カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 孫たちが横浜に帰る最終日。
蕎麦好きの婿殿のために、山形村のそば処「木鶏」で新蕎麦を食べてから松本発の午後のあずさに乗るようにと、事前に予約をして伺いました。
勿論儀弟のそば処「丸周」にも何度も行ったことはあるのですが、営業中に子供たちが騒ぐと、やはり周囲のお客様には気兼ねをして申し訳なく、親戚だと尚更余計に気を使ってしまいます。

その点、「木鶏」は一部屋ですが、蕎麦屋さんには珍しくわざわざ個室が設けられていて、「自分たちも昔外食した時に苦労したので、小さい子供さん連れでも安心して食べて頂ける様に」と、その個室には福島県出身の店主ご夫妻のお子さんたちが小さい頃使った木のおもちゃと絵本も置かれているので、この個室が予約出来た時は安心して蕎麦が食べられます(但し、予約は開店直後の確か三組のみで、以降の予約は無し)。今回もスケジュール(と婿殿の新そばが食べたいという希望)が分かった時点で、早めに個室を予約してありました。
 注文は、しゃもつけを婿殿と家内が(彼女曰く、軍鶏よりも高価な鴨を使う「丸周」の鴨つけの方がやはり味は美味しいとのこと)。娘は珍しく和風キーマカレーそば、私がもりで、量の違いで姫盛り、大盛り、鬼盛りとあるのですが、私と婿殿は大盛りにしました。
この日の玄蕎麦は地元産の新そばので、ソバの種類に依り田舎蕎麦は打てないとのことでした。
コシもあって喉超しも良く美味しかったのですが、最近の蕎麦は秋の新そばであっても、何処で食べても何故かあまり香りが感じられない気がします。また。木鶏の蕎麦の量は大盛りだと240だったか250gで少々足りない気がして、鬼盛りが300gとのことだったのでそちらの方が満足出来るかもしれません(次回は鬼盛りにしたいと思います)。
 店内のテーブル席では小さい子が泣いたりしていましたが、きっと親御さんは気が気ではないでしょう。松本の蕎麦屋の中には「小さい子はお断り」という店もありますが(もしそんな“格式の高い”店だったら、いっそのことドレスコードまで設定すればイイ)、それを見て小さい子を持つ親御さんたちが一体どんな気持ちでいるか、店側は考えたことがあるのでしょうか(やがて子供が成長した後でも、その店に行こうとは決して思いますまい!事実、例えどんな有名店であっても、孫がいない時でもジジババは食べに行こうとは思いません)。
 昔は“子供は地域の宝”として当たり前の様に、集落全体で、近所の大人たちで、そして皆で子育てをしたもの。その子供たちがやがて自分たちが年寄りになった時には大人になって、その年寄りのいる社会を支えてくれる様になるのです。ですので、遊ぶ子供たちに「ウルサイ!」と怒鳴って排除するのではなく(ましてや子供の遊び場を奪うのでもなく)、せめてこの国の未来を担う子供たちには優しい大人(年寄り)でありたいと思います。でないと、“姨捨山”ではありませんが、大人になった子供たちから「汚い!」と排除される年寄りになりかねませんから・・・。

 二泊三日で松本に来てくれた次女一家。せっかくなので、一日は婿殿が好きな蕎麦を食べに行くことに。逆に云えば、和洋中のどれを取っても横浜の名店に適う筈も無く、唯一太刀打ち出来るのはやはり信州蕎麦と信州らしい郷土料理でしょうか。
ただ困るのは、殆どの蕎麦屋さんが昼のみの営業で、しかもその日に朝打ったそばが終われば、例え営業時間内でもそこで営業終了という店が多く、夜も営業する店はそう多くありません。メニューがもりとかけのいずれかの二択のみ・・・というような、或る意味潔い蕎麦専門店ともなれば尚更です。
そこで夕食に蕎麦も食べようとすると、蕎麦だけでは物足りませんし、蕎麦専門店はどのみち夜は殆ど営業していないので、結果選ぶのは我が家では中町の郷土料理の店「草菴」になります。
こちらは、〆に食べる蕎麦以外に、馬刺しや川魚、また季節によって山菜やキノコなどの信州らしい郷土料理もメニューにあるので、以前から我が家では県外のお客さんをもてなすのに重宝しているお店です。

