カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 秋のプロ野球ドラフト会議。毎年育成を含めれば優に100人を超える新人選手がプロ野球に指名される一方で、各球団支配下登録出来る人数が限られている以上(育成登録は別枠ですが)ほぼ同数が戦力外通告をされ退団を余儀無くされます。
勿論、中には選手寿命を全うし引退セレモニーをしてもらえる様な幸せな選手もいます。今年引退をした中で、感慨深いのは松坂大輔投手と亀井義行外野手でした。

 古巣西武ライオンズで引退した松坂大輔。何と言っても印象深いのは、夏の甲子園の準々決勝でPL学園と延長17回の死闘を演じ、最後決勝では前人未到のノーヒットノーランで優勝するという、漫画の様な(でもウソ過ぎて描けない)圧倒的な力量で優勝。まさに“平成の怪物”に相応しい幕切れ。
そうした実績に目が行きますが、個人的に一番印象的だったのは、何と言っても最後の最後まで貫き通した“ワインドアップ”でした。
今や殆どがノーワインドアップで投げるピッチャーが多い中で、振りかぶって投げる姿の絵になること!素人目にも「カッコイイなぁ~」とホレボレしたものでした。しかも、途中ピタッと止まる、静止する一瞬の間がある・・・。大昔で云えば、カネやんこと大投手金田正一投手に代表される様な、振りかぶってから投げるまで連続したモーションが多かった様に思うのですが(イメージ的にはV9巨人のエース堀内が松坂に近いフォームだった様な気がします)、松坂投手はそうではなく、その間が実に美しいのです。他では、前阪神の能見投手もキレイなワインドアップのフォームだと思います。
今では、プロに限らず、甲子園でもラジオ放送の野球中継で、
 「ピッチャー、振りかぶって・・・第一球を投げました!」
なんていうフレーズは、もう死語ですね、きっと・・・。
 その松坂が最大の目玉だったのが1998年のドラフト会議。“松坂世代”という言葉が生まれた様に、同世代に有能な人材が集まっていた高校生に限らず、この年のドラフトでは巨人に大学球界の上原と二岡というその後の投打の主力、中日は同様に社会人野球から福留と岩瀬をそれぞれ1位・2位指名。阪神は“火の球球児”藤川が1位。広島では1位が東出、そして新井貴浩が6位で指名されています。また地元球団との密約が噂された沖水高の新垣がオリックスの1位指名を拒否して九州共立大へ進学。担当した当時のスカウト部長(阪急時代から数々の逸材を発掘した名スカウトでした)の自殺という悲劇を生みました。

 一方、巨人でファンから“カメさん”として親しまれ、また監督からは晩年「困った時にはカメちゃんがいる」として頼りにされた亀井義行選手。
プロ野球選手の平均寿命は約9年、平均引退年齢は約28歳。1億円プレーヤーになれるのはおよそ10人に1人と云われる狭き門。優勝のために毎年の様に補強されてやって来る助っ人やFA選手などと争いながら、走攻守揃った外野の名手として野球人生を全うした亀井選手は、4番を打つスター選手ではありませんでしたが、味のある名バイプレーヤーでした。
その意味で、歴代の4番が強力であったからこそ、昔から勝負のカギとなって来た巨人の5番バッター。そんな歴史の中で、その時代時代に“巨人軍史上最強の5番打者”と呼ばれて来たのは、自分の記憶に残る範囲ですが、古くは、国松、末次、マムシこと柳田、そしてコンコルド淡口、怪我さえなければと今でも悔やまれる“天才”吉村・・・。彼等に続く系譜が亀井選手だったのではないでしょうか。
そんな亀井選手がWBCに選ばれたのが2009年の第2回大会。球界を代表するトップエリートの集まりである代表チームの中で、イチローの控えに甘え、打席には立てずに最後の守備固めを任せられるのは彼しかいないと選抜された亀井選手に、世間からは「どうして実績で劣る亀井が選ばれたのか!?」との誹謗中傷が殺到したと云います。決めたのはWBCを率いた原監督でも、推薦したのは亀井の守備力を高く評価し、代表チームで守備を担当した高代コーチだったとも。そのレーザービームの外野守備は、名手イチローからも絶賛されたとか。
そんな亀井選手の引退セレモニー。
 「(吉川)尚輝、ポジティブに頑張れよ」
 「(松原)聖弥、あんたは天才だから、もうちょっと頭使っていけよ」
 「(坂本)勇人、あとは任せた!3000安打目指して頑張れ!」
皆に愛された亀井選手の、実に“らしさ”に溢れた挨拶でした。

