カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
今回の引っ越しに関し際し、結果を知った親戚は勿論ですが、友人からも電話や手紙やメールがありました。曰く、
「えっ、どうして?」、「驚いた!」、「良く決めたじゃん」・・・
そして中には、皆同じような世代になったということなのでしょう。
「たまたま同じ様に悩んでいたので、今回背中を押して貰えた気がする。」
といった声もありました。
一番色々(非難が)ありそうな、同じ集落の同姓(所謂我が家の「本家」、更に我家が本家で、我が家の「新宅」。更にその家の新宅などなど・・・)からは、陰では非難ごうごう(囂囂)だとは思うのですが、幸い同姓内に長老もいなくなった今は、直接的にはそうした非難の連絡はありませんでした。
我家は、屋号が「賽の神」(さいのかみ)というその集落を守る道祖神に由来する集落で一番古い大元の家が「本家」であり、その本家から江戸時代中期に「新宅」として分かれ、更に我が家からも分離した家(新宅)があるなど色々つながりは複雑で、同姓内でも幾つか格式的に、謂わばメイン(中核五軒)だサブだのというグループ分け(例えば呼ぶか呼ばないか、更にその場合でも座る順番とか)があるなど、まぁ言い出せばキリが無いのですが、それはさておき、我が家の明治生まれの祖父は少なくとも当時は珍しかった高校出(農業高校ですが)でもあり、戦前は村議会議員を務め地域の果樹栽培を一早く手掛けるなど大変進歩的な人(但し評判の頑固者で理屈っぽく、周囲には大変恐れられていたようですが、孫の私だけには甘かった由)で、その祖父と父も養子。ですので、同姓という家と、昔は一番強かったであろう地縁血縁のつながりも、彼らが養子だったからこそ、多少は“よそ者”的に比較的冷静に且つ客観的に見られる立場だったのかもしれません。
その祖父と父が江戸時代からのそうしたシガラミのある土地を離れ、果樹園の中に家を新築し引っ越してきたのが50年前。祖父と父が二人共養子だったからなのかもしれませんが、その50年前に我が家の古くからの因習やシガラミを二人が断ち切ってくれていたのだと思います。
昔、会社の松本平でも有数の旧家だった先輩の結婚式で、養子だったお父上が挨拶で曰く、
「私は養子だったから例え思っても実行出来なかったが、息子は直系の長男なので、この家を処分するかも含め、どうするかは躊躇せず自身で好きに判断すれば良い。」
と仰っていたのが個人的に非常に印象的に感じ、いまだに覚えているのですが、今回は我が家も正にそれだと思うのです。
祖父も父も、同姓からすると「えっ?」と思われた判断をしたのですが、最終的な地縁血縁のシガラミまでは断ち得なかった。然るに、それは養子だからこその遠慮だと思うのです。
祖父と父が出来ずに渡されたバトンは(子々孫々まで責任を持ち越さずに、誰かが決断せずにはおられなという前提で)、そうした極々狭い大昔からの地縁血縁という土地のシガラミとは無関係に、今やワールドワイドに活動している子供たちの手を煩わせることなく、直系男子(些か古風ですが)である私の段階で割断するしか無い。それが、直系である私メの役割であり且つ責任でもある・・・というのが今回の決断の背景でした。
しかし、そんな古びた地縁血縁の様な思いは誰にも話していませんし、相談もしていません。もし相談しても、そうした立場にいない人であったら意味不明であり、分かって貰えないのもせん無いことだと思うのです。
ですので、自分自身で悩み、自問自答し、そして決断し、その上で我が家の直系だったお祖母ちゃんに、そして多分そんな気持ちを分かってくれるであろうお爺ちゃんとオヤジに、
「ご先祖さまには悪いけのど、オレがこう決めたよ!」
と、最後仏壇に報告し許しを請うたのでありました。