カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
東京滞在中のランチで、奥さまは近所に幾つか美味しいベーカリーがあるからと、有難いことに買って来たパンで済ませることが時々あり、そんな時に私メは(まさにシメシメと)独りでしか食べられないラーメンを食べに行くのです。
(前話の通りインド料理はまた一緒に食べられる様になったのですが、ラーメンだけは、上諏訪の「ハルピンラーメン」の松本店が昔松本駅の北隣にあって結婚前に一度食べに行ったのですが、油まみれのお世辞にもキレイとは言い難い狭いカウンターだけの店で、以降ラーメンデートは断固拒否!・・・ナンでかなぁ?美味しいのに・・・。
因みに、この「ハルピンラーメン」は当時上諏訪駅の近くの並木通りに在って、諏訪勤務時代に飲んだ後の〆の定番でした。しかし、その後経営者が替わり、郊外に移転してしまいました。その「ハルピンラーメン」松本店も、暖簾分けか姉妹店だったのか分かりませんが、すぐに閉店。そして10年程前に、実に30年ぶりに松本市並柳に松本店が復活しました。)
ラーメンでのこの界隈での選択肢としては、10分ちょっと歩けば前回行った「新福菜館」が麻布十番に在るのですが、せっかくなので今回は神谷町界隈で別の店を探してみることにしました。
地下鉄神谷町駅のすぐ近くには、以前娘が「安くて美味しいヨ!」と教えてくれた「天雷軒」というラーメン屋さんが在って、ランチタイムは常に10人以上が行列している人気店です。こちらのラーメンは、どちらかというと女性が好みそうな今風でオシャレなラーメン(因みに、某有名ミュージシャンがプロデュースのラーメン屋さんらしい)で実際に女性客も多いので、娘と一緒ならともかくオッサン独りで並ぶ勇気がなく諦め。
虎ノ門から神谷町界隈はオフィス街なので、平日の昼食時は所謂“サラメシ”を求める人たちでどこも混雑していて(そのため企業に合わせて土日休みの飲食店が多く、長女曰く、住んでいる人は逆に土日は“ランチ難民”となるので、場所を探すのに苦労するのだそうです)、このラーメン店だけでなく人気店はどこも行列で、しかも麻布台ヒルズの建設に従事しているたくさんの作業員の人たちも交代で昼食に出られるので、コスパの良い定食屋さんやラーメン店などは更に混雑に拍車をかけています。しかし都会で羨ましい(=有難い)のは、所謂“ピンキリ”で、高級ランチから立ち食いソバや牛丼チェーンまで実に選択肢が豊富なところではないでしょうか。
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初めて伺った時が1時半頃で昼時間を過ぎていたせいか、お客さんが一人だけ。店内は狭いコの字型のカウンターのみで10席程でしょうか。失礼ながら、些か古びていて、しかもカウンターには灰皿が置かれていて、今どき珍しく店内喫煙OKなので、入り辛いのか女性客はいません(多分・・・)。
基本のメニューは、味噌、塩、醤油に、鉄火と田舎というのもありました。札幌ラーメンなら基本は味噌かもしれませんが、自身の嗜好が醤油一択なので、ここは醤油ラーメン(700円)をオーダー。
「ハイヨ~、醤油ね~♪」という、何とも言えぬ飄々とした独特な雰囲気のマスターです。客が少ないこともあってか、調理が終わって暇な時間は厨房内で座って文庫本を読んでいました。何だか、ラーメン屋のオヤジさんには見えません(これでもし哲学書でも読んでいたら昔の“山男風”でむしろピッタリなのですが、そうでは無さそうでした)。
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西山製麺の中太の縮れ麺に真っ黒なスープが良く絡みます。そのスープは豚バラを煮込んだタレに魚介ベースの様ですが、意外とアッサリでしょっぱくありません。ただ新福菜館のスープの方が旨味はあったように思います。何となく、長野市の“屋台ラーメン”「ふくや」のスープに似ている気がしました。というのも、最初の一口はイマイチに感じるのですが、飲むうちに段々美味しくなってクセになるような・・・、そんなスープなのです。
トッピングされた豚バラのチャーシューは「チャーシュー麺で食べたい!」と思わせる程に、ホロホロで絶品!タレが染みていて実に美味。
あっという間にスープも飲み干して、完食!何だか麺が少なく感じられる程で、これなら大盛りでも良かったかも・・・・。
そこで東京最後の日。この日も奥さまは朝食を食べに行った欅坂のベーカリーカフェで昼食用に買ったパンがあるとのことで、私メは有難く独りで再度「めん蔵」へ行かせていただくことにしました。
今回はせっかくなので、醤油ラーメン(700円)を大盛りにして、更にチャーシューを追加でトッピング。
この「めん蔵」は、ナント大盛りが+100円、チャーシュー追加もたったの+100円。何だか申し訳ないくらいです。
そして、ランチタイムでしたが、東京の思い出に(理由は何でもイイのですが)生ビールも追加しちゃいました。グラスよりも大きめで、「中」よりは小さめのジョッキの生ビールで、こちらもナント200円!という安さ。
ただ大盛りにした麺の量も美味しさ故か、それ程とは感じません。この「めん蔵」の醤油ラーメン、その独特のスープもですが、何と言ってもホロホロのチャーシューが美味!イチオシです。しかも、それがたったの100円で追加出来るなんて、イヤ、もう拍手しかありません。
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完食し、スープもほぼ飲み尽くして、満足満足でお腹も満腹!新しいお客さんがちょうど来られたので、すぐに立って席を空けました。
「どうも、ごちそうさまでした!」
麻布台界隈のラーメン。今度また来る機会があったら、一度は神谷町で人気の「天雷軒」を試してみたいと思いますが、今では行く機会の無くなった長野市の「ふくや」を彷彿させてくれる、この「めん蔵」も捨てがたい。でも、やっぱり今度は麻布十番の「新福菜館」の半チャンラーメンかなぁ・・・。うーん、(今度がいつになるか分かりませんので、暫くは考えるだけの)嬉しい悩みです。
婿殿が病院当直の日、次女が孫を連れて横浜から東京へ来てくれました。
この日も新幹線で横浜から東京に来て、そこから予約してくれていた“母の日のお祝い”でのランチ会場の麻布十番へタクシーで。聞けば、横浜から東京は10数分とはいえ、ぐずり始めたので、席は確保していたものの結局座らずにデッキであやしていたのだとか。
今回の会場が高級店なので「母の日と父の日を纏めてで、お願い!」という前提で、次女が予約してくれてあったのは“ミシュラン一つ星獲得”という中華料理の名店(後で長女が言うには、コンサル時代でも接待でしか使ったことの無い超有名店だそうです)、麻布十番「中国飯店 富麗華」。
