いて本当に感謝した次第です。
もしかすると、それは日頃のJR東日本の接客訓練やマニュアル通りの対応だったのかもしれませんが、当たり前の様に迅速に対応いただいた、10月23日新宿発あずさ21号のスタッフの皆さん、そして松本駅のスタッフの皆さん、
「本当にありがとうございました!」
【注記】掲載した特急あずさの写真は、6年前E353系の新型あずさがデビューした時のブログ記事に掲載した写真を今回も使用しました。
繰り返しになりますが、婿殿が気を使ってくれて、次女の日頃の育児の骨休めも兼ねて、法事をきっかけに初めて実現した孫たちの二週間に亘った“里帰り”。
通常なら実家へ戻っての出産も、総合病院の方が安心だからと、婿殿が勤務する病院での出産となったので、次女の場合は一度も“里帰り出産”はありませんでした。代わって、二人目の出産以降、育児や家事の手助けで、次女たちのリクエストもあって、毎月二週間くらいずつ家内が横浜に行って次女のサポートをしています。
ですので、これ程長期に松本に孫たちが居るのは初めてのケースでした。
毎月世話をしている家内には当然のことながら適うべくもありませんが、物心がついてから最初横浜で会った時に「一体、コイツは誰だ!?」風に睨んでいた下の孫娘も、さすがにこれだけ一緒にいると、睨むことなく、ニコニコと笑ってくれるようになりました(機嫌の悪い時は何をしてもダメですが)。
視たいTV番組が視られません。TVは上の孫のYouTubeで「おかあさんと一緒」などに占領されます(お陰で、懐かしいじゃじゃまるやぴっころに会えましたが・・・。それにしても、海外から配信されている子供向けのYouTube番組があると知りました。しかも結構人気だとか。スゴイ!・・・)。
新聞も見られません。見ていると、下の孫にメチャクチャにされてしまいます・・・(お陰で二週間分の新聞が山積みになりました)。
毎日の食べるモノも孫たちが優先。食べたいモノが食べられませんし、ゆっくりと時間を掛けて食べる暇もありません(でも、お陰で一人の時に比べ、随分バラエティーに富んだ豊かな食卓になりましたが・・・)
自分の寝室から追い出されます。家内と娘が間に孫たちを挟んで寝るため、ジジは一人別の部屋に寝具を運んで寝るハメになりました(でも、お陰でその時間はプロジェクターを天井に照射してTVerをゆっくり視ることができましたが・・・。でも、一人の時は一緒に寝てくれていたコユキが家内の方に逃げて行きました・・・ムム、薄情モノめ!)
一人で“男の隠れ家”に居ると、すぐに「ちょっとぉ、ジジは何やってるの!?」と家内と娘に怒られて、孫たちのお相手をさせられるので(娘曰く、「精神年齢が合っているので、遊び相手にちょうどイイ」とのこと・・・)、孫たちが昼寝とかしてくれている間にしか自分の時間が取れません。
(でも、お陰で娘たちが小さかった頃以来、30数年振りに下の孫と一緒にお風呂に入ることが出来ました。お風呂では洗っている間、ずっと“ギャン泣き”通しでしたが・・・)
そんな日々も孫たちが横浜に帰り、そして暫くして家内がまた横浜に手伝いに行くと、またコユキと“独居老人”だけの静かな日常が戻りました。
ですので・・・、
また、いつでも好きな時に、視たい番組がTVやTVerで視られます。
また、いつでも思う存分、好きな音楽を聴くことが出来ます。
また、いつでも好きなだけ、“男の隠れ家”に邪魔されず籠ることが出来ます。
また、いつでも好きなだけ、その日の新聞を読むことが出来ます。
また、いつでも自分が好きなモノを、一人ゆっくりと味わいながら食べられます。
でも・・・、
「今度、いつまた松本に孫たちが来てくれるのかなぁ・・・?」
我が家は今年新盆でした。
先日の第1920話でご紹介した「おせがき(御施餓鬼)法要」は、浄土真宗を除く仏教宗派では一般的な様ですし、地域性は余り無いと思われます。
信州松本地方のお盆は月遅れでの旧盆で、8月の13日が迎え盆、16日が送り盆です。
因みに信州では節句は全て旧暦で行われます(信州では、4月にならないと桃の花が咲きませんし、6月にならないと柏の葉が大きくならないので、陰暦での実施には本来合理性があります)ので、8月7日の七夕が過ぎると(但し、最近では長野県内でも幼稚園などでは七夕を7月7日に実施する方が多いかもしれませんが)、すぐにお盆になります。
昔、「信州の年寄りは必ず天ぷらそばを注文する」とこのブログで書いたことがありますが、信州では(特に戦前・戦中派のお年寄りたちは)天ぷらが大のご馳走なのです。
