カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 突然の訃報でした。
プロ野球のヤクルト球団が2月19日、球団のマスコット「つば九郎」の担当者が亡くなったと発表。球団の公式ホームページで、
『これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました。球団マスコットとして、ここまで育ててくれた功績に感謝と敬意を表します。体調不良の発表以来、温かい励ましのお言葉をたくさん頂戴し、誠にありがとうございました。今後の活動については、しばらくの間休止となることをお知らせいたします』

 私は、子供の頃からの巨人ファン(ジャイアンツ戦しか放送されない長野県では、巨人のファンか、家内の様なアンチ・巨人かの二者択一。例外として、中京方面のTVが受信出来る木曽谷には中日ファンも多い)で、ヤクルトのファンではないのですが、でもそんな人間でもジャビットやジャイコ以上に“つば九郎”が大好きでした(写真はH/Pからお借りしました)。
毎年の契約更改は楽しみでしたし、何よりウイットに溢れ機知に富んだ“毒舌”ぶりは下手な芸人以上に面白くて、大いに笑わせ、また唸らせてくれました。
勿論、中身は球団職員の方だろうと推察されましたし、そのお名前も人となりも一切オープンにはされませんでしたが、きっとその方は“つば九郎”に成りきっておられたのだと思います。

 もう、あの愛のある“毒舌”が見られなくなるのは、プロ野球の一ファンとしてとても残念であり、また寂しいのですが、今まで本当に楽しませていただきました。本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。

 以下、報道された内容ですが、知らない方のために参考まで。
『つば九郎は1994年4月9日・阪神戦(神宮)でデビュー。神宮の試合で五回終了後に行う「空中くるりんぱ」が名物芸で、一度も成功しなかったが毎回注目を集めた。フリップボード芸では世相や野球界をぶった斬るブラックジョークを記し、愛くるしい見た目とのギャップで笑いを誘った。他球団の選手との交流も注目を集め、ヤクルトファンはもちろん、他球団のファンからも愛される存在だった。』

【追記】
 昨年から残念な訃報が相次ぎました。
辛口の相撲解説とエッセイも秀逸だった北の富士さん。もう「人生の楽園」のナレーションが聴けなくなった西田敏行さん。
日経の「私の履歴書」を読んで、それまでの認識を新たにした渡辺恒雄氏。まさに“巨星落つ”。“中小企業のオヤジさん”鈴木修氏。今回のホンダと日産の決別劇をどうご覧になられたでしょうか・・・。
そしてこの松本にも「こころ旅」で何度か来てくれた火野正平さん。確かに老若男女問わず好きにさせてしまう暖かな人柄に、「本当にこの人は“人たらし”だ」と何度唸らされたことか・・・。もう「とうちゃこ」が聴けないのが本当に残念です。
 皆さん、本当にありがとうございました。そして、お疲れさまでした。どうぞ、安らかにお眠りください ― 合掌

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