カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今朝、いつものウォーキングへ。今日は暑くなりそうだったので、8時に自宅を出発しました。

 いつもの様に松本城公園を通って四柱神社へ向かいます。
すると、お城の北西のお堀(地元紙に依ると通称「蓮池」と呼ばれているのだそうです)で、前話でご紹介したハスが見頃を迎え、たくさんの花を咲かせていました。
反対側から見ると、朱色の埋橋とお城の天守閣と乾子天守をバックに咲くピンク色のハスの花が見栄えがします。7月に入って咲き始め、8月一杯は花を見ることが出来るそうです。
写真はたまたま奥さまの生け花で、今月使われていた蓮の花が散った後の部分。蜂の巣状に見えるのが花托(カタク)と呼ばれ、この中に実が幾つか入っています。シンガポールもですが、中国社会では旧暦の8月に月餅を食べる習慣があり、その餡として使われているのがハスの実です。
 余談ですが、ウォーキングの時にいつも小さなペットボトルを持参し、松本城北の松本神社、大名町の信金本店、そして縄手、辰巳公園、北の馬場など、平成の水100選の松本湧水群の湧き水を汲ませていただいては、猛暑の中で喉を潤しています。どの湧水も12℃~15℃と、年間を通じて水温がほぼ一定しているので、特に30℃を超える真夏は本当に冷たくて美味しく感じます。“湧水の街”松本に暮らす幸せをつくづく感じています。

 6月に入って、松本城の北西の池にスイレンがかわいらしい白やピンクの花を咲かせていました。因みに、何となく混同されがちなのですが、スイレン(睡蓮)とハス(蓮)は全く別モノ・・・です。
 ハス(蓮)は仏様の台座(蓮華座)に代表される様に仏教では神聖な花として良く登場します。それもその筈で、仏教発祥の地であるインドが原産とか。また、我々にとって和食でお馴染みのレンコンは蓮の根です。
一方、スイレンは漢字で書くと“水蓮”を連想しがちですが、実際は水ではなく「睡」の漢字が使われます。これはスイレンの花が朝開き夜眠る様に閉じるので、睡眠の「睡」が使われて睡蓮と書かれるのだとか。
 お参りを兼ねての朝のウォーキングでの7月20日。二週間ぶりでしょうか。
梅雨明け後の猛暑ですので、熱くなる前にと、早めに朝7時過ぎに家を出ました。途中、いつもの様に松本城公園を通って、大名町通りから縄手通りを通って四柱神社へ向かいます。
すると、松本城の北西にあるお堀で、ハス(蓮)の花が咲いていました。ハスの花は仏画に描かれている通りのピンクで、スイレンに比べると二回り位大きな花です。一番の違いは、スイレンは水面に浮かんでいる様に花が咲いているのに対して、ハスは茎がすっと伸びて水面よりも高い位置で花を咲かせているところでしょうか(咲き終わった後も、花びらは散っても蜂の巣の様な核の部分がずっと残ります)。
6月に咲き始めたスイレンは、7月下旬になってもまだたくさん咲いていて、この時期はハスとスイレンの花の共演です。
 ハスとスイレンは、花だけではなく葉も全く違っています。花同様に大きさもですが、スイレンの葉には切れ込みがあるのに対して、ハスの葉はオーバル。また、スイレンの葉はツワブキの様な光沢があってかなり緑が濃いのに対して、ハスの葉は里芋の葉に良く似ていて、里芋の葉に朝露が水玉となってコロコロと転がっている様に、スイレンの葉も撥水性で光沢は無く色もスイレンに比べると緑色も薄い感じで、むしろ里芋の葉に近い気がします。
因みに、英語ではスイレンがWater Lilyに対してハスは Lotus。リリーには優しさを感じるのに対して、ロータスと聞いた方が何となく気品と気高さを感じるのは、英国の自動車メーカー名だからではありませんが、何らかの先入観があるからなのでしょうか。
【追記】
スイレンとハス同様に、ウォーキング中の松本の街角で見つけた花です。
大名町通りに植えられている街路樹「シナノキ」。長野県の旧国名である“信濃”(科野)の由来となった木でもあります。決して華やかではありませんが、初夏の6月(写真は6月12日)に小さな細かい花が咲いていました。
そして「国宝」旧開智学校。現在耐震補強工事で休館中ですが、そんな観光客の居ない開智学校の裏庭(中央図書館側)で、夏の日差しの中ザクロの真っ赤な花がまるで競うかの様にたくさん咲いていました(撮影は6月24日)。目にも鮮やかなザクロの花。それもその筈で、緑の中の鮮やかな赤い色は“紅一点”の語源でもあります。因みに、それは中国北宋時代の王安石がザクロを詠んだ詩『詠柘榴』にある「万緑叢中紅一点」(バンリョク ソウチュウ コウイッテン)に由来します。北宋時代の中国で近代の科学的な色彩学の理論が知られていたとは思えませんが、緑の反対色(補色)が赤なので科学的根拠もあり、確かに目立つ筈です。

 会社員時代、諏訪方面に勤務していた時に電車通勤だったこともあり、朝は先ず日経を隅々まで読んだ後、携帯しやすい文庫本を行き帰りに読んでいました。帰りの電車では専ら読書です。当初はビジネス書よりも気楽に読める推理小説が多かったように思いますが、40代を過ぎた頃からか時代小説も読むようになりました。