しかも孫が居るので、食事中に騒いでも良い様にわざわざ個室を予約済みとのこと(お陰で、孫娘が飽きて時々走り回っても、皆で代わる代わる相手をしながら安心して食べることが出来ました。また、部屋から眺める外の植え込みスペースに御影石をくり抜いた水槽が置いてあって、孫娘が窓越しに中で泳いでいた金魚を眺めて喜んでいて、お陰で飽きずに過ごすことが出来ました)。
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「中國飯店 富麗華」、こちらはお店の説明曰く、「伝統の上海料理と洗練された広東料理の融合」した、ミシュラン獲得の中華料理店とのこと。
もしかすると嫌味に聞こえてしまうかもしれませんが決して自慢では無く、我が家はシンガポールで本当に美味しい中華料理(実際は「中華料理」というジャンルは現地にはなく、広東料理、四川料理と呼ぶ様に、上海、北京を加えた中国四大料理、更には日本ではあまり見掛けませんが、東南アジアへ多く移民した中国人の故郷の福建料理や潮州料理、他にも台湾料理と、それぞれが確立された個別の料理ジャンルです)を食べて来ているので、他にも現地で家族で良く食べたタイやベトナムのアジア料理と中華料理、そして私メの好きな北インド料理に関しては、或る意味不幸なこと(例えば、昔テレ東のグルメ選手権番組で優勝したという松本の評判の良い中華店も現地の味とは比べ物にならず、二度と行きません)に、かなり舌が肥えてしまっています。特に幼少期に本場でそれらを食べて来た娘たちは、それまでそんな料理を食べたことも無かった私たちよりも、その影響は更に顕著かもしれません。
そうかと言って、現地で高級店ばかりで食べていた訳では全くありません。例えば中華では、住んでいたコンドミニアムの近くのニュートン・サーカスに在ったホーカーセンター(屋台街)から蟹、肉、野菜の炒めモノとチャーハンなど毎回4~5品をテイクアウトして来て、家で食べることが多かったのですが、その屋台の店は本当にどれも美味しくてホテルの一流レストランにも決して負けない味でした。
余談ですが、因みにその屋台は40代くらいの中国人男性が一人で切り盛りしていましたが、ちゃんと英語でも注文OK。
しかし、「観光客相手のニュートンのホーカーは二重価格だから気をつけろ!」という噂だったので、初めて買いに行った時に中国語のメニューも見たいと言ったら、「大丈夫、値段は一緒だよ!」と笑いながら見せてくれましたっけ・・・。記憶不確かながら、「〇東記」という風な店名だった様な・・・。あれだけの味でしたので、もしかするとシンガポールのどこかで自身の独立店を構えて、有名レストランになっているかもしれません。
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そこで我々のチョイスは、コース料理ではなく食べたいものだけを一品料理のメニューの中から選ぶことにしました。
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スープは(さすがに現地の様な姿煮は無理ですが)フカヒレと衣笠茸のスープ。更にメインディッシュ風に、「富麗華」の名物(どのコース料理にも必ず入っていました)という北京ダック(半身+1/4身)、それとシンガポールで住んでいたコンドミニアムの近くに在ったニュートン・ホーカーセンターの屋台からチリクラブなどと一緒にテイクアウトして良く食べていたビーフの黒コショウ炒め。そして最後の〆として、ネギの汁蕎麦。デザートには、これまた懐かしいゴマ団子とマンゴプディング・・・という選択です。
本当はシンガポールでは広東料理のコースの定番だったガルーパ(ハタの一種)の「清蒸石班」もメニューにはあったのですが、値段が「時価」だったので怖くて諦めました。
(この魚料理は、ガルーパの淡白な白身も勿論美味なのですが、この汁を掛けて食べる“猫マンマ”がとにかく絶品!・・・でした)
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こちらでは、シンガポールの様に大皿で運ばれて来てその場で取り分けるのではなく、最初から各人向けに小皿に盛られて出て来ます。そのため最初の分量が掴めないのが視覚的(目でも食べる)には少々残念でした。
特に北京ダックは、シンガポールだとその場でローストされたダックをスタッフがナイフで薄皮に削って大皿に盛って行き、その後、各人が自分で薄皮にダックの皮と細切りにされたネギとキュウリを載せて、そこに甘目のタレを付けてクルクル巻いて食べるのですが、こちらでは一応オーダーしたダックをお皿に載せて客人に見せてからまた厨房に持ち帰り、全て調理して食べるばかりにしてからサーブしてくれます。
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フカヒレがたっぷり入ったスープも、決してスープの主張が尖らずに優しい味。懐かしいビーフの黒コショウ炒めも、さすがは和牛の柔らかさ。
ニュートン・ホーカーセンターの屋台からテイクアウト(最初の頃、一度ホーカーセンターでも食べたのですが、オープンエアの蚊に皆閉口し、以来屋台で食べるのは拒否されました)していたあの味を思い出しました。
〆のデザートまで含めて、シンガポールを思い出すようなどれも本格的な味でした(但し、当時のシンガポールの中華のレストランでは、広東料理の本場香港からシェフを招聘していることを自慢している店や、香港の有名店のシンガポール店もありましたので、その意味で確かに“食は広州に在り”なのかもしれません)。
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ただ、嘗て自宅から近い深志高校裏(というバス停のすぐ近く)に在り、松本で唯一現地の味に近くて家族皆が大好きだった「チャイナ・スパイス」(香港へ赴任経験のある会社の同僚たちも、“同窓会”として現地の味を懐かしんで、わざわざ諏訪や塩尻からも食べに来ていました)という中国人のご夫婦が営む薬膳中華の店があったのですが、残念ながら閉店してしまいました(その後再開した店も再度移転して、現在は春巻きと中華おこわ二品だけでのテイクアウト専門店とのこと)。
ですので、コース風に本格的な中華料理を食べるのは、もしかするとシンガポール以来なのかもしれません。しかしそのシンガポールでは、さすがに点心(飲茶)だけは庶民的な大衆店もある香港とは異なり、当時はグッドウッドパークなどのホテルの一流レストランでないと食べられませんでしたが、中華のコース料理ではなく一品料理であれば、必ずしも当時一番人気だった広東料理のレイガーデンやシャンパレスの様な高級店でなくても、所謂“ピンキリ”での選択肢があって、さすがに干しアワビやフカヒレなどの高級食材の入るコース料理は無理でも、“この料理に限れば”・・・ですが、現地のホーカーの屋台でも食べることが出来た本場の味でした。
しかしそんな現地の味は、日本ではやはり値段次第でしか味わうことが出来ないのかもしれません。
