カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 秋の紅葉と聞いて想い浮かべるのは、紅い色ならモミジ、ナナカマド、ウルシ、ドウダンツツジ・・・。そして黄葉の方の黄色は、カラマツ、イチョウ、ナラ、そしてシラカバ・・・でしょうか。
ただ黄葉の場所、例えば高山や里山、平地、そして例え狭い日本列島でも北と南の緯度の違いに依って違いますし、何より一番は自分の生まれ育った場所、そして今棲んでいる地で、紅葉(黄葉)と聞いて各々想い浮かべる木は皆さんそれぞれ全く異なると思います。
そんな四季のある日本列島に暮らす私たちにとって、秋の恵みである紅葉(黄葉も)の中で、個人的に意外と見過ごされている身近な木がある様な気がしています。

 それは、柿・・・です。
調べてみたら15年も前でしたが、本ブログに紅葉した柿の葉の落葉する様子を一度書いたことがありました。それは・・・、
『さて、柿の葉の落葉をご覧になったことがありますか。
まるで雨が降るかのように、次から次へと赤く色付いた柿の葉が、それこそ“サラサラ”と音を立てるように散っていきます。その様は“散る”というよりも、まさに“降る”と言った方が近い感じがします。特に風の無い日は、まるで不思議な光景を見るようで、幻想的ですらあります。
ただ、家に不在の平日だと気付かないことの方が多いのですが、前日とはうって変わって葉が落ちた柿の木の様子からは、恐らく一日の中の僅か数時間でその不思議な“現象”は終わってしまうように思います。』(第169話より抜粋)
 そんな柿の木の紅葉。
他の木と違って、それは決して一定の法則や“決まり事”があるのではなく、それぞれの木に依って少しずつ紅葉の仕方が違う様に思います。紅く色付く木もあれば、どちらかというと黄色が優勢で黄葉と云った方が良い感じに色付く木もある。更に同じ木であっても、場合によっては一枚一枚、葉毎に色付き方が異なる・・・と言うよりも、「同じではない」と言った方がむしろ正しいのかもしれません。
その意味で、他の木はこの時期、紅葉或いは黄葉、そのどちらであっても殆ど“木”そのもの、若しくは例えば“モミジの永観堂”の様に木々を見る(愛でる)のだと思うのですが、柿の木の“紅葉”は赤や黄色に色付いたその葉一枚一枚が微妙に違っていて、柿の木全体としてではなくむしろ葉の一枚一枚が、例えその虫食いの跡でさえ風情が感じられて実に味わい深いのです。
 コユキとの朝の散歩道。秋の色付きが日毎どの色合いを変化させていく中で、何本か道端にある柿の木の葉が色付いて落葉しており、そうした道に落ちている落葉の中から、一枚一枚目でさっと確かめながら、その目視の中で視界に飛び込んで来た色鮮やかな葉を二三枚拾って帰り、渡米した長女のマンションから引き継いで、玄関脇に取り付けてある無印良品のコーナーシェルフの上に置かれているザクロのドイリー(=敷布或いはコースター)代わりに使っています。

 そんな身近で見つけた、“小さな小さな秋”・・・でした。 

 何日か秋雨が続いた後、久し振りに北アルプスが朝くっきりと見えた10月中旬。今年も新栗のモンブランを求めて、家で独りお留守番をさせておくのは可哀そうなので、コユキも一緒にドライブがてら小布施に行って来ました。

 小布施に行く前に、奥さまのリクエストで、翌々日からまた横浜に孫の世話に行くので、次女の所に送るリンゴと自家用のブドウを買うために須坂の産直市場に立ち寄りました。
小布施へは小布施PAのスマートICが便利で降りるとすぐ到着するのですが、須坂へは長野東ICで降りて暫く一般道を走ります。
長野東ICのすぐ近くでは、県下最大のショッピングモールというイオンモールが建設工事中でした。前評判でどんなに大きいかと思いましたが、3棟ある松本と比べてそんなに変わらない感じ。松本はあがたの森の近くで駅から歩いても10分足らずと市街地に在るので便利ですが、こちらは高速を降りてすぐではありますが、長野市の中心街からだと車で30分以上と結構離れていますので、長野市の商工会議所が「イオンが出来てパルコや地元デパートが閉店に追い込まれた松本の二の舞になる」と出店に反対している様ですが、果たしてどうなのでしょうか?イオンモールの影響がゼロとは言えないのかもしれませんが、(飽くまで私見ですが)パルコはセゾングループ全体のリストラの一環ですし、地元デパートは経営努力不足が真の原因でしょう。
京都の錦市場はインバウンドの影響もあって特殊でも、出町今出川の枡形商店街の様にインバウンド客など関係無く地元のお客さんで賑わっている商店街だってあるのですから、長野商工会議所も他責にではなく、自らの知恵と工夫で経営努力しないと所詮先はありますまい。
ただ須坂(長野?)のイオンモールの開店に依って、松本のイオンには結構長野ナンバーも多いので、それをこのイオンモールが吸収してくれれば、いまだ平日でも駐車場が混んでいる松本も多少駐車場に停め易くなるので有難い気もします。

