カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
今年も一年間、本ブログ「三代目の雑記帳」をご愛読賜り、誠にありがとうございました。
このブログも丸13年になりました。
アクセス数も年を追うごとに増えて、一昨年は33万件を越えるアクセスを頂きました。しかし、昨年からのコロナ禍で非日常的な状態が続いていることから、掲載回数を減らしほぼ三日おきにしたので昨年は25万件でしたが、コロナで在宅の方が多いのか、今年は実に37万件を超えるアクセスを頂きました。このページを借りて謹んで御礼申し上げます。ありがとうございました。
今年もコロナ禍での一年間ではありましたが、そうした中でも我が家では幾つかの大きなトピックスがありました。
娘たちの心願成就と子宝祈願のために、毎週の様にウォーキングを兼ねての鹽竈さまから四柱、最後に深志の天神さまへと三社への参拝を続けて来た結果、次女夫婦念願の子宝を授かることが出来、私たち夫婦にとっての初孫となる女の子をこの10月に無事出産することが出来ました。
一方、新規事業インキュベーションを担当する長女は、ここで女性向けの新ブランドを立ち上げて順調にスタートさせることが出来ました。もし興味がおありの女性の方がおられましたら、アルファベット“oito”で是非検索してみてください。親バカですが、結構面白いのではないかと思います。
また彼女はプライベートでも念願が叶い、今月上旬、忙しい彼女たちに代わって私たちが代理でレジストしました。
また私たち夫婦は、昨年空き家になった母屋の片付けをした際に、同じ苦労を絶対に子供たちにさせてはいけないと家内と誓い合い、将来も松本へ戻ることは無いだろうという娘たちの勧めと、次第に介護度が進む母の特養入居が可能になったことも手伝い、来たるべき自分たちの老後をふまえ、“終の棲家”と考えていた我が家を処分して街中の集合住宅へ転居するこにしました。
今年も世界中がコロナ禍に揺れた2021年ではありましたが、我が家にとってはそんな特筆すべき大きな節目となった一年でもありました。
年の節目にあたり切り替えを出来るのが、きっと人間の(ずるくも)良いところだと思いますので、今年の色々な反省をふまえつつ「ヨーシ、来年はもうチョット頑張るゾー!」と、ここでまた心のギヤを入れ替えて新たな年を迎えたいと思います。
普通に人に会って飲んだり喋ったり、また生の演奏会に行ったり落語会に行ってマスクをせずに大声で笑ったり、そして子供たちが帰省して来たり旅行にも行ったり・・・。
来年こそは、何としてもそんな“当たり前のこと”が当たり前に出来る、そんな極々“普通の年”になって欲しいとつくづく思います。
来る2022年こそが絶対にコロナが収束し、極々普通の日常が平穏無事に送れる年であって欲しい。そして、加えてその新年が、皆様にとって「は」、若しくは「も」、或いは「こそ」素晴らしい年であって欲しい。
皆さま、どうぞ良い年をお迎えください。
カネヤマ果樹園一同+ナナ&コユキ💛
大塚家具新宿店で家具を購入し、サポートいただいたスタッフの方に見送られて店を出たのが午後1時。「お腹空いたね」とランチへ。行ったのは、新宿駅南口からすぐ、「新宿サザンテラス」にある「ティム・ホー・ワン(添好運)」。ミシュラン一つ星を獲得した香港の飲茶専門店の由。
店が在ったのは、確か以前は一時期話題となった「クリスピードーナッツ」が在った建物。
平日の1時過ぎでしたが、順番待ちの行列。ただ週末はこんなものではないらしく、確かに10分ほど待って案内され座ることが出来ました。「ティム・ホー・ワン」は日比谷にも店が在って、そちらに家内と長女は行ったことがあるとのこと。
待っている間に、写真付きのメニュー表とオーダー表を渡され、席に着く前に決めることが出来ます。