 その亀井選手が指名されたのが2004年のドラフトでした。この年は大学社会人選手には自由指名枠が設定されていて、巨人の1位指名はその自由枠で社会人野球の野間口投手でした。即戦力評価の自由指名枠でも活躍出来ずに消えていった選手も勿論いますが、額面通りの活躍をした中では、阪神の2位能見、オリックスが長野県出身(生まれは新潟ですが小学生の時に移住)の金子を1位で指名していますし、自由枠の無い高校生では日ハムがダルビッシュを、西武が涌井をそれぞれ1位指名。また裏金問題で揺れた一場選手が自由枠で楽天から指名されていますが、確か記憶ではアマチュアで“150㎞投手”として騒がれた最初のピッチャーだったのでは無かったでしょぅか?それが今では150キロを投げる投手は、高校生でも決して珍しくないのですから・・・。
因みに亀井選手は下位の4位指名でしたし、またその後先発やセットアッパーとしても一時活躍した東野が最後の6位で指名されてしますので、昔からクジ運の無い巨人ですが、スカウト陣の目は決して節穴だった訳ではありません(その意味で・・・どうして山下航汰を退団させたかなぁ?説得してでも絶対手放しちゃダメでしょ!そりゃ、怪我は本人の責任だけど・・・期待出来るのに。全権監督なら、FAなんかで口説かずに、ここでこそ出番でしょうが!)。

 10月11日。次女がお産を迎え、我々にとっての初孫が生まれました。
次女夫婦待望の赤ちゃんです。なかなか子供に恵まれず、所謂“妊活”も頑張っていたようで、我々は何も出来ず、ここ何年かはただ黙って(子供たちのことに関しては、これに限りませんが)神様にお参りするだけ・・・。

 赤ちゃんを授かることを切望していた次女は、家内に依れば、電車に乗って若いお母さんが連れた赤ちゃんを見ると羨ましそうで、時には涙ぐむこともあったとか。世間では切望しながらなかなか赤ちゃんに恵まれないご夫婦も多い中で、せっかくこの世に生を受けた子供さんが虐待等で亡くなるという痛ましいニュースを耳にすると、本当に許せない、だったら欲しいお母さんに授けてあげれば良いのにと、世の中の(神様の)理不尽さを思います。

 そんな日々が2年近く続いていた我が家も、全国とは言いませんが、次女に関しては出雲大社と八重垣神社の縁結び祈願に始まった我が家の“神様詣で”も、伊勢神宮や京都の幾つもの神社などへの娘たちのことのお願いを始め、家内は上京すると水天宮にもお参りし、また県内では毎週末のウォーキングを兼ねの各神社へのお参りが、次女に関しては漸く子宝祈願からやがて安産祈願へと変わり、そして10月11日の無事の出産を経てからは、今度は成長祈願のお参りへ・・・。“親バカ”と云えばそれまでですが、親が出来ることは、ただ黙って子供たちを信じて見守り、せめて神様へお願いするのみ。
 出産に際しても色々心配事もあり、婿殿の勤務する横浜の総合病院の方が結果的に安心だろうとのことから、結果里帰り出産ではなく暮らしている地での出産となり、退院してからは家内が身の回りの世話をするために上京(東京ではありませんが)。そのため、行ったり来たりとはいえ、ほぼ一ヶ月近くは一人でワンコの世話。初孫には会えぬ代わりに、LINEやスマホの「家族アルバム」で毎日の様に写真や動画を送ってもらい、先方の実家のご両親も含めて皆で共有する日々。
直接触れることは叶いませんが、今は本当に便利ですなぁ・・・!!と、ジジバカ、バババカとばかり、「いくら見ていても飽きないヨねぇ~・・・」の毎日の繰り返しに、ふと冷静になって・・・、
 「・・・ん、ま、イイかぁ!?」

