カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 準備が簡単故に、朝食は何となくパン食にすることが多いのですが、以前は娘たち推奨のAladdinのオーブントースターで厚切り食パンをトーストしていました。ただバターや、ジャムを縫って食べることも勿論ありますが、時には(食パンが些か古くなると)、家内からは「良く、ズクがあるわね!?」と呆れられながら、フレンチトーストにする時もあります(信州弁で、「ずく」は面倒臭がらずに対処すること。面倒臭がり屋は「ずく無し」。ちょっとした対処をする場合は「小ずくがある」とか・・・)。
因みに、我が家にはそれ用かどうか知りませんが、ちゃんとシナモンパウダーも他のスパイス類や調味料に交じって常備されています。
ジャムでは、自分の好みは松本に工場がある「スドージャム」のマーマレードが甘過ぎず、且つ小瓶で無いので終わった後の処分も簡単なので愛用していたのですが(子供の頃の学校給食でも、小袋入りのジャムはスドーでしたので、松本の人間には馴染みがあります)、次女の婿殿のご実家の庭にあるという夏ミカンの皮を使って、家内が横浜滞在中に作る自家製マーマレードが甘過ぎず苦みもあって抜群なので気に入っています。

 さて、そんな中、最近嵌まっているのが、長女が今年の2月に渡米する際に置いて行ったキッチンウェアの中にあったホットサンドメーカーです。
昨年次女が二人目を出産して以降、家内が育児支援や家事手伝いに毎月横浜に出掛けているのですが、その不在中にそれまで仕舞いっ放しだったのを、長女が麻布台に居た時に連れて行ってくれて一度で気に入ってファンになった(多分もう行く機会はありませんが)、飯倉片町の外苑東通りに面した「VERVE COFFEE ROASTERS (ヴァーヴ・コーヒー・ロースターズ六本木)」で食べたホットサンド(一番上の写真です)を思い出して、一度使ってみようと思い、薄切りの食パン(8枚切り)を買って来て試してみました(上の写真は、昨年行った時のVERVEのホットサンドです)。
中の具は、取り敢えずシンプルに目玉焼きを先に作って食パンで挟みます。味付けはシンガポール風にチリソース。両面1分ずつ位でしょうか。ガスコンロがある程度焼けるとピピッと警告音で弱火になるので、ひっくり返して同様に。
味がプロのVerveに適う筈もありませんが、これが意外にイケル!
そこで、ヤマザキの「ランチパック」ではありませんが、近所のスーパーのツルヤの総菜売り場で、中の具材様に、例えばメンチカツやハムカツ、ポテトサラダ、マカロニサラダなどを買って来て、また時には前日の夕食で余った牡蠣フライ、チキンソテー、そして何もない時は目玉焼きなど、ホットサンドの中身の具材を変えながら試しています。
勿論、VERVEの様に美味しく出来る訳ではありませんが、例えトンカツソースやチリソースだけでも、或いはサラダの時には辛子マヨネーズなど、例えシンプルであっても個人的には結構満足しています。
そして、付け合わせとして例えサニーレタスだけであっても、必ず野菜も添えて・・・。では、いただきます!

 以前沢村の一戸建てに住んでいた時は、城山山系に遮られて全く見えなかった、松本平で云うところの“西山”北アルプス。家のベランダから毎日眺めていたのは(スモーカー時代の夜明けの一服で)、東雲街道の“東山”の三才山(戸谷峰)、美ヶ原、鉢伏へと連なる筑摩山系でした。ですので、学生時代、松本に帰省して来たことを実感するのは、塩尻駅を過ぎてから車窓から見える北アルプスではなく、専ら美ヶ原や三才山だったのです。

 引っ越してから松本に生まれ松本に暮らす人間として、初めて朝晩毎日眺める北アルプスの峰々。それは例え雨の日や曇りの日でも、臼井吉見の『安曇野』ではありませんが、“常念校長”と云われた堀金尋常小学校の佐藤校長の云う「(心で)常念を見よ!」を毎日実践する日々・・・。すると、時として思い掛けない絶景のプレゼントがあるのです。
それは、松本平からは北アのシンボル常念を筆頭とする峰々の絶景は勿論なのですが、もし雲が山に掛かっていたとしても、時として天使のラダー(階段)であったり、雨上がりの“幸せの予感”のダブルレインボー(二重の虹)であったり、また北アルプスを背景に松本空港に離発着するFDAのジェットの機影であったり・・・。
 そんな日々の中で、なかなか見ることが難しいのが、バラ色に染まった夕映えを背景に、屏風の様に黒々と聳える北アルプスの峰々です。
そんな夕景を目にすると、本当に松本に住んで良かったと幸福感に包まれるのですが、でもそうした夕映えの北アルプスに出会えるのは本当に稀。
少なくとも、毎日見ている訳ではありませんが、記憶に残るそんな絶景の夕映えの北アルプスは、今までたった一度だけ。それは学生時代の夏休みに帰省した折に、父がビアガーデンに行こうと誘ってくれて、今はもう無い松本城入口の第一会館の屋上のビアガーデンで見た涙が出る程素晴らしかった夕映えに染まる北アルプスでした。