次女曰く、「予算上、今年は“母の日+父の日=富麗華”でご勘弁」とのことですが、結果、支払い額は個室利用の最低限度額×人数分を軽く(遥かに)超えたらしいのです・・・。
おかげで、三人して皆口々に、「こんな本格的で美味しい中華、本当にシンガポール以来だったね!」。
味は勿論ですが、スタッフの皆さん(主に我々を担当してくれたのは、若い中国人の笑顔が優しい男性スタッフでした)のサービス、接遇や応対も、入店した時から店を出るまで、さすがは“ミシュラン”獲得店でした。
いくら“母の日+父の日”とはいえ、本当にオカタジケで恐縮至極。ごちそうさまでした。
前話のシンガポール料理もそうなのですが、せっかくの東京なので信州ではなかなか食べられないジャンルのAsian Foodを!・・・となると、それは北インド料理です。しかも信州でも割と多いネパールの人が作るインド料理ではなく、正真正銘のインド人のシェフが作るホンモノのインド料理・・・です。
因みに、日本人である我々はインドカレーと言いがちですが、インド料理は決してカレーだけではありません。
今や“国民食”とまで云われる日本のカレーは、洋風料理のシチューやクリームスープの様に、明治になってイギリスから伝わった「小麦粉を炒めてトロミを付ける“英国風カレー”」です。しかも英語のCurryという言葉は“大航海時代”にイギリスが名付けたモノで、語源はインド南部でソースや汁を表すタミール語のカリ(Kari)から転じたという説が有力なのだそうです。従って、インドには本来カレー(Curry)という言葉(料理)はありません。
(以上、後述する先輩がシンガポールに送ってくれた、日本のカレーの歴史を書いた本で知った知識です)
最近東京では南インド料理の店が人気で増えていますが、個人的にはお米が主食でカリー(カレーと書くと、どうしても日本の“国民食”であるハウスやSBのカレーをイメージしてしまうので、区別するために敢えて“カリー”とします)もスープ状の南インド料理ではなく、インド料理ではやはりマハラジャの宮廷料理で用いられるタンドール釜に代表される、カリー自体も南に比べてとろみのある北インド料理の方が断然好みです。
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一つは人気店でしたが、ランチタイムはバイキング形式なので我々年寄り夫婦はそれ程食べられないでしょうし、しかも専門はどうやら南インド料理の様なので、もう一つの店の方に行くことにしました。
その店は、メインの通りから一本奥に入った通りの、正則学園の対面に在る「ラージャ」というインド料理店。
店の外観から内装まで、インドらしい原色でカラーリングされていました。店内では“ボリウッド映画”がTVで放映されていて、12時前に入ったらお客さんは一組だけ。その後12時を過ぎると、インド人と思しき青年や会社員の方々など、満席にはなりませんでしたが結構込み合いました。
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ランチタイムのカリーは6種類に限定されていて、あまり多くはありません。Aセットの家内は、ホウレンソウのカリー、Bの私はチキンと野菜をチョイス。辛さを聞かれるので、私は中辛でお願いしました。そしてタンドール釜があるので、単品メニューでタンドーリチキン(1個200円だったか?)も注文。他にも、メニューには骨なしのチキンティカやインドの揚げ餃子のサモサもありました。
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因みに、奥さまは昔松本のインド料理店(既に閉店)で食べて胃をこわし、以来インド料理が苦手でしたが、「DOON食堂インド山」で食べてからはインド料理がまた食べられるようになりました(アシシュさんに以前その話をしたら、「インド料理で使うココナッツオイルやピーナッツオイルが、もし質が悪い物を使っていると日本人の胃には時々合わないことがある」と言われていました。
その後東京でも、長女が連れて行ってくれた虎ノ門ヒルズの南インド料理店「エリック・サウス」(後で知ったのですが、都内に数店舗を構える有名店でした)を家内が絶賛していましたので、改めて二人でインド料理が食べられるきっかけになった「インド山」には感謝!です)。
シンガポールで毎月一二度、北インド料理を(今は無き名店「モティ・マハール」へ)、同じインド料理好きだった赴任者の後輩と二人で食べに行くことが多かったのですが、食べる時は決まって先ず前菜的にタンドーリチキンと何種類かのサモサ(謂わばインドの揚げ餃子)を頼み、カリーにはライスではなく専らプレーンとガーリックのナン一辺倒で、チキン、マトン、プラウン、野菜は二種類といつも5種類程頼んだカリーをちぎったナンに付けて食べていました。
同じ食材一つでも色々な種類のカリー(但しメニューにCurryという表記はされていません)があるのですが、我々はメニューを見ても“〇〇マサラ”と言われても全く分からないのですが、さすがに我々も馴染みの常連客になっていましたので、チキンやプラウンなどと食べたい食材を伝えるだけで、後のチョイスと辛さはいつもマスターにお任せしていましたが、どれが出て来ても常に絶品でした。
しかし「モティ・マハール」は決して高級店では無く値段もリーズナブルで、或る意味安っぽく見える様な現地風の内装でした(特に昔の現地風のトイレは、日本からの出張者や旅行者には抵抗感があったかもしれません)ので、時々白人客はいても私たち以外の日本人客は見たことがありませんでした(一度出張者を自腹で接待するために連れて行ったら、「こんな店に連れて来て」と文句を言われましたっけ・・・。逆に味に感動して、帰国後に日本のカレーの歴史が掛かれた本を送ってくれた先輩もいました)。
因みに、今やシンガポールの名物料理の一つとなったフィッシュヘッドカレー(Fish Head Curry)がありますが、これは港で捨てられる大きな魚の頭が勿体無いと、インド人労働者が南インド風に調理したシンガポール独特の料理。現地では「バナナリーフ・アポロ」が有名店でしたが、純粋な北インド料理ではないので、私は一度も食べたことはありませんでした。
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途中でナンの追加をお願いすると、お店のスタッフからは半分の大きさじゃなくて大丈夫か(暗に、本当に全部食べ切れるのか?)と言われましたが、勿論普通の大きさのナンを追加でオーダーして、家内のホウレンソウ含めカリーは全てキレイに平らげました。ただ、今回もカリー自体はもう一つでした。
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今となっては“幻”の、あのシンガポールの「モティ・マハール」に負けない北インド料理のレストラン、どこかに無いのかなぁ・・・?
