カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 サントリーホールでのベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)の来日公演。二日間で交響曲全曲を演奏するブラームス・チクルス。1&2番、3&4番の組み合わせで、最終日が3番と4番(ブラフォー)の演奏会。当初は音楽監督のダニエル・バレンボイムの予定だったのですが、体調不良により、クリスティアン・ティーレマンに変更。個人的には、むしろその方が楽しみが増しました。というのも、旧東ドイツ系のシュターツカペレ・ベルリンをベルリン生まれのティーレマンが振る方がよりドイツ的なブラームスが聴けると思ったからです。
ベルリン国立歌劇場管弦楽団と日本では呼ばれるシュターツカペレ・ベルリン。学生時代から大好きだったオトマール・スウィトナーがシュターツカペレ・ドレスデンと共にシュターツカペレ・ベルリンを振ったモーツアルトが大好きでした。或る意味、今ではユニバーサルな“世界の”ベルリン・フィルよりも、旧東ドイツ系の二つのシュターツカペレであるドレスデンとベルリンは、共にきっと今でもよりドイツらしい音を伝統的に残しているオーケストラだと思っています。

 サントリーホールは、調べてみたら実に8年振り。8年前に広上淳一が京響を率いた東京凱旋公演での“マライチ”が最初で、その後ドゥダメルが振ったVPOの来日公演を、長女がエル・システマ・ジャパンのボランティアをしていた関係で入手出来たシェラザードを聴いた以来の三回目。
しかし、日経の文化欄に依れば、急激な円安で海外オーケストラの招聘コストが(円ベースで)高騰してしまい、また中国がゼロ・コロナで演奏会などは開催不能だったこともあって、アジアツアーとして数ヶ国で分担することが出来なくなっているため、日本単独での来日公演開催は困難とのこと。サントリーホールは楽友協会と友好協定を結んでいることで、毎年“ジャパンウィーク”として来日してくれるウィーン・フィル以外は著名な海外オーケストラは今後生で聴けなくなるか、運よく聴けてもべらぼうなチケット料金にならざるを得ないのではないか・・・とのことでした。
そうした背景もあって、8年前のVPO同様、今回も長女のお陰で初めて生でシュターツカペレ・ベルリンとティーレマンを聴くことが出来て誠に有難い限りなのですが、今回の急激な円安により確かにこのコンサートも昔のイメージからするとどの席も1.5倍のチケット代という気がします。
 長女は朝から直前までオフィスで仕事ということで、開演30分前にホール前で待ち合わせ。久し振りの夜の演奏会はザワザワとした喧噪もあって、そんなざわめきもコロナ禍故に久し振りで何だか新鮮にさえ感じます。
マスクを着用し、検温、消毒の上で入場。Xmasシーズンに合わせた館内のデコレーションも“音楽会”前の華やいだ雰囲気を演出しています。
二階の真ん中やや左手側に着席。オケ団員入場に伴うWelcomeの拍手も久し振りで懐かしい気さえします。コンマス登場に一段と拍手が高まり、やがて指揮者のクリスティアン・ティーレマンが足早に登場。彼はベルリン出身の生粋のゲルマン人ですので、旧東ドイツの名門オケとの相性もバッチリでしょう。個人的には、オトマール・スウィトナーの後任である現音楽監督ダニエル・バレンボイムが体調不良により途中でティーレマンに指揮者変更というアナウンスがあって、今回のブラームス・チクルスへの期待感はむしろ高まりました。
今回のオケの配置は対抗式で、ステージに向かって第一ヴァイオリンの横にはチェロ、その横にヴィオラと並び、第二ヴァイオリンはステージに向って右手。
 交響曲第3番。
大柄なティーレマンの指揮は、思ったより体全体を使って振っていました。しかも、目の前にいるコンマスなど弦への指示なのか、胸ではなく体の下半身の辺りでの振りが印象的。
映画音楽としても使われた、美しい旋律の第三楽章。コンサートの後で、娘はこの楽章にウットリして、この3番の方が良かったそうですが、
 「三楽章の途中で、ちょっと寝てたでしょ!?」
との仰せに、「えっ、ばれた!?」。どうやら、3時間も寄席の畳敷きの桟敷席に薄い座布団で座っていて、最後苦痛で何度も足を延ばしたり腰をもんだりしたのですが、どうやらそのせいで疲れてしまい、心地良い音楽に一瞬うとうとしたらしく、生まれて初めてコンサートで寝落ちしてしまいました。
ベルリンの壁崩壊に伴い、ドイツ統一により“西欧化”が進んだ旧東ドイツなのでしょうが、オケも2階席から見る範囲で、ゲルマン人だけではなく結構アジア系(日本人?或いは韓国人か中国人?)の団員も多いように見受けられましたが、そこは伝統のなせる業?音色はちゃんと昔懐かしき東ドイツの重厚な響き・・・の様な気がしました。

