カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 大正期に誕生したとされる東京早稲田とか福井とか、ソースカツ丼発祥には幾つかの説(注)があるそうですが、今では他の地域にもソースカツ丼があって、長野県では伊那谷の駒ケ根がその本場。駒ケ根は「喜楽」という店が昭和3年にソースカツ丼の提供を始めたと云いますから、全国的に見ても相当古い歴史があります。
駒ケ根では平成に入り、“町おこし”的にそれまで提供していた各店が連携して団体を作り、ソースカツ丼を提供する際の統一規定を制定するなどして、“ご当地グルメ”としてソースカツ丼の普及やPRに努めた結果、今の様に地域に定着していったのだとか。
その駒ケ根の有名店の一つ「明治亭」が軽井沢にも出店していて、以前軽井沢で食べたのですが、残念ながら松本では卵とじのカツ丼の方が主流なので本格的なソースカツ丼を出す店が無く(蕎麦チェーンの小木曽や、餃子チェーンのテンホウのメニューにもソースカツ丼がある様ですが)、だったら自分で作ろうかと思った次第・・・。

 駒ケ根のソースカツ丼のスタイルは、必ずご飯の上に千切りキャベツを敷いて、その上にトンカツが載っていて、一番の肝となるのがそのソース。単純にトンカツソースやウスターソースを掛けたのではなく、各店秘伝のオリジナルソースが掛けられていて、記憶の中での「明治亭」(他で食べたことが無いので、それ以外を知りません)のソースは、普通のトンカツソースに比べて甘味の中にもフルーティーな酸味があり、色もトンカツソースの黒よりも茶色がかっている感じでした。その明治亭の“秘伝”のソースは瓶詰にされて店でも販売されていたので、それを買ってトンカツと千切りキャベツを用意すれば良いのですが、そう頻繁に(しかも自宅で)食べるメニューではないのでソースの瓶が邪魔になります(他の料理にも使えるかもしれませんが・・・)。
 「だったら、自分で作るしか無かっぺ!」
ということで、自分でソースを作ることにしました。

 家内が手伝いに娘たちの所に月一恒例で上京して不在。一人での食事なので、もし失敗しても大丈夫。揚げ物は下拵えの衣を付けるのが面倒臭いし自宅だと調理での油跳ねが大変なので、ここはスーパーから総菜のロースのトンカツを一枚買って来て、自宅では千切りキャベツを用意します。因みに他の地域のソースカツ丼は千切りキャベツがありませんが、信州は高原野菜の本場だからということでもないのでしょうが、普通のトンカツにもキャベツは付き物ですから、野菜を食べるというヘルシーな食事のバランスもふまえれば、他の地域のソースカツ丼に比べて駒ケ根のソースカツ丼が必ず千切りキャベツを添えるというのは、健康意識の高まった現代では更に理に適っていると思います。
肝となるソースに関しては、ネットで調べると中にはソースだけではなく醤油も使うものとか、幾つかレシピがあったのですが、その中からイメージ的に「これかな?」と気に入ったレシピで作ってみることにしました。
ポイントは先述の“フルーティーな甘味と茶色”です。味は、イメージ的にはカレーで云えば“リンゴと蜂蜜”風に、多少フルーツ系が加味された様な感じ・・・でしょうか。
その素となるのが、ソースは中濃とウスターソース、そして“フルーツ系”のポイントが多分ケチャップで、更にみりん(或いは料理酒と砂糖)を加え甘味を出します。場合によっては、好みでマーマレードなどを混ぜても良いかもしれませんが、まぁ自分独りなら取り敢えずそこまで拘らなくてもイイか・・・と。
我が家にはウスターソースが無いので、トンカツソースだけでケチャップとみりんと(水っぽくなり過ぎぬよう)砂糖も少し加えて甘味を調整します。そして、ソースとケチャップを混ぜ合わせると、あの茶色に近付きます。一度過熱して混ぜ合わせ(味見をして、うーん、まぁこんなモンかと)、冷まして味を馴染ませて出来上がり。

