カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 車社会の到来に伴う郊外大型店の増加、更に近年の少子高齢化などにより、各地で市街地の空洞化やさびれた“シャッター通り”商店顔の増加、そして地方デパートの閉店などが問題になっていますが、遂に松本もヒトゴトではなくなりました。

 ある意味“商都松本”の顔でもあった、松本パルコが2025年2月末で閉店、イトーヨーカドー南松本店が同年1月で閉店。どちらも全国的な不採算店舗整理の中での一環なのですが、他にも明治初期からの呉服店がルーツで、地元の老舗デパートだった井上百貨店本店が店舗の老朽化などを理由に、来年3月末で営業を終了し、井上が運営する郊外の山形村に在るショッピングモール内のデパートエリアへ統合することになりました。
 井上は、私が子供の頃は西堀に在ったのですが、駅周辺が市街地の中心になって行くことに伴い、1979年に駅近の現在の場所に新築移転し、その後全国各地で地場の百貨店が大資本のデパートや総合スーパーの進出で相次いで閉店に追い込まれる中、長野県内でも長野市と諏訪市にあった丸光百貨店が、それぞれ2000年と2011年に経営や名称変更などの紆余曲折を経ながら無くなっている中(長野市ではまだ「ながの東急」が頑張っています)、井上は途中地銀の支援も受けながら頑張っては来たのですが、45年経ったビルの老朽化で配管などは部品も無く交換もままならないことから、自身の運営する郊外のショッピングモールへの統合移転をするとのこと。

 我が家も同様ですが、昔はお中元やお歳暮、また冠婚葬祭などでの“お使い物”の贈答品は必ず井上で頼むなど、松本市民にとって井上の包装紙がクオリティーの証であり、ある意味信頼のシンボルでもありました。
勿論、車社会に伴う郊外店の隆盛、大型資本の購買力や情報化社会でのオンラインショッピングの便利さといった時代の荒波には、いくら地方の一店舗が努力しても抗えない面もあったことは事実でしょう。しかし、果たしてそれだけなのでしょうか。自身の経営、体質に問題は無かったのでしょうか?その結果、ある意味今回の閉店は必然では無かったのでしょうか?

 過去、ブログに記載した内容ですが、これらは直接名指しをしていませんが全て「井上」に関するものでした。敢えて関係部分のみを抜粋して再掲します。
【その一】
『(前略)事前に見た地元のローカルデパートとは大違い・・・でした。但し、私が感じた一番の違いは、都会と田舎という規模からしての品揃えといったハードの差ではなく、むしろソフトの差・・・でした。
というのは、都会の老舗デパートの呉服売り場では、とっくに本来の定年を過ぎた様なベテランのスタッフの方を何人か揃えていて、お客さんにアドバイスをする、或いは客の質問にも昔と今の違いを踏まえてちゃんと答えられる・・・。まさに“亀の甲より年の劫”で、その豊富な知識の量が田舎のデパートとは全然違うのです。
しかし、昔は地方のデパートにだって絶対にそうした地元の特色ある“しきたり”や独特の慣習を良く知ったベテランスタッフがいた筈なのです。そしてそれこそが、品物の品質だけではない、老舗への信頼だった筈。
いくら市場としてのニーズとデマンドの差とはいえ、人件費削減か、高いベテランスタッフを切って安い若手に切り替える・・・。そうした有能な人材を簡単に切ってきたからこそ、いくら売り場を今でも確保していても真の客のニーズを捉え切れず、本来なら、そして昔なら、いとも簡単につかんでいただろう地元のニーズを逃がしてしまって、オンラインや首都圏のデパートに取られてしまっている・・・そんな身から出たサビの“いたちごっこ”の繰り返しなのではないでしょうか・・・。
もしそれがコストに見合って利益に繋がっているなら、別に何の後悔もする必要はないのですが、地元で購入するつもりで、「筥迫(はこせこ)」を探して聞いても「えっ?」と絶句したきり何も答えられなかった田舎の“老舗”デパートの若い店員さんと、「あっ、それは・・・」とすぐに答えてくれ、しかも最近のお宮参りと七五三の状況をふまえてアドバイスをしてくれた都会のデパートの“お婆ちゃん”スタッフとの差に、そんな感想を持った次第です。
 昔、本ブログに “町の電気屋さん”の生き残り策としての、大手家電量販への対抗策は、サザエさんに登場する“三河屋”の三平さんの御用聞き、それは例えば老夫婦世帯の切れた蛍光灯の交換作業とか、そういった町の小さなニーズを如何に取り込むかだと書いた記憶があるのですが、衰退する田舎の老舗デパートも、もしかするとそうした地元の町の小さなニーズを取りこぼして、全てを時代の“せい”にしてきたツケで、それは“身から出たサビ”、或る意味時代変化についていけなかった“自業自得”なのかもしれない・・・と新宿の老舗デパートで家内の買い物に付き合いながら感じた次第。』(第1863話より)
【その二】
『(前略)事前にローカルデパートのデパ地下へ。買い物はメインの付け合わせにするサラダだけなのですぐに済みますが、路上駐車はいけないだろうと、買い物をすれば指定駐車場は無料になるので、デパート横の駐車場へ停めてデパ地下へ。するとあろうことか、総菜コーナーのサラダは全て売り切れで全然無し・・・って、まだ夕食前の夕方5時ですよ!(都会なら、これから仕事帰りの若いお母さん方やOLの皆さんが来られて、色々今晩のお総菜を買って帰る時間でしょうが!!)
「えっ!?」と絶句して、止む無く何も買えずに戻ったのですが、今度は駐車場代が僅か5分足らずで300円・・・(これにも絶句)。
 「あぁ、こんなんじゃ自分で自分の首を絞めてる様なモンだよナァ~、田舎のデパートは・・・」
と、これまた絶句!(経営者は果たしてこういう実態を分かっているのでしょうか?)』(第1734話より)
以上が以前書いた内容の抜粋でした。

