カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 二度の幕内優勝と三役在位が通算26場所と、その素質を高く評価される長野県木曽郡上松町出身(注)の関脇御嶽海。
これまで何度も大関昇進の可能性がありながらことごとく失敗し、同じフィリピンハーフの先輩力士の高安、学士力士の先輩正代、後輩貴景勝・・・と、後からチャンスを掴んだ力士が皆追い越して先に大関に昇進。気が付けば、もう28歳・・・。

 横綱輪島の出身の地でもあり、昔から相撲が盛んな土地柄の石川県(現役では遠藤)は別格として、他は相撲不毛の地だった甲信越・北信越出身力士たち。先ずは富山県出身の元大関朝乃山、新潟県出身の豊山、山梨県出身の竜電。そして歴史上何かある度に、江戸時代の無敵雷電まで遡る、それ以上に大相撲不毛の地だった長野県で現役唯一出身の御嶽海(昔平幕ですが、190㎝の長身を生かした吊り出しを武器に、前頭上位までいった大鷲という長野県出身の関取がいて、結構好きな力士でした。今は故郷の佐久に戻り、ちゃんこ屋さんを経営されています。全くの下戸で、現役時代に好きなコーヒーを飲みに “チャリンコでの喫茶店巡り”が趣味と新聞報道で見た記憶があります)。
まさかのうぬぼれか、コロナ禍での自業自得の不祥事で出場停止と降格(中には再起不能も?)の憂き目にあった、先述の一時輝いていた甲信越出身の力士たち。
本人が引退宣言するまで降格の無い横綱とは異なり、せっかく大関に昇進しても、常勝でなければ、一場所でも負け越せば翌場所はカド番を勤めねばならず、常に陥落するリスクのある大関。
せっかく努力して大関になったのに、昇進前の勢いは何処へやらの“クンロク大関”と世間的に責められるくらいだったら、そうした責任の無い平幕の方が余程イイ!とばかりの、片や“暖簾に腕押し”気味の我らが御嶽海。
アマチュア横綱を勤め、天才的と評される相撲勘をはじめ、誰もがその素質を認め期待するのに、怪我をしてもしょうがないとばかり、追い込む程の稽古をせずに、常に稽古不足と批判され続ける御嶽海(実際、以前の本場所の立ち合いのぶつかりで額を切り、翌日「当たると痛いから」と立ち合いでぶつかるのを避けて親方衆から批判を浴びました)。
「怪我をして欲しくない」と大相撲入りを反対し続けたという、本人より人気のお母さんと云われるフィリピン人の陽気なマリアさん。彼もバラエティー番組などにも呼ばれることもりますが、お母さんに似て、茶目っ気もあって憎めない、愛すべきキャラクター。
TV桟敷でいくら応援し、いくらその取り組みを批判してどんなに歯痒いと言われようが、相撲を取るのは本人。負け越しやケガで降格を(結果、物理的な実入りが減ることも含め)受け入れざるを得ないのも、飽くまで本人。

 こうしたことを考えると、歯痒いと、それこそ毎場所歯軋りをしているであろう北の富士(「何度も裏切られたが」と言われながら、今場所も優勝した新横綱照ノ富士の対抗馬に御嶽海を挙げられていたのですが)や舞の海といった解説者の方々のみならず、TV桟敷で何度も溜息をつく我々地元ファンなのであります。
 「あ~ぁ、だからやっぱり期待しちゃいけなかったんだ・・・」
但し、そうは言っても毎日それだと精神的に良くないので、最近は過度の期待をせず、一喜一憂する本割もTVでは生で視ず、結果だけを後で確認する様にしています。
だから、もう少し“多め”に場所前に稽古して、毎場所優勝争いをする様な地力が付いてから大関に昇進すればイイと思います(そうでなければ、今のままでイイ。カド番で毎日ヒヤヒヤするのは心臓に悪い!)。
でも、そんな日がいつか来ることを願って・・・、一応“ガンバレ御嶽海‼”
【注記】
昭和53年(1978年)の「やまびこ国体」で旧木曽福島町(現木曽町)
が相撲会場となって、今も使われている立派な相撲場が作られて以来、木曽は長野県内での相撲のメッカとなっています。
そして、御嶽海の母校である長野県の木曽町中学校相撲部が、今夏の全国中学校相撲選手権大会で見事団体での準優勝を果たしました。決勝進出は21年ぶりの快挙だそうです。目標にしていた日本一こそ逃しましたが、同校相撲部は、前身の福島中学校時代から全国大会の常連。ただ、決勝進出となると、2000年に全国制覇をして以来のことだったそうです。
長野県出身の二人目の現役関取となるような、御嶽海の後輩が育つのも間もなくかもしれません。