 そこで今回も小さな孫たちが騒いでも良い様にと、事前にいつもお願いしている畳の個室での料理を予約して、松本市中町の“季節の郷土料理の蔵”「草菴」に伺いました。
今回も季節の懐石コース料理を、事前に「7,150円コース(税込) / 9品」を次のコース内容で予約してあり、
  ・先付 / 2品
  ・前菜 / 季節の前菜盛合せ
  ・お椀
  ・お造り / 旬魚のお造り
  ・焼物肉
  ・焼物魚
  ・蕎麦
  ・デザート
この内、値段は当然アップするのですが、婿殿と娘の好物でもあるので、信州らしくお造りを馬刺しに、また〆の蕎麦をお椀からざる蕎麦に今回も変更して貰ってありますので、コースとしては概ね8000円位になったでしょうか。
二年前でしたか、後継者問題で経営が困難になる前にと、今後も従業員の雇用を守るべく地元銀行の仲介で「草菴」が王滝グループの傘下に入ったことで、昔の如何にも信州らしかった“素朴さ”が多少失われて、料理がより洗練されて“一般受け“する様にオシャレな内容になったのは、経営的にはプラスなのかもしれませんが個人的にはチョッピリ残念な気がしていました。
そんな草菴の今回の懐石コース料理です(説明頂いた内容を忘れてしまい、ウラ覚えで恐縮です)。
   
          (先附二品。梅肉和えとワカサギの天婦羅)
  ( 季節の前菜盛合せ。いちょう切りのレモンの下がキノコのおろし和え)
        (お椀とお造りの馬刺し。一枚食べた後の写真です)
  (焼き物の肉と魚。肉は信州牛、魚はカマスとマコモ、焼いた蕎麦団子)
          (〆のざる蕎麦とデザートのシャーベット)
 最後、支払いの時に店長さんと少しお話をしました。経営が替わっても、春の山菜と秋のキノコ採りは、以前と変わらずに店長さん含めスタッフが今年もちゃんと山に行って採って来ているとのこで、安心しました。
ただこの秋のキノコは、シーズン最初の頃は一時マツタケも含め今年は豊作との報道もされたのですが、その後松本平では雨が殆ど降らなかったため、今回前菜の盛り合わせの中には量はチョピリでしたが、しっかりとおろし和えで出されていたそのリコボウ(ハナイグチの松本地方での呼び名。諏訪ではジコボウとも)を始め、クリタケ、アミタケといった定番の雑キノコも殆ど山では見られなかったのだそうです。
それでも、経営が変わった後もちゃんと山に行かれていることを知って、個人的には安心した次第。
  「以前と変わってませんから、大丈夫です。またお待ちしています!」
  「ごちそうさまでした。ハイ、また来まーす!」

 孫たちが「バァバとジィジのおうちにまた行きたい!」(最近何かで「じぃじが 建てた家でも ばぁばんち」という様な川柳を見た気がしますが、我が家も順番はこの通りだそうです)とのことで、11月の最後の三連休に一家全員で、松本に二泊三日で来てくれました。
 二泊三日といっても、初日は横浜からの移動で、三日目は松本から横浜へ帰るので、フルに自由なのは中一日だけ。
当初は、我々が事前に予行演習もしながら、婿殿が仕事の都合でお盆に行けなかった白馬岩岳マウンテンリゾートに行って、「マウンテンハーバー」で眼前に拡がる白馬三山の絶景(上手くいけば三段紅葉)を見たいという希望だったのですが、チェックしたところ岩岳の(グリーンシーズンの)営業は11月中旬で終了(期間を置いて12月からスキーシーズンの営業開始)とのこと。確かに考えてみれば、早ければ10月末。遅くも11月に入れば上高地やこの北アでは三段紅葉が見られる時期ですし、11月末の三連休には信州は里の紅葉でさえもう見頃を過ぎているかもしれません。
そこで紅葉は諦めて、孫たちを連れて行った先は、昨年の3月にも行った駒ヶ根に在る養命酒の運営する「くらすわの森」でした。
養命酒の工場に隣接する森の中に作られた「くらすわの森」のベストシーズンは、おそらくせせらぎに沿って遊歩道を歩きながらの森林浴が楽しめる夏だと思うのですが、この晩秋、初冬の時期に他に孫たちを連れて行ける様な施設や場所は、この信州では残念ながら他に思い当たりませんでした。

