カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
松本から520㎞超、初めての南紀白浜。
今回5泊6日での行き帰りの移動日を運転だけに費やしたので、観光等に使えた中4日の内、最初の二日間は予報通りの雨。特に28日は南紀白浜も100㎜の大雨で、終日ホテルから一歩も外には出られませんでしたが、その前日は午後には雨が止んだので、南紀白浜の景勝地、三段壁をワンコも一緒に観光に行くことにしました。
ホテルで観光案内等のパンフレットをチェックすると、南紀白浜の観光スポットとしては、海岸線の熊野南紀ジオパークにも指定されている「三段壁」、「千畳敷」、「円月島」、そしてパンダで有名な「アドベンチャーワールド」があります。
日本列島最大の半島である紀伊半島は、ユーラシア、太平洋、そしてフィリピンの3つのプレートの沈み込みによって形成された付加体(海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む際に、その境界となる海溝の陸側に付加されて形成される地質構造)と、その付加体の上に溜まった前弧海盆堆積体(付加体が盛り上がってできたお盆のような海底の凹みに陸から流れてきた砂や泥が堆積したもの)、そして約1500年前の火山活動によって形成された火成岩体が隆起と浸食によって削られ、特に紀伊半島南部では独特な自然景観等を作っていて、「熊野南紀ジオパーク」として認定登録されているのですが、この1500万年前の火山の大噴火(因みに阿蘇山のカルデラを最終的に形成した大噴火は9万年前です)は、日本列島の歴史の中でも最大級と云われ、その古代の名残が、串本の「橋杭岩」や「那智の滝」など現在の南紀地方に残されているのです。
そして、先述の南紀白浜の景勝地「三段壁」、「千畳敷」、「円月島」もそのジオパークを構成するジオサイトとして認定されており、ホテルから一番近かった「三段壁」に行ってみることにしました。
その南紀白浜を代表する景勝地である50m程の高さの海岸の岩壁の「三段壁」は、解説に由ると『前弧海盆に堆積した田辺層群上部層の厚い砂岩層がつくる高さ50メートル程の海食崖(波の浸食に拠って作られた崖)です。その下部には海食洞が形成されています。枯木灘弧状岩脈の北部延長に位置し、周辺に鉱山跡がいくつか存在します。洞窟内の砂岩層から鉱床成分がしみ出し、茶褐色に変色している部分があります。また、熊野水軍の伝説が残っています。』とのこと。
海岸の建物内にあるエレベーターで地底まで36m降りて、「三段壁洞窟」を見ることが出来ます。入場料が1500円/人。ワンコも抱いているかリュックなどに入っていればOKとのことでしたので、コユキもリュックに入って一緒に見学することにしました。
洞窟内はトンネルの様にぐるっと一周200m回ることが出来、途中熊野水軍が船を隠したという伝説の大きな洞窟があり、熊野灘から押し寄せる波がせり上がり岩肌にぶつかって、まるで潮を吹くように白波が弾ける様は迫力があります。
三段壁は知らなくとも、源平合戦の屋島・壇ノ浦の戦いは有名ですが、その源氏側が勝利するきっかけとなったのが、熊野水軍。それまでは平家側に付いていた熊野別当湛増は、実の子である武蔵坊弁慶から源氏方への加勢を要請され、神の意向を占い、その結果に従って源氏に与(くみ)することに決め、この熊野の地から軍船200艘を率いて屋島に向けて船出して、源氏の大勝利に貢献したと言い伝えられているのだそうです。
そんな逸話を知り、白い飛沫を上げる洞窟とその波が砕ける時のドーンという轟音を聞いていると、何だか歴史のロマンを感じざるを得ません。
上に戻り、崖の上の遊歩道を歩いて行くと、海に突き出た崖先の上にチョコンと載った岩を見ることが出来ますが、これが「サドンロック」とか。
2018年9月に平成30年台風第21号が日本を直撃した後、三段壁上に巨大な岩石が出現したことが確認され、この岩石は2021年に名称が一般から募集され、“三段”にも掛けてサドンロック(Sudden Rock)と命名されたのだそうです。本州最南端、台風銀座の潮岬の在る紀伊半島とはいえ、歴史のロマンと共に自然の驚異をも感じさせてくれた三段壁でした。
翌日は、紀伊半島も大雨。南紀白浜では100㎜の降水量を観測したとかで、未明から夕刻まで終日の雨降りで、この日は一日どこも出ることが出来ませんでした。昔小学生の頃だったか教科書で習った尾鷲を代表に、ただでさえ降水量の多い紀伊半島ではあるのですが、今回の第一の目的だった熊野古道を優先した結果、南紀白浜ではアドベンチャーワールドも、夕日の沈む円月島も結果諦めて他にはどこも観光出来ませんでしたので、この日の三段壁が南紀白浜での結局唯一の観光となりました。
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