カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
日経の毎週日曜日に掲載されている特集頁、「 NIKKEI The STYLE 」。
7月28日の日曜日は「藤沢周平の日記」でした。
藤沢周平が43歳にして作家デビューし45歳で直木賞を受賞したことで、それまでの業界新聞編集長との二足のわらじを止めて作家に専念します。それまでは教員退職を余儀なくされた結核療養や、生まれたばかりの長女展子さんを残しての先妻の死にあたり、「人の世の不公平への憤怒や無念さを吐き出すために書かざるをえなかった」小説から、6年後に再婚した下町育ちで飾らず明るい女性和子さんにも支えられて作家に専念し、その家族を養うために今後も作家を続けるには「作風の飛躍がなければならない」と感じていたと云います。もがき続ける中で、それまでは書くことだけを考えていた氏が、「書いたものが読まれること、つまり読者の存在に気付いた」時、自身の小説に「“大衆小説の面白さ”の大切な要件である明るさと救いを欠いていた」ことに思い至って、48歳の時に作風が変化したのだそうです。
数ある時代小説の中で、私が一番好きな藤沢周平作品。
その中でも、市井の人々を扱った作品よりも、武家を扱った、所謂士道を扱った作品に私は特に惹かれます。中には「蝉しぐれ」の様な長編もありますが、「たそがれ清兵衛」に代表される短編も実に味わい深く感じます。
しかし、映画化された作品では、山田洋二監督による三部作は、例えば「たそがれ清兵衛」の様に、他の短編である「祝い人助八」と「竹光始末」の短編3篇を原作にして、時代設定から始まりエピソードやストーリーをかなり膨らませています。ですので、映画はあくまで藤沢周平作品をベースにした山田洋二監督の映像作品であり、この映画を見てから短編小説「たそがれ清兵衛」を原作と思って読むと、少々面食らうかもしれません。
そうした映像作品の中で、異色?なのが、1980年に発表された短編「山桜」を原作とした、2008年の篠原哲雄監督作品です。こちらは多少膨らませてはいるものの、全て本作の短編のみをベースにしているのです。
この「山桜」という短編。藤沢周平全集で云うと僅か13頁、文庫本でもその倍程度の短編作品です。しかし、作家の田辺聖子女史曰く、『声高な主張ではなく、文章的声音は、あくまで清音で、低い。水のように素直、端正な文章だが、品高い』と評した藤沢周平作品の中で、この「山桜」は、まさにそのことを実感させてくれる短編の様な気がします。
藤沢周平の作品は、読んだ後の余韻、そして貧しくも士道の持つ気品と気高さを感じさせてくれるのですが、この「山桜」は正にそうした作品なのです。
そして、映画化された作品もそれを忠実に守っている気がします。
『実際に出来あがった映画は、まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚える映画でした。本のページをめくるように父の原作の映画を観たのは初めての経験でした。父の小説は日ごろ「無駄のない文章」と言われていますが、その行間にあるものを、篠原監督は見事に映像として表現して下さいました。
桜の花びらが舞うシーン一つとっても、映像と原作が一体化し、さらに篠原監督の世界が、見る人を幸せな気持ちにさせてくれる。そして暖かく包んでくれる、そんな風に感じながら拝見させていただきました。
その気持ちを伝えると、「遠藤さん、だって原作通りですから。」と小滝氏は笑って答えてくださいました。』
因みに、文中の小滝氏というのは「山桜」の映画プロデューサーの方だそうですが、実際に短編を読んでその映画を見ると、ナルホドと感じます。出来ればこの「山桜」は、先に映画を見てから、後に短編を読んだ方が絶対に良い様に思います。
というのは、文章の方が絶対に余韻に深く浸り、そして自身で膨らませたその余韻に実際の映像以上に酔いしれることが出来るから・・・です。
この作品、結末は書かれていませんし、主人公である野江と弥一郎の二人は、冒頭に偶然山桜の下で一度会って以降全く会っていません。しかし、遂に耐えかねて自らの意思で離縁されて家に戻っていた野江が、弥一郎不在の家を訪ねる途中、村人に頼んで手折ってもらった思い出の山桜の枝を手に訪れ、弥一郎の母に家に上がる様に促された時、
『履物を脱ぎかけて、野江は不意に式台に手をかけると土間にうずくまった。ほとばしるように、目から涙があふれ落ちるのを感じる。
とり返しのつかない回り道をしたことが、はっきりとわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。』
結末は何も書かれてはいないのですが、弥一郎の母の「野江さん、どうぞこちらへ」という優しい声が、幸せな結末を読む者に感じさせてくれるのです。
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