 トレーニングも兼ねて、これまでも天気さえ良ければほぼ毎週末に行って来た、自宅から松本の市街地への早朝ウォーキング。

自宅から坂を下り、深志高校から中央図書館経由で松本城公園を通って四柱神社へ参拝。そこから中町を横切り、最後は天神さんの深志神社までの片道4㎞程のコースですが、高台の沢村からは行きはずっと下り坂で、帰りはずっと上り坂です。たまに朝早い時は、松本駅周辺でモーニングセットを食べることもあり、また時間によっては駅周辺でランチを(時には高校生諸君に交じってハンバーガーを)食べてから戻ることもあります。
このルートは、“文武両宝”というキャッチフレーズの旧開智学校と松本城の二つの国宝を見ながらの、更には四季折々の北アルプスの峰々を眺めつつ、春の桜や秋の紅葉などを愛でる“北アルプスの城下町”松本ならではの贅沢なウォーキングコースでもあります。
 松本市民のそんな“贅沢”なコースの、更なる贅沢が「平成の名水百選」に選ばれた“まつもと城下町湧水群”の湧水や井戸が、先ほどのルート上に幾つも点在していることです。
毎回、一番小さなペットボトルを持って、その井戸毎にペットボトルに水を汲んでは各井戸の味を飲み比べながら、旧開智学校や松本城を視界に収めつつ次の場所へと歩いて行くことが出来るのです。
しかも、早朝ウォーキングとはいえ、特に暑い夏に有難いのは、井戸によっても異なりますが、こうした湧水は年間を通じて大体12℃~15℃と一定の水温を保っていること。従って、夏は本当にじっと手を浸していられないくらい冷たくて、更に美味しく感じられるのです。本当に、松本市民ならではの贅沢だと思います。
 松本市のH/Pに依れば、湧水や井戸の水が飲料水として適しているかどうかが定期的にチェックされているので、直近の水質検査結果(令和2年)での各井戸の様々な項目毎の数値が確認出来るのですが、個人的に興味があるのは「硬度」です。
硬度とはミネラル分のマグネシウムとカルシウムの1リットルあたりの含有量で㎎/Lで表示され、通常(複数の基準があるようですが)120より大きいと硬水、小さいと軟水とされます(注)。
所謂「やわらかい水」とか「この水は硬い」という感覚は、この硬度を表しています。因みに、欧州は硬水が多いとされるのに対し、日本では軟水が多く、京都に代表される出汁の文化は軟水ならではとされます(例えば、有名なエビアンは304の硬水ですし、南アルプスの天然水は30の軟水です)。
フードジャーナリストでエッセイストでもある平松洋子女史のエッセイ「水の味」を以前も紹介させていただいた中で、
『「煮る、さらす、浸す、茹でるといった水を中心とした調理法で、微妙な味わいで素材を引き立たせる日本料理は、京都の軟水だからこそ進化した」という件(くだり)でした。その逆で、フランス料理は硬水だからこそソースがミネラルと結合することでしっかりと主張し、切れが出るのだとか。シチューのようにコトコトと煮込む欧州の料理も硬水だからこそ、なのだそうです。また、我国でも関西の軟水と江戸の硬水の違いにより、お米の炊き具合が全く違うのだとか。その結果、硬水で炊くために米が“粒立つ”江戸では、一粒一粒がくっ付かず、空気を含めてフワっとなるからこそ握り寿司が発達し、一方の軟水の関西では米粒が融合し交じり合うことから棒寿司(箱寿司/押寿司)が発達したのだという解説は、まさに目からウロコでした。』
          (松本神社前の井戸)
          (大名小路井戸) 
歩くルートによって、道沿いに在る湧水や井戸は異なりますが、先ずは旧開智学校から松本城公園の途中にある松本神社前の井戸、大名町の「大名小路井戸」、そして四柱神社前の縄手通りの幸橋袂に在る「なわて若がえりの水」、「中町蔵シック館」の手押しポンプの蔵の井戸、天神からの帰り道で緑町に至る「辰巳の御庭」(お城の「辰巳門」と「辰巳御殿」があった場所)という小さな公園にある「辰巳の井戸」、松本城の東側の「葵の井戸」とすぐ近くに「北馬場柳の井戸」、そして駅方面に寄って帰る時のお城の反対側にあるのが西堀公園の井戸。そして、ドリップコーヒー用に隔週で汲みに行っている「源智の井戸」などなど、幾つもの湧水や井戸が各ルート上に点在しています。