 さて、須坂の産直市場には1時間ちょっとで到着。家内が買い物をしている間、コユキにおやつを上げて駐車場を少し散歩。
須坂には県の果樹試験場があり、長年に亘る品種改良の中からブドウではナガノパープルやクイーンルージュ、リンゴでは“りんご三兄弟”を構成しているシナノスイートやシナノゴールドを始め、最近栽培が増えているシナノドルチェなど、シナノと冠した品種がここで誕生しています。その背景には、この“須高”地区と呼ばれる須坂と下高井郡から中野に掛けての一帯が、“フルーツ王国・信州”の中でも、リンゴ、ブドウ、更に長野市川中島の桃も含め、県下では最も果樹栽培の盛んな地域だからなのです。
65年位前でしょうか・・・、幼い頃、戦前からリンゴ栽培を始めていた祖父に連れられて、汽車に乗ってこの方面へリンゴ苗を買いに来て、その帰りに善光寺に立ち寄ってお詣りした時に境内で鳩に群がられて泣いたらしいのですが、そんな半世紀以上も前からリンゴ栽培でも北信地方のこの辺りは松本エリアの果樹栽培の先輩でした。
ですので、今でも同じ産直に並ぶブドウもリンゴも、残念ながら味も価格もこの“須高”エリアの方が松本エリアよりも上。そのため次女の家では、須坂がご実家という家内の友人の方に紹介していただいた須坂の果樹農家から、シャインマスカットやナガノパープルなどのブドウを毎年取り寄せているそうです。須坂の産直に並ぶブドウやリンゴは、値段で言えば、例え産直であってももし松本で買ったら1.5倍はするでしょうか(但し、そのためだけにここへ来るのは、高速代を考えると全くのナンセンス。飽くまで小布施や長野に来たついでに買うのであれば・・・です)。そこで、この産直で独自品種であるナガノパープル、クイーンルージュとシャインマスカット、そして旬を迎えつつあるシナノスイートも購入してから、今回の目的地である小布施に向かいました。

