カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
さて、時間を少し戻しますが、何と言っても金宇館での一番の楽しみは、今回も信州の旬の食材を使った季節の懐石コースです。毎回、素敵な器に盛られた、一手間も二手間も工夫された料理を目でも味わいながら頂きます。
しかも今回はコースの一品ずつを都度厨房から運んでいただいて、「離れ」のリビングダイニングで気兼ね無く我が家だけでの部屋食です。顔馴染みのスタッフの方や女将さんが都度運んで来られ、一品一品料理の説明をしながらサーブしてくれます。
我が家では会食だけでも可能だった10年以上前から金宇館を利用させていただいており、現在の四代目の女将さんが先代の女将さんと当時は二人だけで配膳など切り盛りされていた若女将の頃からです。またその後、姪が地元の保育園で先生として以前金宇館のお子さんを担任していたこともあって、毎年お世話になっている娘たちや最近では孫たちとも顔馴染み。加えて次女同様に結婚される前の航空会社での勤務経験もあってか、次女とはお互い親近感もあるようです。
「随分大きくなりましたね・・・」
「この前、中一の長男に遂に身長を抜かれたんですヨ・・・」
そんなお互いの世間話が何ともアットホームで暖かな感じがします。
続いて栗に見立てたシイタケの利休揚げ。ホタテのしんじょに三つ葉がまぶされていて、素材を活かした薄味ながら何とも言えぬ味わいでした。
八寸が(上から時計回りに)、みぞれ和え、菊花を添えた春菊のおひたし、生姜の効いた牡蠣のしぐれ煮、シャインマスカットの白和え、オオマサリという大粒品種の塩茹で落花生、栗の渋皮煮。
牡蠣以外はどれも松本や安曇野産という地場の食材での地産地消でした。器にそっと添えられた赤く紅葉した庭の百日紅の葉が、更に季節の彩を演出してくれています。
続いて、創業時から受け継がれて来た漆器を4年前のリニューアルに合わせて塗り直したという漆器での椀物が、今回はジャガイモの素揚げが載せられた銀杏のすり流しでしたが、それにしても一体何個の銀杏を使ったのでしょうか・・・。
お造りは、バラの花の様に盛られたいつもの赤身のヒレの馬刺しを、ニンニク唐辛子味噌で頂きます。
焼き物の魚は、カマスがコショウと生姜を効かせたゴボウのすり流しの上に載せられていて、そのすり流しと和えて頂くのですが、何とも言えぬ味わい。
揚げ物は、ナメコの餡かけでの海老入りのレンコン饅頭。餡の塩梅が濃くも無く薄くも無く・・・絶妙でした。そして焼き物の肉は、信州牛のイチボにボタン胡椒の味噌を付けて頂きます。
最後の〆は、栗おこわ。栗は勿論ですが、おこわもほのかに甘味を感じます。
因みに11月になると新そばになって、〆はざるそばになるのだとか。
最後に、デザートで洋ナシのジェラート(こちらは奥さまへ)。
どれもこれも季節の旬の素材本来を活かしながらの、一手間も二手間も加えたこの日の料理の中で、個人的には栗に見立てたシイタケの利休揚げが一番でした。
娘は銀杏のすり流し、奥さまは焼き魚のカマスに添えられたゴボウのすり流しがが一番印象深かったとか。
またどれもこれも、取り分け八寸は酒の肴に実に相応しいのですが、残念ながらこの日もコユキと一緒に寝るために泊まらずに帰らないといけないので、ノンアルビールのみだったのですが、でも合わないなぁ・・・と、結局一杯だけで追加せず・・・何とも残念でした。
続いて金宇館の食で楽しみなのが、翌日の朝食です。
京都のおばんざい風に、一人ずつのお膳に小鉢に盛られて並べらえた品々。
奥の左側から、ナスの揚げびたしと自家製がんもどきの煮物、お馴染みのニシンの煮付け、とろろ汁、続いて手前に白菜の煮浸し、これまたお馴染みのレンコンの炒め煮。歯ざわりが絶妙です。そして自家製のこの時期の香の物として、松本らしい“本瓜”の粕漬けとカリカリの梅漬け。どちらも懐かしい“我が家の味”に似ていて、“お祖母ちゃん”を思い出させてくれます。
それと、茶碗蒸し風の自家製の豆腐の餡掛けと、大久保醸造のお味噌汁と安曇野産コシヒカリのご飯が二つのお櫃に入って・・・。
おばんざい風の中では、毎度感じるのですがニシンの柔らかいこと。どうやったらこんなに柔らかく煮られるのでしょうか。圧力鍋かと思ったら、そうではなく、半日掛けてことこと煮込むのだとか・・・。
「毎度、代わり映えしなくてスイマセン」
「いえ、これを食べるのが毎回楽しみで・・・」