選んだのは、海老の蒸餃子、シュウマイ、ベイクドチャーシューバオ、大根餅、海老の湯葉春巻き、ナスの海老団子揚げ、季節の温菜の7品です。
こちらの点心はどれも味付けがされているので、何も付けないでそのままお召し上がりくださいとのこと。ただ個人的には、シンガポール風に醤油とグリーンチリ(青唐の酢漬け)が欲しいところですが・・・。
蒸餃子やシュウマイ、湯葉包、大根餅など点心の定番メニューは、どれも懐かしい本場の味です。チャーシューバオは、日本的な肉まんと違って甘味を抑え八角が効かせてあり、本場の味付け。そして個人的に一番美味しかったのは、季節の温菜として出されたベビー・カイランのオイスター炒めでした。ブロッコリーの新芽の様なカイラン(芥藍菜)はチリ・カンコン(空心菜のチリソース炒め)と共に、懐かしいシンガポールの味です。
そう云えば、帰任後、シンガポール料理が懐かしくて、漸く東京で見つけたシンガポール料理店(第173話の「海南鶏飯」店参照)で、「チリカンコン」と話していたら、店長さんが「シンガポールにいらしたんですか?」と聞かれたこともありました。
「ティム・ホー・ワン」のカイランも、炒め加減と味付けが絶妙でとても美味しかったです。「季節の・・・」とあるので、季節毎に旬の野菜を選んでいるのでしょう。カイランは未だ地元では見たことがありませんが、豆芽(トウミャオ)は日本でも一般的になりましたし、空心菜も時々並んでいるので、カイランもその内日本でもポピュラーになるかもしれません。
余談ですが、他のテーブルへの配膳で一瞬懐かしい匂いが漂ったのはタイ米の香。多分、こちらの店では粥などにちゃんとインディカ米を使っているのでしょう。
最後に、テーブルに在った季節限定という「魚肉譲豆腐」(豆腐と魚のすり身団子乗せ)を追加オーダー。これまた懐かしのフィッシュボールを連想したのですが、豆腐が使われているので予想以上にフワフワで上品な味でした。
これでお腹も一杯になり満足、満足。一人3000円ちょっとだったそうですので、まずまずリーズナブルと言えるのではないでしょうか。
「イイなぁ~、東京は!何でもあるんだものね・・・。」
今回は日帰り故無理ですが、またシンガポール料理が無性に食べたくなりました。
コロナ禍の影響が日常生活の様々な分野に及んでいます。飲食や旅行といった身近な分野だけではなく、半導体不足に伴う自動車や家電製品の減産、更には“ウッドショック”も。
“ウッドショック”というのは木材不足のこと。
2021年春頃から住宅に使う柱や梁(はり)、土台などに使う木材の需給が高まり、木材の不足により価格が高騰し、大きな混乱が生じている世界的な状況の事です。かつてのオイルショックになぞらえて「ウッドショック」と呼ばれているのだそうです。
もともと北米での害虫被害によって木材が世界的に減っていたそうですが、コロナ禍で労働者が減り、製材工場の稼働率は低下し、住宅や家具に使える木材が世界的に減少。
日本は景気が悪いと言われますが、世界的にはアジアやアフリカなどでも所得が伸びている国が多くあり、特にアメリカや中国では住宅ローンの低金利政策により、郊外に新しく住宅を購入する人が増えました(コロナ禍での在宅ワークも後押ししたとも言われます)。
日本で使われる木材の殆どが外国産です。コロナの影響でコンテナ需要が高まり、日本への輸送のためのコンテナ確保が難しくなり、運送費が値上がりしていることも影響しています。
住宅用建材ばかりでなく、例えば飛騨の家具も多くがウォールナットやホワイトオークなどの北米材を使っていますので、ウッドショックの影響は逃れられません。そのため、先日高山に行って飛騨家具のショールームを見学させていただいた時に、この12月21日(受注分)から値上げ予定と伺っていました。中には廃番にせざるを得ない商品もあるのだとか。