 須坂から小布施までは僅か3㎞たらずなので、車で10分も掛かりません。この日は平日なのですが、さすがは新栗の季節。小布施は女性客中心に結構な混雑でした。
須坂からだと、国道403号線を来るとそのまま小布施の中心を通り抜けます。10年程前に「一度食べてみたい」という新栗の時期の期間限定商品、「小布施堂」の“和栗の点心”「朱雀」を食べるために、一時間並んで整理券をゲットしたことがありました(第797話)が、その朱雀はコロナ禍で事前の完全予約制となり、小布施堂本店前には次の予約時刻を告げる看板を持ったスタッフが立っていました。我々は一度食べてもたれてしまい、「もう(食べなくても)イイね!?」となりましたが、相変わらずの人気の様です。
その我々が新栗のこの時期、小布施に来ると「朱雀」に代わって食べているのが「栗の木テラス」のモンブランと、家内に依るとモンブランには合うというポットで供される紅茶・・・です(私メは頑固にコーヒーですが、第1772話を参照ください)。
この日は混雑を避けるべく平日なのですが、県下で面積の一番狭い自治体で市街地もこじんまりした小布施とはいえ、新栗の季節ということもあり、女性客を中心にこの集客力は大したものだと感心します。
NTTのCMで使われている、北斎が小布施滞在中に描いた岩松院の天井の鳳凰図や、彼の作品を集めた北斎館もあるとはいえ(個人的には中島千波館の方が好きですが)、或る意味“栗だけ”でのこの小布施人気はオドロキです。小布施は、国内の“町おこし”の代表的な成功例ではないでしょうか!
「桜井甘精堂」の駐車場に車を停め(栗の木テラスを含め店舗で2000円以上購入すると、駐車料金が2時間無料になります)、先ずは栗菓子の一番の老舗である本店に行って、ちょうどこの日の夕刻の例会(単なる飲み会ですが)に集まる友人たちへのお返しのお土産を購入。今回はコユキも一緒なので、私はコユキと外のベンチで待機。すると横の広場のテントで焼き栗を売っていて(桜井甘精堂自身でやってらっしゃる様でした)、半世紀近くも前ですが、新婚旅行で行ったパリでシャンゼリゼのマロニエ通りで買った焼き栗の香ばしい匂いが懐かしくて、一つ購入(300円)しました。
それからお目当ての桜井甘精堂の洋菓子・喫茶部門である、ケーキと紅茶の専門店「栗の木テラス」へ。カフェの方は8組ほどの順番待ちとか。残念ながらこちらにはワンコOKのテラス席はありませんので(残念ながら、小布施全体が“Dog Friendly”な街ではありません)、最初にナナと来た時は車でナナに待っていてもらいましたが、こちらはモンブランを食べるだけでなく併せて紅茶を注文するお客さんが多く、紅茶はポットで供されるので優に3杯分くらいはあって、しかも失礼ながら女性客が殆どなので“話に花が咲いて”食べ終わるのに優に一時間近く掛かります。
そこで、今回はコユキを車で待たせておくのは可哀そうなので、テイクアウトならすぐ買えますので、モンブラン(520円)を二つ購入して持ち帰ることにしました。帰りは駐車場へ店舗沿いに抜けていく小道を進みます。店舗の隣が洋菓子工房でガラス越しに眺められ、ちょうどマロンのロールケーキなどが作られていて、外までバニラエッセンスの良い香りが漂っていました。
 帰りは市街地から栗畑とリンゴの果樹園の中を走り、たった5分で小布施PAのスマートICから高速へ。ホント近くて便利です。
1時間ほどで自宅に戻り、コユキにもおやつを上げてから早速焼き栗とケーキを頂きました。家内はコーヒーではなくモンブランには合うからと紅茶。焼き栗が香ばしいのは勿論ですが、甘くて美味しい。モンブランは二つとも家内に。一つは翌日に回して美味しくいただいたそうです。

 以上、我が家の今年の“小布施の新栗”でした。

 10月上旬、マンションの3年に一度の設備点検のため、1時間全館停電となるとの通知が事前にありました。その間は、PCは勿論ですが家電製品は一切使えず、また水も出ずトイレも使用出来ず、館内のエレベーターも自動ドアも全て停止とのこと。
当初は、コユキをカートに載せて松本城まで散歩に行って、どこかワンコOKのカフェ(町を挙げて“Dog Friendly”を標榜する軽井沢に比べ、松本だけではありませんが、県内に留まらずどこもワンコOKの店が少な過ぎ!)にでも寄って来ようと言っていたのですが、奥さまはたまたまこの日お義母さんに頼まれて茅野の実家に行く用事が出来たので、止む無くコユキを連れて一人で何処かへ行くことにしました。

 松本城へは段差のある様な歩道を往復4㎞、一人でカートを押して歩くのは大変なので(次女も含め、小っちゃなお子さん連れのお母様方はエライ!・・・と、ホント尊敬します)、当初予定していた松本城方面は諦め。
そこで代わりに選んだのは、城山公園に隣接する『Gallery & Cafe憩いの森』です。渡米した長女が松本に帰って来る度に行った彼女のお気に入りのカフェで、以降我々も自宅から城山公園経由でアルプス公園までの“城山トレイル”の帰りの休憩などで時々利用しています。