また炊き方もあるのでしょうが、安曇野産コシヒカリのご飯が美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまい、今回もとろろ汁だけでの一杯も含め、三杯頂いてしまいました。
一人でお櫃一つを担当した健啖家の婿殿を筆頭に皆同様で、最終的に二つのお櫃は全部空・・・。
「今日はもうお昼は要らないよね・・・!?」
昨晩の夕食、朝食、金宇館の食事はどれもこれも本当に素晴らしい。
しかも三歳児の孫には、夕食も朝食もですが、大人用の献立の中から子供でも食べられそうな料理と一緒に、子供向けにわざわざエビフライなどの別の料理も作って出してくれました(孫の残したエビフライを食べた娘と家内曰く、衣も含めて街の洋食レストランでもお目に掛かれない様な絶品のエビフライだったとか・・・)
今回も十二分に堪能した料理の数々でした。しかも、以前食べた料理とどこか同じ様であっても(例えばレンコン饅頭や、椀物のすり流しなど)似ている様で決して似ていない・・・。毎回食しながら、必ずそんな驚きと発見がありますす。
金宇館の食事付きの宿泊料金は決してお安くありません。正直、年金生活者の我々にとっては尚更です。会食だけでも受け入れていた昔と比べれば、ご時世とはいえ本館の宿泊料金でも昔に比べれば何倍にもなっています。でも、それだけの料金を払っても、滞在から感じるその料金以上の満足感・・・。
それは決して“コスパ”や“タイパ”という単純な言葉や数値だけでは表すことの出来ない、これまで金宇館が積み重ねて来た三代に亘る百年という時間の上に、更に現在の四代目のご主人や女将さん始めスタッフの皆さんが努力して更に創り上げたであろう、癒しにも似た静謐な空気感とも云える様な、館内に漂う決して飾らない自然な雰囲気の“おもてなし”から受ける満足感・・・とでも言ったら良いのでしょうか。
今回も大いに満足することが出来た、そんな金宇館の料理でした。そんな想いを溜息にも込めて、
「ふぅ~、ごちそうさまでした。」
一周忌法要には間に合わなかったのですが、婿殿が夜勤明けの体で次女たちと合流すべく、横浜の病院から松本へ直行して来てくれました。
今回も勤務カレンダーに合わせて、婿殿は僅か二泊だけの松本滞在でしたが、彼を“おもてなし”するため“蔵の街”松本中町の「草菴 本館」に伺いました。
こちらの「草菴」は、信州の地場の季節の食材での郷土料理が食べられるので、例えば娘の大学の恩師の先生が東京から会議で松本に来られた時や、知己の欧州在住のマエストロが演奏会の指揮で来られた時など、以前から我が家では県外からのお客さんをもてなす時に使っている和食料理店です。
次女一家も横浜からですが、都会から来られたお客さんは和洋中華、どれをとっても松本以上の店が都会では選べる筈なので、そうした方々に“松本の食”を堪能してもらうには、勢い信州蕎麦か或いは信州らしい地場の食材を活かした郷土料理しかありません。
この「草菴 本館」はそんな時に使える有難いレストランで、会社員時代には職場の30人を超える宴会でも何度か使ったことがあるのですが、二階には椅子席や畳の個室も大小何部屋かあるので、我が家の様に小っちゃな孫たちがいる家族にとって、特に畳の個室なら多少泣き叫ぼうが這い回わろうが他のお客様の迷惑にならないので便利です。
中町通りに面した別館の「井Say」と隣接した「草菴 本館」があり、草菴は中町から小池町に抜ける通りに面した本館専用の別のエントランスから入ります。
別館の「井Say」は蕎麦や一品料理などが主体のカジュアルなレストランで、本館の「草菴」では一品料理もありますが、5000円からの懐石コースもあり、今回選んだのは8000円のコースで、先付 前菜盛合せ お椀 お造り 凌ぎ 焼物肉 焼物魚 蕎麦 デザートの9品ですが、都会の人に海無し県の信州で鮮魚を食べて貰ってもしょうがないのでお造りは馬刺しへ、そして蕎麦好きの次女夫婦たちのためにお蕎麦もコースの椀そばではなくざるそばへと、予約した際に事前にお願いして変更して貰ってあります(追加料金を払って、一人8500円くらいでしょうか)。
家内の説明を受けて、娘がスマホで料理内容とかを事前にチェックしていると、「草菴って、王滝グループって書いてあるけど・・・」とのこと。
「えっ、ウソ!?」
驚いてネットで調べてみると該当するローカルニュースの記事があり、