これまで色々調べて検討し、実際に現物を見て購入する商品を決めていた奥様。そして娘からの勧めもあり、値上げ前の購入を決断。飛騨家具の商品は殆どが受注生産ですが、オーダーさえ20日までであれば、納品がそれ以降でも従来の価格で良いのだそうです。
飛騨家具の本社ショールーム、高山の家具屋さん、そして飛騨家具を扱う全国展開の家具チェーンなど、色々チェックした中で、家内の希望する商品が一番安く買えそうなのは大塚家具らしいとのこと。選択は任せると言ったのですが、家具は或る意味“一生モノ”ですので、お互いが気に入って選ばないといけないとの仰せ。そこで、12月中旬の平日、日帰りで大塚家具の新宿店に一緒に行くことになりました。
先日の初孫のお宮参りと違って、自分たちだけのスケジュールなら多少遅れても良いので、今回は節約のために往復高速バスで移動しました。
到着前に首都高で多少渋滞があり、20分程遅れてバスタ新宿へ到着。すぐに大塚家具の新宿店へ向かいます
もう家内は殆ど決めありあとは注文するだけなので、ショールーム3階の飛騨産業の家具売り場へ直行し、意中の「森のことば」シリーズの中のソファーとダイニングセットを購入しました。
飛騨家具は受注生産ですので、肘掛けの位置、ファブリックの色と種類、大きさなどを都度確認しながら決めていきます。
今回は1時間半ほど掛かりましたが、お客さん毎に張り付く専任の担当者の方と確認し合いながら最後の発注まで対応いただきました。その結果、今回のウッドショックの渦中ですが、注文した商品は1ヶ月後の1月末には納品可能とのこと。また21日受注分からの値上げ前の価格で購入することが出来ました。高山の飛騨産業から大塚家具の配送センターを経由してから松本へ持って来て、我が家で組み立てて納品することになりますので、勿論都内より発送料は高くなりましたが、値引き分も含め大塚家具が一番安かったとのことで、家内は一番気に入っていた家具が予定通り購入出来て満足のご様子。どうやら新宿まで来た甲斐は合った様です。ヤレヤレ・・・。
12月中旬。我々にとっての初孫である、次女の第一子のお宮参りがあり、次女夫婦の住む横浜へ日帰りで行ってきました。
その日は婿殿の勤務の関係で平日だったので、車だと出勤時間とも重なるため到着時間が読めないこともあり、始発のあずさで八王子から横浜線経由で向かいました。そのため、朝5時から懐中電灯片手にワンコたちの散歩をして、戻り朝飯を用意。6時過ぎには出ないといけないので、最後は戦争でした。
ナントか10分前に駅裏の駐車場に車を停め、駅舎に着いてから買えばイイと思った朝食用のサンドイッチかオニギリは、駅の売店は6時半オープンの由。止む無く飲み物だけを自販機で買って乗車。始発のあずさが6時半なので、「せめて10分前に開けてくれたらイイのに・・・」と、JRとして民営化されても、“親方日の丸”国鉄時代のキオスクの体質が抜けないのでは愚痴も出て・・・。げに“食いモノ”の恨みは恐ろしい哉、でしょうか。
家内は娘たちの所に上京する時はいつも使うのですが、私メは久し振りのあずさです。横浜へは別として、前に週末帰省して来た長女が、週明け当日の朝の会議に出席するのに、あずさでは始発でも間に合わないのに、上田まで車で送って行って(松本から1時間弱)7時過ぎの新幹線(6時10分過ぎには始発あり)に乗れば、9時には東京のオフィスへの出社が悠々可能だったことを考えると、観光的には兎も角、出張等では2時間切りで上京出来ない松本は辛いものがあります。
「近くに小っちゃな神社しか無くて・・・」
との事前の婿殿の話でしたが、歩いて皆で行ってみると、そこは都筑区の都筑中央公園内の高台にある「武蔵国 茅ヶ崎杉山神社」と書かれた立派な神社でした。産土神かどうかは分かりませんが、主祭神はスサノウの子供である五十猛命(イソタケルノミコト)の由。神職は常駐していませんでしたが、延喜式の式内社とのことですので、拝殿も含め予想以上に立派な神社です。
