カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回の箱根行の実質最終日。金時山登山から戻って少し休憩してから、ランチがてら「ガラスの森美術館」へ行ってみることにしました。

ドッグヴィラのホテルが同じ仙石原で近いので、箱根に来ると毎回その前を通るのですが、今まで一度も入ったことは無く、入口付近のクリスタルで装飾された木々が、特に夜はライトアップされてキラキラ光って素敵なので、一度は見たいと思っていました。
 この「箱根ガラスの森美術館」は、日本初のヴェネチアン・グラス専門の美術館で、大涌谷を望む仙石原の敷地内に、庭園と池を中心にして中世のヨーロッパ貴族の別荘をイメージしたという美術館やカフェレストランなどの建物が配置されていて、美術館にはルネサンス時代に作られたワイングラス、大皿、置物などのコレクションを通して、16〜20世紀までのヴェネチアン・グラスの歴史を鑑賞することが出来ます。
また、そうしたコレクションだけでなく、園内には四季の花々と木々や花を模したガラス工芸の作品もあちこちに展示されていて、大涌谷の借景を背景に自然の植栽と人工物のガラス工芸作品が違和感なく調和しているのも面白い。特にこの春の季節を表して、4万粒のクリスタルで創られた400房が咲く藤棚や、箱根町の木という山桜を模したという5万粒のクリスタル山桜と3万8千粒のクリスタル枝垂桜などのガラスのオブジェなどが飾られていて、コレクション以上に箱根の自然のとの共演が目を楽しませてくれます。







 見終わった後のランチは、館内のイタリアン「カフェレストラン・ウカイ」で。
二人共、金時山の金太郎茶屋でお汁粉とキノコ汁に更に行動食も食べたこともあって、それ程お腹も空いていなかったので、簡単に私はボロネーゼ、家内は和栗のモンブランをセットで頂くことにしました。
因みに、レストラン名にもありますが、長女が麻布台のマンションに住んで居た時に、彼女の愛犬マイを連れて良く散歩に行っていた芝公園の横に在る豆腐懐石の「うかい」のパンフレットが館内に置いてあったので不思議に思い調べてみると、経緯経過は分かりませんが、「ガラスの森」はその「うかい」グループが運営する美術館なのだと知りました。恐らく創業者が個人的趣味で集めた骨董を展示するために開いたのでしょうか。
6年前、初めての箱根旅行の時に楽しみにして行った岡田美術館。せっかくの展示作品の学術的説明も不十分で、単に骨董趣味の金持ち老人がその資金力に任せて集めただけの“成金趣味”としか感じられずがっかりしたのですが、当時その時の印象を『日本と東洋の陶磁器は見事でしたが、例えばポーラ美術館の印象派、山種の近代日本画といった様な中心軸がハッキリせず、ただ闇雲にジャンルに関係無く収集された絵画は、収集や展示の時代区分が飛んだりこじ付けだったりして、些か強引な感じがしました。』とブログに書いていました(第1386話参照)。その岡田美術館程では無いにしても、こちらの「ガラスの森美術館」も、大変失礼ながら、何となく“これ見よがし”な印象を禁じ得ないのは、どちらも創業者が本業とは関係無く趣味で集めたからなのでしょうか。
ただ、スワロフスキーの様な装飾品のショップもあって、女性の皆さんには喜ばれるでしょうし、美術館の展示よりむしろ、四季折々の花が咲く庭園とクリスタルのオブジェはおりなす景観と雰囲気は確かにとても素敵なので、ご婦人のグループやカップルなどの若い皆さんはきっと気に入られると思います。個人的は、例え企画展の内容が変わってももうイイかな・・・。残念ながら、ポーラ美術館の様にまた訪れたいという気持ちは湧いてきませんでした。それにレストランも、ポーラ美術館やルネ・ラリック美術館の方が個人的には美味しく感じましたし、ガラスの森とは違って双方とも館内に入らなくても食事だけでの利用も可能ですので・・・。

 さて、今回の4泊5日での春の箱根行。
長期予報では“菜種梅雨”とのことで、富士五湖道路でせっかく富士の裾野を走る行き帰り共に小雨混じりで、富士山はすそ野まですっぽりと雲の中。そのため、当初は滞在中のシーズン最初となる金時山登山も難しいかも?と思いながら、車なので“ダメ元”でもと登山支度は持って来ていたのですが、幸い直前になって滞在予定中の晴れマークの日もあって、何とか登ることが出来ましたし、トレーニング目的とは別に、しかも5回目の金時山で二度目の富士山をしっかりと拝むことが出来ましたので大満足!(お陰で、初めて金太郎茶屋も利用しました)。
逆に、雨でも傘をさして行けるからと思っていた小田原漁港のいつもの地魚丼だったのですが、箱根町で150ミリという、しかも横殴りでの土砂降りの大雨で、残念ながら外出は断念せざるを得ませんでした。そのため、楽しみにしていた地魚は食べられませんでしたが、その代わりに、小田原漁港から仕入れているという仙石原の居酒屋で何とかアジフライだけは食べることが出来ました。
滞在中、金時山だけではなく、二度目となるポーラ美術館をゆっくり楽しめましたし、ガラスの森美術館も今回初めて鑑賞することが出来ましたので、まずまずの箱根行でした。
小田原漁港で食べる地魚の「どど丼」は、“また来年のお楽しみ”に取っておくことにします。

