カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
9月30日、突然、六代目三遊亭円楽師匠死去のニュースが報じられました。落語家としてはむしろこれから円熟期を迎えるとも云える、まだ72歳という若さでした。
何度も病に倒れ、今回は脳梗塞から今年8月に高座に復帰した円楽師匠。その復帰高座後のインタビューで、今後の落語界に必要なものを問われ、その様子を報じた記事曰く、『円楽は「統一協会」とにやり。「協会を統一するんだよ」と改めて真意を語り、協会を統一すれば、寄席の座組なども柔軟に組めるようになると説明。「協会を1つにして、その中に全部、含む。大阪の漫才師は吉本。それだったら東京の落語家は、そこに入れちゃえばいい。東京落語会」』
如何にも時事ネタ得意の師匠らしい内容ですが、決してブラックジョークではなく、1978年(昭和53年)に当時落語協会の会長だった小さんによる若手の真打大量昇進について、前会長だった圓生が抗議をして袂を分かち、圓生一門が協会を脱退。その大師匠亡き後は協会に復帰する落語家が相次いだ中で、師匠の先代五代目円楽に従って協会には戻らずに円楽一門として独立したまま。そのため円楽一門は立川流同様に、今でも寄席には上がれない日々が続いている中で、「統一教会」ならぬ「統一協会」は、噺家だけではなく落語ファンは誰もが皆願っている筈。実際に、博多などで立川流も上方も協会や所属一門は一切関係無い落語会を立ち上げたという円楽師匠がもし元気だったら、きっと統一に向けて何かしらの仕掛けがされたかもしれないと思うと実に残念でなりません。
私メが落語に嵌るきっかけとなったのは、2010年から連載が始まった尾瀬おきら氏の落語家修行を描いたコミックス「どうらく息子」でした。そこで初めて落語の面白さを初めて知り、劇中に断片的に登場する古典落語のネタを市の図書館のCDライブラリーで借りて聞き、全体ストーリーを確認する日々。そんな中で初めて聞いた“生落語”が、10年前に地元松本の市民芸術館で開催された「歌丸円楽二人会」だったのです。
その2012年3月の「二人会」当日の出し物は、用事があって当日は先に松本を発たないといけないからと、先に歌丸さんが古典落語の『紺屋高尾』を演じ、円楽さんが桂米朝師匠の自作落語(桂ざこばさんに習ったとか)という『一文笛』。どちらも人情話で、TVの笑点の時とは一味違ったお二人の味のある話芸の世界に浸ることができました。
残念ながら、歌丸師匠も円楽師匠も鬼籍に入られてしまいましたが、その初めての生落語が、その後、地方の落語会として全国でも草分け的存在と知った「松本落語会」や県文で定期的に開催される二ツ目の噺家さんによる「まつぶん寄席」など、上野や新宿に行かずとも、地方の松本でも聞くことが出来る生落語のきっかけになった落語会でした。
六代目三遊亭円楽師匠。どうぞ安らかにお休みください。そして先に逝かれた歌丸師匠と一緒に、天国でまた「二人会」を演じてください。
謹んでご冥福をお祈りいたします-合掌。