「憩いの森」の店内には併設されたギャラリーがあり、また公園に面した庭にはウッドデッキのテラス席もあって、こちらは松本ではまだ数少ないワンコOKの席なのです。自家焙煎のコーヒーと、ケーキ類、そしてランチ用にサンドイッチなどの他にも酵素玄米のドリアやカレーもある由。ただオープンが10時と少し遅いので、週末のブランチには良いかもしれませんが、モーニングにはチト遅い・・・。
店内にテーブル席が7卓で、外のテラス席が4卓。室内は器楽曲などの静かなクラシック曲が流れていて、テラス席は日除けの大きなガーデン用パラソルが各テーブルに設置されているので、夏でも快適です。しかも目の前が桜の木々の向こうに拡がる城山公園。昔から松本市内の花見の名所の一つでもあり、桜のシーズンは家族連れなどの花見客で大変な賑わいですが、それ以外の季節は店名の通り、思わずふ~っと溜息をつきたくなる様な緑の中に佇む憩いの空間です。
またギャラリー&カフェと銘打っておられるように、店内には展示スペースがあって、地元作家の陶芸作品や工芸作品などが、期間での入れ替えをしながら展示販売がされていて、時々は小さな絵画展や貸切りでのミニコンサートも開催されています。
 11時からのマンションの停電時間前のエレベーターが動いている内にコユキを車に乗せて、11時過ぎに城山に到着。少し草原の広場を散歩してからカフェに向かいました。
この日は平日のせいかカフェにはお客さんは誰もおらず、我々だけ。停電終了まで、ここで小一時間過ごさないといけないので、コユキの水とおやつは勿論ですが、文庫本も持ってきました。
女性スタッフの方が動物好きで、コユキを可愛がってくれました。そこでコユキを見て頂いている間に、店内のギャラリーコーナーを除いてみると、地元作家の方の陶器が展示されていて、その中に前回家内と来た時に家内がとても気に入った、店内でラテ(メニュー表記はミルクコーヒー)用に使われているのと同じ大きなカップがあったので購入することにしました。その時にマスターに伺ったら、後日作品が展示される予定とのことだったのですが、ちょうどタイミングが合った様です。一脚3800円(税抜き)。
 実家のお義母さんの世話から戻った家内にサプライズでそのカップを見せると、奥さま曰く「え~っ!?だったら2脚買って来て欲しかったのに・・・!!」とのお叱り。
そこで、後日コユキを連れてまた家内と一緒に伺ってテラス席で喫茶した後、もう一脚購入して帰りました。ヤレヤレ・・・。

 9月23日、キッセイ文化ホール(県松本文化会館、略して“県文”)で、『まつぶん浮世絵寄席 春風亭一朝・一蔵親子会』があり、聴きに行って来ました。
以前の春風亭雛菊さんが凱旋出演したいつもの二つ目の「まつぶん新人寄席」の時に今回の開催を知り、一朝師匠は今まで一度も生で聴いたことが無かったので、その場でチケットを購入していました。
今回は演じられるネタが二席ということもあってか通常でも2500円というリーズナブルな価格設定なのですが、今回も「まつぶん新人寄席」と同様、有難いことに65歳以上はシルバー料金として更に1500円(学生も同額です)と割り引かれており、本当に有難い限りです。また、購入したのが早かったので、席はやや下手の通路側の最前列の席です。

 今回は「浮世絵寄席」と銘打ってある通り、浮世絵に描かれた江戸時代の実在の人物を題材にした落語のネタをそれぞれ師匠が演ずるという趣向。そのため、既に一朝師匠が芝居ネタの「中村仲蔵」、一蔵師匠が相撲ネタの「阿武松」をいずれも本寸法で演じられると事前にネタ出しされています。
会場は、今回も中ホールで、階段状の席は使わず、フロアのパイプ椅子だけですが、さすがは春風亭一門の大御所一朝師匠と弟子の若手実力派一蔵師匠の登場ということもああって、私の様なシルバー世代主体ではありますが、お客さんで一杯でした。

 最初に、ネタの元となった歌舞伎役者の中村仲蔵と第6代横綱となった阿武松緑之助の浮世絵をプロジェクターで舞台に投射しながら、師匠お二人を交えてのトークショーがありました。お二人は、それぞれこの日のネタを、一朝師匠は大師匠の故林家彦六から、一蔵師匠は鈴々舎馬るこ師匠からそれぞれアゲてもらったそうです。
余談ですが一蔵師匠が大柄なせいもありますが、一朝師匠は思いの外小柄でビックリしました。でも木久扇師匠張りに、大師匠(師匠は彦六の弟子故
柳朝)である彦六の声色をそっくりに真似られて会場を沸かせてくれました。
 幕が上がっての開口一番は、11月にはめでたく二ツ目昇進が決まったという、一之輔師匠の四番弟子春風亭貫いちさんで、古典落語の「熊の皮」。尻に敷かれっぱなしの八百屋の亭主甚兵衛の滑稽噺で、初めて聴くネタでしたが、声も大きくちゃんと出ていて、声が通るというのは先ずは前座として一番大事なことでしょう。
 続いての一蔵師匠。2022年9月下席より8代目柳亭小燕枝、10代目入船亭扇橋と共に真打に昇進とありますので、まだ真打になって丸二年ですが、多少高座での言い回しが落語よりも講談風で、些か大仰で鼻につく感も無きにしも非ずなのですが、でも朗々としていて旨い。また決して一本調子では無く、抑える時はちゃんと抑えてメリハリも効いています。一蔵師匠は現在43歳で、入門前にトラック運転手などもやっていて入門が遅かったということもあってか、堂々としていて大柄で押し出しも良く、真打まだ丸二年とは思えません。
因みに、一蔵師匠と一緒に真打昇進となった8代目柳亭小燕枝、10代目入船亭扇橋のお二人は、それぞれ二ツ目の市弥、小辰時代に一緒に「まつぶん新人寄席」で来られていました(第1177話)が、この三人は同時昇進二年目でいずれも活きの良い実力派真打です。ここで、お仲入りが15分。

