カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
10月24日の月曜日。「松本落語会」の第549回例会に参加して来ました。
今回の例会は、個人的に好きな噺家の一人である柳亭小痴楽師匠の独演会。
小痴楽師匠の落語を聞くのは2回目ですが、調べてみたら前回は7年前(第1037話)で、その時はまだ二ツ目。その年のNHKの「新人落語大賞」に出場し準優勝だったのをTVで視て、その時のキップの良い江戸弁が心地良くて大いに興味を持ちました。
因みに、「松本落語会」は地方の落語会の草分け的存在とか。他界された先代の会長さんが勧進元となって、オイルショックの時に「街を明るくしたい」と1973年に創設され、時には私財を投げ打って40年以上も毎月例会を開催し続けて来られたのだそうで、落語界では有名な存在なのだとか。しかも演目は古典落語が中心とのこと。先代亡き後、遺志を継いだ会員の皆さんがコロナ禍も乗り越えながら頑張って落語会を続けていらっしゃいます。私が一番好きな噺家である柳家さん喬師匠の生落語を聞けたのも(東京でも二人会をしている柳家権太楼師匠と一緒に)この落語会でした。
さて、今回の柳亭小痴楽師匠は五代目柳亭痴楽の息子さんで、高校を中退し16歳で父親の元に弟子入りした直後に師匠が倒れ、その後別の師匠に預けられますが、前座時代に寝坊癖でナント破門されて別の師匠の元に移ったのだとか。そんな紹介通りに、今風の、謂わば“チャラ男”風のパーマ頭のイケメンが登場。しかし、演じたのはコテコテの古典落語で、その見た目とのギャップに驚くと共に、“ちゃんと”古典を演じるその姿に感動すら覚え、「おお、この噺家、ホンモノだぁ・・・!」と感心し、この時からこの二ツ目の噺家に大いに興味を持ったのでした。
入門当時から当時芸協会長だった歌丸師匠に「ちぃ坊」と呼ばれて可愛がられ、自分の師匠でもないのに前座時代から二ツ目になっても指名されて付き人として全国あちこち連れて行ってもらったそうで、人間としての礼儀作法から始まって、高校中退故に書けなかった漢字の添削までしてもらったのだとか。その歌丸師匠だけではなく、小遊三やヨネスケなど、痴楽師匠の同年代の師匠方から「親父さんには世話になったから」と色々教えてもらったという柳亭小痴楽さんは、そんな憎めない素直な一面も感じられた若者でした。
今は亡き父上の五代目痴楽師匠もこの松本落語会に出られたことがあるのだそうで、HPのネタ帳で確認をしたらナント第一回目に「小痴楽」の名で登場されていました。親子共に縁がある「松本落語会」なのです。
前回のトリで演じられた「大工調べ」は、大家相手に大工の棟梁政五郎が切る江戸弁の啖呵が一番の聞かせ処で、早口で威勢良く延々とまくし立てる口調の見事なこと。啖呵が終わると期せずして拍手が起こり、「イヤ、この人、ホンモノだぁ!」と感心した次第。
その小痴楽さんが、2019年に見事5人抜きで真打に昇進(落語芸術協会)、しかも15年振りという、期待の一人真打で昇進しての今回の凱旋公演。今や若手落語家の中でも実力派として注目される一人となった小痴楽師匠。コロナ禍に私自身にとってもこれまた3年振りの生落語ですが、これは何としても聞きに行く他ありません。
会場のMウィング(中央公民館)6階ホール。コロナ禍前は源智の井戸の横に在る瑞松寺を“骨の髄から笑う”髄笑寺と洒落て、お寺の本堂で行われていましたが、コロナで客席との間隔を広く取れるホールに変えたとのこと。椅子と椅子の間も空けてあり、席数は100席ちょっとでしょうか。さすがは若手の人気落語家である小痴楽師匠ですので、用意された席はほぼ満席の盛況でした。
この日一緒に出演予定だった弟弟子の柳亭春楽さんが体調を崩したとのことで、女性噺家の前座、三遊亭美よしさんに交替。急な代演でめくりも間に合わず、前座故に「開口一番」のまま。彼女はお隣の富山県出身とかで、来年には二ツ目昇進が内定しているとのこと。女性らしく声の通りも良くちゃんと声が出ていて、多少とちろうが前座ならでのご愛敬。仲入りを挟んで、関西弁での長ゼリフで口を鍛えるための前座噺という「金明竹」、次に「権助芝居」をキチンと演じられました。
お目当ての柳亭小痴楽師匠は、仲入り前に「湯屋番」、トリに「猫の災難」を熱演。前回は江戸弁のキップの良さが印象的でしたが、今回は声色を含め、話芸としての旨さが光ります。もう立派に寄席のトリとしての一枚看板の噺家でしょう。特にこの日の「湯屋番」の様に、どこか憎めない道楽者の若旦那を演じさせたら当代一かもしれません。
この日特に印象的だったのは、トリで演じた「猫の災難」。熊さんが兄貴分の買って来てくれた五合の酒を遂に飲み干して酔っぱらった挙句、鯛同様に隣の猫のせいにすべく言い訳を練習するのですが、酒のツマを買いに行った兄貴を待っている間、「今日は仕事休みで、暇で時間があるから落語でも練習するか」・・・と、暮れには演じたいと言って語り出したのが、ナント「文七元結」。吾妻橋の欄干から飛び込もうとする文七を必死に止める長兵衛さんが、手を滑らせてしまい文七がまさかの大川に落ちてしまったというところで熊さんが寝てしまい、戻った兄貴分に叩き起こされ、目の前の兄貴を見て(川に落ちたと思っていた文七と勘違いして)「あっ、生き返った!」。
本来は「猫の災難」の噺の中には出て来ない「文七元結」をもじった場面を盛り込む師匠独自の工夫に、
「あぁ、師匠は本当に演じたいんだろうな・・・。暮れの松本落語会にまた来てもらって、いつか本当に小痴楽師匠の演ずる文七元結を聴いてみたい!」
と思わせてくれた高座での熱演でした。
三年振りの落語会。音楽もですが、落語もやっぱり“生”がイイなぁ・・・。
「何だかまた、さん喬師匠の人情噺が聞きたくなっちゃったなぁ・・・」
会場の外はもう冬の寒さでしたが、何となくほっこりした気分で、余韻を楽しみながら、
「ホンジャま、歩いて帰ろうか・・・。」