『飲食チェーンの王滝(松本市)は13日、飲食店運営や仕出し事業の草菴(そうあん)(同)の全株式を取得し、2024年3月に完全子会社化した。
後継者不足に悩む同社がメインバンクの長野銀行(同)に相談し、同行から王滝に打診があった。王滝は、草菴の本格的な和食料理やサービス力を評価して事業継承することを受諾し、草菴社長を顧問に迎え、従業員全員を継続雇用した』とのことでした。
今年の3月に経営形態が変わっていたとは全然知りませんでした。そのためこれまでの「草菴」なら、スタッフの方が自ら野山に出掛けて採取するという春から夏は山菜、夏から秋はキノコなど、松本市内で獲れる旬の食材に拘った料理がコースの中に食材としてふんだんに使われていたのですが、「もしかすると経営方針が変わって、今までの料理内容が変化しているかもしれない・・・?」と一抹の不安を感じながら中町へ向かいました。
因みに、今回はせっかくの懐石料理なので、私メもお酒を楽しむべく、車2台ではなく家内が運転する1台に皆乗って貰って、私メは一人渚駅から上高地線の電車に乗り、松本駅から歩いて中町の「草菴」へ向かいました。
パルコ通りから伊勢町、本町、中町へ。余談ですが、先に着いているであろう彼らを余り待たせぬ様に、信号機の無い横断歩道を渡ります。長野県は停車率がずっと全国1位ですので、横断歩道手前で車が必ず停まってくれます。但し、観光シーズンは県外車も結構入り込んでいますが、県外ナンバーの車は殆ど停まってくれないので、ちゃんと車が停まってから渡る様にしないと危険で注意が必要です。
駅から歩いていて驚いたのは、この日は日曜日だったのですが、歩いている人たちが欧米系や中国系など殆ど外国人だったこと。中町に在る(開店して年も浅く、地元でのそう有名店とは思えぬ)広島風お好み焼きのお店は行列が出来ていましたが、全員外国人観光客でした。彼等にとっては、例え松本で広島“風”のフードを食べようが“日本食”には変わらないのでしょう。
先附は地元でジコボウと呼ぶハナイグチとアミタケのみぞれ和え、シャインマスカットのクルミ和えなど二品、季節の八寸が地鶏の手羽先や虹鱒の唐揚げ、信州サーモンの手毬寿司、新栗の渋皮煮などが並びます。お吸い物の椀には地元の松茸があしらわれていました。
そしてお願いして変えて頂いたお造りの食用菊の花びらを散らした信州らしい赤身、桜肉の馬刺しです。肉の焼き物で、信州牛のローストビーフに添えられていた焼いたイチジクの甘かったこと。そして魚の焼き物には焼いた蕎麦団子と毎回お馴染みの焼いたマコモダケが添えられていて、それぞれ味噌を付けて食べるのですが、イネ科の水生植物の真菰の茎の部分である、マコモダケ(真菰筍)のコリコリとした歯触りと甘さが印象的でした。そして、ちょうど新そばに切り替わったというざるそばでコースの〆。
経営母体が変わったと聞いて心配していた料理内容ですが、幸い信州の食材を活かすという季節の献立は守られた様で、殆ど変わっていませんでした。
帰り掛け、配膳をしていただいた女性スタッフと見送っていただいたフロア責任者のいつもの男性スタッフの方に、
「ご馳走さまでした。経営母体が変わったと聞いて、正直、料理内容も変わったかもと心配していたのですが、殆ど今までと変わっていなかったので安心しました。また来ます!」
「はい、何も変わらず今まで通りですので、是非またお越しください。お待ちしております!」
次女一家も喜んで満足してくれた様で、もてなす側の我々も安心した「草菴 本館」のいつもの信州の季節の懐石コースでした。
私自身も大いに満足して、まだインバウンドの観光客で賑わう夜の松本の街中を一人歩いて渚に帰りました。
何日か秋雨が続いた後、久し振りに北アルプスが朝くっきりと見えた10月中旬。今年も新栗のモンブランを求めて、家で独りお留守番をさせておくのは可哀そうなので、コユキも一緒にドライブがてら小布施に行って来ました。
小布施に行く前に、奥さまのリクエストで、翌々日からまた横浜に孫の世話に行くので、次女の所に送るリンゴと自家用のブドウを買うために須坂の産直市場に立ち寄りました。
小布施へは小布施PAのスマートICが便利で降りるとすぐ到着するのですが、須坂へは長野東ICで降りて暫く一般道を走ります。