以前の県庁所在地での比較調査で、小麦粉の消費量が“粉物文化”の大阪などの関西を抑えて(うどんはうどん玉で別)長野県が全国一位だったのですが、これは天ぷらがその理由だと云われていて、これまた消費量全国一番の野菜を日頃の煮物や味噌汁や漬物で食べるだけでなく、これらを天ぷらにすることでご馳走になるからなのだというのがその理由でした(第137話参照)
ですので、その天ぷらをお盆にご先祖さまにもご馳走としてお供えするのです。ナスやカボチャ、サツマイモなどの他に、きっと珍しいのはお饅頭の天ぷらでしょう。但し、これは全県ではなく、長野県でも中南信エリア(中部と南部)が主流の様です。この時期になると、スーパーにはお盆の「天ぷらまんじゅう」としてのお供え用に、お団子を一回り大きくした位の“小振り”のお饅頭がパックで売られています。
そして、ご先祖様を乗せてお連れする精霊馬を作って飾りますが、キュウリの馬とナスの牛です。これは、ご先祖様を迎えるにあたって、「少しでも早く家に帰って来られる」様にお迎えは馬に乗って、そして帰る時には牛に乗って「ゆっくりとお帰りください」という気持ちを表すと云われています。どうやらこれは東日本の風習(西日本は舟形の精霊流しとか)の様です。我が家では昔からトウモロコシのヒゲを馬の尾っぽに見立て、茹でたそうめん一本を背中に掛けて手綱に見立てます。
昔はお盆が終わると、精霊流しの様にこの精霊馬も近くの川に流してご先祖様の霊を天国に返したのですが、環境保護で現在はそれも出来ず、自宅で処分するしかありません。
お盆のお棚には、先述の塔婆とお供え以外に、お寺(当家は浄土宗です)から戴いて来た新盆用と例年同様の先祖供養との2本の塔婆と、五色(左から紫、白、赤、黄、緑の順)の短冊の様な「ご如来」とひらひらした五色の飾りの「真幡」を竹の棒に通して生米の入ったコップに立てて飾り、仏壇からお盆の間だけ全部のお位牌をお棚に移っていただき、祖父の代の時に先々代のご住職に書いて頂いたという「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掛け、家紋の入った灯篭を組み立て、最後に産直市場から盆花を買って来て両脇の花瓶に活けて、先述したお供えと精霊馬を飾って、これにてお迎えの準備完了です。
そして、春(秋はお盆から間が無いので)とお盆の年二回、草刈などのお墓掃除に行って来てから、迎え盆になると松本地域独特らしい白樺の樹皮を剥いで乾かしたカンバ(「樺」、白樺の意)での迎え火をお墓と家の玄関先でも焚いて霊をお迎えします。カンバの灯りで、お墓から家までの道筋をご先祖様に示すと云われています(送り火の場合は逆に玄関→お墓の順番で焚きます。防火上、ペットボトルに水を用意して、火が消えてからちゃんと水も掛けます)。
因みに、カンバはこの時期になるとホームセンターやスーパー等で普通に売っていますので、松本地域以外にもカンバを焚くエリアが長野県内にはあるかもしれません。しかし、少なくとも諏訪地域ではそうした風習は無いようです。家内の実家でもカンバは焚きませんし、婿に入った父方の茅野に住む伯父の家でも、亡き叔父はわざわざ松本からカンバを買って来て、お盆には松本流にカンバを焚いていたそうですが、茅野出身の叔母はカンバは知らなかったそうです。
昔は家から歩いてお墓に行ったので、お墓で迎え火を焚いてから、祖母に「ご先祖様をウチまで背中に負ぶってお連れするだでナ」と云われ、本当に背負う様に背中に手を組んで家まで歩いて帰ったものですが、今は車なので、そうした気持ちだけで勘弁してもらいます。
そして13日にはお寺さんが家に来られ、新盆と先祖供養の回向のお経をあげていただき、期間中に親戚からの新盆のお詣りに来られた対応をして、16日に今度は家の玄関先とお墓で送り火のカンバを焚いて、これでお盆が終わります。
送り盆の8月16日、京都では「五山の送り火」ですが、松本ではカンバの小さな“送り火”を焚いて、ご先祖様をお送りしながら今年の“ゆく夏”を偲びます。
こうして、何とか無事に我が家の新盆を終えることが出来ました。
年末年始に長女の婿殿がNYから来日した時は連泊での予約が今年は取れず、恒例の全員集合する新年会での滞在を諦めた、美ヶ原温泉の料理旅館“鄙の宿”「金宇館」。
また、次女一家は秋からの亡き母の葬儀と忌明けの法事で何回か松本に帰省していたので、今年の年始には帰らず、この2月末に夫婦の骨休みを兼ね、孫たちを連れて一家で帰省して来ました。