          (なわて若がえりの水)
          (中町蔵の井戸)
松本市が管理している「まつもと城下町湧水群」の井戸や湧水は20ヶ所あるそうです(源智の井戸の様に江戸時代には既に“当国一”という評判を得ていた昔からの井戸もあれば、中には平成になってからの整備事業で新たに掘られた井戸もあります)が、その半分近くをいつものウォーキングの中で楽しむことが出来ます。
          (源智の井戸)
          (辰巳の井戸)
 その各井戸の硬度は、「松本神社前の井戸」が硬度7という謂わば超軟水(日本には基準が無く、世界基準で40~50以下を超軟水と呼ぶことがある)です。
「大名小路井戸」は74、「なわて若がえりの水」が93、「中町蔵の井戸」が82、「辰巳の井戸」83、「北馬場柳の井戸」は50、「西堀公園の井戸」96、最後に「源智の井戸」が150で唯一の硬水です。
松本の湧水は殆どが軟水なのですが、その中でも松本神社の硬度7は突出していますし、また源智の井戸も唯一の硬水。複合扇状地と云われる松本は同じ様なエリアでも少し離れると湧水や井戸の硬度が違っていて、地下に様々な水脈が走っていることが分かります。
          (葵の井戸)
          (北馬場柳の井戸)
          (北馬場柳の井戸)
 この中では、個人的には源智の井戸が一番好きなのですが、松本神社前の井戸は確かに柔らかいと感じますし、縄手の「若がえりの水」も美味しいと思います(気分の問題でしょうが、奥様のイチオシ)。また以前ローカルTVだったか、湧水群の取材での案内役をされていた市の水道課の職員の方が「個人的な嗜好ですが」と前置きされた上で、「西堀公園の井戸」が一番美味しいと云われていました。
          (西堀公園の井戸)
単純に云うなら、シチューには硬水の「源智の井戸」を使い、お吸い物など出汁を採る時は軟水の「松本神社前の井戸」を使うのがお薦め・・・なのでしょうか。ただ味は水に限らず、自分の舌の好き嫌いで選ぶべきなのは言うまでもありません。
という意味で、コーヒーに私メの舌が選んだのは、西堀公園でも松本神社でもハタマタ「若返りの水」でもなく、やはり源智の井戸の水でした。
          (源智の井戸)
【注記】
世界保健機関 (WHO) の基準(日本でも多く使われているアメリカ硬度)では、
・軟水:0 - 60未満
・中程度の軟水(中硬水):60 - 120未満
・硬水:120 - 180未満
・非常な硬水:180以上
また、Wikipediaの「水の硬度」の説明に依ると、
『軟水は赤ちゃんのミルク作り、お茶やだし汁などに適している。硬水はミネラルウォーターの名の通り、ミネラル分の補給、また灰汁(あく)を析出しやすいため、昆布のグルタミン酸や鰹節のイノシン酸の抽出を阻害するので和食には適さず、灰汁の出る料理に適している。酒造では醸造過程で硬水を使用するとミネラルが酵母の働きを活発にしてアルコール発酵すなわち糖の分解が速く進むので硬水で造れば醗酵の進んだ辛口の酒になり、逆に軟水を使用するとミネラルが少ないため酵母の働きが低調になり発酵がなかなか進まないので醗酵の緩い甘口の酒に仕上がる。醤油の醸造には軟水の方が適する。また、硬水は石鹸の泡立ちを抑えてしまう。特にアルカリ性の石鹸は成分が結合・凝固して増粘するため、すすぎで非常に苦労する。
また、中硬水は中軟水とも表記される場合がある。』
【注記その2】
掲載した写真は、最近だけではなく、過去も含め(例えば旧開智学校が写っている真っ赤なドウダンツツジは、中央図書館前の昨年秋の紅葉です)、四季折々の早朝ウォーキングの中で(水の味を確かめながら)撮影したモノです。