 今回も一台で移動すべく、三列シートのアルファードを一日レンタル。二度目なので勝手も分かり、スムーズに運転し到着です。「くらすわの森」は駒ケ根ICではなく、駒ケ根SAのスマートICからだと僅か数分というのも有難い。
この日は三連休の中日ということもありますが結構混んでいて、平日だった前回は停められた第一駐車場は既に満車で、結局第三駐車場に駐車しました。しかも中京方面を中心に県外車も多く、結構な集客力だと感心しきり。
婿殿は初めてなので、先ずは雑木林の中のフォレストリングをぐるっと一周回ってみることにしました。


11時を過ぎていたので、先にランチを食べることにしましたが、前回のビュッフェのレストランはパスし、個人的にはランチプレートのあるカフェでと思ったのですが、今回娘たちが選んだのはミートデリのイートインでした。
     (以上の写真は「くらすわの森」紹介頁からお借りしました)
こちらは養命酒の手掛ける自社ブランドの信州十四豚(これでジューシーポークと読ませるのだとか)の自家製ソーセージやハムを販売し、その場でも食べられる場所。長~いソーセージを自家製のバンズで挟んだホットドッグセットなどを注文。少し塩味を効かせたソーセージはプリプリ、皮もパリパリでとても美味しかったです(ただ、男性陣にはチト“おしょうびん”だったので、ミートデリの戸外のキッチンカーでのグリルドソーセージも、味見を兼ねて追加で注文しました。因みに外のテラス席ではワンコもOKです)。

