カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 コロナ禍のため、昨年はネット配信のみだったセイジ・オザワ松本フェスティバル。今年は観客を入れての開催となり、オーケストラ・コンサートは、昨年同様シャルル・デュトワが客演指揮者として登場。

 彼を最初に知ったのは、手兵のモントリオール交響楽団(Orchestre symphonique de Montréal、略称OSM)を振ったサンサーンスの交響曲第3番(但し、同じシャルルでもミュンシュ盤が今でも個人的にはベストですが)。デュトワの就任により、OSM(ケベック州の公用語はフランス語)は“フランスのオーケストラよりもフランス的”と評されて一躍世界的に有名になりました。後年デュトワはN響の音楽監督にも就任し、それまで歴代のゲルマン系指揮者により鍛えられてドイツ的だったN響にフランス的な色彩感を根付かせたと評価をされるなど、日本とも大きな関わりを持つマエストロです。
昨年の「火の鳥」に続き、今年も同じくストラヴィンスキーの「春の祭典」がメイン。今年がSKFから数えて30周年ということで、初年度に演奏されたというSKOの委嘱作である武満徹「セレモニアル」、デュトワ得意のフランス物であるドビュッシーの「管弦楽のための《影像》」、そしてメインが「春の祭典」というオーケストラ・コンサートのプログラム。
 面白かったのは、ゲネプロの様に本番さながらに通して演奏するのではなく、同じ個所を何度も繰り返し演奏するなど、如何にもリハーサルと云った感じで練習風景を聴くことが出来た点でしょうか。
特にドビュッシーの「映像」は念入りに何度も同じ個所を繰り返して練習をしていました。しかも英語でのデュトワの指示を受けて練習する毎にうねりが大きくなるなど、色彩感が変化していくのが実に興味深く感じられますし、すぐさま指揮者の指示に応えていくSKOもさすがです。
SKOといえば、プログラム毎のコンサートマスターが、例えば国内のメジャーオーケストラでこれまで、或いは現在コンマスを務められている小森谷巧、矢部達哉、豊嶋泰嗣の各氏に交替するなど何ともメンバー構成が贅沢。また、そのヴァイオリンだけではなく、チェロも若手の実力者である宮田大、遠藤真理が並び、後ろにN響で長らく主席を務められていた重鎮木越洋氏があの髪型で控えるなど、どのパートもそれぞれソロが務まる程の腕利きを集め、いくら年に一度の“七夕オーケストラ”とは云え、さすがは我が国の“スーパーオーケストラ”SKOらしい何とも豪華な顔ぶれです。更に桐朋OBを主体とする弦楽器のみならず、今年もフルートのジャック・ズーン氏を始め、海外の一流オケで活躍する外国人プレーヤーが加わった管楽器群がめちゃくちゃイイ音を奏でています。
その意味では、正に105人という大編成でのメインの「春の祭典」は節度を伴った“美爆音”でしたが、個人的にはドビュッシーが如何にもフランス音楽といった感じで、デュトワらしい色彩感が出ていて、うっとりと幸せな気持ちで聴き惚れていました。
 妹のお陰で、三年振りに聴くフルオーケストラの“生音”。
 「あぁ、やっぱり生はイイなぁ・・・」
しかもそれが、世界の“マエストロ”シャルル・デュトワ指揮でのSKO。ナントモ贅沢な時間があっという間に過ぎて行きました。
【追記】
余談ですが、会場をロビーで待っている時に、県内の他のコンサートホールの演奏会案胃のチラシやポスターがあり眺めていたら、小菅優さんと共に個人的に好きなピアニストの一人でもあるイリーナ・メジューエワさんの県文長野での演奏会案内があり、おっと思ったら、残念ながらその日は予定がありました。しかし、この時まで彼女の演奏会が県内であることを知りませんでした。
 「そうか、コロナ禍でも世間は動いているんだ・・・」
因みに、彼女を初めて知ったのは、通勤途中で聴いた9年前のNHK-FM(第721話)。その時に、作曲者の曲に込めた想いを尊重するために、本番でも暗譜に頼らずに必ず楽譜を見るという彼女の真摯な演奏姿勢に感銘を受け、たまたま翌年の2014年に京都に行った時にリサイタルの日と偶然重なり、京都北山のコンサートホールに聴きに行きました(第914話)。その彼女が長野県で演奏会があるなら(以前、どこかのペンションに招かれて演奏会をしている筈なので、長野県初というのは間違いだと思います)絶対に聴きに行きたかったのですが残念でした。
以前、ハーモニーホールのプロデューサーの方に彼女の招聘を推薦したことがあったのですが、残念ながら採用されませんでした。いつか、松本での演奏を聴ける日が来ることを夢見て・・・。