 箱根4日目。実質最終日となる4月11日。この日は金時山登山です。
前日の方が天気は良かったのですが、一応この日も晴れではありましたが少し雲が掛かっていました。ですので、金時山の山頂から富士山が見えるかどうか気になる所ではあります。
金時山登山は今回が私は5回目になるのですが、富士山がしっかり見えたのは初回金時(公時)神社からのルートで11月に登った時だけです。因みに、奥さまは2年に亘って参加したクラツーの「女性のための登山教室」の初回がこの金時山だったそうですので、彼女は今回が6回目となるのですが、初回は雨模様だったとのこと。登山教室の初回が金時山ということでお分かりの様に、この山は登山初心者向けの人気の山。また我々の様に、シーズン最初の登山でも手軽に登れる格好の山なのです。
昨年の夏以降、家内が毎月次女の所に家政婦で手伝いに行っていることもあり、二人共日頃殆ど歩いてこなかったので、今回のシーズン初登山も前回同様「はこね金太郎ライン」の「金時見晴パーキング」まで車で行って、そこから矢倉沢峠を経て登る、金時山登山のルートの中での最短コースにしました。
見晴らしパーキングからは、登山口の標高が初回の時に登った金時神社コースより160mほど高く、最短で手軽に登ることが可能なルートです。コースガイドに依れば、標高差360mで、標準コースタイムで登りが1時間05分 で下りは50分とのこと。

 35台という広い駐車場には既に10台ほど駐車されていて、我々も準備を済ませて朝7時50分から登山開始です。
去年登った時は4月中旬だったのですが、笹原の登山道には真っ赤なボケの花が一杯咲いていたのですが、今年は1週間ほど早いせいか全く咲いていませんでした。
初心者向けとはいえシーズン最初の登山ということもあり、ゆっくりと歩を進めます。一昨日の土砂降りも、昨日の快晴のお陰で、幸いこの日の登山道には殆どぬかるんでいる箇所はありませんでした。
途中、登山道の脇にはタチツボスミレか、薄紫の可憐な姿で迎えてくれました。
 『 山路来て 何やらゆかし すみれ草 』
スミレを見ると、どうしてもこの芭蕉の句を思い出してしまいます。
笹原を抜け、林になると木々の芽吹きは未だの様で、そんな中に時折山桜や馬酔木が咲いているのが見えて心が和みます。途中、振り返ると箱根最高峰という神山の中腹に煙を上げる大涌谷が見えます。登り始めてから30分程で順調に分岐に到着し、そこのベンチで小休憩し水分補給です。
 金時山は初心者向けの人気の山なので、登山道もかなり整備されています。しかし山頂に近付くにつれ、突き出た猪の鼻に似ているとことから名付けられたという「猪鼻岳」という別名の通り、外輪山の溶岩が冷えて固まった岩山らしい本格的な急登が始まります。ですので、金時山は首都圏からアクセスも容易ですし、手軽であってもちょっとした登山気分が味わえるのもその人気の理由でしょう。
数年前は途中にあった鎖も、今はしっかり迂回の階段が横に造られていて鎖場は無くなっています。ただこの結構ルート上には階段が多くて、むしろ逆に疲れる気がします。
途中、昨年来た時は登山道脇の山頂付近の岩場に咲いていて写真を撮っていた方に教えていただいたコイワイザクラは、今年は未だ咲いていませんでした。
 1時間5分で8時55分に1212mの金時山山頂に到着です。ゆっくり来た割にはほぼヤマケイのコースタイムで登って来ました。
今回は、目の前に富士山が全景を見せてくれていて、その雄姿に思わず歓声が上がります。因みに箱根方面からの登山道の途中では一切富士を見ることが出来ず、山頂に来て初めて富士が姿を現すので、見えるかどうかの期待感も手伝って見えた時の感激が倍増します。
前回は全く拝めなかったので、行動食を食べただけで10分足らずで下山しましたが、今回はゆっくりと二度目の富士の全景を眺めながら、せっかくなので、今回初めて金太郎茶屋で家内がお汁粉(800円)、私はシメジ汁(400円)を頂くことにしました。因みに金時山の山小屋のカレーうどんとなめこ汁が名物と書いてあるネット記事がありますが、カレーうどんは山頂に二つある山小屋の内、こちらの神奈川県側の「金太郎茶屋」の金太郎に掛けた「まさカリーうどん」で、一方この日も閉まっていましたが隣の静岡県側の「金時茶屋(金時娘の茶屋)」の方がどうやらなめこ汁の様で、こちらの金太郎茶屋のキノコ汁はシメジ汁でした。
熱々の味噌汁は温まりますし、またお汁粉の糖分が疲れた体には嬉しく感じます。そして、山頂で富士山を見ながら頂く(外のベンチのテーブルに運んでくれます)、このキノコ汁と家内の頼んだ甘いお汁粉(小さな角餅が4つ入っていたとかで、一つ頂きました)は富士の絶景と相俟って、おそらく同じモノを下界で食べた時以上に美味しく感じられました。
 今回は、雪を頂く頂から広く拡がった裾野まで富士の全景をしっかりと拝むことが出来たので、初めて金太郎茶屋を利用したこともあり、30分以上頂上で過ごしました。頂上にはそれぞれのルートから登って来られた10数名の方々が、思い思いにその絶景を楽しんでおられました。中には一人で登って来られたご婦人が携帯電話で、お友達にその景色を報告しながら、次回登山で入笠山へ一緒に行く計画を電話で話しておられ、思わず「!?」。
下りは、前回に比べると思いの外登って来られる人が少なく、道を譲り合う回数も少なかったのか、これまたコースタイム通りの50分で見晴らしパーキングへ下山しました。前回は駐車場が空くのを待っている車がいて、直ぐにスペースを譲りましたが、この日はまだ数台分のスペースが空いていました。そこで、登山口に用意されている、タライの水とブラシで登山靴の泥を落としてから帰路につきました。

 今回の金時山が我々のシーズン初登山で、事前のトレーニングも殆ど無かったので家内は少し心配していましたが、思いの外登れた由。ただ、次回の登山は下山時にストックを使った方が膝には良さそうとのこと。
そこで次回は、家内が次女の所から戻るGW頃に、いつもの三城からの百曲がりコースで美ヶ原(一応百名山です!)へ登ろうかと思っています。
【追記】
写真を見て気が付いたのですが、静岡県側の山頂に在る「天下の秀峰 金時山」という碑が「きんときざん」となっていますが、2年前に登った時は「きんときやま」とルビがふられていました。調べてみると「ざん」或いは「さん」と「やま」のどちらの呼称もあるようです。