その後、養命酒の工場に隣接する敷地13万㎡という広大な森の中の遊歩道を歩いて、前回3月に来た時は降雪の翌日だったためぬかるんでいるからと諦めた滑り台「丘の上のスライダー」と、遊歩道の先に在る「森のライブラリー」へも行ってみました。
20mちょっとのローラースライダーの滑り台では、最初は怖がっていた下の孫も母親と一緒に滑るなどして慣れると、孫たちも喜んで「もう一回、もう一回!」と何度も一人で滑っていました。
そこで、その間に独りで木道の遊歩道を歩いて、「森のライブラリー」へ行ってみました。童話の世界に在る様な、森の中に佇む特徴的な二階建ての木製の建物で、子供用の絵本なども含め蔵書は1000冊とか。中も木がふんだんに使われていて、ウッディーで気持ちの良い空間です。園の森を眺めて座る様になっていて、一人ずつ読書用のLEDライトが付いています。ただ、ここまで来られる人は多くなく、地元の高校生たちでしょうか、この辺りにはフリーの学習スペースが余り無いのか、ここで(無料で)何人もが勉強をしていたのはご愛敬でした。冬はともかく夏は森林浴で木の香りを嗅ぎながらですので、学習効果もさぞ高まるだろうと思います。
 滑り台に戻り、遊歩道を歩いてまた皆でフォレストリングへ行って、マルシェとショップでお土産などを購入。
そして最後にインフォメーションの建物の屋上が展望台になっているので、上ってみました。
背後の駒ヶ岳(木曽駒。伊那谷では単に駒ヶ岳か、東の甲斐駒に対し西駒とも呼んでいます)と、そして正面に拡がる“南アルプスの女王”仙丈を始めとする南アルプス(標高第2位の北岳、奥穂と並んで3位の間ノ岳も)の絶景を眺めてから帰ることにしました。
 帰る途中少し足を延ばして、最近オープンしたばかりの話題のスポット、「諏訪湖テラス」に行ってみることにしました。ここは予定より一年遅れて開通した諏訪湖SAのスマートICから出てすぐの場所。諏訪湖畔に建てられた、地元岡谷の有名お菓子屋さんが手掛ける施設です。
オープンして間もない話題の施設ということで、県外車も含め観光客の車がひっきり無しに訪れます。係員が2名いて誘導しているのですが、たまたま我々は運良く駐車出来ましたが、駐車台数はそう多くは無いので常に満車状態。偶然駐車スペースが空いたタイミングでなければ、せっかく来ても駐車出来ずに諦める車が殆どでした。
我々もせっかくなので中に入ったのですが、ショップとカフェがあって、屋上部分には展望テラスと諏訪湖らしく足湯もあるのですが、如何せん狭過ぎ。展望テラスも足湯もせいぜい10人も集まれば一杯で、座る余地もありません。岩岳マウンテンリゾートなどの白馬エリアや志賀高原の横手山や竜王など、各地にこうした展望テラスがオープンして人気を集めていますが、そうした最近人気の施設と比べると規模が小さ過ぎて、ここは観光施設としては微妙・・・。作ったのが“町のお菓子屋”さんでは資金力の問題か、いずれにしてもショボ過ぎます(どうせなら共同展開する地元の仲間を集めて倍位の規模にした方が、現在のお菓子とカフェだけの店舗より集客的にも選択肢が増えて効果的だったのでは?)。些か前宣伝がオーバーだったのか、評判倒れの感は否めません。少なくともまた来たいという気には残念乍らなれませんでした。むしろ諏訪湖を眺めるのなら、道を挟んだ諏訪湖畔へ行った方がよっぽどゆったりと湖畔の景観を楽しむことが出来るでしょう(その前に良く考えてみれば、高速をわざわざ降りずとも、諏訪湖SAの方が高台からの展望も良いので遥かにマシでした)。
     (こちらの写真も「諏訪湖テラス」の紹介頁からお借りしました)
 それにしてもここのスマートICは、諏訪湖SAが高台にあるため止むを得ないのでしょうが、湖畔までの標高差数十メートルを下るのに山をくり抜いたトンネルが新設されるなど、大工事。
確かにこのスマートICの開通により、岡谷側からの諏訪湖畔へのアクセス(岡谷ICからだと岡谷の市街地を抜ける必要があり、諏訪湖へは遠い)と、諏訪湖の西側に在る観光施設(諏訪ガラスの里や原田泰治美術館など)へのアクセスは格段に便利になりますので、宿泊施設などが林立する東側に比べ、観光開発という意味においては(嘗て地元でも“半日村”などと揶揄されて)遅れている湖畔西側(通称“西街道”)の開発には(もし新たに開発する意欲があるのであれば)効果があるかもしれません。しかし、茅野市側の蓼科高原や白樺湖、霧ヶ峰へのビーナスラインへは現行の諏訪ICからの方が早いので、あまり効果は期待出来ません。大混雑する年一回(新作花火を入れれば二回)の諏訪湖の花火大会の時は、諏訪湖の西側から高速へ乗るのには確かに便利になるかもしれません。しかし、これまでの事業費は総額97億円だそうですが、ここまでして地元自治体も負担してスマートICを設ける必要があったのでしょうか(まぁ、合併効果という意味でその結果の是非は別として、「平成の大合併」では各自治体が自己主張ばかりで、県内で唯一合併が無かった諏訪広域ですので、今回のスマートICで岡谷市と諏訪市が連携したのであれば決して悪いことではありませんが・・・)。
そうであれば、もう諦めにも近いJR中央線の上諏訪~下諏訪エリアの複線化と、諏訪湖側にも改札口を設けるなどしての、このエリアで一番みすぼらしく感じる上諏訪駅の改築と駅周辺の活性化に資金を投じた方が良いのではないかと、諏訪に本社がある会社にお世話になり且つ数年間とはいえ諏訪の社宅にも暮らした身からすると、生粋の“諏訪人”からすれば要らぬお節介と言われるかもしれませんが、個人的には真剣にそう思うのです。
ましてや、例えそれが“棚ぼた”であれ、二年後の朝ドラ「巡るスワン」の舞台として願っても無いチャンスが“降って来た”のですから、だからこそ余計それを諏訪の地域活性化への起爆剤にして、少なくとも一過性に終わらぬ様にと・・・。