蛇足ながら弁解がましく言えば、店毎にスパイスの調合は異なり、むしろそれがその店の個性であってウリなのでしょうから、要するにその店のスパイス調合が自分の嗜好に合うかどうかなのかもしれません。
つまり自分にとっては、初めてインド料理の美味しさに目覚めさせてくれた、“あの”「モティ・マハール」の味の記憶がそれだけ鮮烈であって、その絶対的な記憶を自分の舌がどうしても忘れられないだけなのかもしれません。
いくら東京滞在とはいえ我々は年金生活者ですし、娘のマンションにはキッチン設備がありますから、滞在中は出来るだけ自分たちで調理して、せめてテイクアウトして食べる(お酒も外で飲むと高いので)くらいにして、せいぜい外食はお得なランチタイム中心で済ませることにしました。
しかし、そうは言ってもせっかくの“美食の街”東京ですから、夕食も含めて何度かは食べに行ったのですが、外食で二人で食べたのは結果的に全てエスニック中心で、しかもAsian Food ばかり(日本食も一応アジアですので・・・)でした(“食の都”シンガポールへの赴任経験が、そこで幼少期を過ごした娘たちも含め、我が家の“食の世界”を拡げてくれました)。
私たちがシンガポールへ赴任したのはちょうど次女が生まれた年でしたが、7年間シンガポール生活を経験した我々家族にとって本当に嬉しいことに、帰任した当時は日本では名前すら存在しなかったシンガポールのローカルフードが、Asian Foodで云えばインド、タイやベトナムと同じ様に、ここ15年くらいの間に“シンガポール料理”という名称で一つの料理ジャンルとして認識され、東京では随分それを名乗る店が増えました。ただタイ料理の様に、信州の様な地方でも食べることが出来る程にはまだポピュラーでは無いので、地方在住者である我々夫婦は上京した時に“シンガポール料理”を楽しむしかありません。
そこで、今回のAsian Foodの先ず一回目は、どこか近間で夕食をと、マンションから程近い麻布台から六本木に向かう道路沿い、六本木の飯倉片町の小さなビルの二階に在る「オリエンタルカフェ&レストラン」というシンガポール料理店です。
この「オリエンタルカフェ」という店は割と新しいお店の様ですが、家内と娘たちは前に行ったことがあるそうで、シンガポール出身のご家族が営むレストランとのこと。
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それだったらと、私メもビールのつまみ用にグリーンチリもと頼んだのですが、説明してもスタッフの皆さんにはなかなか理解されず・・・。暫くすると、奥さんが漸く「アッ、ワカッタヨー!」と言って持って来てくれました。そう、コレコレ!青唐辛子の酢漬けです。このグリーンチリに限らず、オープンエアの屋台やシーフードセンターで汗を拭きながら食べるチリクラブなどの辛い料理が、赤道直下のシンガポールの暑さを忘れさせてくれるのでした。
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残念ながら、日本人の舌に合わせようと工夫すると、逆に現地の味からはどうしても離れてしまいます。日本人向けのエスニック料理としては(日本人のお客さんに食べてもらうためには)これはこれで良いのかもしれませんが・・・。でも、神谷町と比べこの界隈にはレストランが少ないので(麻布台ヒルズが今秋オープンすれば変わるかもしれませんが)、その後三組ほど会社帰りの皆さんが来られたので結構繁盛しているのかもしれません。
でも、「オリエンタルカフェ」の一生懸命工夫して少しアレンジされたシンガポール料理に何だか逆に不満が高じ、どうしても本来の“現地の味”が食べたくなって、私メの今までの記憶の中で一番それに近かった田町の『威南記(ウィー・ナム・キー)』へ、後日ウォーキングがてら麻布台から三田経由で歩いてランチに行くことにしました。
この「ウィー・ナム・キー」は、シンガポールでチキンライスでは今一番の人気店とのこと。1989年に家族経営の小さな店として誕生したそうですが、1987年から7年間赴任していた間には一度も耳にしたことはありませんでしたが、その評判を聞いて7年前に一度次女と三人で食べに行っていました。
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従って、家族で行く時には屋台はちょっと無理なので、専ら「チャターボックス」一択でした。
その後、次女が航空会社に勤めていた時にファミリーチケットで家内と次女が二人でシンガポールに行って、その時にやはりチキンライスが懐かしくてチャターボックスに食べに行ったら、一階から上の階に格上げされ、フロア同様値段も当時より更に上がっていてビックリしたとか。但し、逆に味は昔よりも落ちていて、後で聞いて知ったのは、当時のシェフが独立してしまい、違う料理人に代わったからの由。
当時の赴任先の会社のオフィスがラッフルズ・プレイスのOUBセンターに在ったのですが、その地階の地下鉄MRTの駅に続くショッピングセンターに唯一の「チャターボックス」の支店があり、通常のランチタイムは順番待ちの人気で混むので避けていましたが、会社が半ドンとなる土曜日の午後はオフィス街が閑散となるため空いていたので、午後もオフィスで残業する日本人赴任者だけで土曜日のランチには必ず「チャターボックス」に食べに行きました。名物のチキンライスもですが、日本のカレーライスの様にタイ米のご飯の上に掛けて盛られたチキンカリーもお薦めで、骨付きモモ肉がホロホロで絶品でした(思い出すと、また食べたくなります)。
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12時前だったので、まだそれ程混んではいなくてすぐに座れ、天気も良かったので我々はテラス席をチョイス。ただランチタイムが始まると、あっという間に満席になりました。
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そういえば、わが国で唯一のシンガポール政府公認という「シンガポール・シーフード・リパブリック」というシンガポール料理のレストランが品川に出来たと聞いて、15年ほど前、家族全員でシンガポールを懐かしんで食べに行ったのですが、シンガポールから空輸しているという蟹(マッド・クラブ)がグラム単位の量り売りされていたのにはビックリ。せっかくなので、現地を懐かしんで一応ブラックペッパーなどを食べましたが、現地ではチリクラブなどはホーカーセンターでも食べることが出来ましたから決してそんな高級料理ではありません。
