カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 5泊6日での、初めての南紀白浜の旅。
泊りの最後の日は、せっかくですので地元の新鮮なお寿司を食べることにしました。
グルメサイトでもっと高評価の店もあったのですが、近くて歩いて行けることから選んだのは、日本書紀にも登場し、道後、有馬と共に日本三大古湯に数えられるという白浜温泉の中でも一番古い源泉「行幸源泉」(みゆきげんせん)のすぐ横にある「ホテルシーモア」内の「すし八咫(やた)」です。

(写真は、フィッシャーマンズワーフ付近から見たホテルシーモア。右側の建物。真ん中に見える赤い小屋の屋根越しに、行幸源泉の鉄塔が見えます。そして、その上の緑が行幸の芝の場所です)
 ここ南紀白浜も温泉地としてはご多分に漏れず、古くなった旅館が目立つ中で、ここシーモアは数年前に全館リニューアルしたらしく、館内もキレイで家族連れ中心に人気で宿泊は結構混んでいる様でした。
そしてこのホテルには、ビュッフェレストランの他に宿泊客以外でも利用出来る、「いけす円座」という店の中央に配した大型いけすを眺めるカウンター席とゆったりとした小上がり席で、その日水揚げされた新鮮な魚貝類が楽しめるという100席の海鮮レストランがあり、その海側の一角に別店舗で、僅か16席のカウンター席の「すし八咫」があって、オーシャンビューの窓越しに拡がる白浜の海を眺めながら、目の前で板前さんが握ってくれる寿司を楽しめるのだとか。
せっかくなので、案内では夕食も二部制とのことから、事前に予約して最初の17:30の部をお願いしてあります。
家内がホテルの土産物ショップを見たいというので早目に行って、時間になってホテル玄関とは別の海鮮料理店の玄関から入店し、名前を伝えて席に案内頂きましたが、我々が一番乗りでした。
メニューの中から、三種類の寿司コースの中から真ん中の「桃」(税込3850円)と、一品で金山寺味噌きゅうり(550円)と生ビール、地ビールと地酒をオーダー。目の前で握ってくれる板さんと会話しながら、サーブを待ちます。コース内容は、
・おまかせの握り 本日の鮮魚10貫
・小鉢
・蒸し物(この日は茶わん蒸しでした)
・鮑踊りステーキ
・あら汁
・水物
とのこと。 
 付け出し風の小鉢(何だったか、クラゲの和え物だった様な…)の後、1貫目にカツオ。これが、今まで食べたことが無いくらいモチモチと歯応えがあり生臭さが無く、新鮮で美味!
何でも春の白浜は、釣ってから四五時間数時間しか経過していないカツオ、「もちガツオ」のシーズンとのこと、「もちガツオ」とは、釣ってから約4~5時間以内のモノ」で、「身に脂肪分が少ないため弾力があり、餅のような食感から、もちガツオ」と呼ばれるのだとか。しかし、新鮮なだけではダメで、身にこの弾力がなければもちガツオではないので、見ただけでは判別出来ず、漁業や飲食店の関係者も身を切ってみないとわからないのだそうです。
勿論、初めて食べたのですが、今まで食べたカツオ(たたきとか)の概念が変わりました。本当にべちゃっとしておらず、歯応えというか弾力がある。最初食べた時は、思わず「えっ、これってカツオですか!?」
いつもは生臭いとカツオは食べない家内も、これは美味しいと絶賛でした。
ここの寿司の握りの特徴は、醤油を付けず、ポン酢のジュレ、卸しポン酢、新タマネギの醤油漬け、泡醤油とか、ネタに合わせて工夫を凝らした調味料がそれぞれのニギリの上に載せられたり、ネタ自体にたまり醤油などのタレが塗られていたりと工夫されていて、自分で醤油を付けることは一度もありませんでした。
目の前にいる板さんとの会話(例えば、今までで一番凄かった大型台風の時は、目の前に見えているホテルシーモアの沖合100mの地点に位置する、高さ18m、水深8mの海中展望塔を大波が乗り越えて来たのだとか・・・。一瞬、「本当ですか?」と思わず聞き返してしまいましたが、ここからすぐの三段壁の“サドンロック”のことを考えると有り得そうな話です)や最初のカツオで感動し、途中まで写真を撮り忘れていて、撮った写真も何なのか覚えておらず、写真のみで恐縮ですが、どれも本当に新鮮で美味しかったです。
この日とりわけ感動したのは、「鮑踊りステーキ」。陶板焼きの器に蓋をして蒸し焼きにするのですが、アワビ自体も勿論ですが、特に肝ってこんなに美味しいんだ!と感激する程でした。生臭さも泥臭さも全くしないのです。オドロキでした。         (写真の奥に写っているのがアワビです)
この「すし八咫」の寿司一貫のニギリは、普通の寿司屋のニギリに比べると、ネタは小ぶりでシャリも少なめ(次女が済んでいた頃、成田に行く度に行った「江戸ッ子寿司」に比べると半分以下、もしかすると1/3位かもしれません)ではあったのですが、この値段でこの内容なら(白浜の他店の状況は分かりませんが)海無県から来た人間としては大いに満足でした。
しかも、白浜の海を一望するカウンターで、握りたての寿司をいただける何とも贅沢な時間でした。