 前話でのベランダ用のIKEAの椅子のリフォームのついでに、一緒にベランダ用に使っていたテーブルが随分古くなっていたので、こちらはリフォームではなく新しく自分で作ることにしました。

 それまで使っていたのは、24年前に家を建てた際に、ベランダ用板材の余った端材を大工さんから貰って、そこにホームセンターから買って来た棒材を切って、テーブルの脚として四隅に打ち付けたもの。テーブル部分に使った端材はベランダ用のヒバ材(青森ヒバに代表される、水に強く耐久性のある高級木材)で、塗料が塗られ防腐加工もされています(他にも同じ余った端材を貰って、二階で使っているトールボーイ型のKEFのスピーカーは振動防止のためのインシュレーターとして付属のピンスパイクを使っているため、床を傷つけぬ様にスピーカー台としても使っています)。
丈夫なヒバ材故スピーカー台は全く問題がありませんが、ベランダ用テーブルはいくらベランダの屋根下部分とはいえ、雨風が当たりますのでさすがに古ぼけてしまいました。
 ホームセンターを探すと、既にカットされ研磨された板材や金具を取り付けられるテーブル用の脚材も販売されていますし、色々な厚さや大きさの異なる各種板材(桐などの無垢材やパイン集成材など)をカットをしてくれるホームセンターもあります。ただ無垢材や既に脚用などに加工されたモノは結構良い値段で、大きさ厚さにもよりますが、チャンとしたテーブルを作ろうと思うと、最低でも3千円以上するでしょうし、またテーブル板に脚を付けるのも、釘を目立たせぬためには(そのための金具購入も含め)かなり工夫が必要です。そこで悩んでホームセンターを幾つか回って探すと、カインズホームで既に必要な部材や金具が揃ったDIYで組み立て式のテーブルが販売されているのを見つけました。
それは福島県の光大産業という木製家具用品メーカーの「かざるん台」という名称で、縦横32㎝、高さ44.5cmでした。高さは出来ればもう5㎝程欲しいところですが、出来合いですので止むを得ません。何よりパインの集成材で1980円(税抜き)ですので、組み立ての工数は自分でやればタダですから、板材カットを含め、サイズや組み立て方など色々悩んで3千円以上も掛けるよりはずっと楽です。
 購入し、早速組み立て開始です。組み立て用の六角レンチも付いていますので、プラスドライバーさえあれば他は不要。
一応脚材に穴が開いているのですが、ボルトを付属の細い六角レンチで締め込むのは、かなり大変な力業。これでは、女性には無理でしょう。
パイン集成材は既に研磨されていてそれなりにキレイなのですが、屋外のベランダで長年使うとなると風雨に当たることになりますので、やはり防腐剤や塗料を塗るなどの加工が必要です。
そこで、前話のIKEAのラウンジチェアのリフォーム用に使った油性ニス(ウォールナット色)のスプレーがまだ残っているので、それを塗ることにしました。
余っていたサンドペーパーで更に磨いてからスプレーで吹き付け、出来るだけムラにならぬ様に刷毛で拡げ、時間をおいて乾くのを待ち、二度、三度と厚塗りをして一応完成です。
耐荷重100㎏ということなので結構頑丈そうですし、実用本位でオシャレなデザインとは言えませんが、それも値段を考えると止むを得ません。
何より、自分で板材をカットしてそれに見合う金具等を探すことを考えると、今回の組み立てでの予想外の力業はともかくとして本当に楽でした。従って、コスパはとても良かったと思います。

 15年前、次女が大学進学で上京し、慣れるまでの最初の1年間だけ長女と二人で一緒に都内のマンションで暮らした時に、必要な家具を船橋にあるIKEAに車で買いに行きました。
その際、娘たち用だけではなく、松本の自宅のベランダ用にも一緒に購入し持ち帰って来たのが、折り畳みが可能なIKEAのラウンジチェアでした。