長野東ICのすぐ近くでは、県下最大のショッピングモールというイオンモールが建設工事中でした。前評判でどんなに大きいかと思いましたが、3棟ある松本と比べてそんなに変わらない感じ。松本はあがたの森の近くで駅から歩いても10分足らずと市街地に在るので便利ですが、こちらは高速を降りてすぐではありますが、長野市の中心街からだと車で30分以上と結構離れていますので、長野市の商工会議所が「イオンが出来てパルコや地元デパートが閉店に追い込まれた松本の二の舞になる」と出店に反対している様ですが、果たしてどうなのでしょうか?イオンモールの影響がゼロとは言えないのかもしれませんが、(飽くまで私見ですが)パルコはセゾングループ全体のリストラの一環ですし、地元デパートは経営努力不足が真の原因でしょう。
京都の錦市場はインバウンドの影響もあって特殊でも、出町今出川の枡形商店街の様にインバウンド客など関係無く地元のお客さんで賑わっている商店街だってあるのですから、長野商工会議所も他責にではなく、自らの知恵と工夫で経営努力しないと所詮先はありますまい。
ただ須坂(長野?)のイオンモールの開店に依って、松本のイオンには結構長野ナンバーも多いので、それをこのイオンモールが吸収してくれれば、いまだ平日でも駐車場が混んでいる松本も多少駐車場に停め易くなるので有難い気もします。
さて、須坂の産直市場には1時間ちょっとで到着。家内が買い物をしている間、コユキにおやつを上げて駐車場を少し散歩。
須坂には県の果樹試験場があり、長年に亘る品種改良の中からブドウではナガノパープルやクイーンルージュ、リンゴでは“りんご三兄弟”を構成しているシナノスイートやシナノゴールドを始め、最近栽培が増えているシナノドルチェなど、シナノと冠した品種がここで誕生しています。その背景には、この“須高”地区と呼ばれる須坂と下高井郡から中野に掛けての一帯が、“フルーツ王国・信州”の中でも、リンゴ、ブドウ、更に長野市川中島の桃も含め、県下では最も果樹栽培の盛んな地域だからなのです。
65年位前でしょうか・・・、幼い頃、戦前からリンゴ栽培を始めていた祖父に連れられて、汽車に乗ってこの方面へリンゴ苗を買いに来て、その帰りに善光寺に立ち寄ってお詣りした時に境内で鳩に群がられて泣いたらしいのですが、そんな半世紀以上も前からリンゴ栽培でも北信地方のこの辺りは松本エリアの果樹栽培の先輩でした。
ですので、今でも同じ産直に並ぶブドウもリンゴも、残念ながら味も価格もこの“須高”エリアの方が松本エリアよりも上。そのため次女の家では、須坂がご実家という家内の友人の方に紹介していただいた須坂の果樹農家から、シャインマスカットやナガノパープルなどのブドウを毎年取り寄せているそうです。須坂の産直に並ぶブドウやリンゴは、値段で言えば、例え産直であってももし松本で買ったら1.5倍はするでしょうか(但し、そのためだけにここへ来るのは、高速代を考えると全くのナンセンス。飽くまで小布施や長野に来たついでに買うのであれば・・・です)。そこで、この産直で独自品種であるナガノパープル、クイーンルージュとシャインマスカット、そして旬を迎えつつあるシナノスイートも購入してから、今回の目的地である小布施に向かいました。
須坂からだと、国道403号線を来るとそのまま小布施の中心を通り抜けます。10年程前に「一度食べてみたい」という新栗の時期の期間限定商品、「小布施堂」の“和栗の点心”「朱雀」を食べるために、一時間並んで整理券をゲットしたことがありました(第797話)が、その朱雀はコロナ禍で事前の完全予約制となり、小布施堂本店前には次の予約時刻を告げる看板を持ったスタッフが立っていました。我々は一度食べてもたれてしまい、「もう(食べなくても)イイね!?」となりましたが、相変わらずの人気の様です。
その我々が新栗のこの時期、小布施に来ると「朱雀」に代わって食べているのが「栗の木テラス」のモンブランと、家内に依るとモンブランには合うというポットで供される紅茶・・・です(私メは頑固にコーヒーですが、第1772話を参照ください)。
この日は混雑を避けるべく平日なのですが、県下で面積の一番狭い自治体で市街地もこじんまりした小布施とはいえ、新栗の季節ということもあり、女性客を中心にこの集客力は大したものだと感心します。
NTTのCMで使われている、北斎が小布施滞在中に描いた岩松院の天井の鳳凰図や、彼の作品を集めた北斎館もあるとはいえ(個人的には中島千波館の方が好きですが)、或る意味“栗だけ”でのこの小布施人気はオドロキです。小布施は、国内の“町おこし”の代表的な成功例ではないでしょうか!