 ご飯を温めて丼に盛って、その上に用意した千切りのキャベツをたっぷりと敷いて、スーパーで買って来たトンカツをオーブンで温めて切って載せてソースをスプーンですくって上から掛ければ完成です。
因みに、個人的にはトンカツはヒレよりもロースの方が好みなので、今回もロースカツです。些かオーブンで焼き過ぎて、焦げて少々固くなった部分があったのは玉に瑕でした。また、ソースはもう少しフルーティーでも良いかもしれませんが、自家製のソースの味付けとしては十分合格ライン。カツも自家製の方が(良い肉を使うので)柔らかくて美味しいのでしょうが、手間暇を考えればスーパーのお惣菜でも十分です。反省点は、ソースをもっと多めに作って、うな丼や天丼の様にご飯にまでタレが少し染みるくらい掛けた方が良かったかなというところでしょうか。
 いずれにしても、お手軽に“駒ケ根風”のソースカツ丼を自宅で楽しめて、個人的には十分満足でした。
 「ごちそうさまでした!! 」
【注記】
ソースカツ丼文化発祥の地にはいくつかの説があるそうですが、福井県の情報ページに由ると、福井出身の人がドイツの日本人俱楽部で料理を学び、ドイツのシュニッツェルを真似てウスターソースを使用してご飯に載せ、日本へ帰国してから大正2年に東京の料理発表会で披露した後、早稲田に開いた『ヨーロッパ軒』で“ソースカツ丼”として売り出したのが最初とのこと。その後大正12年の関東大震災で店が被災倒壊したため地元福井に戻り、再び「ヨーロッパ軒」を開いたことによるものという説が濃厚だそうです。
ソースカツ丼の発祥説を調べてみると、他にも色々と興味深いことが分かります。
先ず大正初期の年までハッキリしているのですから、上記の東京早稲田と福井の「ヨーロッパ軒」に確定で良さそうに思われるのですが、他にも“我こそは!”と名乗る地もあるらしいのです・・・。
例えば、福島県会津も発祥の地とされる場所の一つで、昭和5年(1930年)に会津のソースカツ丼の元祖とされる「若松食堂」が創業し、洋食屋のコックがウナギのかば焼きからヒントを得て、とんかつを甘辛いソースにくぐらせてご飯に乗せたのが始まりとしているとのこと。
また、本文で紹介した長野県の駒々根も有力な候補地の一つとされるそうですが、こちらは昭和3年に開店した駒ヶ根にある飲食店「喜楽」がソースカツ丼の発祥で、初代の店主が当時の流行だった洋食をベースにして考案した料理がソースカツ丼で、ご飯の上に千切りキャベツを敷き、秘伝のたれにくぐらせたカツを乗せるのが特徴です。
そしてお隣の群馬県桐生もソースカツ丼の発祥地とされる地域で、別名“上州カツ丼”とも呼ばれる程地元では定着している由。元祖は昭和元年(1926年)創業の「志多美屋」という食堂店で、元々は鰻の卸商だったため、食堂として開業するにあたり、鰻丼を参考にして、ご飯の上にソースにくぐらせたカツのみというシンプルなカツ丼を提供したところ、それが人気となり、やがて他のメニューを止めてソースカツ丼の専門店になっていったとのこと。
他にもやや趣を異にして面白いのは、大正10年(1921年)に早稲田高等学院の学生が、下宿近くの軽食店で日々食事をしていて毎日同じメニューに飽きたため、店主に許しを得て自分で調理場に入り、切ったカツを丼ご飯の上にのせ、小麦粉でとろみをつけたウスターソースをかけて食べてみると美味しかったので、店主にかけ合って「カツ丼」という名前で新メニューにしたのが発祥という異説があるとのこと。ただ、この学生が“考案”する8年前に、既に早稲田の地で創業した「ヨーロッパ軒」がソースカツ丼のルーツというのはハッキリしているので、 “学生の街”早稲田として話を面白くするための些か“眉唾モノ”と感じられなくもありません。個人的には一番古い大正2年の発表、或いは翌年のヨーロッパ軒創業を以て、ソースカツ丼の発祥と断定して良いと思うのですが、他の地域はどうしてそこまで“我こそは!”に拘るのかが理解出来ません・・・(別に一番古いからと言って売れるとも限りませんので・・・。ただ煎餅やお餅でも、元祖や本家とか、酷い時には親戚筋で裁判で争ってでも一番を競うアホなケースもたくさんありますから、やはり商売上は何かそれなりの意味があるのかもしれませんが・・・??)。
なおソースカツ丼の発祥とは別に、個人的に面白いと感じたのは、ソースカツ丼のご当地の福井と長野は同じ北信越エリア、そして長野と群馬は隣県同士。更には群馬と福島も僅かとはいえ県境が接していることです。従って、もし岐阜県内にも何らかのご当地ソースカツ丼があれば、福井から福島まで一本で繋がることになり、謂わば“ソースカツ丼ベルト”が誕生することになります。
まぁ、それはともかくとして、日本列島の真ん中付近にソースカツ丼が集中しているのは、そのエリアの県民の味覚、性格、気候や地理など、何か特別な理由があるのかどうか・・・?偶然とはいえ、面白いと感じた次第・・・。

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