 前日の夕刻には土砂降りだった雨も上がり、箱根3日目となる翌4月10日は朝から雲一つ無い快晴でした。
朝、コユキとホテル周辺の散歩に出ると、仙石原の小塚山などお椀を伏せた様な小山が連なる上に、真っ青な空を背景に真っ白な富士の頂がチョコンと覗いていました。
天気だけなら今日は絶好の登山日和。こんな日に金時山に登れば、富士の絶景が眼前にどーんと拡がっているかもしれません。しかし、昨日のあれだけの大雨でしたので、上り始めの笹原を縫うような登山道は、きっと小川の様に雨水が流れた筈で、翌日の今日ではまだ乾かずにぬかるんでいるでしょうし、もし滑ってケガでもしたらいけないので、この日の登山は止めにしました。

 そこで、この日は6年ぶりのポーラ美術館へ行くことにしました。
前回はちょうど開催中だった、青のデルフィニウムが印象的な花瓶に投げ活けされた花の絵が大好きな「ルドン展」がお目当てだったのですが、今回開催中の「モダン・タイムス・イン・パリ1925-機械時代のアートとデザイン」と題された企画展自体には然程興味は無く、むしろ奥さまのご要望に応えて、館内のレストラン「アレイ」でのランチも兼ねての再訪です。またポーラ美術館は館内だけではなく、周囲の「ヒメシャラの森」の遊歩道散策もとても素敵で、前回は初秋で大変印象深かったのですが、今回はまだ芽吹き前で些か殺風景でしょうし、園内の遊歩道沿いにはあちこちに彫刻が置かれているとはいえ、散策にはまだちょっと季節外れでしょうか。

 仙石原からくねくねした山道を上り下り、10分も掛からずに到着。この日は平日ではあるのですが、多分企画展の内容もあってか広い駐車場は思いの外空いていました。我々は車で来ましたが、仙石原からだとガラスの森美術館のバス停から観光施設巡りバスが乗り継ぎ無しの一本で行けます。また登山鉄道の終点強羅からは無料の送迎バスもあるそうです。
ポーラ美術館に限らず、箱根の観光は登山鉄道だけでなく、バスが縦横無尽に本数もたくさん走っているので、車が無くても然程困りません。我々は山国信州にいるのと然程変わらないのですが、都会から来られると箱根は山道が多いので、ホテルに宿泊されているお客さんの中には、車はホテルへの行き帰りだけで滞在中はずっとホテルに駐車したままで、専らバスで箱根観光をされている方々もおられました。
仙石原の森の中に佇むポーラ美術館は、日本最大級と云われる印象派の絵画収蔵で知られています。そして傾斜地の立地を活かした美術館そのものもガラスに覆われ、自然光が降り注ぐ近代的でモダンな建物で、建物自体が芸術作品の様です。
 今回開催されていた企画展は、第一次大戦後の復興により急速な工業化が進展し、「機械時代」と呼ばれた1920年代のパリで、それが芸術と結びついたアール・デコ様式の作品が展示されていました。個人的にそれ程関心のある内容では無かったのですが、中には知っているモディリアーニやマリー・ローランサンなどの作品もあり、また今回の常設展の中には、ポーラ美術館所蔵の作品の中から印象派を中心に、モネ、セザンヌ、ルノワールなどの画家たちや、日本人画家のレオナール・フジタ、黒田清輝の作品、更には今回は杉山寧の作品が特集されていて楽しむことが出来ました。
そして、有難かったのはフジタやピカソなどはダメでしたが、殆どの作品がフラッシュ無しでの撮影がOKだったこと。文化財保護のために科学的な理由があればともかく、もし撮影不可が著作権上の理由であれば、日本国内でも海外の美術館の様にこうした私的な撮影に限っては許可する動きが拡がれば良いと思います。
 展示を見た後、本来の目的である館内のレストラン「アレイ」へ(1階下の別フロアには、前回利用したカフェもあります)。
こちらは、入口からエスカレーターを降りたフロアにあり、美術館を鑑賞しなくても(入館料を払わなくても)利用することも出来ます。大きな窓から見えるヒメシャラの森と白く統一されたインテリアが印象的な明るい店内は、ランチタイムもあって結構混んでいました。
今回メインを選べる3種類のランチセット(¥2,700 )の中から、奥さまは「本日のお魚料理(鯛のポワレ)、私は「鶏の香草パン粉焼き(マスタードソース)」。ランチセットには野菜スープとサラダが付いていて、そして二人共パンをチョイスしました。また、+350円でコーヒーと紅茶を頼むことが出来るとのことで、それぞれ食後にお願いしました。
奥さまは、鯛のポワレの皮がパリパリで、またソースの味付けも美味しいと絶賛していました。チキンは普通でしょうか、でもマスタードのソースはベースがバター醤油か美味しかったです。
 ランチを楽しんでから、ヒメシャラの森はまだほとんどの木々が芽吹いていないので遊歩道での散策は諦めましたが、駐車場脇の植栽の珍しいピンク色の馬酔木がちょうど満開で見事でした。
 一旦ホテルに戻り、今度はコユキも一緒に車で芦ノ湖へ。
仙石原から桃源台に下り、元箱根の町営駐車場に車を停めて湖畔へ。すると芦ノ湖の遊覧船から降りて来るのは殆ど外国人観光客ばかり。芦ノ湖周辺はインバウンドの観光客で、平日ですが結構混んでいました。少し芦ノ湖周辺をコユキも一緒に散策しましたが、あまり歩いてくれないので休憩することにしました。
箱根もワンコOKという店は少なく、あってもテラス席のみ。そうした中、前回も利用した元箱根の芦ノ湖畔の道路沿いに在る唐揚げの店「KARATTO」へ。こちらは箱根では珍しい店内もワンコOKのお店です。すぐにワンコ用にもお水を持って来てくれましたが、とてもDog Friendlyです。我々はもうランチを済ませて来たので、ドリンクだけでも構わないかお聞きしたところ快く受け入れて頂きました。ドリンクメニューにあった箱根山麓紅茶を家内がオーダーしたらこの日は品切れとのことで、普通の紅茶と私メはコーヒーをチョイスしましたが、観光地らしからぬどちらも500円で美味しかったです。前回もでしたが、店内におられたのは殆ど今回も外国からの観光客の方々。申し訳ないので、夕食用に唐揚げとフィッシュ&チップスをそれぞれお願いしてテイクアウトすることにしました。この日の夕食にホテルの部屋で食べたその唐揚げは独特のスパイスが効いていて美味しく、また自家製のタルタルソースも付いていたフィッシュ&チップスは、魚のフライがナント一般的な鱈ではなくて、驚いたことに鯵!如何にも小田原が近い箱根らしくて、こちらもとても美味しかったです!