  
 松本地方でも同様に台風10号の影響で、何日か続いていた雨が上がった8月31日のこの日、たまたま夕方見た北アルプス。雲に隠れて全ての峰々が見えた訳では無いのですが、西の空を染めた茜色の夕焼けのそれはキレイだったこと。暫し見惚れて眺めていたほどでした。
写真では、実際のその感動を伝えきれないとは思いますが、そんな今シーズン一番だった夕映えの北アルプスの情景を、信州松本からお裾分けします。

 好きで時々視ている、土曜日の夕方6時からのTV朝日の「人生の楽園」。
8月17日に放送されたのは、長野県生坂村に移住して開業したというパン屋さんでした。その中で紹介されていたのが、生坂村の道の駅「いくさかの郷」で、その道の駅で販売されていたのが「灰焼きおやき」でした。

 今でこそ、全国的にも信州の郷土食として知られる様になった「おやき」ですが、元々は農家の「お小昼」などに食べられていた自家製の“軽食”です。「おやき」の解説で一番分かり易かった、農水省の全国の「郷土食」を紹介しているH/Pからそのまま引用させていただくと、
『「おやき」は、小麦粉と蕎麦粉を水または湯で溶いて練り、薄くのばした皮に餡や野菜など旬のものを包み焼いたもので、信州を代表する郷土料理。地域によっては「やきもち」とも呼ばれる。上水内郡西山地域が発祥といわれており、その歴史は古く、小川村の縄文遺跡からは雑穀の粉を練って焼いた跡が発見されている。山間部は急峻な地形が多く、寒冷な気候のため米の栽培に適さないところが多い。こうした山間地では小麦や蕎麦が多く栽培され、1日1回はその粉を使った食事をつくって食べたといわれ、米の代わりとして先人の食を支えた。一方、豪雪地帯である栄村は小麦の栽培が適さず、米粉を原料とした「あんぼ」というおやきがつくられている。
昔はどこの家にも囲炉裏があり、西山地域では「ほうろく」とよばれる鉄製の鍋で表面を焼いて囲炉裏の灰の中でおやきを蒸し焼きにして、周りに付いた灰を落として食べていた。このおやきを「灰焼きおやき」といい、以前は主流だった。それが里から町へと伝わり、「蒸す」「焼く」「焼いて蒸す」「蒸して焼く」など、様々な調理法が生まれた。包む具材は、なす、きのこ、かぼちゃ、切干大根などを味噌や醤油で味付けし、それを単体もしくは複数混ぜたものなど様々な種類がある。身近にあるものや季節の具材を入れて楽しんだ。』
そうした「おやき」の中で、その原型とも云える「灰焼きおやき」は、長野県の中でも、上記の様に北信の上水内郡西山地方や中信の北安曇地方に根付く伝統的なおやきでした。練った小麦粉生地に具を入れ、表面を焼いてから囲炉裏の灰の中で蒸し焼きにすることで、表面は焦げ目がついてパリパリに、中身はしっかりとした噛みごたえになるのが特徴です。そばと並んでお米があまり取れない信州ならではの郷土食で、栄養や薬にもなる(?)と云われて、そのまま灰を落とさずに食べるのが昔ながらのスタイルでした。
それが、蕎麦以外に食の目玉が乏しかった信州で、近年次第に観光資源としての価値が高まるにつれて、「おやき」を常食する食文化の無かった地域までも含めて長野県全域の名物として広まったのです。
 我が家でも、中学まで育った江戸時代から続く茅葺の家には大きな囲炉裏があって、そこで祖母が灰で焼いたお焼き「灰ころがし」を作ってくれて、これがお小昼の定番でした。周りに付いた灰をパンパンと手で叩いて落として食べるのですが、灰で焼くのでパリパリと焦げて香ばしく、炭と同様に「灰は薬だ」と云われて、幼心に気にもせずに食べていた気がします。
しかし、最近全国的にも有名になった信州の郷土食「おやき」ですが、本来はその名の通り「お焼き」なのに、最近では蒸したモノの方が主流で、長野市の善光寺界隈や松本の街中で売っている「おやき」も具は野沢菜やナス味噌など昔ながらですが、これでは「お焼き」ではなく“お蒸し“で、云わば「蒸かし饅頭」です。我が家でも“お小昼”には蒸かしたお饅頭もありましたが、その蒸かしたお饅頭の具は自家製の小豆を煮て作った餡子や砂糖味噌で、春を過ぎて酸っぱくなった野沢菜を甘辛く炒めたり、これまた定番のナスの味噌炒めは専らお焼きの方の具材でした。