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シンガポールの定番、タイガービール。シンガポールには他にアンカービルというのもあって、こちらがラガーでタイガーはモルトビールだった筈。日本で飲めるのはシンガポール料理店だけですが、イヤ懐かしい!
当時、モルト100%ビールの美味しさに嵌まっていて、レストランでは地元のタイガービールでしたが、日系デパートのそごうで月一くらいだったか日本のビールが安く買える日があって、その時だけ買っていたのがサントリー・モルツ(“やってみなはれ”と、「純生」での事業参入当初、店頭販売で自ら先頭に立ったという佐治敬三社長悲願のビール事業。敬三氏亡き後も“苦節40数年”、漸く黒字化の“立役者”となった“プレモル”誕生の萌芽となったオールモルトビール)とサッポロのエビス(我が国のオールモルトビールの先駆者)。
そう云えば、現地のインターナショナルスクールに通っていた娘たちの誕生パーティーのBBQ(私メは専ら肉やソーセージを焼く役でしたが)で、ドイツ人のお母さんから「日本にもこんなに美味しいビールがあるんですか!」と絶賛されたのがエビスビールでした。
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ただ、固めに茹でられた極細麺(ドライミー)と少し甘目のタレ。そうです、この食感、この味です。この麺でワンタンミーやフィッシュボールヌードルも食べたいなぁ・・・。現地なら当時2~3ドルで食べられた様な・・・。帰国後のシンガポール出張で、帰国便搭乗前にチャンギ空港のフードコートでフィッシュボールヌードルを食べたのですが、安くて美味しくて、一緒だったメンバーにとても喜ばれました。
勿論北京ダックやフカヒレなどがウリの高級チャイニーズレストランもありますが、北京ダックは北京料理ですし、フカヒレは広東料理であって、“シンガポール料理”ではありません。また、中華風に調理されるチリクラブやブラックペッパークラブ、更には生きた海老を紹興酒で酔わせてから蒸すDrunken Prawn(要するに「エビの酒蒸し」。もし日本語メニューがあると直訳で「酔っ払いエビ」と書かれていました) などは如何にも南国シンガポールらしい料理なのですが、“シンガポール料理”とは呼ばれてはおらず、単にSea Food と言われていました。
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ホッケンミー、チャー・クイ・ティアオ、フィッシュボール、ワンタンミーも本当に美味しかったのですが、日本ではポピュラーでは無い様で、まだ東京の“シンガポール料理”店で見掛けません。他にも、プラウンミーや熱々のクレイポット(土鍋料理)、そして屋台でしか食べられなかったオイスターオムレツもお薦めです。
中にはペーパーチキン(正しくは、というかメニューの英語表記はPaper Rapped Chicken)も今では外国人の間でもかなり有名になったらしく、日本でもその中に含めて紹介する旅行記事がありますが、これは嘗てポール・ボキューズが絶賛したという「ヒルマン」とその姉妹店「マンヒル」オリジナルの名物料理(他店ではメニューで見掛けたことはありません)で、もし他で真似していても他店のモノはホンモノではありません。
当時、会社で借りていた港の倉庫の近くに「マンヒル」があって、定期的なStock Check (棚卸)作業の後、ローカルのスタッフが連れて行ってくれて皆で食べて感激し、以降毎回作業後には「マンヒル」でPaper Rapped Chickenやクレイポットなどを食べるのが楽しみになりました。エアコンも無い庶民的な店でしたが、壁にはコック姿のポール・ボキューズのサイン入りのポスターが誇らし気に飾ってありました。しかし、当時は我々以外の日本人客は一度も見たことはありませんでした。因みに本店の「ヒルマン」にも赴任中に一二度ローカルのスタッフと一緒に行ったことがありますが、その時の我々以外の日本人客はJALのクルーの皆さんで、さすがは“現地通”と感心した次第。
クーラーも無いオープンエアのホーカーセンターなどの屋台で食べる、安くて美味しいローカルフードこそが本来の“シンガポール料理”の特徴なのです。
もしこうした現地のローカルフードが日本でも(安く)食べられるようになったら、その時が本当に“シンガポール料理”というジャンルが日本でも定着したと言えるのかもしれません。
それまでは、ここ「ウィー・キム・キー」でこのミー(麺)を食べて、現地の味を思い出すしかなさそうです・・・。
長女のマンションのある麻布台。毎日特別にすることも無い日は、せっかくですのでウォーキングも兼ねて周辺を散歩です。
近くでは、あべのハルカスを抜いて日本で一番高い330mのビル(JPタワー)になるという麻布台ヒルズが、今秋のオープンに向け最終工事の真っ最中。
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そしてもう一つ。建設現場を見ていて気が付くのが、作業服を着た少し小柄でヘルメットからポニーテールが覗いている人が結構多いこと。建設工事の現場で働く女性の皆さんです。おそらく現場の作業員ではなく、多分建築関係のエンジニアか職人さんだろうと思います。
今この国はどこも人手不足なのですから、OL職などに留まらず、理系女子の範疇としてこうした現場へも、男性に伍して、例え力勝負では負けたとしても片や男性には無い女性の持つきめ細やかさや持続力などの特性や感性を活かして進出しているのを間近に拝見し、大いに頼もしく感じました。彼女たちの努力も勿論ですが、建設会社としても工事現場の女性用の更衣室やトイレの確保、或いは妊娠中の作業環境など色々な課題に対処された結果だろうと思います。娘を持つ親と云うこともありますが、元人事屋としてはガンバレ!と“リケジョ”の皆さんにエールを送りたくなりました。