「桜井甘精堂」の駐車場に車を停め(栗の木テラスを含め店舗で2000円以上購入すると、駐車料金が2時間無料になります)、先ずは栗菓子の一番の老舗である本店に行って、ちょうどこの日の夕刻の例会(単なる飲み会ですが)に集まる友人たちへのお返しのお土産を購入。今回はコユキも一緒なので、私はコユキと外のベンチで待機。すると横の広場のテントで焼き栗を売っていて(桜井甘精堂自身でやってらっしゃる様でした)、半世紀近くも前ですが、新婚旅行で行ったパリでシャンゼリゼのマロニエ通りで買った焼き栗の香ばしい匂いが懐かしくて、一つ購入(300円)しました。
それからお目当ての桜井甘精堂の洋菓子・喫茶部門である、ケーキと紅茶の専門店「栗の木テラス」へ。カフェの方は8組ほどの順番待ちとか。残念ながらこちらにはワンコOKのテラス席はありませんので(残念ながら、小布施全体が“Dog Friendly”な街ではありません)、最初にナナと来た時は車でナナに待っていてもらいましたが、こちらはモンブランを食べるだけでなく併せて紅茶を注文するお客さんが多く、紅茶はポットで供されるので優に3杯分くらいはあって、しかも失礼ながら女性客が殆どなので“話に花が咲いて”食べ終わるのに優に一時間近く掛かります。
そこで、今回はコユキを車で待たせておくのは可哀そうなので、テイクアウトならすぐ買えますので、モンブラン(520円)を二つ購入して持ち帰ることにしました。帰りは駐車場へ店舗沿いに抜けていく小道を進みます。店舗の隣が洋菓子工房でガラス越しに眺められ、ちょうどマロンのロールケーキなどが作られていて、外までバニラエッセンスの良い香りが漂っていました。
帰りは市街地から栗畑とリンゴの果樹園の中を走り、たった5分で小布施PAのスマートICから高速へ。ホント近くて便利です。
1時間ほどで自宅に戻り、コユキにもおやつを上げてから早速焼き栗とケーキを頂きました。家内はコーヒーではなくモンブランには合うからと紅茶。焼き栗が香ばしいのは勿論ですが、甘くて美味しい。モンブランは二つとも家内に。一つは翌日に回して美味しくいただいたそうです。
以上、我が家の今年の“小布施の新栗”でした。
10月上旬、マンションの3年に一度の設備点検のため、1時間全館停電となるとの通知が事前にありました。その間は、PCは勿論ですが家電製品は一切使えず、また水も出ずトイレも使用出来ず、館内のエレベーターも自動ドアも全て停止とのこと。
当初は、コユキをカートに載せて松本城まで散歩に行って、どこかワンコOKのカフェ(町を挙げて“Dog Friendly”を標榜する軽井沢に比べ、松本だけではありませんが、県内に留まらずどこもワンコOKの店が少な過ぎ!)にでも寄って来ようと言っていたのですが、奥さまはたまたまこの日お義母さんに頼まれて茅野の実家に行く用事が出来たので、止む無くコユキを連れて一人で何処かへ行くことにしました。
そこで代わりに選んだのは、城山公園に隣接する『Gallery & Cafe憩いの森』です。渡米した長女が松本に帰って来る度に行った彼女のお気に入りのカフェで、以降我々も自宅から城山公園経由でアルプス公園までの“城山トレイル”の帰りの休憩などで時々利用しています。
「憩いの森」の店内には併設されたギャラリーがあり、また公園に面した庭にはウッドデッキのテラス席もあって、こちらは松本ではまだ数少ないワンコOKの席なのです。自家焙煎のコーヒーと、ケーキ類、そしてランチ用にサンドイッチなどの他にも酵素玄米のドリアやカレーもある由。ただオープンが10時と少し遅いので、週末のブランチには良いかもしれませんが、モーニングにはチト遅い・・・。