 後半は、春風亭一朝師匠がトリで「中村仲蔵」。
一朝師匠は生粋の江戸っ子で、故春風亭柳朝に弟子入りし、柳朝から「女中に来たんじゃねぇんだから掃除何てやらせねぇ。ウチにも来なくてイイ。その代わり稽古をしろ!」。普通弟子入りすると、前座時代にさせられる師匠の身の回りの世話や掃除などの家事などを一切させなかったのだそうです。それで一朝師匠も亡き柳朝師匠を踏襲し、今や真打の弟子6人を抱える大所帯となった一門の弟子たちにも一切そうした家事などをさせず、落語の稽古に励ませたとか。しかし、自分だけが教えると自分の“小型”を作るだけだからと、色んな師匠に頼んで弟子たちに稽古をつけてもらったのだそうです。
また師匠は前座だった時に、寄席で出囃子を上手く吹きたくて笛を習い始め、その笛の師匠から「あなたは残りなさい」と引き留められて名取にもなり、二ツ目時代には歌舞伎座、新橋演舞場などで歌舞伎の笛を務め「落語家やめませんか」と言われたこともあったという笛の名手だそうです。この日のトークショーでも紹介されてご自身では謙遜されていましたが、師匠は千住で生まれ、大工など職人の言葉を耳にして育った江戸っ子ですが、歌舞伎の笛を勤めていた時に名優の台詞回しなどを近くで体感したことも、ご自身の江戸前落語に生きているそうです。そして今では大河ドラマなどで、江戸言葉の指導もされているのだとか。
 そんな芸が生きる、芝居噺の「中村仲蔵」。
漸く名代となった歌舞伎役者の中村仲蔵が、歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」が取り上げられた中で貰ったのが5幕目の端役である斧定九郎の一役のみ。それは「仮名手本忠臣蔵」一番の見せ場である4幕目の「判官切腹の場」が終わり、一斉に観客が我慢していた飲食をすることから、それまでは弁当幕といわれた5幕目の端役でした。中村仲蔵は自らの工夫で演じ、今の歌舞伎の定九郎の役の型を作り上げていく物語。因みに昨年8月の「松本落語会」で古今亭菊之丞師匠が判官切腹の場面の「淀五郎」を演じられましたが、淀五郎が悩んで相談に行くのがその時には既に名人になっていた中村仲蔵でした。
この「中村仲蔵」は一朝師匠の大師匠である故林家彦六が得意としたネタであり、最後のサゲもその彦六師匠から直接アゲてもらった通りに終わりました。

 この日の様に事前にネタ出しで「中村仲蔵」と指定して演じるなら、彦六からの口移しという一朝師匠が一番相応しい噺家であり、しかも歌舞伎にも精通しておられる正調江戸落語の実力者ですので、さすがはベテランとしての風格も感じられ、一朝師匠の小柄な体格がお弟子さんの一蔵師匠に負けぬ程大きく見えた高座でした。

 以前ご紹介したインテリアグリーンとしての観葉植物のミニ鉢植え。ガジュマル、パキラ、コーヒー、クチナシ、そしてアジアンタム。
毎朝の水やりがささやかなルーティーンではあるのですが、買って来た時と比べ随分大きく成長したので、ここで少し大きめの鉢に植え替えてあげることにしました。