 5年前に定年を機に禁煙するまで、毎朝毎晩ベランダのそのチェアに座って、コーヒーを飲みながらタバコを吸うのが習慣でした。
その前に使っていたチェアは地元のホームセンターで購入したモノでしたが、数年で壊れて使えなくなっていました。そのためIKEAの椅子は三代目だったのですが、以降15年経った今でも全く壊れずガタも来ていません。但し、屋根下とはいえ、文字通り風雪に耐えながら屋外のべランダで使っていたので、塗装は剥げて随分古ぼけてしまいました。
家内は、思い切って捨てて新しいのを買うように勧めてくれるのですが、古ぼけたとはいえ全く壊れてもいませんので、ダメ元で自分でリフォームしてみることにしました。
 リフォームに必要なモノは、研磨のための木工用の紙やすり(サンドペーパー)と塗装用のラッカースプレーです。
紙やすりは汚れや古ぼけた塗装を剥がし、もう一度磨き直すため。目の粗さの度合いに従って、アラ磨きから仕上げの研磨まで番手に合わせて何枚かが必要ですが、ホームセンターだと色々な種類の紙やすりが揃っていますが、一枚A4サイズですので、一回用であれば大きすぎます。そこで、100均ショップで探すと、番手の違う3種類の紙やすりが2枚ずつ入ったA5サイズ(A4の半分の大きさ)の紙やすりが売られているので、今回の様なDIY作業にはもってこいです。購入したのは、番手100、200、400の3種類が入っていました。
そこで、作業で随分埃が出ますので、室内ではなく屋外のベランダで作業をします。目の粗いものから順番に番手を上げていきます。すると、無垢材の元のキレイな木目が現れます。
その上で、最初透明なラッカースプレーを吹き付けて塗装したのですが、下地部分に経年劣化に依る多少斑な部分もあったので、そこで色付きの油性の木工用スプレーでもう一度塗り直しました。色は何種類かある中で一番自然な木肌の色合いに近い(感じがする)ウォールナットにしました。また一緒に刷毛も購入し、吹き付けた後でダマにならぬ様に刷毛で塗り直すことで、ムラにならず見栄え良く仕上げることが出来ました。
 さすがに新品同様とはいえませんが、15年も経ったとは思えぬ程に見違えましたので、買い替えることなく再度またベランダで使える様になりました。

 松本市の郊外、神田に在る“信州松本の洋食屋さん”というキャッチフレーズの「ベル・リヴィエール」。お店のH/Pの紹介をそのままお借りすると、
『フランス語で“美しい川”という意味の当店「ベル・リヴィエール」は、平成3(1991)年4月28日(日曜日)松本市筑摩の薄川沿いにて創業開店しこのたび創業年の節目を迎えました。』
とのこと。