 この日、昼過ぎから「あがたの森」で開催されるイベントに参加する予定があったので、その前に久しぶりに松本駅のアルプス口にある「谷椿」に、昼にのみ提供されているラーメンを食べに立ち寄りました。
 現在は松本駅の西側も再開発ですっかり整備され、東西自由通路がある新しい駅舎になって西口も「アルプス口」に変わりましたが、シンガポールから帰任後、西口に月決めの駐車場を借りて諏訪まで電車で通勤していた当時は、松本の正面玄関である東口(現在の「お城口」)に比べると、西口は片や如何にも田舎風の木造駅舎で、裏口だった西口と呼ばれた頃から、この「谷椿」だけは今も昭和然とした佇まいの当時のままで、時が停まった様に何も変わっていません。
そんな昭和レトロな店内同様に、ラーメンも昔懐かしい“これぞ、ザ・中華そば”とでも云うべき、あっさりした鶏ガラベースの醤油スープに、チャーシューが一枚とメンマにナルトと刻みネギ、そしてモチモチした多加水の中細のちぢれ麺という王道派の醤油ラーメンです。洒落た“無化調”などとは一切無縁。しかもレンゲも付いて来ないので、スープは丼から直接啜らなくてはいけませんが、これでイイ!と思わず唸りたくなります。

今風のラーメンは、家系や二郎系、或いは進化系といったジャンル分けから、スープも“ばりこて”とか、煮干しだ、鯛だ、甘エビだ、はたまた貝だ・・・などと、最近は色々目新しさを競い合っているようですが、自分は例え古臭いと言われても、これぞ“中華そば”と云われる様な飽くまで鶏ガラベースの醤油ラーメンが断然好み。
だからこそ、時代に取り残された様な昭和然とした店内で、これまた“絶滅危惧種”の様な懐かしい醤油ラーメンを食べる、そんな 至福の“一杯の醤油ラーメン”をしみじみと味わうのです。
このラーメン、色んな工夫を凝らす今時のラーメンに比べると、むしろ進化しないことが逆にそんなラーメンを或る意味小馬鹿にしているかの様な、シンプル過ぎるラーメンかもしれません。そんな昔ながらのこのラーメンは、時代に取り残されて昨今の物価高の中でも値上げするのを忘れたかの様で、一杯450円也。大盛りでも600円です(数年前と比べると、それでも50円アップにはなっているのですが・・・)。
 この「谷椿」は、本来はホルモン中心の焼き肉屋さん。
夜に来ると、カウンターやテーブルに置かれた古びたガスコンロに載ったジンギスカン鍋は、火を点けると長年使い込まれて沁み込んでいる脂が自然と滲み出て来て、そしてどんと載せられた肉やホルモンの焼ける煙で換気扇の換気が追い付かず、店内はいつももうもうとした煙が充満しています。
そんな焼き肉屋さんらしく、昼の名物は世間の牛丼とは一線を画する“牛めし”(500円)です。夜の焼肉に使った端切れの牛肉がブツ切りにカットされ、タマネギと一緒にすき焼き風に甘辛く煮込まれていて、ご飯の上にゴロゴロと載っています。メニューには書かれていないのですが、常連さんの多くはそのハーフサイズの“半牛”(250円)とラーメンをセットでオーダー。〆て700円也。更に毎日ランチを食べに来られる方には、600円の日替わり定食もあります。
 個人的には、「谷椿」での昼は専らラーメン一択。
昔はチャーシューメンがあったのですが、このところのお昼はご主人の姿が無くおばぁちゃんのお一人で切り盛りされているためか、今はラーメンの並みと大のみ。
店内はL字型のカウンター席が10席程とテーブル席が2つだけ。最初にほうじ茶とサービスでおばぁちゃん自家製の漬物が、ランチや丼だけでなくラーメンにも出してくれます。いつもは白菜が主ですが、この日は珍しくキュウリの浅漬けでした。
ラーメン丼に並々と盛られた、あっさりとした鶏ガラのスープ。先ずはスープを一口といきたいところですが、レンゲが無いので先に少し麺を食べてからにします。
中細の縮れ麺は個人的にはもう少し固ゆでが好みですなのですが、今では珍しい多加水麺で非常にモチモチしています。自家製の豚チャーシューが柔らかくて美味。出来れば、以前メニューにあったチャーシューメンで食べたいくらいです(大を頼むと、確かチャーシューが二枚になる筈です)。
スープはあっさりとした鶏ガラベースの醤油味で少し生姜が効いていて、テーブル胡椒を掛けるとまたピリッと締まる感じがします。
 時代に取り残された様な、この「谷椿」のラーメン。シンプルで全く派手さも無くて、今風のSNS映えも全くしませんが、どこか懐かしくてまた食べたくなる、そんな昭和風の醤油ラーメンです。これでイイ!否、これがイイ!!
 スープも全部しっかり飲み干して、「ご馳走さまでした!」。
飲み干した後のラーメンの丼の刻まれた「谷椿」の店名と、そして一桁「3」の若い数字の局番が、何とも店の昭和の歴史を感じさせてくれました。