麻布台には、前にもご紹介した通り狸穴坂横にロシア大使館があって、現在の国際情勢を踏まえ24時間警察が警備を強化しているのですが(職務とはいえ、警察の皆さんも真意は複雑かもしれません。「ご苦労様です」と挨拶すると、「ありがとうございます!」と笑顔が返ってきます)、不思議なのは、ロシア大使館に隣接しているのがアメリカンクラブなのです。
穿った見方かもしれませんが、どう考えても米国が(建設した当時は)“スパイ天国日本”において、特に冷戦時代に攻守両面で隣接するこの場所に敵国を監視する目的で建てた(外交施設である大使館の方が優先されて、先に建設されたでしょうから)、としか考えられません。
そうしたキナ臭い話はともかくとして、そのロシア大使館とアメリカンクラブへ入る路地の行き止まりの所に、小さな空き地の様な草地があります。
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『日本経緯度原点は、わが国の経度と緯度を決める基準となるものです。この原点の数値は、大正7(1918)年に文部省告示によって確定しましたが、平成13(2001)年の測量法改正で数値が改められ、さらに平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震の際の地殻変動により原点が東へ27cm移動したため「東経139度44分28秒8869、北緯35度39分29秒1572」に改正されました。この場所には、明治7(1874)年から海軍の観象台がありましたが、明治21年に内務省地理局天象台、東京帝国大学理科大学天象台と合併し、東京帝国大学付属東京天文台が置かれました。その後、東京天文台は大正12年に三鷹へ移転しましたが、この場所は、現在もわが国の地図測量の原点として利用されています。』
ここは、元々東京天文台があった地だったのです。今ではひっそりと都会の隅っこに忘れ去られた様に佇むこの“空き地”に、我が国の隠れた歴史を感じました。
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我々日本人にとっては、当たり前過ぎて珍しくも無い(子供の頃は憧れで、祖父に連れられて、初めての“お上りさん”の東京観光で登った様な記憶が・・・)かもしれませんが、今でも外国人観光客の皆さんにとっては、定番の観光スポット。散歩していると、朝からライトアップされる夜まで、東京タワーを見上げ、或いは背景に写真を撮る外国人観光客で周辺は賑わっています(斯く言う田舎からの“お上りさん”も、上を見上げて歩いています)。
5月ということで、この時期は、東京タワーの高さに因んで、333匹という色とりどりの鯉のぼりがタワーの足の麓に飾られていて、またGWのこの時期は、特別にレインボーカラーでライトアップがされていました。
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厳密には、都立芝公園、港区立芝公園、プリンス芝公園の三つのエリアに分かれているのだそうですが、財政豊かな東京都と港区故か、例えば頻繁に雑草などの草刈りがされているなど、羨ましい程に本当に良く整備、管理がされています。特にプリンスホテルと区立の芝公園は、芝生と花壇の手入れが良くされていて様々な花がさいていましたが、とりわけこの時期はちょうど色んな品種のバラが見頃を迎えていてとても見事で、花の写真を撮っている人がたくさんおられます。特に区立芝公園のバラのハート型のトレリスは、バラのアーチ越しに東京タワーを入れて撮れるので、外国人観光客には人気の撮影スポットだとか。
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それにしても、GWということもあるのか、まるで「ここは日本ではない」かのように錯覚する程に園内では中国語と韓国語が飛び交い、カップルが写真を撮ったり、ネットに投稿するためなのかポーズを取ってスマホで動画撮影をしたりしている人たちの余りの多さに驚きました。
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これは羽田の便数増加に対応するために、2020年から運用が開始された都心上空を飛ぶ飛行ルートで、常時ではなく主に南風が吹いている時、しかも騒音対策として15時~19時の間の3時間程度に限定して使われる飛行ルートなのだそうですが、このルートだと新宿駅周辺で約3000ft(約915m)、そしてこの辺りの六本木ヒルズ周辺で約2000ft(約610m)とのことなので、肉眼ではすぐそこを飛んでいる感じがします。いずれにしても、“乗り物好き”の “お上りさん”の年寄りにとっては、ヨダレが出そうな程のたまらない光景でした。
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それは毎日、朝早くから地下鉄の神谷町駅から建設現場へ向かう作業員の人たちの行列が、まるでアリの行進の様な動きから始まります。
あべのハルカスを超える330mという麻布台ヒルズのメインタワーは、既にビルの外観はほぼ完成していて、今はその内部工事とヒルズ一帯の下層階部分の屋上庭園や下層階の建物側面も緑に覆われる様で、その部分の植栽工事が行われていました。
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ゆったりと流れるノンビリした田舎の時間の速さとは全く異なる様な、活気に溢れた日本の中心の鼓動とその喧騒に圧倒される様でした。
日々 “育児”に奮闘する次女の気分転換を兼ねて、暇な我々年寄り夫婦の方が横浜に出向き、元町駅で次女と孫娘と待ち合わせ。
コロナ禍で3年ぶりの制限無しのGW中の外出とあって、元町駅には列車が着く度にたくさんのお客さんがホームから改札へ上がって来ます。しかも、若い子たちが多いのに驚きます。どうやら、中華街方面へ向かう人が多そうですが、我々は一歳半の孫娘をベビーカーに乗せて、歩いてすぐの山下公園へ。