孫が女の子かどうかも分からないのに、家内が大切に保管してあった娘たちのお宮参りと七五三で着た着物。そこで、今回のために掛け着として事前に家内が届けてあり、初宮参りらしく着飾ってのお参りです。
皆で代わるがわる記念撮影をしていると、参拝に来たであろう若者のグループの方が「宜しければお撮りしましょうか」と仰って写真を撮ってくださいました。有難くお受けしましたが、撮影後にお礼を言うと、皆さん口々に「おめでとうございます」。「最近の若者も捨てたものではない」と感心した次第。
お宮参りを済ませ、近くの写真館に行ってお宮参りの記念撮影です。予定では2時間とのこと。持参した掛け着とスタジオで選んだドレスの二着で、赤ちゃん、娘夫婦、両家両親とそれぞれ三態の記念写真撮影。泣きわめくことも無く、途中授乳で休憩した以外思いの外順調で、1時間ちょっとで撮影終了。カメラマンは若い女性が二人一組で、始終声掛けし、あやしたり、エアクッションで音を立てたり(何でも、ガサガサする音が子宮内で赤ちゃんが聞いていた音に似ていて落ち着くのだとか)しながら、シャッターチャンスを逃しません。さすがはプロと、ここでも感心した次第。
その後、すぐに加工前の写真を全部スライドショーにして皆で確認。BGMも含め、ピクチャーフレームなど事前に完成しているフォーマットに撮影した写真を当て嵌めるだけとはいえ、素晴らしい出来栄えに、「フーム、さすがはプロ!」・・・でした。
データ確認後、最後に皆での昼食会へ。娘夫婦が事前に用意してくれてあった、両家での1時間半のコース料理での食事会。孫は、撮影で疲れたのか、ミルクも飲んで落ち着いたのか、ウトウトしながら一切泣いたりすることも無く、ベビーカーでずっと良い子にしていました。
天気にも恵まれ、和やかにお宮参り、記念写真、食事会と無事全ての行事が終了し、我々は先に失礼してワンコたちが待つ松本へ。来た時と同じルートで3時間の電車旅です。それなりに疲れたのか、八王子からのあずさでは殆どウトウトしていました。
ヤレヤレ、さて今度は雛人形だね・・・と、ジジババの出番は続きます。
奥さまが飛騨家具を見たいとの仰せ。現物を見ないと、ネットのカタログでは分からないとのこと。そこで、11月末に日帰りで飛騨高山に行ってきました。
安房トンネルが開いた今は、峠を上り下りした昔に比べれば遥かに楽になりました。昔は冬場の安房越えなど考えられなかったのですが、トンネル開通後は、安房トンネルを経由して松本から中央道で首都圏に向かう飛騨ナンバーの車を通年で見掛ける様になりました。
とはいえ、北アルプス(と言うより、ここはむしろ飛騨山脈でしょうか)越えの山岳路ですし、しかも数日前に松本は平地でもみぞれ気味の天気で、山は勿論降雪。真っ白くなって、一気に冬山の様相です。しかしFFの普通車は12月上旬にタイヤ交換する予定で、まだノーマル。たまたま軽のスタッドレスがそろそろ寿命で新品に買い替え時期で、購入先からは新品タイヤは200㎞前後走らないと表面のカバーしている膜が剥がれないので効きが弱いため、むしろ混む12月ではなく11月に履き替えておいた方が良い旨のアドバイスがあり、中旬にスタッドレスに替えてありました。そのため、今回は四駆とはいえ軽自動車での飛騨高山行となりました。
沢渡を過ぎると山肌に雪が目立ち始めました。中の湯から先の上高地は冬季閉鎖中。ここから高山方面へ左折。更に勾配が急になると所々道路にも圧雪が。やはりスタッドレスで正解でした。5㎞近い安房トンネルを抜けると道路は更にずっと圧雪状態になり、長野県側よりも勾配とカーブは多少緩やかになるものの、先頭車両がノーマルなのか、ゆっくりゆっくり30㎞以下の低速で後について下って行きました。
最初の目的地は、高山ではなく飛騨市にある家具屋さん。その後、高山市内にある一番大きなメーカーのショールームと隣接するアウトレット店舗も見学し、実物を見て奥さまのイメージも大分固まった由。
