カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 引っ越しに当たっての断捨離で、先行したのは奥さまです。
元々、何でも取っておくタイプの私メに対し、それ程モノに執着することなく、不要だと判断すればまだ十分使える状態であっても躊躇なく捨てられるタイプの奥さま。
弁解がましく思うに、恐らく捨てられないタイプの男性に対し、然程躊躇することなく捨てられるのが女性なのではないか・・・と?
ただ夫婦間で考えれば、両方共捨てられないのもモノが溢れて困りますし、逆に何でも捨ててしまうカップルだと、時に大事なモノまで捨ててしまって後の祭りということもありましょうから、凸凹なことで夫婦間のバランスが取れている方が良いのではないでしょうか・・・?(と自己肯定をしておきます)。

 そんな奥さまが活用されたのが、メルカリ・・・でした。
我が家には、シンガポール赴任中に家内が集めた食器類を飾るために、一階の吹き抜けのリビングルームの構造上必要だという柱を上手く使って、飾り棚を設計士の先生が作ってくださってありましたが、当然新居のマンションにはそんなスペースはありません。そこで、ロイヤルコペン、ウェッジウッド、リヤドロ、スワロフスキーなどの中から、娘たちが将来使いたいというモノだけを残して出品してしまいました。他にも、新居のクローゼットには収まり切れないからと、同様のバッグ類や洋服などなど・・・。
そして、家内曰く、
 「気を付けないと、メルカリに嵌りそう・・・。」
とのこと。
何でも、写真の撮り方一つ、紹介文の書き方などで、「イイネ!」の付き方が変わり、売れた時もその梱包の仕方でメルカリ上での評価が変わるのだとか・・・。そして、それが嵩じていくと、本来の目的である“売る”ことそのものよりも、売れて“評価される”までの過程の方に快感を覚える様になってしまうのだとか・・。謂わば“メルカリ中毒”でしょうか。その“中毒症”になる前に、我に返り「アブナイ、危ない・・・」と独り言・・・。
家内曰く、まぁ、そうした本末転倒の様な快感は別として、リサイクルショップに持って行けば、例えブランド品であっても本当に二束三文に買い叩かれてしまうのが、モノによっては、不用品で売りたい側とそれが欲しくて探していた側が出会うことで、リサイクルショップで買う時の売値には届かないまでも、それに近い金額で買って貰える場合や、捨てるしかないと思っていた、例えばシンガポールでブランド品を購入した際にタダで貰ったノベルティーも、その年々の限定品で、そのシリーズを集めているコレクターがいる場合もあって、買って貰えるケースもあるのだとか。
また売り買いも、個人的な恨みつらみなどに繋がらぬ様、売り主飼い主が最後まで分からぬ様にメルカリやメルカリ指定配達業者が介在するので安心なのだとか。「ナルホドなぁ・・・」と感心し、“フリマアプリ”のメルカリが個人のリサイクルユースとしての有効な手段、ツールになっていることを今回つくづく認識したのでした。

 リサイクルショップは、売り手から店が買い取ります。人が多く介在する以上、その一番コストが掛かる人件費含め利益を出すために、如何に安く買い叩くかという命題が発生し、買い叩かれた売る側は買い取る店に対し、少なからぬ“恨みつらみ”が発生する可能性があります。しかし、メルカリは飽くまで場を提供するだけ。高く売りたい売り手と、安く買いたい買い手が、個人を特定出来ない匿名同士で存在するだけ。仮に売買に不平不満があっても、それは飽くまで売り手買い手の匿名の個人同士間であって、一見メルカリは直接的にはその中には介在してしいないのです。しかし、その“場の提供代”として、しっかり売値の10%を回収する仕組み。しかも自身がその間に介在しないことで、当事者からの直接的な批判を避けながらも、その裏でしっかりと手数料を稼ぐ・・・実に上手い仕組みだと思います。
勿論、個人が相手だけにこれまでもルールを逆手に取る身勝手なユーザーや犯罪まがいのユーザーなど色々想定外のケースもあって、都度様々な社会的批判にも晒された様ですが、或る意味それは先駆者としての宿命であるのかもしれません。そうしたケースで授業料を払いながら、そうした事例について、今後想定し得る、若しくは派生事例として将来的に考えられるケースについてリスクヘッジをしながら、その都度メルカリは進化し続けていると感心した次第です。

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