 4月8日から春の箱根に行って来ました。今回もいつものホテルのドッグヴィラに泊まる、4泊5日の箱根行です。
一ヶ月前から、長期予報で太平洋岸は雨模様の日が続くとのこと。 “菜種梅雨”という文字が躍る様な予報が間近になってもあまり変わらず、今シーズン初の登山となる金時山は今回は難しいかもしれないと覚悟していました。ところが直前になって、旅行後半には晴れマークに日も出て来たので、“一縷の望み”を持って出かけることにしました。

 4年前の箱根行は4月中旬でしたがまさかの降雪で、富士吉田周辺は冬タイヤ着用規制のため、やむ無く小田原厚木道路経由で箱根まで5時間近く掛かって行ったことがありましたが、本来なら松本からは御殿場経由で3時間の道のり(その後分かったのは、わざわざ小田原周りで行かずとも、もし身延山辺りで降雪が無ければ、中央道双葉JCTから中部横断自動車道での静岡経由新東名でも3時間ちょっとで箱根に行けるようです)。御殿場まではずっと高速道路なので、特に年を取ってからはACCの恩恵で快適なドライブです。

 今回、コユキも大人しくずっと寝ていてくれたので、途中休憩無しで、静岡と神奈川の県境、箱根への手前の乙女峠のトンネルの直前にある富士見テラスでランチ休憩にしました。
ただ生憎の小雨混じりで、本来なら目の前に拡がる富士山も雲の中で、少し寒かったのですがワンコOKなので軒下のテラス席へ。家内はベジタブルカレー、私がローストビーフライス。コユキもおやつを食べて出発です。

 仙石原のホテルへ行く前に、恒例のスーパーマーケット(別送族向けのAコープしかありません)に立ち寄り、今晩の食材確保です。本来なら、これまた別送族御用達の「相原精肉店」で名物のローストビーフやメンチカツ、ミートローフなどの総菜を買いたかったのですが、残念ながら店舗ビル改装のため長期休業中とのことでした。

 この日は雨足が次第に強まり、翌日は朝からずっと雨・・・。
例え雨でも小田原漁港だけなら行けるかとも思ったのですが、次第にそんな意欲も萎える様な土砂降りになり、しかも強風に木々が揺れる程の横殴りの雨。もしもこの雨の中、お目当ての海鮮地魚丼の店に行くと、外で順番を待つしかないのでびしょ濡れになりそうです。それに、漁港で鮮魚や干物を買うにしても漁港の駐車場から少し歩かないといけないので、濡れるのは必定・・・・。
それよりも、先ずはホテルの駐車場に行くまでにずぶ濡れになりそうで、小田原どころか箱根の近くの店に行くのも一苦労です。そのため外出するのは諦めて、一日まったりとホテルで過ごすことになりました。

 因みにその後のニュースによると、9日の箱根町では1時間に最大30ミリの激しい雨も降り、今回の雨量は150ミリに達したとか。ですので、むしろ箱根の山道などで、土砂崩れなどの災害発生が無かったことを喜ぶべきかもしれませんが、当初から予想された雨予報とはいえ、残念ながら冒頭から予定が狂ってしまいました。

 昨年の夏以降は家内が毎月二週間近く次女の所に手伝いに行っていたり、また長女の所に遊びに?行ったりすることもあって、特に寒い冬の間は一人では億劫で、忌明けの新年になっての初詣と厄除け参りくらいしかウォーキングを兼ねて歩くことが無かったのですが、4月になったら先ず箱根の金時山からまた登山を始めようということもあり、3月末からトレーニングを兼ねて、渚から城山公園、そこから城山トレイルのコースでアルプス公園まで、片道3㎞ちょっと、標高差200mのコースをまた歩き始めました。

 我々のウォーキングは、3月30日に初日は城山まで。2回目は4月1日にアルプス公園まで歩いてみました。
マンションの在る渚からですと、白板まではほぼ平坦で、城山々系の突先になる宮淵から急な坂が続きます。
途中丸ノ内中学を経て城山公園へ。同じマンションにとてもしっかりした女の子がいるのですが、マンションから小学校は歩いて500m足らずの田川小ですぐ近くだったのが、4月からは中学生でこの丸ノ内中学へ入学するとのこと。中学までは片道2㎞くらいですが、毎日この急坂を上るのは大変だなぁと思います。でも絶対丈夫になる筈なので、成長期の子供たちの体には良いことかもしれません。いずれにしてもガンバレ!・・・です。

 城山公園も松本市内の桜の名所で、当初は31日の開花予想だったので既に園内はたくさんの提灯が張られ、交通整理も行われていて準備万端ですが、蕾はまだまだ固いまま。代わって、梅が満開で、オオイヌノフグリが青い絨毯の様に咲いていました。そして日当たりの良い道端には菜の花も。この日松本も21℃予想と暖かく、桜の開花はまだで北アの峰々はまだ冬景色ですが、あちこちに“小さな春”が見つかり、この日の陽気と相俟って信州でも里では春の息吹が感じられました。
城山トレイルでのアルプス公園は、残念ながら黄砂の影響か霞んで北アルプスの峰々は全く見えず。桜より先に辛夷(コブシ)の花がほころびかけていました。
帰路も同じ道を下り、城山公園へ。公園脇に在るカフェ「憩いの森」に立ち寄って、大きなカップに入ったたっぷりの自家焙煎珈琲で一服。暖かかったので、気持ちの良い外のテラスで公園を眺めながら戴きました。テーブルにはお皿に入ったヒマワリの種が置かれていて、近くにヤマガラ?と思しき野鳥が来ていました。人が居ない時に、有難く頂戴しているのでしょう。庭にはたくさんの殻が落ちていました。
 春のお彼岸過ぎにまた寒さがぶり返して、桜の開花も当初の予想から遅れていて、松本は当初31日がお城のお堀の桜の開花予想日だったのですが2日にずれ、さらに遅れて実際に開花宣言が出たのは7日と、過去一番早かったという昨年よりも14日遅れだったとのこと。でも開花時期としては、例年並みなのだそうです。そして、この17日まで「夜桜会」としてお城のお堀の桜がライトアップされ、松本城本丸庭園が無料開放されています。