 今のレストランの在る場所は、薄川ではなく、神田の千鹿頭池の道路を挟んだ反対側になりますので、さしずめ今は川ではなく“美しい池”でしょうか。
余談ながら、お店の場所の千鹿頭(チカトウ)というのは不思議な名前ですが、池の背後の小高い丘が千鹿頭山。全体が公園になっていて、横に在る池が千鹿頭池で、かなり大きな灌漑用の溜池です。
千鹿頭山には小学校の時に遠足で来たことがありますが、中腹には千鹿頭神社があって、御柱祭りが行われていることから諏訪大社系列であることが分かります。因みにWikipedia に依ると、地名の由来となった祭神である千鹿頭神は、
『諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)においては洩矢神の御子神、孫神、あるいはその異名とされる。名前は守宅神が鹿狩りをした時に1,000頭の鹿を捕獲したことから由来するといわれている。』
とのこと。洩矢(モレヤ)神というのは、ミシャクジ信仰(第987話参照)との関連も指摘される古代諏訪地方の土着神で、要するに、洩矢神の孫にあたり諏訪大社の大祝(神長官)である守矢家(出雲の神長官である千家氏に次ぐ、日本で3番目に古いと云われる78代に亘る家系。因みに一番古いのは天皇家)の3代目が千鹿頭神とされます。
 10月中旬の土曜日。長野県内も徐々に人通りが戻り始めていることから、週末だったこともあり、念のために予約をしてランチに伺いました。
「ベル・リヴィエール」は、店の玄関付近と、道路を挟んだ対面の千鹿頭神社の鳥居前の駐車場も駐車可能で、両方とも満車に近いくらいに車が停まっていました。週末とはいえ、予想以上の人気店の様です。
建物は、何となくフランスやイタリア、或いはスイスの片田舎に在る様なお洒落なレストランといった雰囲気。
店内は外観からの想像以上に広く、テーブル席やL字型のカウンター席、個室風にスクリーン等で仕切られたスペースなど、優に40席はありそうです。
我々は予約した12時半に着いたのですが、その日の日替わりランチ(800円とのこと)は既に終了の由。この日は平日ではなく土曜日なのですが、ランチの客層はどうやらご婦人方のグループが中心という感じでしょうか。
 我々のオーダーは、ランチメニューの中から、私メは最初からのお目当てだった「チキン生姜焼き」。というのも、それが「チキンクレスト」で人気メニューだったチキンソテーの味を継承しているメニューとのことだからです。そして、二人共同じメニューだと芸が無いので、奥さまは同じソースを使う「ミックスグリル」のそれぞれランチセット(税抜き各1800円)をチョイス。
セットメニューの最初に、オードブルとサラダで、この日はジャガイモのニョッキとのこと。食べ終わると、その食器を下げてから、続いてスープです。
チキンコンソメ味のスープは澄んだコンソメ。家内曰く、サラダのドレッシングもスープもチキンクレスト風の懐かしい味だとか。個人的な記憶では、スープはもう少し色も味も濃かった様な気がしますが、確かにその系統であることは間違い無い気がしました。
そして、メインディッシュと我々のチョイスしたパン。
ソテーは、それぞれ熱々の鉄板のステーキ皿で運ばれて来ます。チキンの生姜焼きは、「チキンクレスト」では確か鶏もも肉一枚だったと思いましたが、こちらは一口大にカットされた鶏もも肉とピーマンとナスが添えられています。家内のミックスグリルは、ポーク、海老、自家製ソーセージで、味付けは同じ生姜焼きソースです。
先ずはチキンから。あぁ、確かにこの味は「チキンクレスト」です。間違いありません。イヤ懐かしい・・・。
食べ終わって、プチデザートとコーヒーの前に、マダムがテーブルクロス上のパンくずを掃除してくださっている時に、思わず、
 「本当に懐かしい、あのチキンクレストの味でした!」
とお伝えすると、奥さまがこれまでの経過を話してくださり、「チキンクレスト」では“雇われ料理長”だったので独立後も遠慮していたが、「ベル・リヴィエール」になって今年で30年も経ったので、「もうイイか」と思ってメニュー紹介に「チキンクレスト」と記載させてもらったとのこと。
 「“雇われ”だったので自由は無かったけど、この店の原点でもある“チキンクレスト時代”が自分たちも懐かしいんですヨ!」
 食後のコーヒーとプチデザートを楽しんでいると、わざわざオーナーシェフ(チーフは二代目の方が継がれていますが、今でも現役で毎日厨房に立たれて調理をされているそうです)が挨拶に来てくださいました。
当時の思い出話に花が咲く中で、家内の舌の記憶通り、コンソメスープも当時のレシピそのままだとのことで、「良く覚えていてくださいました!」と逆に喜んでくださいました。
 シェフを始めお店のスタッフの皆さんにも見送られて店を出ると、対面の千鹿頭神社の鳥居の脇の池の縁に花を付けている植木が目に付きました。行ってみると・・・寒桜・・・でした。
彼岸過ぎの季節外れの暑さも、10月も中旬になって漸く秋めいて来たこの頃。寒桜ですので、秋から冬に掛けての寒い時期に咲くのが当前なのでしょうが、“桜と云えば春”という認識が住み着いている“固い頭”の中で、この時期に見る“季節外れ”の桜が、まるで40年前の若かった時代にタイムスリップした様なこの日の“チキンクレスト”の味の記憶にナントモ相応しく、まるでその戻った時間を表している様に錯覚させてくれて、暫し“懐かしい”味の記憶と共に季節外れの桜を愛でていました。