 昔(半世紀近くも前ですが・・・)、成人式の時、祖父母からのお祝いで初めてのスーツ(当時は背広って言ってました)を購入するため、松本に帰省した折に父に連れられて井上に行って、当時井上の部長さんだったお隣のオジサン(紳士服の担当では無かった筈ですが)に見立てをお願いしたことがありました。当時の主流は三つ揃い(スリーピース)でしたが、何着か選んでもらった中からアドバイスも踏まえて決定しました。その時に、オジサンがお祝いにとブレザーをプレゼントしてくれました。「これが絶対似合うから」とご自分で選んでくれたのは、個人的には正直「ちょっと地味過ぎないかなぁ?・・・」と思った、チェックの柄のこげ茶色のブレザーでした。
その後社会人になって、やがて三つ揃いスーツは流行遅れで着なくなりましたが(年中“夏バテ”気味だったシンガポールでの海外赴任から帰国後、お腹一杯食べられる様になって、結果少々ズボンのウェストがきつくなったこともありますが)、ブレザーはそれこそ冗談では無く、定年まで何の違和感もなく着ることが出来、40年も前のあの時のオジサンの見立てに感心し、また感謝した次第です。
こうしたノウハウを持った信頼出来るベテランのスタッフの方々が、井上にもたくさんおられたのだと思います。
建物の老朽化で代替が効かぬ部品が手配不能になるよりも先に、もしコストカットでベテランを排除するというなら、自らが持っていた本来替わりが効かなかった筈のベテランの、せめてそうしたノウハウをどうして若手に引き継げなかったのか!?

 「筥迫(はこせこ)」という言葉を即座に理解し、お宮参りから七五三までの最近の流行りや傾向まで教えて下さった新宿高島屋の呉服売り場の、恐らく定年をとうに過ぎたであろうベテランの契約スタッフと、問いに対し「えっ?!・・・」と言ったきりで何も言葉が返って来なかった井上の呉服売り場の若いスタッフ。客の出す答えがどちらを選ぶかは必然でしょう。
但し、新宿高島屋に全く在庫が無ければ、それは単なるアドバイスに終わってしまい、地方から上京した一見の客は、もし次に来る機会が無ければAmazonなどのオンラインショッピングに流れてしまうのですが、ちゃんとその時の高島屋には多少なりともストックがあって、その場での実際の売り上げに繋がったのです。
片や、その若手スタッフがもし自身で分からなかったことを反省して、自分で調べて次のノウハウに変えたり、或いは上申してその後の品揃えに反映する(或いは在庫を持たずともカタログを用意して、その場で客の要望を聞いてすぐ発注出来るようにする)などすればともかく、仮にもしその場で“のど元過ぎれば”で何も対応せずに終わっていたとしたら・・・。
そうした日々の売り上げにも記録されない小さなケースの(しかも負の)様な事象が長年積み重なった結果の、今回の「井上」本店の閉店では無かったのでしょうか。
例え物理的な背景に、車社会到来に伴う郊外への大型店進出や大資本の全国展開、そして最近の情報化という時代の荒波に抗えなかった面も勿論あるとしても、むしろそうしたハード面での外的要因以上に、直接的には目に見えないソフト面が内的要因として、自らの対応が招いた必然的結果ではなかったのでしょうか。