因みに「さかた」は蒸した後、鉄板で焼いていますが、これも昔ながらのお焼きではありません。また長野市に隣接する上水内郡小川村の「縄文お焼き」は蒸した後に囲炉裏で焼いてはいるのですが、灰の中に“くべる”のではなく、囲炉裏に掛けた鉄鍋で焼いているので、こちらも残念ながら“灰ころがし”ではありません。
背景には近代化で囲炉裏そのものが無くなったことが大きいのですが、どうしてもあの昔懐かしいお祖母ちゃんの“灰ころがし”が無性に食べくなるのですが、本来の昔懐かしい「灰ころがし」のお焼きを作っている店は殆どありませんでした。そうした中で、生坂村にお祖母ちゃんが昔ながらの“灰ころがし”のお焼きを「灰焼きお焼き」として売っている店があると聞いていたのですが、高齢故か、不定期でいつやっているか(勿論HPなどネット発信も無く)分からず、ずっと行くのを躊躇っていました。
それが冒頭にご紹介したTVの全国放送の中で、主人公で長野県の東筑摩郡生坂村に移住して開業したパン屋さんが製品を並べて貰っている生坂村の道の駅「いくさかの郷」が出て来て、その中でちらっと紹介されたていたのが併設の食堂で販売されている昔懐かしい“灰ころがし”の「灰焼きおやき」だったのです。
 そこで先日、安曇野市の旧明科町の北に位置する、生坂村の道の駅「いくさかの郷」へ行ってきました。明科を過ぎて、犀川沿いに国道19号線を長野方面へ北上して、松本からは30分程で到着。
因みにこの生坂村は松本から北に流れて行く犀川の川幅が狭くなって山清路と呼ばれる渓谷となって両側が山に囲まれている場所で、“昔々”母の犀(龍)の背に乗って体当たりして山を崩し、昔大きな湖だった安曇の水を流して肥沃な平を生み出したという、龍の子太郎のモチーフの一つとされる「泉小太郎伝説」の地でもあります。
数年前から生坂の道の駅「いくさかの郷」に併設された地元のオバサンたちが営む食堂の一角に設けられた直売所で「灰焼きおやき」が毎日製造販売されています。
それが「かあさん家」という食堂(こちらはソバではなく、「灰焼きお焼き」と同じ、地粉で打ったうどんが名物の由)を兼ねた直売所で、一日250個限定で「灰焼きおやき」が地元の農家のオバサンたちの手作りで、実際高温の灰の中に“くべて”焼かれて製造販売されていました。
この日は日曜日だったので、整理券を配っていて一人3個限定。10時の販売開始前に1時間分の100個近くが売り切れていました。1時間ごとに焼き上げて販売している様ですが、早い時は一日250個が昼頃には売り切れとか。
他のお焼きの3倍近くありそうな、ソフトボール程の大きさで320円。焼いたので焦げて固いところもあり、またサカタよりも皮が厚いので(少なくとも記憶上では、我が家のお祖母ちゃんの作った灰ころがしの方が皮が薄くてパリッと焼けて香ばしくて遥かに美味しかった様な・・・)、むしろサカタの方が食べ易い感じですが、家内は美味しいと満足していました(大きいので一つでお腹一杯になります)。
でも客観的なそんな印象よりも、何だか子供の頃の思い出が一緒に蘇って来るような懐かしい味。初めての方も、本来の昔ながらの“灰ころがし”の「お焼き」ですので、“一見の価値”ならぬ“一食の価値”は大いにあるかもしれません。

 前回ご紹介させて頂いた様に、PCのオーディオ面強化として購入したPC用のアクティブスピーカー Creative Pebble V2。
僅か3000円足らずでの音質強化や、その使い勝手には非常に満足していますが、前回も記載した様に、唯一の個人的不満は「スピーカーグリルが無いこと」・・・でした。

