カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 南紀白浜から熊野本宮大社まで車で走り、朝8:50に到着。
この日歩く熊野古道中辺路の発心門王子へのバスの出発時間9:20まで30分近く時間がありましたので、先に本宮大社にお参りを済ませておくことにしました。

 全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山の中でも最も古く、参詣のための道である熊野古道の中で一番多くの人々が辿った中辺路で、苦労して歩いて来て最初に辿り着く熊野三山がこの熊野本宮大社。その縁起は、創建二千年とも伝わる熊野信仰の中心となる神社です。
大鳥居をくぐり、158段という石段を上ります。石段の両脇には無数の幟と大きな杉並木が続き、厳かな雰囲気がその歴史を感じさせています。
神門をくぐると檜皮葺の立派な社殿(本殿)が姿を現します。四つの社殿があり、向かって左から二つの社殿が夫須美大神(イザナミノミコト)・速玉大神(イザナギノミコト)の両神。中央の社殿が主神の家津美御子大神(スサノオノミコト)。そして右手に天照大神が祀られていて、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として古来多くの信仰を集めてきました。
説明に従い、その四つの社殿に順番に娘たちの分も含めて祈願し参拝を済ませ、また石段を下って発心門王子へ行くために本宮前のバス停に向かいました。
 朝本宮大社からバスで移動して、歩き始めた発心門王子から7㎞の中辺路を二時間半掛けて歩いて来ると、ゴールの本宮大社には本殿の裏手から境内に入ります。
因みに拝殿横に八咫烏の像がありましたが、熊野三山においてこの八咫烏は神使とされており、八咫烏は熊野大神に仕える存在として信仰されていて、熊野のシンボルとされているのだそうです。
私たちは朝の内に御本殿の四社には既にお参りしてありましたが、本殿右隣の満山社にはまだお参りして無かったのでここで参拝し、158段の石段を下って、本殿から旧社地の大斎原まで国道を渡り徒歩10分程の距離を歩き、日本一という大鳥居をくぐって、嘗ての熊野本宮大社があった大斎原へ向かうことにしました。
熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲に嘗ては本宮大社が在り、当時は能舞台などもあって現在の8倍もの規模を誇っていましたが、明治22年の大洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟が明治24年(1891)に現在地に移築・遷座され、それが今日お参りして来た今の本宮大社であり、元々社殿が在った場所が「大斎原」として、洪水で流されて移設再建されなかった中四社、下四社、境内摂末社の神々が今でもこの地で祀られています。
その大斎原への参道には、中辺路の展望台から見えた高さ34mの日本一大きいという八咫烏を付けた大鳥居が聳えていて(因みに平安神宮の大鳥居は24mで、第3位だそうです)、またこの大斎原こそが、中辺路を歩いて来た参拝者が初めて本宮の姿を目で見て確認し、感動して平伏し拝んだというあの伏拝王子から見える中洲でもあります。
その日本一の大鳥居をくぐり、参道を歩いて来て、創建以来ホンのつい最近とも云える明治まで二千年近く社殿が在ったという場所に立つと、現在の本宮大社の“現物”の本殿とはまた違った、目には見えぬとも確かに神秘的で何だか不思議な感覚に包まれるのを感じます。それを“パワースポット”と呼ぶには余りに単純過ぎる気がしますが、しかしこれこそが、もしかすると今なお多くの人々が“何も無い”様な古道を歩いて求める、否、歩いてこそ求め得る“モノ”なのかもしれないと感じられ、そんな感慨に包まれながら暫しその場に佇んでいました。そしてある意味この不思議な感慨こそが、念願だった熊野古道を歩いて良かったと本当に思えた瞬間でもありました。
帰りに熊野川の河原に行くと、広いこの河原を三途の川に見立てて浄土への思いを込めたのか、沢山の石積みがありました。
そこから来る時に立ち寄れなかった産田社にも立ち寄ってお詣り。これで熊野本宮管内の全ての社に参拝をすることが出来ました。
 さて、時間は午後1時。ここで昼食にします。
本宮の前に何軒か食堂があり、スープカレーのカフェにも惹かれたのですが、ここはやっぱり和食でしょ!と、手打ちうどんのお店に行くと順番待ちの行列で諦め(ただ、看板には蕎麦は4割と謳ってありましたが、むしろ貴重だった小麦を多くすることが当時のもてなしだった戸隠蕎麦の7割はともかく、6割になると蕎麦というよりむしろうどん“ぽく”なるので、もし4割の蕎麦なら手打ちうどんを選ぶべきでしょう)、他の喫茶店へ。
そこはカレーやナポリタンといった定番の洋食に加え、生姜焼きやから揚げなどの定食類もありましたが、「うどんとめはり寿司のセット」(確か1050円だったか)というメニューがあったので、せっかくここまで来たので二人共郷土料理の「めはり寿司」の入ったこのセットにしました。
因みに「めはり寿司」とは、塩漬けにした高菜の葉でご飯を巻いたオニギリで、古くからこの熊野の山間部で食べられていたという郷土食。その昔、山から材木を熊野川に沿って出す、筏師(いかだし)のお弁当として広まったと伝えられ、熊野を代表する料理だそうです。隣県の奈良の柿の葉寿司同様に、発酵した高菜にも殺菌作用もあるのでしょうか。
また「めはり寿司」という名称は、「目張り寿司」とも書かれ、これには大きく口を開けて食べることに伴って、自然と目も見開く表情に由来するという説や、大きな握り飯を崩れないように高菜で「目張り」し、完全に包み込むことに由来するという説、更には熊野水軍の見張り番が食べていたから「見張り寿司」が「めはり寿司」となった・・・という説も存在しているのだとか。
和歌山県を代表する郷土食として人気で、新宮や那智勝浦など県内のJR駅での駅弁や南紀白浜空港の空弁としても売られているそうです。
またうどんに関しては、奥さまはこれで十分とのことでしたが、つゆがスープとしては出汁が効いてとても美味しいのですが、うどんと一緒に食べると私メには些か薄味過ぎました。京都のうどんだってもう少し塩味があるけどなぁ・・・と独りぶつぶつ。
一方、めはり寿司は、ご飯は酢飯ではないと思いますが、野沢菜漬け同様に、包んだ高菜は塩漬けも発行が進むと酸っぱくなる様で、少し酸味が感じられ、素朴で美味しかったです。
 余談ですが、古道で一緒になったオーストラリア人のご主人が来られ、店員さんの女性と話して何かもめている様でしたので助け船に行くと、歩き終えてビールが飲みたかったそうなのですが、聞くとこの店にはアルコールは無いとのことで、その旨伝えると納得して他の店を探しに行かれました。