 9月末、奥さまのリクエストにお応えして、今年も新栗のモンブランを食べに秋の小布施に行ってみることにしました。
行先は小布施の栗菓子店の一番の老舗、桜井甘精堂の洋菓子産門である「栗の木テラス」です。
 栗で知られる小布施。
室町時代に始まると云われる小布施の栗の歴史は、当時この地方の領主だった荻野常倫が、故郷の丹波から栗を取り寄せて植えたのが始まりと伝えられています。小布施の土壌が栗の栽培に適していたため、江戸時代には既に栗林が拡がっていて、小布施栗は品質が良く美味という評判を取り、毎年秋に将軍家への献上品となってその名を天下に広めたといわれています。そのため、俳人小林一茶が「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と詠んだ様に、秋に将軍家へ献上されるまでは、庶民は落ちている栗を拾うことさえ許されなかったのだとか・・・。

 そして、この栗を用いて初めて菓子を作ったのが桜井甘精堂の初祖、桜井幾右衛門。桜井甘精堂のH/Pからお借りすると、
『栗を粉にひいて作りあげたのが「栗落雁」。文化5年(1808)のことでした。画期的な「栗落雁」の創製によって、二百年にわたる伝統を誇る栗菓子づくりがスタートしたのです。
江戸で名声を得た小林一茶が、故郷・信州に帰り、小布施で盛んに句会を開き始めた文化五年。この地の桜井幾右衛門は、その年、初めて栗菓子「栗落雁」を創った。これが弊堂の始まりであり、小布施栗菓子の始まりでした。
そして北斎が名画「富嶽三十六景」を世に出し、江戸で活躍していた文政二年(1819年)に、弊堂の初祖・幾右衛門の弟・桜井武右衛門は、他に類を見ない栗だけの「純 栗ようかん」を創製した。
また島崎藤村が小諸で教鞭を取り、小説家としても「千曲川のスケッチ」を書き始めた明治二十五年(1892年)には、五代桜井佐七は、栗と栗あんだけの「純 栗かの子」を創製した。』
この様に、小布施の栗菓子の歴史は桜井甘精堂の歴史と言っても過言ではないでしょう。そして、その桜井甘精堂の洋菓子部門が「栗の木テラス」なのです。

 私たちが初めて小布施を訪れたのが2013年で、その時は話題の小布施堂の新栗の和点心「朱雀」を食べるためでした。その後この「朱雀」は更に人気が沸騰し(値段も沸騰して、当時一個千円が今では2千円)、今では一ヶ月間の期間限定で事前予約でしか食べられなくなりました。
私たちは、この「朱雀」は凭れてしまい(一人一個は多過ぎて、多分二人で一個でも充分でした)、それ以降は桜井甘精堂の小振りのモンブランに変更。
さすがにコロナ禍は無理でしたが、ほぼ毎年の様に新栗の時期になると秋の小布施への小旅行を楽しむのがささやかな私たちの恒例となりました。