 信州も漸く“春本番”を迎えました。

 年末年始に長女の婿殿がNYから来日した時は連泊での予約が今年は取れず、恒例の全員集合する新年会での滞在を諦めた、美ヶ原温泉の料理旅館“鄙の宿”「金宇館」。
また、次女一家は秋からの亡き母の葬儀と忌明けの法事で何回か松本に帰省していたので、今年の年始には帰らず、この2月末に夫婦の骨休みを兼ね、孫たちを連れて一家で帰省して来ました。
我が家にも勿論泊ったのですが、一日だけ(彼らがノンビリ過ごせるように、その間孫の相手はジジババが担当するため)、我々も家で“おもてなし”を何もしなくて良いので、皆で一緒に「金宇館」にも泊ることにしました。

 「金宇館」は僅か8室の小さな料理旅館ですが、子供が泊まれるのはその中でも二階の「湯ノ原」一部屋だけ。そのため、その部屋が取れないと次女一家は泊まれないので、数ヶ月前から予定して婿殿の勤務と年休設定に合わせて「湯ノ原」を予約してありました。
我々も勿論2名一泊二食で「湯ノ原」の隣のいつもの部屋「千手」を確保してありますが、コユキが居ますので、今回も実際は家内のみが泊まって、私メは夕食後家に帰ってコユキと一緒に寝て、朝食前に旅館に戻ることにしてあります。
 午後3時のチェックインに合わせて「金宇館」に向かいます。
すると、旅館では何やら工事がされていて、別館の改装工事とのことで、工事中は3部屋分の別館は使えないので、本館の僅か5部屋のみでの営業でした。それなら予約が取り辛かった理由も納得です。
今回の改装工事は、今までの別館3部屋を一室に纏め、2階建てに2洋室1和室の寝室、そしてリビング部分と今までは無かった別館専用の内風呂を設け、更に別館だけは食事も部屋食にして、これまで要望があっても受け入れ出来なかったグループも受け入れ可能にするとのこと。因みに各寝室は2名ずつ最大8名で、それより少なくても、例えば家族での一棟貸しも可能にするので、別館では子供の宿泊も改装後はOKにするそうです。
ですので、例えば今回我が家は大人4人ですが、別館なら多少孫たちがドシバタ騒ごうが。或いはエンエン泣こうが気兼ねなく過ごせるので、多少高くてもその方が安心出来るかもしれません。今秋にはオープン予定だそうですので次回の滞在が楽しみです。

 さて、今回の「金宇館」滞在も、楽しみは温泉と朝夕の食事です。
今回は、本館5部屋の他のお客さんは3組で皆さん二人連れで、1階のダイニングでの食事。今回我々は別に2階のダイニングでしたので、これまた他のお客さんの迷惑にならず安心です。
 金宇館での一番の楽しみ、先ずは夕食での懐石コースです(聞いても、最近はちゃんと覚えられないので、お聞きした内容を皆に呆れられながらその場でメモしましたが、もし違っていたらスイマセン)
先ず茶わん蒸しからスタートです。チーズを絡ませて揚げたというフキノトウが添えられ、早春の苦みがチーズのコクと一緒に楽しむ初体験の味でした。
続いて長芋のすりつぶしの落とし揚げ。中にこれまた春のセリと季節のズワイガニが混ぜられていて、卸しポン酢で。揚げられたセリの根に載せられていましたが、これも美味でした。
次は季節の八寸。
上段から、花ワサビのおひたし、京ニンジンと柑橘しらぬいのマリネ、独活と菜の花の昆布〆めにとろろ昆布が載せられています。そして、横にワカサギの南蛮漬け。
下段は右から自家製カラスミを挟んで揚げた海苔巻きのお餅と、これまた自家製の干し柿とマスカルポーネとくクルミ和え。どれも美味しくて、工夫の一手間とそのアイデアに唸らされます。
椀物は、お馴染みのグリンピースのすり流しに素揚げした菊芋チップスを添えて、手前に和辛子を一筋流し入れて。
お造りは、これまた毎度おなじみの馬刺しです。薬味の千切りのミョウガとニンニク味噌が効いています。
続いて、焼き物が、サクラマスと新玉ネギの摺卸しソース。すりゴマを振り掛けた。芽キャベツのグリルを添えて。サクラマスには素揚げ下白髪ネギが載せられていました。

海老真薯。揚げナスと白髪独活。掛けられた餡に柚子胡椒が実に上手く効いていました。
最後は、これまたお馴染みの柔らかな信州牛のイチボ。味は付いているのですが、お好みで塩か山椒を混ぜたネギミソでとのこと。菜の花のソテーとゆり根の素揚げが添えられていました。
そして〆には蕎麦好きの次女と婿殿のために、ご主人手打ちの二八蕎麦を事前にお願いしました。
デザートは自家製アイス(何味かは聞き漏らしました)と黒豆の蜜煮とのこと(お腹が一杯で、“別腹”という奥さまに譲ったので、食べていません)。それに丸山珈琲も。この日も満足の夕食でした。惜しむらくは、泊まらずに独り帰るので、お酒が全然飲めなかったこと。あぁ、日本酒と一緒だったら・・・と思わせる一品の数々・・・、残念でした。
 翌朝の朝食。
お馴染みの、お膳に並べられたおばんざい風お小鉢が6品。最初に茶わん蒸しとお味噌汁が添えられて。この日の具はセリと油揚げでした。そして安曇野さんコシヒカリのご飯が、人数分木のお櫃に入れられて。
今回のお膳の小鉢は、厚揚げとレンコンの炊き合わせ、身欠きにしん、とろろ芋、独活のキンピラ、インゲンの胡麻和え、自家製お新香。
ご飯が美味しくて、結果また食べ過ぎてしまいました。最後にデザートで果物と丸山珈琲。今回も、ご馳走さまでした!
 次回いつになるか分かりませんが、長女たちがNYから帰省出来たら、次女一家も一緒に、別館を一棟貸しで全員で気兼ね無く泊れると嬉しいですね。