 ごちそうさまでした!今度は、40年前の“チキンクレスト”ではなく、今の「ベル・リヴィエール」の味を食べに、また来ます。

 先日、たまたま小松プラザの前を家内と車で通った時に、そこに入っていたトンカツの名店「とんこ」がコロナ禍の影響か閉店して別の店が入っているのを見て、そこで何となくお互いに思い出したのが、
 「そういえば昔チキンクレストがあって、良く食べに行ったよネ!美味しかったのになぁ・・・」
ということでした。
「小松プラザ」の運営が小松養鶏場だからこそ、自社で運営する鶏料理メインのレストランに安く鶏肉が提供出来たにせよ、味そのものも甘辛い醬油ベースの味付けのチキンソテーが実に美味しかった記憶があります。
この場所での養鶏業そのものの継続が(鶏糞の悪臭や鶏の鳴き声での騒音が、この文教地区の住宅地では)難しかったからかもしれませんが、直営のレストランはきっと今あっても絶対に繁盛店だった筈なのに実に勿体無い気がします。
 「あんなに美味しかったんだから、もしかしたらどこかでやってるかもしれないネ!?」

 40年ほど前だったか、深志高校の上の道路沿いの桐の信大の付属小中学校近くにあった小松養鶏場(その後移転)。その養鶏場が今でも所有している、「小松プラザ」内のレストラン「チキンクレスト」。他にもテナント(今もある中華の「麗山」やチキンクレストの後に入ったカレーの「メーヤウ」などの人気店も)が全部で5店舗程入っていたのですが、その中の一つが親企業の養鶏事業を活かしたのであろう、恐らく直営店の鶏料理店?(ステーキハウス)が「チキンクレスト」でした。
その看板メニューだったチキンソテーが美味しくて、しかも安くて、今から40年以上も前ですが何度も家内と(結婚前から)通ったものです。その後我々が諏訪に転勤し、更に7年間海外に赴任して帰国したら、いつの間にかそのレストランは無くなっていて、その場所は先述のエスニックカレーの「メーヤウ」桐店に変わっていたのです。
 そんな思い出話に「チキンクレスト」が無性に懐かしくなり、もしかするとどこかに移転しているかもしれないと思い、そこで、まさかネ・・・と然程期待せずに「チキンクレスト」で検索してみたら・・・それが、あったのです。以下、ネットで見つけた記事。
『数日前のランチ、「もしかしてチキンクレストの方ですか??」と、ご年配のご夫婦に問いかけられました。
25年も前に父(当店オーナー)が任されていた桐のステーキハウスです。
 「どちらへ行かれたのかと思っていたのですが・・こちらが美味しいと知人に教えてもらい、今日伺いました!こちらにおられましたか!!」
と嬉しいお言葉を!!
25年以上たつというのに、覚えていて下さる方がいて感謝ばかりです』

 その店は、松本の郊外の神田地籍、千鹿頭山のすぐ近くに在る「ベル・リヴェール」という、フレンチレストランのH/Pに掲載されていたブログ記事だったのです。その店は地元では美味しいと評判の少々高級店で、我々も名前は聞いたことがあり、何年か前の「松本歴史ウォーク」に参加した際の弘法山から林城址に至る途中、千鹿頭山から広沢寺経由で行った道沿いに店舗を発見し、「ベル・リヴィエールってここなんだ!」と初めてその場所を確認していました。
ただそこは自宅からは松本の市街地を挟んだ対角線の反対側の場所故、わざわざそこまで行かずとも他に評判の良いフレンチやビストロが近くの蟻ヶ崎界隈や街中に幾つもあるので、これまで一度も行ったことはありませんでした。

 ブログ記事から推測するに、やはり養鶏場所有の店の雇われシェフとして当時は厨房を任されていて、その後オーナーシェフとして独立し、こちらにご自身の店を開かれたようです。
メニュー内容も値段も当時の「チキンクレスト」とは全く異なりますが、唯一ランチメニューの「チキン生姜焼き」(スープやサラダ、プチデザートやコーヒーなども付いて1800円)は、店のH/Pのメニュー紹介曰く、
 『松本市桐にあった「チキンクレスト」で人気メニューだったチキン生姜焼きの味を今でも継承。50年近く支持され続けている味』
とのこと。
そこで、懐かしさのあまり、後日家内と二人で早速ランチに伺ってみることにしました。