今回は観光ではありませんし、高山市内は何度か観光で廻っているので、今回は途中どこかで昼食を食べてからそのまま松本へ戻ることにしました。
高山ラーメンと言えば醤油ですので、私メは中華そばの大盛り(800円)を。メニュー紹介では『伝統ある飛騨の醤油を主役にした無化調中華そば。飛騨の醤油をベースに5種類の醤油をブレンドし、魚介出汁と合わせることで華やかな芳酵のスープに仕上がっています。』とのこと。
奥さまは珍しく、「味噌ラーメン」(880円)をチョイス。同様に『高山市丹生川町の「にゅうかわ糀味噌研究会」が地元の食材だけで作った高級味噌「乗鞍こうじ味噌」を使用した味噌らーめん』とのこと。
中華そばは高山ラーメンらしい細打ちのちぢれ麺で、スープは煮干しが効いていましたが割とあっさり。飛び抜けてというよりは、極々普通の醤油ラーメンです。ただチャーシューが些か薄過ぎるのではないかなぁ・・・。
一方の味噌ラーメンはかなり甘めのスープでした。
国道に戻ると、すぐ横に「板蔵ラーメン」と書いたもっと大きなドライブインの様なラーメン専門店がありました。もしかすると、こちらの方が良かったかもしれませんが、後の祭り・・・。
あまりラーメンを好まぬ奥さま曰く、何年か分のラーメンを食べた気がするとのこと。ま、たまにはイイでしょう。
腹ごしらえも済んだので、ワンコたちの待つ松本へノンストップで帰ることにしました。
余談ですが、今回高山を往復してみて気になったのは、松本と飛騨地方を結ぶ予定の中部縦貫道。安房トンネルは先行して開通し、その便利さを享受しているのですが、全体の工事はまだまだこれから。特に長野県側は漸く波田付近で工事が始まったばかりですが、岐阜県側ではあちこちで中部縦貫道の工事が行われているのが目に付きました。一体この差はどこから来るのでしょうか。政治力か、或いは特に長野県側の急峻な地形の北アルプスを貫く工事の難しさか・・・。山を挟んでの進捗差を目の当たりにして、些か考えさせられました。
最近、TVのインタビュー、特にプロアマ問わず若いスポーツ選手のインタビューで耳に付くのが、質問への応答時に何でもかんでも冒頭に必ず「そうですね」という言葉が付くことです。
それは、時には質問とその回答との間の脈絡に全く関係が無いのに、「そうですね」から始まるのです。
そんな連発される「そうですね」を聞いていると、段々耳障りに感じて終い、最後には、もし悪し様に言わせてもらうなら、
「ホントにこいつ・・・、バッカじゃネェ!?」
とさえ感じてしまうのです。
一体、いつからこんなに「そうですね」が頻繁に使われる様になったのでしょうか?
プロ野球のヒーローインタビューだけではなくて、今年で言うなら、特にメダルラッシュでインタビューが相次いだ東京オリンピックや、サッカーの国際マッチ後の選手インタビューなどで、先ず全員と言ってイイ程に、質問の後に「そうですね」と必ず言ってから質問に答えていた印象があります。
それが、質問にすぐに応えられずに、“Let me see,”という意味で、少し自分の回答を考えて整理するために、「えぇと・・・、そうですね~・・・」と言うのならわかるのですが、もう答える内容が決まっていて「そうですね」の後に間髪続けて話すのにも拘わらず、質問の度にその冒頭に必ず「そうですね」と毎回付けられると、聞く側としてはイラっとさえ感じてしまいます。
今の若い人は、慣用句で「そうですえ」と言わないと話せないのでしょうか?或いは、インタビュアーの質問をいきなり否定せずに、先ずやんわりと同意したような雰囲気を醸し出すために、敢えて「そうですね」と答えてから、「でも・・・」とか「イヤ・・・」とか否定するために、先ずは何でもかんでも「そうですね」と使っておけば無難だとでもどこかで指導でもされているのでしょうか?