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ワンコ連れOKのクルーズってないのでしょうか、ね。最近の大型フェリーの中には、ペットと一緒に泊まれる客室を備えた航路も出始めていますが・・・。
余談ながら、これからの観光業(飲食業も含め)のターゲットは、インバウンドは別とすると、シルバーエイジとペット連れだとずっと思っているのですが、その割には“町ぐるみ”の軽井沢を除くと、住んでいる松本を含めどこに行ってもペット連れにまだまだ決して優しくない・・・と感じています。
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事前の予約枠が満杯だったとのことで、当日枠で食べられるようにと、到着後真っ先にホテルに直行してウェイティングリストに記入し、凡その可能時間を確認した上で山下公園に来ていました。
念のため少し早めにホテルに戻ると、その「ザ・カフェ」の前には既に20組以上のお客さんがウェイティング中。今からだと2時間近く待つかもしれないと受付で説明されていて、我々は早めに受付しておいて大正解でした。実際予定時刻より15分早く戻ったのですが、既に一度呼ばれていたらしく、すぐに席を用意していただいて席に着くことが出来ました。
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『この横浜・山下町に位置する「ホテルニューグランド」は、1927年に開業した正統派クラシックホテルで、海外との窓口として歩んできたホテルには異国情緒溢れる雰囲気が漂います。
名物料理と言えば「シーフード ドリア」「スパゲッティ ナポリタン」「プリン・ア・ラ・モード」など誰もが知っているメニュー。これらは全て「ホテルニューグランド」発祥のメニュー!
これらは全て「ホテルニューグランド」のコーヒーハウス「ザ・カフェ」で提供されています。』
先ずは、シーフードドリア。これは、
『初代総料理長を務めたサリー・ワイルが考案した料理です。サリー・ワイルは、メニューに「コック長はメニュー外のいかなる料理にもご用命に応じます」と記し、お客様の要望に合わせて様々な料理を作って提供していました。ある時、滞在していた銀行家から、「体調が良くないので、何かのど越しの良いものを」という要望を受け、即興で創作した一皿をお出ししました。その時作ったのは、バターライスに海老のクリーム煮を乗せ、グラタンソースにチーズをかけてオーブンで焼いたもの。好評だったこの料理は、"Shrimp Doria"(海老と御飯の混合)として、レギュラーメニューになり、ホテルニューグランドの名物料理の一つになりました。』
続いて、今や日本中の喫茶店のメニューの定番となっている、スパゲッティのナポリタン。こちらは、
『2代目総料理長 入江茂忠が、接収時代、茹でたスパゲッティに塩、胡椒、トマトケチャップを和えた物を米兵が食べているのを知り、アレンジを加えて生み出した一品。終戦後、1945年8月30日に到着した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーによって米軍による占領が開始され、以降1952年までの間、ホテルニューグランドはGHQ将校の宿舎として接収されました。戦後厚木に降り立ったマッカーサーが最初に宿泊したのもこのニューグランド。GHQの彼らの持ち込んだ軍用保存食の中にスパゲッティとトマトケチャップがあり、米兵たちは茹でたスパゲッティに塩・胡椒で味付けをし、トマトケチャップで和えた物をよく食べていたそうです。接収解除後、ホテルには彼らが持ち込んだ大量のスパゲッティが残されていたことから、戦後2代目の総料理長を担った入江茂忠は「ホテルで提供するに相応しいスパゲッティ料理を作ろう」と、苦心の改良を重ねました。もともと、当ホテルでは、初代総料理長サリー・ワイルより受け継いだカルーソー(仔牛の細切り肉とトマトベースのデミグラスに合わせた料理)やボロネーゼなどのスパゲッティ料理があり、入江は新たなメニューとして、トマト本来の味わいを生かしたホテルならではの料理を提供しようと、ニンニクと玉葱の微塵切りを飴色になるまでよく炒め、生のトマト、水煮のトマト、トマトペーストを加え、ローリエとオリーブオイルを入れてソースを作り、スパゲッティと合わせ、この料理を「スパゲッティ ナポリタン」としてお客様へお出ししたのです。』
そして最後、プリン・ア・ラモードはアメリカ人将校夫人たちを喜ばせたいと、当時のパティシエが考案した一品だとか。
余談ですが、そんな歴史を知って思い出したのは、終戦後GHQの高官として占領中の日本に駐在したアーレイ・バーク提督の逸話でした。
彼は駆逐艦艦長としてソロモン海戦を始め太平洋戦争を生き抜いた猛将で、海戦で多くの親友や部下を失ったために、公式の場でも日本人を“Jap”や“Yellow Monkey”と罵る程の大の日本人嫌い。終戦後、GHQの高官として、氏はこのニューグランドでは無く帝国ホテルに滞在していたそうですが、滞在中の花瓶に活けた一輪の花をきっかけとなって、同じくソロモン海戦で駆逐艦艦長だったご主人が艦と共に沈み戦死されたという戦争未亡人のメイドの方との交流を通じ、やがて大の親日家に変わっていき、我が国の独立回復をGHQの立場から本国政府に進言し続けるなど、戦後の日本復興に貢献したという有名なエピソード。
ホテルニューグランド発祥のメニューの歴史を読みながら、有名無名かを問わず、きっとこのニューグランドでもそうした数え切れない程の交流があったのだろうと勝手に思いを巡らせていました。
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お子様メニューもあるとのことでしたが、孫娘は用意してあった離乳食で構わないとのことでした。
先ずは全員パンとこの日のスープ、ジャガイモのポタージュから。
「大人のお子様ランチ」は先述したこのホテル発祥のシーフードドリアとナポリタンにハンバーグステーキを加え、デザートにア・ラ・モードではありませんがプリンが付く、キャッチフレーズ“大人だって食べたいお子様ランチ”です。
オリジナルのナポリタンは酸味が効いた、今やどこでも食べられる“普通”のナポリタンでしたが、ドリアは実に優しい味付けで、これは美味しい!娘も絶賛していました。