店内にテーブル席が7卓で、外のテラス席が4卓。室内は器楽曲などの静かなクラシック曲が流れていて、テラス席は日除けの大きなガーデン用パラソルが各テーブルに設置されているので、夏でも快適です。しかも目の前が桜の木々の向こうに拡がる城山公園。昔から松本市内の花見の名所の一つでもあり、桜のシーズンは家族連れなどの花見客で大変な賑わいですが、それ以外の季節は店名の通り、思わずふ~っと溜息をつきたくなる様な緑の中に佇む憩いの空間です。
またギャラリー&カフェと銘打っておられるように、店内には展示スペースがあって、地元作家の陶芸作品や工芸作品などが、期間での入れ替えをしながら展示販売がされていて、時々は小さな絵画展や貸切りでのミニコンサートも開催されています。
11時からのマンションの停電時間前のエレベーターが動いている内にコユキを車に乗せて、11時過ぎに城山に到着。少し草原の広場を散歩してからカフェに向かいました。
この日は平日のせいかカフェにはお客さんは誰もおらず、我々だけ。停電終了まで、ここで小一時間過ごさないといけないので、コユキの水とおやつは勿論ですが、文庫本も持ってきました。
女性スタッフの方が動物好きで、コユキを可愛がってくれました。そこでコユキを見て頂いている間に、店内のギャラリーコーナーを除いてみると、地元作家の方の陶器が展示されていて、その中に前回家内と来た時に家内がとても気に入った、店内でラテ(メニュー表記はミルクコーヒー)用に使われているのと同じ大きなカップがあったので購入することにしました。その時にマスターに伺ったら、後日作品が展示される予定とのことだったのですが、ちょうどタイミングが合った様です。一脚3800円(税抜き)。
実家のお義母さんの世話から戻った家内にサプライズでそのカップを見せると、奥さま曰く「え~っ!?だったら2脚買って来て欲しかったのに・・・!!」とのお叱り。
そこで、後日コユキを連れてまた家内と一緒に伺ってテラス席で喫茶した後、もう一脚購入して帰りました。ヤレヤレ・・・。
シンガポール・チャンギ空港への出店を記念してとのことで、ファミレスの「ロイヤルホスト」で、7月から2ヶ月間の夏季限定で実施されていた“シンガポール料理フェア”。
近所の渚のショッピングモールに在るスーパーマーケット、ツルヤに買い物行く度に“ロイホ”の前を通るので、実施していることは前から知ってはいたのですが、東京のシンガポール料理の専門店ならいざ知らず、全国チェーンのファミレスでは本格的な再現は無理だろうと、その実施内容を些か訝しく感じていて、これまで食べに行ったことはありませんでした。
事前にH/Pでメニューをチェックすると、シンガポールの屋台街“ホーカーセンター”をイメージしたという定食のセットメニューは、チキンライス、ラクサ、フィッシュヘッドカレー風のシーフードカレーをそれぞれメインにした3種類だけで、他には現地シンガポールのローカルフードの定番であるバクテーを始め、フィッシュボールヌードルやチャークイティヤオも、またホッケンミーも無く、“シンガポール料理フェア” と呼ぶには些か寂しい内容ではあるのですが、でも「シンガポール政府観光局とシンガポール航空の協力」とキャッチコピーで銘打ってあったので、それだったら或る程度は期待出来るかもしれないと思いました。何しろ、この松本でシンガポール料理が食べられるのですから!