【追記】
ド派手な衣装とパフォーマンスで話題の、“ビッグ・ボス”こと新庄剛志日ハム新監督。ここ数年日ハム球団は観戦者数が減少傾向だったというだけに、自前で建設する新球場への、正直“客寄せパンダ”だと思っていました。
ところが、先日選手たちにインタビューでの「そうですね」の使用禁止令を出したと聞いて、思わず「我が意を得たり!」
フーム、意外とこの人、タダモノじゃないかもしれませんネ・・・と思った次第。
前回の「三屋清左衛門残日録」をきっかけ、久し振りにまた読み返している藤沢周平作品。
映画化された作品も幾つかある中で、例えば山田洋二監督が映画化をした「たそがれ清兵衛」。しかし、原作では「たそがれ清兵衛」の由来である下城の時刻になるとすぐに家に帰るところ以外は、むしろ「たそがれ清兵衛」に一緒に収められている「祝い人助八」(ほいとすけはち)が映画のストーリーと殆ど重なっている(他に「竹光始末」も)のは良く知られたところだと思います(映画で、幕末に時代設定をした以外は)。
久し振りに文庫版で「たそがれ清兵衛」に収められた全8作を読み返してみて、それぞれに趣がある中で、今回一番印象深かった作品は「日和見与次郎」でした。
本作では、与次郎を取り巻く、従姉の織尾もですし、また与次郎の妻の瑞江も魅力的に描かれています。藤沢作品では、主人公の生きざまと共にそれを彩る女性たちも実に印象的です。
「これ、絶対映像化すればイイ作品になるだろうけどなぁ・・・。三作(注)で終わらずに、山田洋二監督の四部作目にしてくれないかなぁ・・・。」
藩の権力争いで父の与していた派閥が敗れたために、家禄を半減された藤江家。父からの遺言で、藩の派閥争いには二度と加わるなという亡き父の教えの下、“日和見”と揶揄されても中立を貫く与次郎。
その貧乏侍の藤江家に嫁ぎ、貧乏暮らしのために本来の育ちの良さで子供の頃から明るかった瑞江からその明るさが消えたと思い、肩身の狭さを感じている与次郎。しかし、或る日与次郎の留守に訪ねて来た義兄と妹である妻瑞江のやり取りで、
「いつまでもこんな長屋に住んで、外回りの小役人では仕方あるまい。」
と、自分の側の派閥に入る様に勧める兄に、
「兄さまから見れば見るに忍び無い粗末な暮らしかもしれませんが、今の穏やかな暮らしが続けば出世などしなくともようございます。与次郎どのをそういう危険なあつまりに誘うのはやめて頂きます。」
と、きっぱりと派閥入りを断る姿に、凛とした清々しさを感じます。
昔、縁談が決まった10歳も年上の美しい従姉の織尾に、自身の思慕の思いを告げずにはいられなかった15歳の年の藤江与次郎。その後すぐにそれを恥じて、付文を返してもらう際に、織尾から
「このことは二人だけの秘密にします。でも、手紙は良く書けていましたよ。わたしの旦那さまが決まった後では、残念ながら手遅れでしたが・・・。」
織尾の嫁ぎ先だった杉崎は若手の出世頭として藩主から重用され、藩の財政改革案を決定すべき重責を担い、藩を二分する権力争いに巻き込まれ改革案が取り上げられなかった派閥の黒幕から一族全員が惨殺され、屋敷を焼かれてしまうのですが、与次郎は杉崎の身に危険が迫りうることを知りながら何もしなかった自身を責め、処分された一派の陰に隠れ何もお咎めが無かったその黒幕に対し、従姉夫婦の仇を討ち果たす物語です。
青春時代の甘酸っぱさと、慕う従姉を守ってやれなかった自責の念。
仇を討ち、闇の中を疾走しながら織尾の声が聞こえた気がした与次郎。
「与次郎どの、今夜はずいぶんと手際のよろしいこと、お見事ですよ。見たのは私一人・・・。二人だけの秘密にしましょうね。」
見事に仇を討った爽快さよりも、甘酸っぱさと悔恨の念でのほろ苦さを感じながら歯を食いしばって走る与次郎と共に、こちらも読後の余韻に暫く包まれていました。
【注記】
