カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
家具やお互いの趣味の食器類やオーディオ類のみならず、新居のスペースを考えると他にも持って行けずに処分しなければならないモノが色々あります。それが、家族全員ではなく限定される特定個人の趣味の世界のモノであれば尚更です。
子供たちが巣立ち、誰も弾かなくなりました。従って、子供たちが巣立った後は、どちらかというとリビングの飾り棚を兼ねた家具となっていました。
このままではピアノも泣いています。子供たちが帰省して来た折にでも弾くならともかく、弾かないのであれば、大きな装飾品として狭いマンションで置いておける場所もありません。今でも時々は弾くという長女は、自分用に買った電子ピアノがあるのでそれで十分だとか。
そこで、ネット検索すると、ヤマハ本体の中古買取サービスの会社がありました。曰く、
『ヤマハ(株)100%出資のヤマハ中古ピアノ専門会社として、ピアノ査定、ピアノ買取、引き取り、下取りおよびヤマハ「リニューアルピアノ」の販売をしています。』
とのこと。
ピアノのモデルと型番等連絡すると、現物を見ることなく年式により査定価格が決まっているのだとか。
他には、TVCMの会社。複数ある中で、例えば「親切、丁寧、清潔がモットー」というSピアノという会社。
連絡してみると、殆どがそうなのですが、無料査定で「長野県へ来る機会がある時に伺います。無駄足になっても構いません」とのこと。
そこで、他に売るかもしれないがという前提で、スケジュール上先に見に来られました。当日、天板を開けて機構を含め確認し査定。ここがどう、あそこがこうと色々欠点を指摘された上で、
その場での提示額が、現物を見ないで提示されたメーカー価格よりかなり低かったので、
「その金額だと、ちょっと・・・。だったら、申し訳ないが今回は止めときます。」
「これまで大事にされて来こられたピアノでしょうから、それでは因みにおいくらなら宜しいのですか?」
そこで、最低このくらいなら・・・とヤマハの提示価格を申し上げたると、
「では、せっかくですので、今回はその金額でお引き取りしましょう!」
「えっ!?」
そこで、二度三度、同じ手間暇を掛けて対応するのも大変なので、結局その価格で引き取っていただきました。
個人的には、何となくスッキリしませんでした。当然業界内の定式として、メーカー側の買取価格など熟知の筈(ネット上でも形式番号などから確認可能)。それを知った上で、先ずは安くて提示し、売り主がもしそれを知らなかったり、面倒臭がって了解してもらえたりすればラッキー!?。自分自身の成績も上がる・・・
確かに(売り物故)丁寧に運んで行かれましたし、CM同様に紺の靴下は新品で清潔そうではありましたが・・・でもなぁ・・・個人的には胡散臭さが拭えませんでした。
しかし穿った見方をするならば、買い取り業者のSピアノのCMでのモットーの中に、確かに「誠実」という言葉は無かった様に思います・・・。
音大にでも行くような子供であれば別ですが、普通のご家庭で何度もピアノを買い替えるということは殆ど無いと思いますが、もしも次の機会があるならば、「ピアノを返そう」というキャッチフレーズで、メーカーサイドの中古買取り会社に依頼するだろうと確信した次第です。
こうしたケースはピアノだけではありませんでした。
例えば、着ないモノはこの際整理するという家内の着物と帯も同様です。昔は嫁入り道具として母親が用意してくれたという着物など、買う時は高価であっても、時間が経つと有名作家や織や染の種類によって価格に差が出るのだとか。
和箪笥は新居の一部屋を物置にして仏壇と共にそこに置く予定なので、何着か今後も必要な着物と帯はそのまま持って行くのですが、着ないモノはこの際整理するとのことで、結局は最初に来た業者に引き取ってもらいました。
どの品物も、もし依頼する側が二度手間も厭わずに時間もたっぷりあれば、別にお断りして別の業者に査定依頼しても良かったのですが、既に引っ越し日が決まっていれば、他にも色々することがあり、また日を改めるのも面倒だから・・・。これが一番の理由でした。
モノの中には、半世紀も経った今では、時代が変わり全く“価値が無い”というモノもありました。それは、小学生時代から熱中して収集した切手です。泣けなしの小遣いの中から、一枚一枚集めた記念切手。小学校高学年から中学卒業位までだったと思います。発行日には、郵便局に親に行ってもらったり、切手業者から一枚一枚買ったりして大事に集めた切手でした。子供の身分では、当時何万円もするような高価な切手、例えば誰もが知る「見返り美人」や「月に雁」などは買える筈もありませんが、それでも泣けだしの小遣いを溜めては一枚一枚買い集めたものでした。
しかし、そうした切手ブームも長くは続かず、発行側(郵政省)の乱発やネット時代になって手紙やハガキなどの郵便物そのものの減少などという時代背景もあって、当時の切手カタログでの市場価格(勿論売る時はその何割引きですが)は数十万円分にもなったのですが、それが今ではエラー切手の様な余程の珍品でないと殆ど(どんなに古い切手でも)額面価格の価値(僅か一万円程度とのこと)しか無いという状況です。
従って、買い取り業者(着物などと同じ買取り業者が貴金属や古銭切手も鑑定)の結果は驚く程低く、結局売るのは止めにしました。
個人的には切手に拠って、子供の頃に国宝シリーズや何十周年記念という歴史、国立国定公園などの地理など、謂わばその背景を知ることで図鑑代わりの知識を得たのも事実でした。ですので、将来孫でも誰か興味を持ってくれればイイという、一縷の望みを持って・・・。
他にも、他人には全く価値の無いモノでも、自分にとっては大切なモノもこの際処分するしかありませんでした。それは、25年近く毎年集めて来た週刊ベースボールのドラフト特集号です。
例え下位指名であっても、努力して数年後に一軍選手として活躍するようなケースは、努力した本人のみならず、指名を進言したスカウトの眼力もあって、“人間ドラマ”を感じさせてくれるのです。
思い出すのは下位指名ではありませんが、学生時代に甲子園に見に行ったジュニアオールスターで、銚子商業からドラフト1位で巨人に入った篠塚選手です。
高校時代肋膜炎を患い、素質は評価されながら体力的に無理だという世評を覆し、当時彼に惚れ込んだ長嶋監督が敢然と1位指名。入団後数年間は二軍暮らしでしたが、その間のジュニアオールスターで見せた天才的な流し打ちにホレボレし、「これは絶対にモノになる」と独りごちて勝手に確信したものでした。
そんな思い出のドラフト特集号も価値が付く訳ではないので、残念ながらサヨナラとばかり古書として処分しました。