 そこで幾つか大手のホームセンターの園芸用品売り場を見て回ったのですが、別に値段は高くても構わないのですが、これといってピンとくる鉢は見当たりません。
そこで諦め掛けたのですが、すぐ近くの100均ショップもついでに覗いてみることにしました。すると、ホームセンターに在った様な如何にも安物のプラスチックという風な植木鉢ではなく、むしろオシャレで品の良い感じの鉢が並んでいて(さすがに大きな鉢は100均にはありませんでしたが)、その中から良さそうな鉢を二つ購入しました。
一方で、100均ショップには観葉植物用の土は種類が少なかったので、またホームセンターに戻って、酵素入りの観葉植物用の土を2ℓの袋で購入しました(これでも多いくらいですが、2ℓが最小でした)。
 家に戻り、クチナシとパキラを植え替えます。
クチナシは8㎝から10㎝、パキラは7㎝の丸い鉢から一辺が9㎝角の四角い鉢にそれぞれ一回りから二回り大きな鉢に変更です。
クチナシは枝も随分伸び、根本から新しい芽も伸びて随分窮屈そうです。そこで鉢から土が付いたまま株毎抜いて、竹串で少し伸びて固まった根をほぐします。そして植え直す鉢の真ん中に移して、周りに少しずつ観葉植物用の土を注いで、最後に株がぐらぐらしない様に土の表面を突き固め、更に土を補充して平らにならしました。
パキラは、挿し木栽培で育てたと思われる本当に小さな5sm足らずの苗を買って来て、自分で鉢に赤玉土を入れて育てたモノ。小さかった枝葉はすくすくと成長し、何本もの新しい枝葉を伸ばして5倍にも10倍にも成長しましたので、もっと大きな鉢に今回も赤玉土で補充して植え直しました。
そして、上手く育てられず殆ど枯れてしまったアジアンタムが、数本だけ芽を出しているので捨ててしまうのは可哀そうで、ちゃんと育ってくれるかどうかは分かりませんが、周りの枯れた部分をそぎ落としてその芽の部分だけを残して空いた小さな鉢に移し替えました。ガンバレ、ガンバレ!・・・です。
 これで随分見た目がスッキリしました。窮屈そうだったクチナシとパキラも何となくのびのびと気分良さ気に見えます。これで、また暫くは大丈夫でしょう。
そして他のガジュマルやコーヒーの鉢と併せて、また成長して窮屈そうになったら、更に大きめの鉢に植え直してあげようと思います。

 9月の敬老の日と秋分の日で、二週続けての三連休の狭間の平日。諏訪湖畔の渋崎に在る「原田泰治美術館」に一人で行って来ました。
家内は横浜の次女の所に行っていて留守。横浜に行く前に、ドライブがてら行かないか聞いたところ、興味無しとのお答え。原田泰治美術館には、開館してすぐ家内と一度見に行った記憶があるのですが、1998年に開館したそうですので、今回は四半世紀ぶりの再訪ということになります。

