カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
7月11日から13日まで二泊で二年振りの下呂温泉へ。
今回の旅の目的は、冷凍ストックが切れた飛騨牛の買い出しと、下呂には観光で見に行く処はもう無いので、まだ行ったことの無い郡上八幡観光です。
途中、高山の北にある飛騨古川(新海誠監督「君の名は」の舞台)は前回観光していますし(実際は昔職場旅行でも来ていて、朝ドラの舞台の「和蝋燭」店を見た記憶だけがあり、ここ古川だったことを前回来た時に思い出しました)、高山は職場旅行(しかも違う職場で二度)も含め、家族旅行やバスツアー、更に昨年は事前の飛騨家具のショールーム見学でと何度も来ていますので、今回は“パス”して素通りです。
安房峠を超えてそのまま下呂へ向かい、高山から国道41号線を走って宮峠という小さな峠を越え、やがて昨年の台風で氾濫した飛騨川に沿ってずっと下呂まで走って行きます。
4年前に高山経由で下呂温泉に来た時に初めて知ったのですが、飛騨川に沿って上流から順番に上呂、中呂、下呂という地名が続いています。県外の人間は“日本三名泉”の「下呂温泉」しか知らず、そのゲロという地名に「面白い名前だ」くらいしか思わないのですが、これは元々この地に奈良時代の駅家が置かれ、最初は上中下の順に例えば「下留(しものとまり)」と呼ばれていたのが、その後「ゲル」から「ゲロ」と読み方が変化したという説が有力なのだそうで、最初に上呂、中呂とあるのを見つけて、何だか妙に得心した記憶があります。
今回の下呂滞在は二泊だけなので、唯一終日自由となる中日に郡上八幡行を予定していたのが(梅雨が明けたというのに)生憎終日の雨予報。せっかく郡上八幡に行ったらお城や街歩きもしたいので、雨予報に今回は諦め。そこでワンコたちと宿でノンビリまったりして、一日温泉三昧とすることにしました。前回下呂に来た時に、「合掌村」(白川郷などから移築し再現された、10棟の合掌家屋集落。残念ながら白川郷の様な生活感は無い)も、またその中にある円空仏を集めた「円空館」も、更には近くに在った縄文公園(復元住居と土器などの発掘品の展示館)も全て見学済みですし、温泉街の下呂の街ブラも済ませています(第1324話)。従って、温泉を楽しむ以外、他に観光で行く所は下呂には無さそうです。
でも、せっかくなので、この日の昼食と夕食は、雨の小止みになった頃合いを見計らって外出し、外食にて下呂グルメを楽しむことにしました。
その店は「仲佐」(なかさ)という蕎麦店で、温泉街ではなく、市役所の近く。この日は平日の火曜日で、店に着いた時は11時半の開店時間を少し過ぎていましたが幸い行列は無く、店内に二組の先客がおられ、我々は三組目。テーブル席に案内され、スッタフの女性からメニューのご説明。
スタッフは、一品の小鉢が付いた「蕎麦三昧」(2800円)を必ず客に先ず説明しているので、どうやらそちらが店のお薦めの様ですが、こちらはソバ以外には興味が無いので、一日十食限定という蕎麦掻き(2000円)とざる蕎麦(1400円)で、私メはもう一枚(1200円)を追加。それと家内は蕎麦饅頭(350円)と、私メは蕎麦掻きを“あて”に、蕎麦前として「天領」の生酛純米もオーダー(850円の一合ではなく、430円だったか、半分のお猪口一杯がメニューにありました)。
ざる蕎麦は『厳選した奥飛騨産、信州産の在来種のソバを、石臼でていねいに手挽き製粉した蕎麦粉で打った、風味、食感に優れた蕎麦』で、蕎麦掻きは『石臼で手挽き製粉した粗挽きの蕎麦粉を使った、香り高い蕎麦掻き。一日10食限定』とのこと。