藤沢周平作品を山田洋二監督が映像化した時代劇三部作。第一作目の「たそがれ清兵衛」。二作目は「隠し剣 孤影抄」に収録されている「隠し剣 鬼の爪」と「邪剣竜尾返し」、更に短編「雪明かり」をベースにした「隠し剣 鬼の爪」。そして最後の三作目は、短編「盲目剣谺返し」を基に描いた「武士の一分」。
以前ブラタモリの松本編で、湧水が流れ込む松本城のお堀(片端の辺りでしょうか)のキレイなことにタモリさんが驚かれていましたが、それより驚くべきは街中を流れる女鳥羽川の水のキレイさだと思います。
特にキレイに感じるのは、四柱神社の正面鳥居を出て縄手通りを横切り、女鳥羽川を渡ってレストラン「おきな堂」に通じる橋の辺り。この女鳥羽川に架かる橋が幸橋(さいわいばし)です。因みに四柱神社の鳥居の手前に小さな石橋があり、これが「御幸橋」。
由緒書きに依ると『明治天皇が信濃地方で初めての御巡幸の際、松本の行在所を四柱神社併設の神道事務局と定めた。この橋は明治13年6月24日の午前中に竣工され、午後に御到着された明治天皇がこの橋を渡り、行在所に入られた』ことから名付けられたそうです。従って、「幸橋」も「御幸橋」と関連しての命名なのでしょうか。
この幸橋から見下ろす女鳥羽川の流れ。川の流れの場所と日光の加減もあるのでしょうが、他の橋と比べ、この橋の東側の流れが緩やかで、一番透明感がある様に見えます。こんな街中を流れている川なのに、その透明感が半端無い程に清らかなのです。
その幸橋の縄手通り側の袂に湧水「若がえりの水」があり、そのすぐ近くから女鳥羽川の岸に下りる階段が設けられています。
川縁に下りてみると、女鳥羽川の流れのキレイさを実感できます。若返りの水も然りですし、他からも湧水なのでしょう、女鳥羽川に流れ込む用水路があり、それも女鳥羽川の水のキレイさを助けているのだと思います。
日本一のワサビ田や信州サーモンやニジマスの養殖にも使われている、一日70万トンという「名水百選」安曇野穂高の湧水量には叶いませんが、こちらも「まつもと城下町湧水群」の恵みです。
女鳥羽川では、時には小さな小魚が群れになって泳いでいるのが見えます。この女鳥羽川にはウグイが生息していると聞いたことがありますので、まだ小さいウグイなのでしょうか。
ウグイは産卵期にはお腹が赤くなり、アカウオと呼ばれる淡水魚です。例えば、父の実家のある島内の平瀬地区では、拾ヶ堰の取水口のある奈良井川か、或いは梓川からの(いずれにせよ犀川系からの)用水路に産卵の季節になるとアカウオが群れになって上がってくる(=遡上してくる)と叔母から聞いたことがありますし、千曲川では今でも「つけ場」が何ヶ所かあり、時期になるとアユやウグイを焼いて食べることが出来ます。
しかし、そうした犀川や千曲川の様な“大河川”ではなく、女鳥羽川の様な町のど真ん中を流れる川でウグイが生息しているというのは大変珍しいのだそうです。またこの辺りではありませんが、浅間温泉に近い水汲地区の女鳥羽川ではホタルが乱舞するのが夏の風物詩で、子供たちが小学生だった頃、ホタルを見に行ったことがありました。因みに、女鳥羽川ではありませんが、旧開智学校に隣接する中央図書館の横を流れる大門沢川でも、夏になるとホタルを見ることが出来ます。更に女鳥羽川では、清流に棲むとされるカジカガエルも近年確認されているそうです。
川岸を少し歩いていると、川辺にクレソンが自生していました。水をそのまま飲めるような山中ではなく、人家のある所で育ったモノなので衛生上食べるのは避けた方が良いとは思いますが、これも清流故なのでしょう。
有難いことに、街中で今でもウグイやホタルを見ることが出来るという信州松本。街中で女鳥羽川の清流を眺めていると、そんな松本の自然環境を大事に後世に残していかなくてはいけないと改めて感じた次第です。