我が家にも勿論泊ったのですが、一日だけ(彼らがノンビリ過ごせるように、その間孫の相手はジジババが担当するため)、我々も家で“おもてなし”を何もしなくて良いので、皆で一緒に「金宇館」にも泊ることにしました。
我々も勿論2名一泊二食で「湯ノ原」の隣のいつもの部屋「千手」を確保してありますが、コユキが居ますので、今回も実際は家内のみが泊まって、私メは夕食後家に帰ってコユキと一緒に寝て、朝食前に旅館に戻ることにしてあります。
午後3時のチェックインに合わせて「金宇館」に向かいます。
すると、旅館では何やら工事がされていて、別館の改装工事とのことで、工事中は3部屋分の別館は使えないので、本館の僅か5部屋のみでの営業でした。それなら予約が取り辛かった理由も納得です。
今回の改装工事は、今までの別館3部屋を一室に纏め、2階建てに2洋室1和室の寝室、そしてリビング部分と今までは無かった別館専用の内風呂を設け、更に別館だけは食事も部屋食にして、これまで要望があっても受け入れ出来なかったグループも受け入れ可能にするとのこと。因みに各寝室は2名ずつ最大8名で、それより少なくても、例えば家族での一棟貸しも可能にするので、別館では子供の宿泊も改装後はOKにするそうです。
ですので、例えば今回我が家は大人4人ですが、別館なら多少孫たちがドシバタ騒ごうが。或いはエンエン泣こうが気兼ねなく過ごせるので、多少高くてもその方が安心出来るかもしれません。今秋にはオープン予定だそうですので次回の滞在が楽しみです。
さて、今回の「金宇館」滞在も、楽しみは温泉と朝夕の食事です。
今回は、本館5部屋の他のお客さんは3組で皆さん二人連れで、1階のダイニングでの食事。今回我々は別に2階のダイニングでしたので、これまた他のお客さんの迷惑にならず安心です。
金宇館での一番の楽しみ、先ずは夕食での懐石コースです(聞いても、最近はちゃんと覚えられないので、お聞きした内容を皆に呆れられながらその場でメモしましたが、もし違っていたらスイマセン)
先ず茶わん蒸しからスタートです。チーズを絡ませて揚げたというフキノトウが添えられ、早春の苦みがチーズのコクと一緒に楽しむ初体験の味でした。
続いて長芋のすりつぶしの落とし揚げ。中にこれまた春のセリと季節のズワイガニが混ぜられていて、卸しポン酢で。揚げられたセリの根に載せられていましたが、これも美味でした。
次は季節の八寸。
上段から、花ワサビのおひたし、京ニンジンと柑橘しらぬいのマリネ、独活と菜の花の昆布〆めにとろろ昆布が載せられています。そして、横にワカサギの南蛮漬け。
下段は右から自家製カラスミを挟んで揚げた海苔巻きのお餅と、これまた自家製の干し柿とマスカルポーネとくクルミ和え。どれも美味しくて、工夫の一手間とそのアイデアに唸らされます。
椀物は、お馴染みのグリンピースのすり流しに素揚げした菊芋チップスを添えて、手前に和辛子を一筋流し入れて。
お造りは、これまた毎度おなじみの馬刺しです。薬味の千切りのミョウガとニンニク味噌が効いています。
続いて、焼き物が、サクラマスと新玉ネギの摺卸しソース。すりゴマを振り掛けた。芽キャベツのグリルを添えて。サクラマスには素揚げ下白髪ネギが載せられていました。
海老真薯。揚げナスと白髪独活。掛けられた餡に柚子胡椒が実に上手く効いていました。
最後は、これまたお馴染みの柔らかな信州牛のイチボ。味は付いているのですが、お好みで塩か山椒を混ぜたネギミソでとのこと。菜の花のソテーとゆり根の素揚げが添えられていました。
そして〆には蕎麦好きの次女と婿殿のために、ご主人手打ちの二八蕎麦を事前にお願いしました。
デザートは自家製アイス(何味かは聞き漏らしました)と黒豆の蜜煮とのこと(お腹が一杯で、“別腹”という奥さまに譲ったので、食べていません)。それに丸山珈琲も。この日も満足の夕食でした。惜しむらくは、泊まらずに独り帰るので、お酒が全然飲めなかったこと。あぁ、日本酒と一緒だったら・・・と思わせる一品の数々・・・、残念でした。
翌朝の朝食。
お馴染みの、お膳に並べられたおばんざい風お小鉢が6品。最初に茶わん蒸しとお味噌汁が添えられて。この日の具はセリと油揚げでした。そして安曇野さんコシヒカリのご飯が、人数分木のお櫃に入れられて。
今回のお膳の小鉢は、厚揚げとレンコンの炊き合わせ、身欠きにしん、とろろ芋、独活のキンピラ、インゲンの胡麻和え、自家製お新香。
ご飯が美味しくて、結果また食べ過ぎてしまいました。最後にデザートで果物と丸山珈琲。今回も、ご馳走さまでした!
次回いつになるか分かりませんが、長女たちがNYから帰省出来たら、次女一家も一緒に、別館を一棟貸しで全員で気兼ね無く泊れると嬉しいですね。