この店のウリは、石臼で挽いた蕎麦粉とのことですが、H/Pの説明に依れば、『製粉からそば打ちに至るまで、手回しの石臼とふるいだけを用いて自家製粉しております。手作業で作るそばですので打つ蕎麦には数に限りがあります。途中で品切れする場合がありますが、ご理解下さいますようお願い申し上げます。』とのこと。
また、その蕎麦自体も、『奥飛騨や長野県の一部で栽培されている小粒のソバの実だけを使って、蕎麦を打っています。一般には流通していない貴重なソバなので、店を開いた当初から、このソバを自分たちの手で栽培してきました。地元の農家の方と力をあわせて、30年以上にわたって、栽培を続けています。』との由。
要するに、信州や飛騨地方の昔ながらの在来種で、自家栽培をして確保している蕎麦だけを用いて、昔ながらの製法で打った蕎麦。
例えば、松本にも「石臼挽き」を謳う店はありますが、石臼を機械で回していて、こちらの様に全て手回しだけというのは店主の拘りと大変さが分かります。その日に人力で用意出来る粉も限られるでしょうから、数量限定というのも止むを得ませんし、その分値段が高くなるのも納得ですが、それにしても、ざる一枚が1400円、追加1200円というのは破格の値段ではないでしょうか。
暫し待つ間、テーブルに置かれた季節の花の投げ入れが、蕎麦に拘るご主人の姿勢の様に飾り気がなく、清楚で風情があります。雰囲気は全く違いますが、昔お婆ちゃんが一人でやってらっしゃった頃(有名になる前)の松本「野麦」の、一輪挿しに代表される(蕎麦好きだった故杉浦日向子女史も「店の空気に思わず背筋が伸びる」と評した)凛とした雰囲気を思い出します。
お茶が蕎麦茶にしては随分香ばしいのでお聞きすると、やはり蕎麦茶ではなくほうじ茶とのこと。そこで料理が運ばれて来ました。
先ずは蕎麦掻きです。擦り卸したワサビと生醤油で戴くのですが、夏の時期なのに蕎麦の香りがして確かに美味しい。下呂の地酒、生酛純米の天領に良く合います。蕎麦粉100%。緩くも無く固くも無くちょうど良い練り具合。(でもお婆ちゃんと娘さんで切り盛りしていた、稲核の「渡辺」なら、値段は1/3で量は倍以上だったかな・・・。10年以上も前ですが、第380話を参照ください)。
ソバも、量はハッキリ言って普通より少な目です。ただ中細麺で平打ちの蕎麦自体は、十割ではなく繋ぎを使っているそうですが、ツヤツヤしていて滑らかな麺で喉越しも良く、木曽の時香忘(こちらはオヤマボクチが繋ぎに使われていますが)の蕎麦に何となく似ています。ソバツユは見た目程濃くはなく、じゃぶじゃぶ浸す信州蕎麦と先っぽに付けるだけの江戸蕎麦の中間くらいでしょうか?薬味は紫色の辛味大根のみで、ある意味飾り気がなくて潔い。
確かに美味しい蕎麦でした。自分で蕎麦を栽培し、更に全ての粉を人力で3時間掛けて石臼で挽くのは本当に大変ですし、それだけで頭が下がります。確かにそこまで拘っている蕎麦屋は(自家栽培は田舎では結構ありますが)聞いたことはありません。
しかし、果たしてその努力の全てを客側に転嫁し得るのでしょうか?しても良いのでしょうか?
蕎麦で7千円近くも払ったのは恐らく生まれて初めてですが、まぁ確かに、それなりに値段なりの(?)満足感はありました。そして、お店のスタッフの気配りと心遣いも良かったと思います。
「ウーン、でもなぁ・・・」
しかし、じゃあ半分の値段で、或いは2/ 3 の値段で満足出来る店は他に無いのか?と問われると、「うーん」と唸るしかないのです・・・。
個人的には、決して嫌味ではなく、この日の料理の中では、地元の蔵元の「天領」の生酛純米が一番美味しくて感動しました。