カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

(以下、話題が本題から離れて支離滅裂的にアチコチ飛んでいますが、どうかご容赦ください)

 家内は、信州の中ではちょっと異質な唯我独尊的独立独歩の(奈良時代の律令制度下で一時期、諏訪だけが“諏訪国”として信濃国から独立していました。また「諏訪では4人歩いていると、内3人は地元の社長さん」と、嘗て諏訪地域で製造業隆盛の頃はそう揶揄されていた)“諏訪人”ですが、その“諏訪人”故かどうかは分かりませんが、元々は信州人らしい“蕎麦派”ではなく、どちらかと云えば“うどん派”だったのではないかと思います。
勿論、結婚後は私メに感化されてか今では蕎麦も大好きですが、次女が結婚前の羽田空港勤務だった時は、娘と二人で良く「つるとんたん」で食べたり、また京都に旅行で来た時は、友人と或いは一人でも必ずと言って良い程、この岡崎で大人気の行列店「山元製麺」で“ごぼ天うどん”を食べているそうです。私も一度一緒に食べましたが、並んででもまた食べようとは然程思いませんでした。
というのも、京都の“おうどん”は本来もっと柔らかな(ある意味コシの無い)うどんですし、それに、むしろ京都で食べるべきは、“蕎麦好き信州人”がそれまでの「蕎麦はざる一択!」の信念を覆して食べた「にしん蕎麦」と思うのです。
但し、学生時代に初めてその「にしんそば」を食べたのは、元祖の老舗「松葉家」ではなく、蕎麦ぼうろで有名な丸太町の「河道屋」だったと思いますが・・・。

 そう云えば、会社員になってから仕事で或るジャーナリストの方と話していて、その方も無類の“蕎麦好き”とかで、取材が終わってから地元の蕎麦屋のおススメを聞かれた時に、その方の仰るには、
 「私は取材等で全国各地に行くと、例えば信州の様な蕎麦処では必ずざるやもりで蕎麦そのものを楽しむのですが、そうでない土地では、汁蕎麦をその土地特有の具を蕎麦と一緒に楽しむことにしてるんですよ。」
その意味で、私が生まれて初めてそうした“汁蕎麦”を楽しんだのが、京都の「にしんそば」だったのです。

    (写真は、10年程前に嵐山で食べた茶そばの「にしんそば」です)
と同様に、うどんは我が家では「おざざ」と呼ぶ冷や麦の様なやや細めのうどんを祖母が打ち、それを色んな根菜や油揚げなどと一緒に、いろりに吊るした大きな鉄鍋で煮込んだ、味噌味の“鍋焼き”風うどんが定番でした。従って、うどんは自分の家で食べるべきモノだと思っていたので、外の食堂等で食べたことは一度もありませんでした。
ですので、県外に出て“うどん屋”さんが(蕎麦屋と同じ様に)街中に在るのが、最初は不思議でなりませんでした。
といっても、長野県内にも群馬の「水沢うどん」同様に、降水量が少なく昔稲作が難しかった地域では、坂城町の辛味大根の汁で食べるおしぼりうどんや、大町の「おざんざ」という祖母の「おざざ」に似た細めのうどんが有名な場所もありますし、社会人になってからですが、諏訪の社宅に住んでいた時に家内が初めて連れて行ってくれて食べた、早くから諏訪が武田領になっていたせいかどうかは分かりませんが、長野県内では唯一諏訪にも支店がある山梨の名店「小作」のほうとうが美味しくて、とりわけ味が味噌ベースで具がカボチャやニンジン、大根といった根菜が多かったのが、何だか祖母の作る煮込みうどんを思い出して懐かしく、その後も時々食べに行きました。
       (写真は、以前山中湖畔の「小作」で食べたほうとうです)
そして、そのうどんを生まれて初めて自宅ではない“食堂で食べた”のが、汁蕎麦が“にしんそば”だったのと同様に、うどんも京都の「冨美家」だったのです。
(要するに、大学に入るまで一人で“外食”をしたことが無かっただけかもしれませんが・・・。子供の頃の記憶では、家族で“町の食堂”で食べるのは、決まってざるそばか当時“支那そば”と呼ばれていた醤油味のラーメンでした)

 さて、本題の「冨美家」は、私の学生時代には四条寄りの河原町通りの西側に(確か)お婆さんが一人で営む小さな甘味処が在り、そこにはぜんざいといった甘味の他にもうどん類があって、一般で云う力うどんの様に小さな角餅が二つ入った鍋焼きうどんの「冨美家鍋」が名物で、特に冬は温まるので何度か友人と食べたことがありました。はっきりとは覚えていませんが、貧乏学生でも食べることが出来たコスパの良い品だったと思います。

