カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
10月末、長女がNYから帰国して暫く我が家に帰省していた時に、何を思ったか「これ聴きに行かない?」と言って予約してくれたのが、シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)のサントリーホールでの来日公演。二日間で交響曲全曲を演奏するブラームス・チクルスの1&2番、3&4番の組み合わせで、「どっちがイイ?」という問いに選んだのが、最終日の3番と4番(ブラフォー)の演奏会でした。
しかし、今年の急激な円安もあって、どの海外オケの公演はどれもバカ高いチケットなのに、「ま、イイから、イイから・・・」。後で、家内曰く、
「いつも私だけ子供たちの所に行ってるから、気を使ってくれたんダヨ!」
「・・・おかたじけ!」
斯く言う家内は、先月末には母娘で、混んでいる京都を避けて奈良へ観光旅行に長女と二人で行ってましたし、私メの上京の翌週から“孫の世話”も兼ねて娘たちの所へまた行く予定とか・・・。
羨ましくも「オヤコ」と読む“母娘”には、「父娘」と書いても「オヤコ」とは読めぬ父親は敵わない・・・母娘の絆は強い!と、つくづく感じます。
サントリーホールはマチネではないので、その日は彼女の家に泊めてもらい、翌日は横浜の次女の所に行って、孫の顔を見てから帰る予定。父親からすれば、“夢の様な二日間”・・・です。
12月8日の当日。いつもとは逆で家内に見送られ、松本駅から新宿経由で長女のマンションの在る神谷町へ。引っ越しの手伝いで松本から荷物を運んだ時は車でしたので、電車(地下鉄)で行くのは初めてです。最寄り駅は日比谷線の神谷町と南北線の六本木一丁目。家内から教えられた通り、新宿駅から地下鉄に乗り換えて神谷町駅へ向かいました。家内から預かって来た荷物を娘のマンションに置いてからまた新宿に戻り、生まれて初めての寄席に行って落語を聞き、夜はコンサート。翌日は次女の住む横浜へ。
出来れば、翌日は東博の国宝展も見たかったのですが、それを見ていると横浜へ行くのが間に合わぬことから事前に断念していました。
そのため、次回以降(機会があるかどうかは不明ですが)の参考に、翌朝、朝早くオフィスに出勤する娘を送り出してから、ウォーキングを兼ねてマンションのある神谷町界隈を歩いてみました。
東京タワーにはたくさんの観光バスが駐車していて、ちょうど修学旅行と思しき中学生の一団が広場で何か説明を受けていました。
仙台育英高須江監督の「青春は密」と云われた通り、コロナ禍で今までは何もかもダメと言われ、あらゆる行事が中止になる様な我慢を強いられてきた子供たちでしょう。漸く実施出来たのであろう修学旅行に、何だか我が事の様に嬉しくなって暫く彼等を眺めていました。
私メもお上りさん同様に(って、正しく“お上りさん”には違いないのですが)真下から東京タワーを見上げてみました。そう云えば、子供の頃(小学生?)には違いないのですが、東京タワーに昇ったのは一体いつだったんだろう?亡くなったお祖父ちゃんが連れて来てくれた東京旅行の時だったのだろうか・・・?もし今度機会があったら、60年振り位にまた昇ってみたいと思い、暫し真下から東京タワーを見上げていました。
この東京タワーと増上寺の間に位置し、芝公園と道路を挟んだ谷合の様な場所が「もみじ谷」でした。二代将軍秀忠が江戸城内からモミジを移植し、お江の方様のために紅葉山を築いた場所がその始まりで、明治初期に傾斜のある地形を生かして造られた人工の渓谷で、わが国最初の公園の一つとか。
もみじ谷は都内の紅葉スポットとしても知られていて、イロハモミジやオオモミジなど9種類、約200本のモミジが植えられているそうです。
信州は既に葉が落ちた裸の木々で真冬の様相ですが、東京はまだ秋の紅葉の風情。たった東南へ200キロしか離れていないのに、神谷町や六本木周辺の街路樹、東京都のシンボルツリーでもあるイチョウ(銀杏または公孫樹)は黄色に色づいた木や未だ緑色を残した木もあり、松本がいくら高尾山と同じ標高とはいえ、随分季節の色合いが違うものだと感じた次第です。冬の信州から秋の東京に来て、暫し名残の紅葉を楽しむことが出来ました。