 2024年2月22日。世間ではニャンニャンニャンで“猫の日”とか・・・。
(ん?犬の日っていつだ?1月11日にはそんなニュースは無かったけど・・・)
そんな猫の日とは全く関係無く、この日はN響の松本公演がキッセイ文化ホール(以下県文)で行われ、勇んで聴きに行ってきました。

 クラシック音楽に興味を持った子供時代、生のオーケストラを聴くことなど地方では有り得なかった時代。それらに触れるのは、専らNHKで放送されるN響の演奏位だったでしょうか。ですので、何も根拠の無い勝手な個人的解釈ですが、地方のクラシック好き程“N響”への親近感や憧れは強いと思うのです。
そのN響が、何十年ぶりか分かりませんが、この松本で演奏をすると知り、勇んでチケットを購入した次第です。個人的にN響を生で聴くのは、2015年、パーヴォ・ヤルヴィが首席指揮者正式就任前に“マライチ”を振った熱狂的な定演でした。

 N響にとって今回のこの公演がどういう位置付けかは分かりませんが、団員の皆さんは、例えば名曲コンサートのスーツにネクタイとは違って、定期演奏会同様の燕尾服に蝶ネクタイの正装でした。そして、この日のプログラムは、

  ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第1番 ハ長調 作品46-1
  ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
  シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」
   指揮:沼尻竜典
   チェロ:カミーユ・トマ
 N響のH/Pから分かったのは、このプログラムは、松本公演の前日、2月21日に東京都の「都民芸術フェスティバル」の中で、N響が登場して演奏した演目とか。そして、全く同じ顔触れで松本で演奏し、更にその二日後に新潟公演でも披露されるとのこと。
松本は、その数日前は春の様な陽気になったのですが、また冬に逆戻り。そして当日の松本は雪予報でしたが冷たい雨が降り、しかも珍しい「雨氷」で木々や架線に降った雨が凍り付くという現象が見られ、架線凍結等で上高地線や大糸線などが運転中止になるなど寒い一日でした。
ですので、プログラムのトリにシューマンの「春」が取り上げられていて、正に雪国信州や豪雪の越後にN響が一足早く“春”を運んで来てくれるような、そんなワクワク感で、期待して会場に向かいました。
しかも2月上旬に小澤征爾氏死去が報じられ、松本では“巨星落つ”後のSKFからOMFとなった音楽祭の今後を危ぶむ中で、SKOではありませんが、国内オケのトップN響の生音に触れて安堵したい気持ちも松本市民にはあるのではないかと、勝手にそんな想像もしていました。

 余談ではありますが、マエストロオザワに関して言えば、米国Big 5 のBSOの音楽監督を30有余年も務めたということは、例えるならば、MLBの、しかもヤンキースやレッドソックスなど名門球団の監督を、メジャーでの選手経験も無い3Aの若手コーチだった日本人がいきなり抜擢されて長年務めた様な、ある意味有り得ない偉業(しかも東海岸で)であって、偉大で勿論日本人として非常に誇らしく感じます。但しその演奏に関していて云えば、個人的には必ずしもそんなに好きな指揮者ではなく(一番好きだったのは、オトマール・スイトナーでした)、学生時代には小澤征爾指揮のレコードは一枚も持っていませんでした。おびただしいBSOを中心とする音源の中で、NHK- FMで聴いても正直感動した演奏はありませんでした。彼の真骨頂は、そうした録音のレコード音源ではなく、むしろ空気感を含めたライブにこそ(しかも出来れば、同じ場所で聴覚視覚で共有することに)あるのだろうと思っていました。
また、松本市民ながら、これまでサイトウキネンばかりを有難がるミーハー的風潮が嫌いで、生来の捻くれ者としては「だったら、もっと日本のオケを聴きに行きなよ!」と、松本に来演してくれる国内オケはスケジュールが合えばこれまで殆どと言って良い程聴きに行っても、片やSKOは自分で買ってまで聞きに行ったことはこれまで一度もありませんでした(縁あってリハーサルなどのチケットを頂ければ勿論有難く聴かせていただきましたが・・・唯一自分でお金を出して買ったのは、大好きな十束さんが振ったSKF20周年特別演奏会と、どうしても聴きたかったミシェル・ベロフのオール・ドビュッシーでのピアノリサイタルだけでした)。

 奇しくもN響松本公演の2月22日のこの日、今年度のOMFのプログラムが発表されました。マエストロ亡き後、音楽祭をもし終わりにせずに引き継いでいけるとすれば、一音楽ファンとして思うに、SKO設立当時の趣旨からすると本来は秋山和慶さんであるべきだろうと思うのですが、これまでの経緯からは無理でしょうし、だとすると“斎藤秀雄の桐朋”からは離れるとしても、日本のクラシック音楽界の今後を考えれば、(以下、恐縮ですが敬称略で)同じブザンソンの佐渡裕は無理だろうから、今まで客演でSKOを振った中では世界の“ヤマカズ”か沖澤のどかしかいないと勝手に思っていました
すると、生前にマエストロからOMFの行く末をふまえ、指名があったようで、初めての“首席客演指揮者”という肩書が付けられて沖澤のどか女史が就任するとのこと。彼女もブザンソンコンクールの覇者でもありますので、OMFの後継者としても相応しいとも言えますし、また今回だけかどうか分かりませんが、マエストロオザワが30年近く率いたBSOの現音楽監督アンドリス・ネルソンス氏がメインの指揮をするのであれば、その縁で、これまで通り管楽器の世界の腕利きマイスター連も来てくれるかもしれません(・・・と、部外者乍ら少しほっとした次第)。