 10月3日オープンの「イオンモール須坂」が長野東須坂ICのすぐ横に出来上がっていて、隣にはルートインホテルも建っていました。この「イオンモール須坂」は松本店の1.3倍の広さで、県内最大級とのこと。これまでイオンモール松本でも結構目立っていた長野ナンバーの車がこちらに来るようになれば、松本店は今までよりも多少は空くのでしょうか。そうなれば地元民としては有難いことです。
この日は未だオープン前でIC付近に渋滞は無く、ナビの指示はここで高速を降りて須坂市内を走るルートだったので、途中須坂の産直に寄って果物と野菜を購入してから小布施に向かいました。
 桜井甘精堂「栗の木テラス」の駐車場に車を停め、バニラエッセンスの香りが漂う洋菓子工場の脇の小路を通って店舗へ。到着時刻は10時15分で開店時間の10時を既に過ぎていたので、奥さまが順番取りに先に行っていたのですが、店内は10卓くらいですので40席程でしょうか。栗の木テラスは予約が出来ないので、この新栗の季節は平日でも開店前から順番待ちの行列の筈。
ですので一巡目は無理かと思ったのですが、先に来て店舗の前で待っている筈の家内が居ません。すると店の中から出て来て、ナント待たずに座れたとのことでビックリ。それぞれ新栗のモンブラン(600円)と、家内はアールグレイの紅茶(650円)と私はトラジャのコーヒー(700円)をオーダー。こちらの紅茶とコーヒーもそれぞれポットで供され、ちゃんと冷めぬ様にポットカバーも掛けられていて、量も優に3杯分近くあるので非常に良心的。また必ず入店した順番で注文を取り、その順番でサーブしてくれます。
その後次々にお客さんが来られて、すぐに5組程が順番待ちになりましたので、たまたまこの日の我々は単にグッドタイミングだった様で、新栗モンブランの人気も相変わらずの様です。
モンブランは濃厚な栗ペーストがたっぷりと載せられ、タルト生地の上に固めのカスタードクリームを包んだ生クリームが隠れています。
決して大きくはないケーキですが、寄る年波か或いは辛党故か、全部食べ切れず(無理すれば食べられますが、そこまでして食べる気になれず)、半分食べたところで奥さまへ。すると、食べ終わった奥さま曰く、
 「もうお腹一杯だから昼食は要らない!今日のランチは抜くからネ!!」
 「えっ、ウソ!?」
お昼には小布施でお蕎麦でも食べて帰ろうと思っていたのですが、自ら墓穴を掘ったとはいえ、当てが外れてしまいました。
桜井甘精堂の駐車場は、2千円以上で2時間無料。今回は順番待ちで並ぶことも無かったため、食べ終わってもまだ1時間半近く余裕があったことから、せっかく来たので小布施の街を少し散策してみることにしました。
小布施は、江戸時代に豪商髙井鴻山が庇護した晩年の葛飾北斎が小布施に滞在していたこともあって、栗と北斎での町おこしで人気の観光地。
また、長野県内で一番面積の小さな自治体(逆に人口密度は一番高い)ということもあり、街も小さくて歩いて回れるコンパクトさもあってか、取り分け女性グループに人気です。
個人的には、小布施では中島千波館が気に入っているのですが、今回の企画展には余り興味が湧かずパス。北斎館も岩松院も見たことがあるので、特に他に行く所も無し。そこでオープンガーデンを見ながら、栗の小径を少し歩いてから帰ることにしました。
朱雀の小布施堂は相変わらずの大混雑。北斎館に相対する「傘風楼」は小布施堂のイタリアンとカフェで、ここにも朱雀風のモンブランがあります。どちらも枡一市村酒造が手掛けていて、他にも酒蔵を活かした和食店や日本酒のカウンターバー、更には宿泊施設もあるなど、なかなかの商売上手。因みに、髙井鴻山は市村家の12代当主(因みに高井姓はその善行に依り代官から賜ったという、今も上高井郡と下高井郡と名を残す、この一帯の地域名)。
この「傘風楼」の辺りから、栗の木の端材をレンガの様に敷き詰めた「栗の小径」が始まり、途中解放されている民家やお店の手入れが行き届いたオープンガーデン見させていただきながら、最後蒸米を作るための赤レンガの煙突がある酒蔵「松葉屋本店」の中を通り抜けて駐車場に戻りました。コンパクト故、この街歩きも僅か30分足らず。秋の風情を感じながらの栗の小径の小布施の楽しい街歩きでした。
 帰路、“田毎の月”で知られる姨捨SAに立ち寄り、小布施で食べ損ねた蕎麦の代わりにレストランでキツネそばを食べ(一応二八の由)、棚田越しの千曲川が流れる善光寺平を眺めてから、コユキとクルミが待つ松本へ戻りました。

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