 多分、それは諏訪の本社勤務時代に見に行った筈ですが、その時に気に入って購入した複製画の2点(秋の「きのこの山」と、山梨県の一宮付近の一面満開の桃畑を描いたと思われる「桃の花」)を、同様に山種美術館で購入した東山魁夷の複製画などと共に家に飾っています。
これは、新居のマンションの玄関からリビングへの廊下に、ピクチャーレールを壁側の天井に設置してもらい、そこにワイヤーとフックを5本10個購入して、とりあえず郷土の画家の絵や版画などの9枚の額と季節に応じて架け替える1枚を段違いに各々バランス良く“ギャラリー風”に展示しているのですが、その季節毎に入れ替えている一枚が先述の原田泰治と東山魁夷の複製画です。
しかし、残念ながらその複製画の手持ちの中には夏と冬に相応しい絵がありません(魁夷の「年暮る」は年末年始には相応しいとしても、冬の間ずっとでは間が抜けてしまいます)。
そこで夏と冬に飾れる複製画を求めて、(山種は買いに行くには遠いので)近間の「原田泰治美術館」へ行くことにしました。
 年金生活者の独り身ですので、夏休みは過ぎたとはいえ混むだろう三連休の週末を避け、二つの三連休の狭間の平日に行って来ました。
岡谷ジャンクションの高架橋の補修工事で、松本からだと塩嶺トンネルから岡谷JCTを過ぎるまで4~6㎞の渋滞が慢性的に発生しています。
この日も塩嶺トンネル入り口付近から渋滞しており、諏訪ICまで40分との表示。そこでノロノロと1700mのトンネルを抜けて岡谷ICで降り、岡谷市街地を抜けて釜口水門から諏訪湖畔を走る通称“西街道”で向かいました。諏訪湖畔は最近一周16㎞のサイクリング道路が全線繋がった由。この日も、観光客の方々も含めてか、たくさんの人たちが思い思いにぺダルを漕いでいおられました。
11時過ぎに「原田泰治美術館」の駐車場に到着すると、広い駐車場には車が5台程。いくら平日とはいえ、些か寂しい感じです。
 入館すると、ミュージアムショップと二階のティールームは無料で利用可能とのこと。そこで、先ずはショップで複製画の品定めで、夏と冬に相応しい絵を探しました。
選んだのは、夏用には入道雲が背景に描かれた「ボンネットバス」と冬が四季を描いた連作の中で「ふるさとの四季・冬」の雪景色を描いた一枚。
ご厚意でショップで絵を預かっていただいて、入館料(大人840円)を払って展示を見に行きました。
美術館ではちょうど開館25周年の特別企画展として「原田泰治が描く 美しい日本の童謡・唱歌展」が開かれていました。これは、館のパンフに依ると、
『「日本の歌100曲」という童謡や唱歌を集めた100曲のリストがあります。亀田製菓株式会社が設立40周年を迎えるにあたり文化事業として、全国から「21世紀に残したい童謡・唱歌」を募集(応募総数21万2,403通)したものをもとに、5名の選者(永六輔氏・服部克久氏・黒柳徹子氏・さだまさし氏・Toshi氏)により選考されたものです。
それに連なる企画の一つとして100曲ひとつひとつに合った作品を原田泰治氏が自身の作品から選出・描きおろしたものが[日本の童謡・唱歌100選]という名前で発表され、画集やCDなどの形で展開しました。』
とのこと。
“あられ、おせんべい”の亀田製菓の当時の社長が、「豪華な社史を作るくらいなら、同じ予算で何か社会に貢献出来ることを」として企画された文化事業だったそうです。2000年に100曲が選ばれ、2006年に原田泰治が描いた絵が本として出版されたそうです。
 常設展と併せて、今回二つの展示室に分けてその歌を題材にした100点の絵画が展示されていました。
美術館に行くと毎回思うのですが、海外ではルーブルやオルセーなど、個人使用でフラッシュを使わなければ「モナリザ」でさえ写真撮影が可能という美術館が殆どなのに、残念ながら日本の殆どの美術館では絵画については一切写真撮影が禁止なこと。今までで全部ではありませんでしたが、その数少ない例外は、2023年5月に行った国立近代美術館の特別展「重要文化財の秘密」では、明治期以降の重要文化財の殆どが一堂に会していて、その絵画も含め7割もの作品が撮影OKだったこと(第1821話)。そして、今年の春に久しぶりに云った箱根の「ポーラ美術館」でも、その多くの所蔵作品の撮影が認められていて、ビックリしました(第1891話)。
残念ながら、今回の原田泰治美術館も勿論撮影禁止でした。
 見終わってから、ショップでもう一枚早春の絵として、春の伊那谷の下条村で描いたという「梅の咲く頃」も購入し、秋の風情が漂い始めた諏訪湖畔を少し散策してから帰途につきました。

 暑い日が続いたとはいえ、さすがに9月に入ると夏野菜も目に見えて日に日に衰えて来て、キュウリもミニトマトもシーズン終了といったところ。ナスは秋になっても収穫出来るかもしれませんし、青紫蘇やバジルはまだまだ元気なので霜が降りるまでは大丈夫ですが・・・。
今年二年ぶりに取り組んだ夏野菜のプランター栽培。5月末に一週間旅行不在が予定されていたため植えたのが戻って来てからでしたので、少し遅すぎた嫌いはあるのですが、それでも一昨年は特にキュウリなど「花は咲けども・・・」で全然実にならなかったのが、今年は途中で気が付いて追肥を定期的にした結果、キュウリもミニトマトも、ナスも一応収穫することが出来ました。
しかし、反省としては欲張ってプランターに苗を植え過ぎてしまったことでしょうか。もう少し余裕を持たせるべく、来シーズンはもう一つプランターを増やそうと思います。