 閑話休題。
さて、この日のN響松本公演の“ドヴォコン”ソリストは、2017年に名門ドイツ・グラモフォンと専属契約を結んだというパリジェンヌの美人チェリスト、カミーユ・トマ嬢。
元々長身なのに、更にピンヒールのハイヒールを履き、しかも異様に長いピンのチェロ(日本財団から貸与されているというストラディバリウスとか)なので、何だかチェロが小さめに見えてしまう程です。
ドヴォコンはこれまで生で聴いたことはありませんが、名曲故CD(シンガポールで購入した、ノイマン指揮チェコフィルでチェロはウェーバー)も持っていますし、これまでもFM放送など色んな音源でも聴いていて耳慣れた曲です。
でも久し振り故、今回事前に予習のために聴いたのが、YouTubeに挙げられていたマエストロオザワとロストロポーヴィッチの“伝説のライブ”。
それは団員によるリハのボイコットを受け、N響とケンカ別れした若きマエストロが、実に30年振りにN響を振った1995年の演奏会の録画です。
これを聴いてしまったせいか、巨匠ロストロポーヴィッチが“盟友セイジのために”と駆け付けた、白熱のライブでの骨太の男性的な“ドヴォコン”が頭から離れず(今は亡きN響のチェロ首席だった徳永兼一朗氏が一音たりとも見逃すまい、聴き逃すまいと、食い入る様にロストロポーヴィッチのソロを見つめていたのが印象的でした)、それと比較すると、どうしても音の線が細くひ弱に感じてしまいますし、炎の如き気迫で駆け抜けた同じ女性チェリストである、これまた伝説のデュプレとも異なります。
第1楽章冒頭、クラリネットがお馴染みの哀愁に満ちた第一主題を奏でます。チェロソロは、第一楽章のカデンツァ風超絶技巧のソロパートでは勇み足か、或いは私メの耳が悪いのか、高速でのパッセージで音が飛び、リズムが乱れた様に聞こえたのですが・・・?
一方、アダージョの第二楽章でのゆったりしたパッセージでは、感情豊かで何とも言えない柔らかな響きが美しく、情感に溢れ本当に素晴らしい。
ですので、出来ればもっと小さなホールで室内楽やソロで大好きなバッハの無伴奏とか聴いてみたい、彼女のチェロにはそんな印象を受けました。
 休憩後の後半は、シューマン作曲 交響曲第1番「春」。
シューマンと言えば、ピアノ曲や歌曲が有名で、同じロマン派のベートーヴェンや、シューベルト程、交響曲は有名ではないかもしれませんが、個人的には彼の交響曲も好きで、学生時代にサヴァリッシュ指揮シュターツカペレ・ドレスデンとクーベリック指揮BPOで全4曲を揃えました。その中では第3番「ライン」が一番有名でしょうか。新婚旅行で行ったドイツで見たラインの流れが蘇ります。
しかし、シューマンの交響曲はベートーヴェンやブラームスなどと比べると演奏機会は少ないので、これまで生で聴いたことはありませんでした。
しかし、今回、季節としては相応しくとも、地方公演で取り上げるメインのシンフォニーとしては珍しいこの「春」が、しかもN響で演奏されると知り、勇んでチケットを購入した次第です。
この日のコンマスは、ソロでも活躍している郷古健。松本出身で第2ヴァイオリン首席だった大林さんが定年でN響から引退されたのは残念ですが、同じ松本出身の降幡さんも第2ヴァイオリンの第1プルトに顔が見えます。
冒頭のトランペットのファンファーレで演奏が始まります。それにしても生で聴くN響の木管も金管も本当に上手い。とりわけ、神田さんのフルートには惚れ惚れしますし、ホルンも実に安定しています。
沼尻さんの指揮ぶりは、ゆったりしたテンポで極めてオーソドックスでした。N響の“音”の歴史の中では転機となったであろうデュトワ就任以前は、伝説のローゼンストックを始めドイツ系の世界的マエストロ達に鍛え上げられ、“ドイツのオケ以上にドイツらしい音がする”とまで評されたN響らしい、且つ充実の管楽器群もあっての極めて“安全運転”で安定したシューマンでした。
 この日、ドヴォコンでソロを務めたチェリスト、カミーユ・トマ嬢がカーテンコールだけで特にアンコールを弾かなかったためか、N響がシューマンの後、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第10番ホ短調をアンコールで演奏してくれました。
嬉しかったのは、この日のコンサートではカーテンコール中のフラッシュ無しでの撮影が認められていたこと。一昨年の年末、娘が連れて行ってくれたサントリーホールでのティーレマン指揮シュターツカペレ・ベルリンのブラームス・チクルスでもそうでしたが、コロナ禍以降、聴衆に依るSNSなどでの情報発信で今後の集客に繋がればという理由で、都会でのコンサートではカーテンコールでの撮影を認めることが多くなったそうですが、地元での演奏会では初めての経験でした。とても良いことだと思いますので、地方の演奏会でも拡がると良いと思います。

 久しぶりにオーケストラの生音をN響で、しかもこの松本で聴くことが出来て、まだまだ冬の寒い日ではありましたが、聴いたばかりのシューマン「春」の第一楽章の主旋律を想い浮かべながら、ここ信州も“春遠からじ”という、ちょっぴり幸せな気分で県文を後にしました。