(*下の写真は、東京のシンガポール料理店の「海南鶏飯」、基本の3種類のソースが添えられた“正統派”のチキンライスです)
1994年の帰任後、6年半に亘ったシンガポール駐在中、住んでいた近くのニュートンサーカスを始め現地のホーカーセンターで親しんだローカルフード(チキンライスを始め、どれもこれも僅か数ドルで食べられるのです)が無性に懐かしくて、都内の大学に進学していた娘たちから東京にシンガポール料理店があるらしいと聞いていて、家内と上京した時に初めて食べた水道橋の「海南鶏飯食堂」本店が、今から15年前の2009年。
それまでの帰任後の15年間、どうしても食べたくて見様見真似で自宅でチキンライスを作っていました(第1344話参照ください)。
新鮮な鶏肉を、臭みを取るべく生姜や長葱と一緒に煮て、その煮汁でタイ米を炊けば完成です。タイ米は、現地出身の方が調理している本格的なタイ料理店が松本にも数軒あり、その内の一軒が併設している食材店でジャスミン米が買えました。
好みでコリアンダー(シャンツァイ、パクチー)を刻んで、煮汁のスープに散らします。パクチーは、現地でカンコンと呼ぶ空心菜同様に、日本でも地元のスーパーで買える様になっていました。そう云えば家内がパクチーが大好きで、新鮮なパクチーを求めて、日本人は余り行かないローカルマーケットに買いに何度も行かされましたっけ・・・。シンガポール風チキンライスには、キュウリ(日本のキュウリの3倍は長くて、大味な現地のキュウリですが)も不可欠。タレはお好みで、チリソースとすりおろした生姜を混ぜて。チリソースは松本でも購入出来ましたが、ダークソイソースだけは東京の、例えば紀ノ国屋や明治屋で探しても見つかりませんでした。
その当時は「チキンライス」とネット検索しても、オムライスの中身に使う様な所謂ケチャップライスしかヒットせず、今で云う“シンガポール料理”などというジャンルはこの世にまだ存在しなかったのです(蛇足ですが、現地にも勿論“シンガポールフード”というジャンルはなく、言うならば“ローカルフード”ということでしょう)。
その後、初めて日本で食べたこの「海南鶏飯食堂」を知ったのも、チキンライスでもシンガポール料理でもなく、モノは試しと「海南鶏飯」と入力検索して偶然見つけた店でした(因みに英語が公用語のシンガポールでは、英語を使わない場合の中国系同士は別として、中国語の「海南鶏飯」とはあまり使わず、英語でも丁寧に Hainanese Chicken Rice と言うよりも単純にChicken Rice と使う方が多かったと思います。むしろ、そう聞いてケチャップライスを連想する人はシンガポールでは皆無だったかも・・・)。2010年には既に都内で複数店舗展開をするなどして、次第にケチャップライスではなく、シンガポールの「海南鶏飯」という意味でのチキンライスが東京では徐々に浸透していきました。
そして、その後上京した時に何度か食べに行ったのが、現地で新しく人気No.1 になったという田町の「威南記海南鶏飯(ウィーナムキー ハイナンチーハン)」。因みに、個人的に「威南記」で食べるのは、現地No.1というチキンライスではなく、ここでしか食べられないローストチキンヌードルが懐かしいまさに現地のホーカーセンターの屋台の懐かしい味で、私メはここではこれ一択。
また、10年程前に次女が見つけて連れて行ってくれた、東京の恵比寿のシンガポール料理店「新東記」で食べた時に、初めてチキンライス用のダークソイソースが販売されているのを家内が見つけて購入したのですが、これも正に現地で食べたあの味でした。しかし、その後もこのダークソイソースだけは今でもなかなか東京でも入手出来ずにいます。
シンガポール料理店では、他にも麻布台の長女のマンション近くに在った「オリエンタルカフェ&レストラン」には、チキンライスだけではなくてちゃんとホッケンミーもありました。
どの店にも当然個性があり、シンガポール時代に家族全員が好きだった現地の人気店だったオーチャードのマンダリンホテルの「チャターボックス」のチキンライスとは味が多少違っても、十分びシンガポールを思い出させてくれた懐かしい味でした。