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家内のチョイスした海老フライも、大ぶりな車エビのエビフライがプリプリだったとのこと。どれもさすがでした。デザートはセットメニューにレモンケーキ。奥さまがプリンも食べられましたが、固めで昔懐かしいいプリンで美味しかったそうです。
せっかくだったので、本当ならもう少しゆっくりと雰囲気も楽しみたかったのですが、私の背中側に座っていた女性が、孫娘が時々声を上げたりすると、キッと睨むのだとか。あちらにすればせっかくのニューグランドでのランチを独り静かに楽しみたいと思われたのでしょう。そこで我々は、食べ終わってから早々に席を立ちました。
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少子化対策を制度論で議論する前に、子供たちは未来のこの国を背負っていく“国の宝”ですから、子育てに寛容で優しい社会でありたいと思います。そしてそれは決して甘やかすのではなく、私たちが子供の頃は当たり前のように他人の子供であってもきちんと叱るべき時には叱ることも含め、昔の様に地域の皆で子供たちを見守り育ててくれた、多少は“お節介な”そんな社会であるべきだと思います。
マンションにも小さな子供たちがたくさんいますので、決して“小煩い老人クレーマー”と勘違いされぬよう、先ずは身近な実践から・・・(家内からは「嫌がられるから、絶対にやめた方がイイ!」と言われるのですが)。
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そんな田舎のジジババは、今回は次女と孫のお陰で、ミナトヨコハマの“赤い靴”の山下公園とホテルニューグランドでのGWのひと時をゆったりと楽しむことが出来ました。
東京滞在中の前半、4月27日に予約してあった狭山市の動物病院へ。
前回ご紹介した様に、コユキが繁殖犬の時にブリーダーに声帯を切られたことが原因で、我が家でのトライアル期間中に過呼吸気味になり、コユキを保護していただいた埼玉の保護団体の提携先だった狭山市の動物病院で緊急手術をしていただいたのですが、ナナが亡くなった後の精神状態も手伝ってか最近元気もなく、またハァハァという呼吸も荒くなっ多様な気もすることから、術後に担当頂いた院長先生から「もし再発したら診せに来るように」と仰って頂いていたこともあり、今回せっかくの機会なので東京滞在中にまた狭山の動物病院で再診していただくことにして、4年前に手術をしていただいた院長先生に上京する前に連絡し、事前に再診日時と念のため手術の予約もさせていただきました。
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動物病院での午前中の診察で、前回は声帯切除の影響で軟口蓋過長になっていて手術をしていただいており、今回軟口蓋は全く問題が無いとのことだったのですが、やはり他の場所の息道が腫れて狭くなっていて呼吸し辛くなっているとのことで、念のため手術の枠を事前に予約して確保していたこともあり、そのまま手術をしていただき午後4時過ぎに改めて迎えに来ることになりました。そのため4時間以上時間が空きました。
「さてと、それまでどうやって時間潰そうか?・・・。どこかに行く?」
ランチ休憩がてら、近くに在った星野珈琲で休憩を兼ねて早昼を摂りながら検討です。そして、出た結論は、
「乗って来た特急の終点だった川越に行ってみようか!?」
川越は“小江戸”と呼ばれ、東京からも近いので近年では人気の観光地になっています。ただ、首都圏に住んでいればですが、首都圏在住でなければわざわざ訪れる場所では無いように思います。その意味では、今回のコユキのことが無ければ、我々も信州から川越に観光目的で来るという機会は、おそらく一生無かったかもしれません。
“世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり”と云われるのだそうですが、長野県にも飯田や飯山など“小京都”と呼ばれる街がありますが、例え武家屋敷や宿場などの江戸時代の町並みが残っていても、確かに川越以外に“小江戸”というのはあまり聞いたことがありません。
駅に戻り、電車に乗って狭山から川越(西武線は「本川越」。JRが「川越」、東武は「川越市駅」と、川越駅が三つあります)へ。普通列車でも10分も掛かりませんでした。
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蔵造りの町並みは、松本の中町も同様ですが、川越も何度か大火に見舞われ、その時に蔵が焼け残ったことから、類焼を防ぐために蔵だけでなく一般の商家も耐火性の高い“土蔵造り”が採用され、結果として蔵造りの町並みになったのだとか。川越は、中町の“なまこ壁”の蔵とは違い、蔵全体が黒い壁で作られているのが特徴でしょうか。因みに、川越は、福島県喜多方市、岡山県倉敷市とともに「日本三大蔵の町」なのだそうです。
松本は、中町通りだけなので「日本三大蔵の町」としては規模が小さいのでしょうか、チト残念!
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皆さん、食べ歩きを楽しまれていて、個人的には川越と云えば芋!というイメージなのですが、必ずしもそうでもない様で、中には京都の清水坂にもある浅漬けキュウリの一本バーを食べている観光客もたくさんいました。
我々は狭山でランチを済ませてきてしまったこともあり(どうせなら川越で食べれば良かったかも)、娘たちや(東京での滞在中の)自家用とお友達へのお土産用に、芋ケンピと試食をして美味しかった丸ごと玉ネギのお漬物と福神漬けに姫キュウリの浅漬けを購入(玉ネギの漬物は娘たちと婿殿に好評でした)し、駅に戻り電車に乗って早めに病院で待つことにしました。
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「コユキ、大変だったね。でももう大丈夫!もう苦しくないからネ、楽になるからね!お疲れ様!」
手術をしているコユキの様子を心配しながらではありましたが、思いがけず予定もしていなかった“小江戸”観光が出来た一日でした。