 以前ご紹介した通り、寝室ではPanasonicの4K液晶TVの42インチVIERAとDENONのサウンドバーDHT-217で、見たい番組が家内とは異なる時などのTV放送や、或いは視たい放送が無い時はYouTubeやTVerなどのネット番組を楽しんでいるのですが、唯一の問題は寝っ転がって長時間見ていると、首が疲れる(痛くなる)こと。
それを解消するには、仰向けで寝た時に正対する天井に画面を映すのが一番自然。とすれば、天井投影可能なプロジェクターがおススメ・・・です。
もし予算さえあれば本当は、立方体の据え置き型で、縦置きにすればそのまま天井にも投影可能で、明るさ(輝度)も十分な2000ルーメン(lm)のレーザー光源で昼間の明るい部屋でも視聴可能な、EPSONのDreamio EF-100BATVが手軽且つ高能率でホームプロジェクターとしては最適なのですが、最低でも10万円と(TVがあるのに更にプロジェクターが欲しいなどとは言えず)ちょっと手が出ません。
最近は1万円くらいからの安いモバイルプロジェクターも色々出ているのですが、僅か数百ルーメンの明るさでは部屋を暗くしないと視聴出来ませんし、解像度もせめてHDでないと画質が劣り、一応“映る”程度になってしまいます。
(プロジェクターの明るさの単位はルーメンで表示され、主な測定方法として、米国のANSI規格とISO/IEC規格があり、ルーメンが一般的に光源そのものの明るさを計測するのに対し、ANSIルーメンは投影面の明るさを計測するという測定方法の違いによるものです)
それに、そうしたプロジェクターは殆どがDLP方式なので、EPSONに代表される液晶方式(3LCD)に比べ、人によっては虹色がチラつく現象“カラーブレイキング(レインボーノイズ)”が気になるケースもあり得ます。
しかし設置場所の問題や専用のスクリーンを壁に取り付けるのではなく、飽くまで仰向けに寝ている時にだけ天井のクロス(幸い我が家は白い壁紙を選んだので)に投影するのであれば、ライトを暗くしても良いし、そうであればそこまでの高機能は必要ありません。

 ・・・などとウダウダ考えていたら、長女がNYへの渡米に際し、向こうでは使わないからと色々置いていってくれた中に、AnkerのNebula CapsuleⅡというモバイルプロジェクターがありました(Ankerよりも上位機種のプロジェクターを婿殿がTV代わりに使っているので、NYでは不要とのこと)。


このAnkerのNebula CapsuleⅡは数年前に発売された人気のモバイルプロジェクターです。DLP方式ではあるのですが、光源に長寿命のLEDを用い、解像度は1280×720画素のHD。但し、明るさは200ANSIルーメンしかないので、暗い部屋でないと無理。でもAndroid TVが搭載されており、8Wのスピーカーも内臓なので、Wi‐Fiに繋ぐだけでYouTubeやTVerが見られます(最近発表された最新型は、光源がレーザーになり輝度も300ANSIルーメンにアップして、画質もフルHDになったそうです)。
因みに、AnkerはGoogle本社のエンジニアが独立して設立した、スマートフォンなどのモバイル機器を製造する中国企業です。

 そこで有難く使わせていただくことにして、早速ベッド脇に設置してみました。ベッドの頭の“ヘッドボード”と呼ばれる部分は、棚ではなく、丸みのある厚いボード(板材)なので、ここに三脚の脚を背に差し込んで固定し、その上で、更に天井が真上になるようにレンズを向けて本体を回して固定します。
 
Nebula CapsuleⅡは一応最大100インチまで投影可能で、床面からであれば100インチが可能かもしれませんが、我が家の寝室の場合ベッドサイドからだと天井までは1.6m位なので、画面サイズはせいぜい60~80インチでしょか。家内と違う番組を見る時など、通常はTVを視ているのですが、プロジェクターでは最後夜寝る前に、ベッドに寝っ転がって(照明を落として、薄暗くして)視るだけなので十分でしょう。
設置上、通常とは画面を反転して投影させる必要があり、マニュアルに沿って設定。ピントは自動で併せてくれますが(手動補正も可能です)、CapsuleⅡは台形補正は垂直のみで左右は出来ませんので、出来るだけ真上に投影する必要があります。

内蔵スピーカーは8Wですが、枕元で聴くには充分なボリュームです。また、そのままではTV放送は見れませんが、CapsuleⅡにはAndroid TVが搭載されているので、プロジェクターでは寝る前にTVerやYouTubeを視聴しています。
寝る前で暗くしているせいもありますが、投影する720pのHDの画面は予想以上に鮮明で、スクリーンではなく天井の白いクロスの壁紙に投射していますが、専用スクリーンに比べればあるであろう壁紙の凹凸も全く気になりません。勿論、上位機種になればなる程、その満足感は高まるでしょうが、オーディオと同じで、個人的には十分満足です。長女のお陰で、更に充実したAVライフ?になりました。
 因みに、寝る前に寝室のライトを“常夜灯”レベルに落として投影していると、家内はプロジェクターの画面が明る過ぎて疲れるとのことでしたが、残念ながらNebula CapsuleⅡには画面の輝度調整機能はありません。ですので、投影距離を長くして画面上の照度を多少下げるしかないかもしれません。
しかし、他に方法が無いか一応調べてみると、CapsuleⅡは色温度が標準・暖色・寒色の三段階から選択可能なのですが、チェックしてみると娘は暖色に設定してあったので、標準モードに設定し直します。
ここで云う暖色とは赤みがかった色で、寒色は青みがかった色のこと。因みに、光の色は温度が上がっていくにつれ「赤→黄→白→青白」へと色が変化していきますが、人間の感覚的な温度(人間の視覚的には暖色系の方が暖かく=温度が高く感じる)と色のイメージ(暖色・寒色)とは逆で、 赤みを帯びているほど色温度は低く、青みを帯びているほど色温度は高くなります。
また、今回の引っ越しに際し付属の純正充電器を廃棄してしまったのか見当たらず、そのため電源コードを常時繋いでいるのですが、充電の場合は電池残量が少なくなってくると画像モード(自動、標準、バッテリーの3モード)が自動的にバッテリーモードに切り替わり、輝度を下げるとのこと。そのため、手動で常時バッテリーモードを選択することにしました。
以上の結果、奥様からも「これなら眩し過ぎなくて、見易くなった!」と合格点を頂くことが出来ました。ヤレヤレ・・・。