 何年か前、京都に来た時に懐かしく河原町を歩いたのですが、その「冨美家」の四条河原町店も、そしてボールの様なガラス容器に入った色んな種類の「冷麺」(例えばフルーツ冷麺など)が美味しかった「春陽堂」が、確か3階か4階だったかにテナントで入っていた「味ビル」も姿を消していて見つけることは出来ませんでした。
余談ですが、他にも年を取って聴くようになったJAZZで、伝説のジャズ喫茶だった「シアンクレール」も無くなっていて、学生時代に一度も行かなかったことを後悔した記憶があります。一方、学生時代にお世話になった「出町輸入食品」は、当時の何倍にも店舗が大きくなっていてビックリしました。(レジに置いてあった「冨美家」の通販のパンフ。「♪ まるたけえびすにおしおいけ・・・」京都の東西の通りはこうして覚えるんよ!と地元の同期の子が教えてくれたわらべ歌が懐かしくて、思わず頂いてしまいました)
 そこで今回、知恩院と八坂神社へお詣りした後、四条通を歩いて錦市場にある「冨美家」へ行ってみることにしました。
最初は錦市場の西端に近いところにある「冨美家錦店」を目指しながら、ぶらぶらと新京極から錦市場を歩いて行ったのですが、外国人観光客を中心に、それなりに賑わっていました。
コロナ禍前のオーバーツーリズム問題以降、錦市場は食べ歩き禁止になったので、イートインスペース的に店内で多くの外国人観光客が“立ち食い”されて混んでいるお店もありましたが、錦市場はごった返して歩けないという程ではありませんでした。
そうした今風のお店以外に、八百屋さんや乾物屋さん、漬物屋さん、惣菜店といった昔ながらの“京のお台所”的なお店もあり、お店巡りを楽しみながら「冨美家錦店」に到着すると、ナント定休日の貼紙が・・・。
但し、近くの本店の方はやっているとのこと。どうやら、お互い重ならぬ様に交替で定休日が設定されている由。「錦店」の方が昔ながらの風情がありそうだったのですが、止むを得ません。そこで、錦からは直ぐ近く、堺町筋をホンノ少し上がった所に在る「冨美家本店」へ行ってみると、この日は「錦店」を目指したお客さんもこちらに来るためか満席で、店頭には三組程の先客が列を作っていました。
待つこと暫し、細長い町屋を改装したらしい店内はカウンター席とテーブル席があり、幸いテーブル席に案内され、二人共九条ネギ増しましで「冨美家鍋」を注文。併せて家内は湯葉もトッピング。
昔は観光客など殆どおらず地元のお客さんばかりだったと記憶していますが、我々も含め、観光で来られたらしいガイドブック片手の一人旅の女性客もおられ、中でも驚いたのは中国と韓国と思しき外国人観光客のグループが二組。しかも食べているのは中華そば。誰一人「冨美家鍋」を食べておられる人は見受けられない様でした。そのため、お節介ながら、
 「ラーメンを食べるんだったら、冨美家じゃなくて、新福菜館か第一旭に行けばイイのに!」
と、またまた大きなお世話・・・。
 そうこうする内、運ばれて来た「冨美家鍋」。スタッフの方が、熱いので気を付けてくださいと配膳の度に必ず言い添えて行かれます。お客さんの中には、ぐつぐつと煮えたぎった土鍋から直接食べるのは熱すぎるのか、“お上品”に取り皿をお願いする若い女性も。イヤ、猫舌の身としては良く分かります・・・。
その45年ぶりくらいの「冨美家鍋」。具は海老天ぷらと分厚い干しシイタケ、ハンペンにお麩、焼いた角餅が二切れ。そして真ん中に生卵が落とされ、刻んだ九条ネギは増しましで・・・。イヤ、懐かしい!
と、猫舌の我が身には熱過ぎて、家内の様にすぐには食べられず、じっと眺め観察すること暫し・・・。そして漸くレンゲでスープを最初に一口。
 「えっ!?・・・こんなに甘かったっけ・・・」
勿論、京都らしくお出汁は効いていて、具の海老天や干しシイタケにもそのお出汁がしっかり染みていて美味しいのですが、スープが記憶に無い程砂糖甘いのです。家内は、「天ぷらの衣が厚過ぎ!」と文句を言っていましたが、これは衣にお出汁をしっかりと染み込ませるために、敢えて厚めの衣にしているのでは?と弁明したのですが、それにしてもスープが甘い・・・。
信州でも、汁蕎麦のツユは江戸に比べれば甘口かもしれませんが、ここまで甘くはないし、むしろ本来の関西は関東のそばやうどんの丼の底が見えない程真っ黒でつゆは“塩辛い”と敬遠するくらい、出汁が効いた薄めのつゆの筈なのですが・・・?まぁ、これが「冨美家」の味と言ってしまえばそれまでですが・・・。
 これは恐らく、信州でそばつゆ(ざるそばだけじなくて、温蕎麦も食べるので)に慣れ過ぎたせいかもしれませんが(外食だけではなく、家でも蕎麦を食べる時は専ら創味のつゆ一択です)、ここまで甘いつゆはちょっとがっかりで、残念ながら私メの好みではありませんでした。
もしかすると、実際の味よりも、単に“思い出は美し過ぎて”・・・だけだったのかもしれませんが・・・。
でもそんな味よりも懐かしさが勝って、今回その“懐かしさ”は十分満足して“完食”出来たので、これでもう来なくてイイかもしれません。
そして、45年ぶりに食べた「冨美家鍋」に十分満足して「冨美家」を後にすることが出来ました。そこで、レジでお店の方に、
 「学生時代以来45年ぶりで来ました。とても懐かしかったです。ご馳走さまでした!」

(ん・・・?そう云えば、一年前にも学生時代以来で食べた熊野神社近くの「らんたんラーメン」でも、全く同じ様な挨拶をしていた気がする・・・)