 終活に向けて実家と家を処分して、僅か100㎡の4LDKの狭いマンションへ引っ越すにあたり、設置面積が広くスペース効率の悪い長岡式の傑作バックロードホーンスピーカー「D-101スワンa」は泣く泣く手放してしまったのですが、シンガポール赴任時に自作したこのD-101スワンは、オリジナルではスピーカーグリルが無く、生まれてすぐ帯同した次女がよちよち歩くようになった時に、きっと音の出る部分が不思議だったのでしょう、スプーンで叩いてスピーカーユニットのコーン紙が凹んでしまいました。そのため、その後帰国した折、秋葉原で交換用にオリジナルのFOSTEXの10㎝フルレンジスピーカーユニットFE106Σとそれに適合するスピーカーグリルを購入し、その後マンションへの引っ越し時に手放すまでの25年間、我が家のメインスピーカーとしてずっとリビングに鎮座していました。
また、自作ではなく購入したスピーカー、40年以上も経った現在でもメインのKENWOODの前身時代のTORIO LS-202や、サブシステムのKEFのトールボーイCoda‐9もそれぞれ木枠をサランネットで覆ったスピーカーグリルが付いています。
こうしたスピーカーグリルは、スピーカーを保護して音質を維持するために使用される部材。 スピーカーユニットの音が出る部分を覆うことで、埃などからスピーカーユニットを保護することが出来き、結果としてスピーカー寿命を延ばすことができます。
一方、スピーカーグリルを外すメリットは、一般的には音質(特に高音域)がクリアになる、見た目がスマートになると云われています。
スピーカーのネットを通さずに直接スピーカーの音が耳に届くため、スピーカーグリルを装着している時よりも音がクリアに聞こえると云いますが、これは見た目も含めて、人の好み次第で好き嫌いが分かれます。しかも果たしてそれ程鋭敏な耳を持っているのかどうか・・・。少なくとも私自身は長女の様な絶対音感も持ち合わせていませんので、個人的にはスピーカーグリルがあった方が良いと思っており、先述の自分で取り付けた自作のスワンを始め、市販のスピーカーもスピーカーグリルを装着したまま音楽を聴いてきました。
むしろ私が一番気になるのは埃。長年外したままだと、特にスピーカーユニットのコーン紙などの振動板にハウスダストが溜まって経年劣化が進んでしまい、やがて音質面にも影響が出てしまいます。

 そこで、このCreative Pebble V2にもスピーカーグリルを装着しようと思うのですが、アクセサリーの中に純正のモノはありません。
スピーカーユニットの大きさに合わせてスピーカーグリルが色々市販されているのですが、これらは皆D-101スワンの時に秋葉原で購入したモノと同様に、自作するスピーカーの部材はシナ合板や集積材などの木製ですので、スピーカーグリルの丸い金属のフレーム枠に穴が開いていて、自作スピーカーの板材に木ねじで留めるタイプ。従って木製ではないCreative Pebbleには使えません。
色々探してみると、我が家のスピーカーもそうですが、純正の木枠のスピーカーグリルが経年劣化で穴が開いたり破れたりした場合などの修理用に、メッシュ状のサランネットも売られています。修理用にこれを購入して、スピーカーグリルの木枠に合わせてカットして自分で張り替えるのですが、云わばサッシの網戸修理と同じです。
ただスピーカーグリル用のサランネットはサイズが汎用で大きいので、
スピーカーユニットのドライバーが僅か2インチのCreative Pebbleには大き過ぎて無駄です。そこで代わりになるモノを探していたら・・・ありました!
それこそ、網戸修理用の補修シールです。これならDIY用のホームセンターだけでなく、100均ショップにも売っています。
Creative Pebbleの2インチのユニットのコーン(振動板)部分をカバーするには最低でも直径6㎝の円形サイズが必要なので、中に90×90サイズの3枚組の補修シールがあり、これを購入することにしました。
また調べて行く中で、ネット情報の中に同じく100均ショップで売られているメッシュケースを切ってスピーカーグリルとして代用したという記事があり、併せてこれも探して、白黒、大小色んな種類やサイズがあった中で、一番網目の細かかった黒のA4サイズを購入し、どちらか合う方で自作してみることにしました。
 


網戸補修シールは色がグレー、メッシュケースは黒。Creative Pebble V2はブラックを購入したので、色的には黒いメッシュケースの方が合いそうです。
そこで先ずメッシュケースをバラシて、円形の型紙に合わせてハサミで丸く裁断します。
ロゴやボリュームのツマミが隠れてしまわぬ様に楕円形に切り取り、裏面に両面テープ(後で外す場合もふまえ、ポスターなどに使う剝がせるタイプを使用)を出来るだけ細く切って、メッシュシート楕円の形に添って外周に貼り付けて、シールを剥がしてスピーカーに貼り付けて完成です。
因みに、面積上はA4サイズなら12枚取れそうですが、取り敢えず交換用の予備も含めて今回は半分の6枚分を切り取りました。
自宅に工具が揃っている訳では無く、ハサミ(子供たちが学校の家庭科で使った?手芸用バサミ)一つでの素人の手作業ですので(器用/不器用の個人差はありますが)、その出来栄えは決してキレイとは言えませんし、見栄えもあまり良くないかもしれませんが、少なくともスピーカーグリルとしての目的は一応果たせそうです。それに、経費は100均での購入価格が僅か220円で済みましたし、また誰に見せる訳でもありません・・・。
ですので、見た目はともかく目的は飽くまで実用性ということで、「まっ、イイかぁ!?」と自分自身にExcuseしておくことにします。