 また、このシーモアには、ホテル内にある焼き立てパンのお店「TETTI BAKERY&CAFE(テッティー・ベーカリー・アンド・カフェ)」があって、滞在先の近くにはカフェが無かったので、何度かお世話になりました。もし晴れていれば、買ったパンとドリンクを店内のイートインだけではなく、オーシャンビューのソファー席や、屋外の海の見える広いテラスで食べることも出来ますし、広い足湯やインフィニティ・プールもあって泊まりも楽しそうでした。因みに、店名は南紀地方の方言で「とても」とか「すごく」を表す「てち」を店名にしたそうです。ホテルのロビーフロアの1階にあります。
白浜滞在中近くに喫茶店が無かったこともあり、気に入った家内が3度訪れたそのカフェだけではなく、娘たちや孫たちへのお土産も、両方事前に見比べた上で、もっと大きな土産物コーナーのある「とれとれ市場」ではなくこちらのホテルのショップで購入しましたが、スタッフの皆さんも大変親切で接客もとても良かったそうです。
 さて、余談になりますがこのホテルシーモアのすぐ横には「行幸の芝」(みゆきのしば)という石碑が立っていて、さらにその下の道路脇に湯を汲み上げるための鉄塔が4本立っていて湯気が常に噴き出し、近くに行くと硫黄の匂いがします。白浜温泉でも一番古い「行幸源泉」です。
その「行幸の芝」という意味不明の名前に惹かれて行ってみました。解説板に由ると、この記念碑一帯(湯崎、崎の湯付近)の台地は、字名(あざな)「行幸の芝」と呼ばれ、飛鳥時代に斉明天皇が湯治のため滞在された、「行宮跡」があった所なのだそうです。調べてみると、
『大化の改新を成功させた中臣鎌足と後の天智天皇である中大兄皇子は、孝徳天皇を即位させました。その子である有間皇子にも皇位継承の可能性も多分にあったのですが、蘇我赤兄に謀反をそそのかされたことで運命の歯車が狂います。逆に赤兄らによって邸を包囲され、囚われの身となってしまいました。中大兄皇子の裁きを受けるために紀伊国・牟婁の湯に行幸中の斉明天皇のもとへ護送される途中、有間皇子が詠んだ1首が藤白坂の入口に歌碑として残されています。「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(家にいれば器に盛るご飯を、こういう旅だから椎の葉に盛ることだ)。
有間皇子はその後、牟婁の湯へ到着し中大兄皇子の厳しい尋問を受け飛鳥へと送還されます。そして、その途中藤白坂で絞首され、19歳の若い命は絶たれてしまうのです。』
従弟の中大兄皇子が滞在していたこの行幸の芝の地に在った行宮に有間皇子を護送させ、この地で中大兄皇子の尋問を受け、その後和歌山県海南市の藤白坂という場所で処刑されたのだとか。道後、有馬と共に三古湯の一つとされる白浜温泉(牟婁の湯)。その歴史の古さを実感することが出来ました。
因みに、その悲劇の有間皇子はその前年、療養のためと称して牟婁(白浜)へ行き、帰京後、その地の素晴らしさを伯母である斉明天皇に報告。そして斉明天皇はこの年、中大兄皇子を伴い、牟婁を訪れていました。
有間皇子は悲劇の主人公ですが、白浜にとってはこの地に行宮を建てた斉明天皇と共に温泉を世に知らせた恩人でもあり、白良浜の近くに「有間皇子之碑」が立っていて、毎年6月にそこで献湯祭が行われているのだそうです。
蛇足ながら、松本にも天武天皇の行宮が置かれていました。松本は古代「束間」(ツカマ。後の筑摩)と呼ばれていて、白浜温泉(牟婁の湯)同様、日本書紀にも登場する束間の湯(今の美ヶ原温泉或いは浅間温泉とも)を気に入っていた天武天皇の行宮が置かれ、天武天皇は束間への遷都まで計画し、調査させたのだそうです(崩御により中止)。

 初めての南紀白浜旅行。メインの目的は長年の夢だった熊野古道を歩くことでしたが、たまたま行ったのが5月だったので運良く「もちガツオ」を生まれて初めて食べることが出来ましたし、また新鮮なアワビの肝の美味しさも初めて知りました。そうした新鮮な海の幸も堪能した今回の旅行でした。来るまでは南紀白浜と聞くと、何となくパンダのアドベンチャーワールドと温泉・・・というだけのイメージだったのですが、実際に現地を訪れてみて、熊野古道とはまた別に、遥か万葉の頃より都との関連が在り、歴史の舞台ともなった場所だということを知った、初めての南紀白浜への旅でした。

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