 一方、青紫蘇とバジルは元々強いのかもしれませんが、特に追肥などしなくてもしっかりと成長してくれて、特に青紫蘇は大葉をスーパーで買うことなく、いつでも新鮮な葉を摘んで来て夏の冷奴などの薬味で大活躍してくれました。
そこで、青紫蘇は秋口まで利用出来るように、大きな株の延びた茎をそれぞれ切り詰め、小さな枝葉の芽がまた伸びて来るようにしました。こうすることで、成長してコワくなった葉ではなく、また柔らかな葉が新しく茂ってきます。そして、最後は花を咲かせ結実させて、今度はその実をちゃんと摘んで取って置いて春になったらプランターに植えたいと思いますし、たくさん取れるでしょうから、今夏アパートから引っ越して、戸建てに暮らす次女の家にも春になったら家内に持って行ってもらうことにします。
バジルは、ピザやトマトソースのパスタなどの時に新鮮な葉を刻んで散らしてその香りを楽しむことが出来ました。
ただ、バジルはせいぜい使うのはその程度なので、たった一株の苗ですが、こんもりと茂って勿体無いので、家内が久しぶりにジュノベーゼソースを作ることになりました。
以前一戸建ての時は、ハーブガーデンでバジルは3株栽培していたこともあり、霜に当たるとバジルの葉は黒く変色して枯れてしまいますので、降霜前に葉を全部摘んでジュノベーゼソースやレンジを使って乾燥バジルを作ったりしていました。ただ、乾燥バジルは結果として余り使い道が無く、数年前に作ったのがまだ使い切れていません。
そこで、今回は一株だけですので、次女のリクエストで、ジュノベーゼソースを作って娘の家に家内が持って行くことになりました。

 霜が降るのにはまだまだ時間がありますので、4本程あった株立ちの中で、一番細い一本だけはまだピザやパスタに使う様に残し、残りの太い3本を全て摘み取ることにしました。
傷んだ葉と花芽を取り除き、小さな葉っぱも丁寧に摘み取った結果、ボールに山盛りになるくらいありました。
家内が丁寧に水洗いして、キッチンペーパーを何枚か拡げ、その上に葉を敷いて水気を取り、多少乾いたところでバジルの葉はたくさんあるので一度では無理で何回かに分け、松の実、にんにく、エクストラバージンオリーブオイルを加えて、ミキサーにかけて攪拌します。
思いの外バジルの葉が多かったので瓶二つ分出来たとのことで、大きな方を9月に次女の所に行く際に家内が持参しました。我が家ではあまり使わなかったバジルですが、料理好きな次女の所で活躍してくれることと思います。

 全国のお城は、“白鷺城”と呼ばれる姫路城に代表される白漆喰で塗られた白いお城と、別名“烏城”の岡山城や熊本城の様に、漆喰保護が目的の下見板張を黒く塗った豊臣系に多いとされる黒いお城に分かれますが、その“黒いお城”の中で、唯一松本城だけが築城当時から今でも黒漆が塗られているお城で、しかも毎年秋に塗り直されているのだそうです。

今年も9月になって、その工事が始まりました。松本城管理事務所の説明に依ると、
『松本城では、天守の塗装部分の塗り替え工事を実施します。
この工事は、松本城の保全を目的として、漆の塗装と乾燥に適したこの時期に毎年実施しています。昭和41年から毎年実施しているものです。
工事期間中は、月見櫓への入場制限や外壁への足場の設置、塗装部分を保護するために天守の一部を白いシートで覆う期間もございますので、あらかじめご了承ください。
工事内容:松本城天守下見板・月見櫓欄干の漆部分の塗り替え 』
 何年か前、“城郭ライター”萩原さちこ女史の松本城に関する講演会で、「松本の皆さんは誇りに思うべきです」と強調されていたのが、この黒漆でした。そして「是非知っていてください」と更に強調していたのが、漆塗りを長年善意で支えて来られた地元の漆職人の方のエピソードでした。
以下、萩原さんの書かれた文章から、その関係する箇所を拝借させていただくと、
『地元の漆職人の碇屋公章さん。昭和の解体修理の際、先代の碇屋儀一さんが請負ったものの、材料費を考えれば儲けはなく、どちらかというと善意での参画だったようです。
儀一さんはひとりですべての壁面を塗り直した後、なんとその後の約10年間は自腹で修復をしていたそう。前述のように、漆は1年も経てば傷みが目立ちはじめます。日々傷みを増し汚れていく松本城天守群の姿を、儀一さんは職人として放っておけなかったようです。
全国唯一の漆黒の天守は、職人の心意気と誇りによって伝統となり、日本の宝となった歴史があります。』
その碇屋公章さんという漆職人さんが営まれているのが、市内の天神に在る「碇屋漆器店」。因みに「いかりや」と読みます。
 信州の凍てつく冬に向けて、今年も9月から10月末に掛けて、先ず月見櫓が白いシートで覆われ、赤い欄干の漆塗りに始まり五層六階の大天守や乾小天守まで、複合連結式天守閣の松本城全体の黒漆の塗り替え工事がスタートしました。
そして松本平にアルプス颪(おろし)が吹き始める11月には、まさに文字通り漆黒の輝きを増した松本城が今年も見られる筈です。