 後半の4番“ブラフォー”。私の大好きな交響曲の一つで、学生になって2枚目に買ったLPです(因みに、初めて買ったLPは“チャイゴ”)。哀愁のあるメランコリックな第一楽章が何とも言えませんが、この曲で、サガンではありませんがブラームスが大好きになりました。良く云われる様に、とりわけ落ち葉舞う晩秋になると何故かブラームスが聴きたくなります。個人的に一番秋に相応しいと思うのは、弦楽六重奏曲第一番の第二楽章でしょうか。ブラームスの曲はどれも弦の響きが特徴的で、弦楽アンサンブルを聴くとすぐに彼の曲であることが分かります。
そして、シュターツカペレ・ベルリンの深い憂いを湛えた様な、渋く陰影あるサウンドはブラームスに実に良く合っている気がします。何となくこの音色を聴いていると、新婚旅行(40年以上前ですが・・・)で行った11月末のロマンチック街道や出張で何度か行った秋のヨーロッパの暗い雲に覆われた陰鬱な雰囲気の空を思い出します。だからこそ、春の陽光がより輝いて待ち遠しくなるのでしょう。と同様に、短調の暗い曲調の中で出会う長調の明るいメロディーや和音にほっとするのでしょうか。
 短調の第一楽章で始まり、明るい長調の第三楽章の後に、バロック様式の変奏法のパッサカリアを用いた第四楽章は短調で終わります。古典派様式に則った交響曲第一番の生みの苦しみを乗り越え、尊敬するベートーヴェンの呪縛から解き放たれたブラームス。
この交響曲第4番、ブラームス自身の指揮での初演時の評判はイマイチだったそうですが、一週間後にハンス・フォン・ビューローの指揮でも演奏。当時彼の助手をしていた若きリヒャルト・シュトラウスは、父親に宛てた手紙に「まさに天才的」と記していて、因みにこの演奏の中でシュトラウスはトライアングルを担当していたのだそうです。
息苦しくなるような緊迫感が漂う第四楽章。次第に高揚し劇的で圧倒的なフィナーレ。ティーレマンの振り上げたまま静止した手が静かに下ろされて、漸くこちらもフゥ~っと小さく息を吐きながら緊張感を解き、そして場内割れんばかりの万雷の拍手!コロナ禍故、W杯サッカーのピッチ上の様にブラボーの声は掛けられませんが、もしOKなら間違いなく会場のあちこちからブラボーの声が掛かっていたのは間違いありません。
会場内の張り紙や事前の場内アナウンスで、カーテンコール時の写真撮影がOKとのことで、会場あちこちで聴衆の拍手に応えるティーレマンや楽団員を撮影するスマホが見られました(フラッシュ撮影は係の人が注意をしていた様です)。
余談ですが、後日の日経文化欄に依れば、コロナ禍でクラシックの演奏会への集客に苦しむホールもある中、SNS等による拡散での人気アップにつなげるべく、また演奏会後のサイン会や出待ちを我慢してもらうためもあって、その代わりにポップスのコンサートの様にクラシックの演奏会でもカーテンコール時だけは写真撮影を認めるホールが増えたのだとか。個人的には有難い限りで大歓迎!松本も含め日本中に拡がれば良いと思いました。
何度もカーテンコールが掛かりましたが、3番と4番の二つの大曲の後では、例えばハンガリー舞曲など軽過ぎて相応しくないでしょうし、4番の余韻を壊さぬためにもアンコール演奏は不要。その代わり、何度もカーテンに応え、これもビンヤード型のサントリーホールのステージ背後におられるお客さんたちへも彼等の写真撮影に応えるためか、ティーレマンの指示で珍しく全員で回れ右をして後ろの聴衆へもお辞儀をしていました。
最後、団員が下がった後も鳴り止まぬ拍手に応えてティーレマンが登場し、この日のコンサートはお開きになりました。
 華やかなざわめきに包まれるサントリーホールのロビーを出て、まだ冷めやらぬコンサートの余韻に二人で浸りながら、銀杏の街路樹の歩道を歩いて長女の神谷町のマンションへ帰りました。
長女のおかげで、夢の様なティーレマン指揮シュターツカペレ・ベルリンのブラームスを楽しむことが出来ました。本当におかたじけ!

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