因みに、日本帰国後10年振りに初めて日本でチキンライスが食べられた時の水道橋の「海南鶏飯食堂」の食器は、シンガポールのその「チャターボックス」から払い下げて貰った食器だったのです(余談ながら、次女の航空会社勤務時代ですが、ファミリーチケットで次女と家内が二人でシンガポールに旅行した際、チャターボックスにも食べに行ったら、ホテルはヒルトンに変わり値段も二倍にアップし、当時の料理長も独立していて、昔のあのチキンライスの味ではなくなっていた由)。
そして“シンガポールの料理”という意味で、“シンガポール料理”というジャンルもタイ料理やベトナム料理などと同様に、今では我が国ではアジアのエスニック料理の一つのジャンルとしてどうやら定着しつつある様です。
長女が渡米したので上京する機会が減ってしまいましたが、今回地元松本で食べた「ロイホ」のシンガポールフード。
我々のオーダーは、二人共やっぱり海南鶏飯(チキンライス)セット(税抜き2680円で、チキンスープと海老のサテー付き)にしました。家内はパロアルトでの思い出の懐かしいケールサラダを追加、そして私メは松本で飲めるのは望外のタイガービールもオーダー(シンガポールのモルト100%ビールです。他には同じ会社のラガービールのアンカービールが現地での定番でした)。
さて、肝心の海南鶏飯(チキンライス)は、チキンが柔らかで十二分に合格点でした。ただ、付け合わせのソースが、チリソースが小皿ではなくチキンの横に少し添えられていただけで、小皿の生姜ソースはまだ良いとして、ダークソイソースはただ“焦げ臭い”だけで、現地のそれとは全くの別物。またチキンを生姜などで煮た煮汁でのチキンスープは、塩味が勝ち過ぎ。そして何よりいただかなかったのは、タイ米です。残念ながらセントラルキッチン方式での調理済みの冷凍品なのか、香りも無くパサパサで、これでは本来のタイ米の美味しさが伝わりません。今では日本でも買えるジャスミン米などの本来のタイ米は味も香りもあって本当に美味しくて、ナシゴレンなどのヤキメシ類や東南アジア特有の“ぶっかけ飯”には、モチモチした日本米よりむしろタイ米の方が遥かに適しています。
セットに添えられていたサテーは、現地でも食べたことが無かった海老が二本。
シンガポール駐在当時、国会議事堂や国立博物館、ビクトリアホールなどが立ち並んでいた官庁街のシティーホールの、広い芝生の広場にあったのが通称“サテークラブ”で、ここにはサテーを焼く屋台が立ち並んでいました。
本来のサテーはマレー風の焼き鳥で、ピーナッツソースを絡めて食べるのが定番。モスリムでは豚肉は御法度なので、チキン、ビーフ、マトンの串焼きで、中には(カレーパウダーをまぶして焼いた)カレー味もあった様に記憶しています。
サテーは日本の焼き鳥よりも小振りで、10本くらいをまとまってオーダーしていました。日本の焼き鳥に慣れた舌にはピーナッツソースは甘いので、時にはシンプルに塩味で食べたくなったものです。でも、慣れるとその独特の味と香ばしさがとても美味しくて、今でも懐かしく感じます。今の現地の状況は分かりませんが、少なくとも当時海老のサテーは一度も食べたことがありませんでした。
しかし今回初めてサテーで食べる海老は香ばしくて、海老そのものも甘くて美味しい!そしてピーナツソースも現地の味に近く、サテーも十分合格点でした。
たとえ夏の間のたった二ヶ月間の季節限定だったとはいえ、東京ならともかく、この田舎の信州松本でも食べることが出来た“シンガポール料理”の海南鶏飯のチキンライス。
松本にも現地出身の方が調理されている美味しいタイ料理のレストランは幾つかあるので、“カオマンガイ”はここ松本でも食べることが出来ますが、同じ中国の海南島からの移民たちが伝えたとはいえ、その後の歴史経過や現地の食文化との融合の中で少しずつ異なった方向を歩んで来ているので使うソースなどが異なり、やはり海南鶏飯とは似て非なるモノ。そのシンガポールのチキンライスである海南鶏飯を松本で食べることが出来、しかもそれが十分現地の味、或いは東京で食べることが出来る味に近かったのは思い掛けない収穫でした。
シンガポール料理店が松本に出来るのは期待薄でしょうから、毎年ではないようですが、また数年後にロイホで“シンガポール料理フェア”が実施されるのを楽しみに待ちたいと思います。そして、出来れば、チャークイティヤオやホッケンミーなど、他のシンガポールのホーカーセンターでポピュラーなローカルフードもメニューに加わらんことを願って・・・。