カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
今回の京都旅行は別にウォーキング目的で来た訳では勿論無いのですが、移動日を除いた中三日間、朝のウォーキングも含め毎日10㎞位歩いていました。
中でも、この日は朝一番で永観堂拝観の後、東山に沿って銀閣寺方面へ向かう哲学の道を途中から東大路に戻り、真っすぐ上がって百万遍から西へ出町柳まで行って、遅めの朝食後にまた少し戻り、今度は平安京遷都以前の古代からの原生林である糺の森を抜けて下賀茂神社へ参拝です。
途中、百万遍の手前の小山が吉田山と知り、
「あぁ、ここか~!節分で有名な吉田神社は・・・」
「あっ、やっぱり学生時代はこの辺避けてたんでしょ!?」
ま、それはともかく、京都市内では将軍塚と並び、ミニ・トレッキングコースの様なので、今度来たら登ってみようかな、と・・・。
『ちはやぶる 賀茂のやしろの ひめ小松 よろづ世ふとも 色はかはらじ』(『古今和歌集』)と、藤原敏行が詠んだとのこと。
また、境内にある湧水の御手洗池では葵祭の神事が行われ、そこから糺の森に御手洗川が流れていくのですが、その名に由来してここが「みたらし団子」発祥の地なのだとか。その“パワー”もあってか、参拝後に出町柳の和菓子店「ふたば」に家内は吸い寄せられたのかもしれません。
幾つかある鴨川の飛び石の中で一番有名なのが、この合流地点の鴨川デルタの先端にある飛び石で、京都を舞台にしたミステリードラマなどの中に良く登場しています。
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残念ながらそのホテルから眺めたことはありませんが、半世紀以上前に東山魁夷が川端康成から「京都は、今描いていただかないとなくなります。」と云われて描いたのが「京洛四季」。
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絵の中にあるお寺は、東山魁夷がホテルから東山三条方面を眺め、仁王門通りと三条通の間にある日蓮宗本山「要法寺」本堂の大屋根だと云われています。
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岡崎からスタートし、永観堂から哲学の道と東大路から下賀茂神社へ。そして出町柳から鴨川縁を歩き、二条大橋から疎水沿いに岡崎へ戻りました。後で家内がGoogle Watch で確認したところ、この日は往復14㎞歩いたのだとか。いやはや、今日はさすがに疲れました。
しかし後で考えてみると、今回の4泊5日の京都滞在で、車での移動日を除いた中三日間、驚いたことにその間一度も市バスも地下鉄も、ましてや京阪や近鉄、嵐電などの私鉄やJRにも、京都市内を移動するための交通手段で“自分の足”以外の交通機関を一度も使わなかったのです。
京都に観光で来て、市バスに一度も乗らなかったのは生まれて初めてでした。(京都に着いた初日、松本から京都まで330㎞、車の運転に疲れてもうどこも回る気がしなかったので、ホテルのチェックインを済ませてから、四条河原町の高島屋にその日の夕食用にお弁当の買い出しに行ったのですが、その時も「疲れた、疲れた」と云いながら、結局往復岡崎から歩きました)
ま、滞在中のお寺巡りが知恩院や永観堂、清水寺は全部東山区ですし、下賀茂神社や出町柳は左京区。後は、食事や買い物で行った三条や四条河原町は中京区や下京区ですので、今回は岡崎からは遠い北区や右京区、ましてや高野や大原まで足を延ばす予定は元々ありませんでしたが、それにしても、
「ようけ、歩きはりましたなぁ・・・」。