 個人的に好きなエッセイストである評論家の川本三郎氏は、「大人の嗜み」として藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎の「“一平二太郎”を読むべし」と言われるのですが、思うに、個人的には恐らく時代小説好きは池波正太郎派と藤沢周平派のどちらかに二分される様に思います。
池波正太郎には「真田太平記」やTVドラマやコミックでもお馴染みの「仕掛け人藤枝梅安」「鬼平犯科帳」「剣客商売」などもあり、例えばいつも行く床屋さんでの散髪の待ち時間などでコミックの「そば屋幻庵」などを手に取ることも少なくないのですが、小説として読むとなると、私自身は圧倒的に藤沢周平派です。
その理由は、池波正太郎の作品はコミックに描かれる様に如何にも時代劇風でドラマチック、一方の藤沢周平はまるで一幅の絵画を見るような感じで多分に映像的だと感じます。読んだ後に残り香がある気がするのです。そして、そんな風に感じる理由は、藤沢周平自身の言葉に象徴されている様に思います。曰く、
『私が書く主人公たちは、武家社会の中で支流とはいえない、組織の脱落者、あるいは武家社会の中で呼吸してはいるものの、傍流にいる人々などを主として取り上げている。』
池浪正太郎を読んでヒーロー物でストレス発散するか、藤沢周平を読んで傍流の市井の人々の生き様に共感するか、人それぞれの好みではありましょう。

 数ある藤沢作品の中で、個人的にも好きなのはやはり何と言っても海坂藩モノです。それは世間的にも同様で、例えば映画化された藤沢作品を見てもやはり海坂藩モノが多く、「蝉しぐれ」しかり、「たそがれ清兵衛」しかり、「山桜」しかり・・・。そうした作品の一つにTVドラマ化された「三屋清左衛門残日録」があります。
お側用人として仕えた先代藩主の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出て家督を長男に譲り、50代半ばにして国元で隠居生活に入った三屋清左衛門が主人公。妻は江戸詰めをしていた3年前に先立っており、隠居部屋を建てて若夫婦と同居しているという設定。長編ではなく15の短編からなる連作作品集です。
しかし、これまでは余り興味が持てずに読んだことはありませんでした。というのも、何となく、「蝉しぐれ」や「山桜」で描かれている様な藤沢作品の持つ清涼感とは違うような、過去を悔恨し懐かしむ隠居老人の“日めくり日記”の様な気がしたのです。
しかし、自身もリタイアして“隠居老人”になってみて、平々凡々に“残りの日”を過ごそうとしている日常の中で、そんな気分も少し変わってきました。
因みに「三屋清左衛門残日録」には藩名は出て来ませんが、主人公が磯釣りに行くので海辺の地域であり、また馴染みの小料理屋では時期になるとハタハタ料理が出て来ますので、東北地方の海沿いであることが分かります。従って、特定されてはいませんが海坂藩だろうと思えるのですが、但し小説の中で方言は使われていません(但し、BSフジで放送されたTVドラマでは雪を頂く鳥海山が何度も映し出されますので、海坂藩と断定しているのが分かります)。
因みに、海坂モノと云われる小説の中では、例えば「秘太刀馬の骨」は方言(庄内弁)が使われていますが、代表作と云われる「蝉しぐれ」では方言は使われていません。従って方言だけを以て海坂モノとは言えない様です。
藤沢作品としては珍しい隠居老人が主人公(他には、下級武士の出ながら功成り名を遂げて主席家老となった主人公を描いた「風の果て」もありますが)という「三屋清左衛門残日録」ですが、当然とはいえ如何にも藤沢周平作品らしい描写が書かれています。
例えば、
『誰もいない、丘の陰に入って小暗く見える川には、水面を飛ぶ虫をとらえる魚がはね、そしてそこだけ日があたって見える丘の高い斜面のあたりでは、一団になってひぐらしが鳴いていた。夏が終わり、季節が秋に移るところだと清左衛門は思った。やはり一団になって鳴くひぐらしがいて、ひぐらしは寄せる波音ように交互に鳴きかわしていた。』
ひぐらしの鳴く声さえも静寂さの中に静かに消え入る様に染み渡っていく様な、そんな静謐さすら感じさせるこうした記述が、如何にも藤沢周平作品だと思うのです。また一方で、
『清左衛門の年齢になると、そういうささいなことにも、ふと幸福感をくすぐられることがあった。珍重すべきことのように思われて来る。』
というような件は、以前は決して感じなかった部分であろう筈が、今では何となく親近感以上に共感出来るのです。とどのつまりは、要するに自分自身が「清左衛門の(様な)年齢に」「なった」ということなのでしょう。
因みに、原作は如何にも隠居老人として淡々としたストーリーなのですが、ドラマ化されたTVの方がむしろストーリー(山田洋二監督同様、他の藤沢周平の短編作品の要素も盛り込みながら)の展開に変化を持たせてあります。

 リタイアした今だからこそ、読みそして感じたのであろう藤沢作品「三屋清左衛門残日録」。読み終わって感じるのは、「自身もそうあるべし」でしょうか・・・然るに、『日残リテ暮レルニ未ダ遠シ』。

 長野市に在る信陽食品という会社の即席麵「ポンちゃんラーメン」。
長野県と周辺の一部だけで販売されているインスタントラーメンなので、所謂ご当地麺だと思うのですが、歴史は古く1964年(昭和39年)発売。私メが子供の頃からあり、ローカルTVのCMで「♪ぼくんち、ポンちゃんラーメンだ~」というコマーシャルソングと共に、今もパッケージに印刷されているちょっとシュールな狸のキャラクターが記憶に残っています。

 世界初の即席麵である日清のチキンラーメンが昭和33年(1958年)、今でも国内主力のロングセラー商品である「サッポロ一番(醤油味)」と「明星チャルメラ」が共に昭和41年(1966年)だそうですので、一地方企業でありながら信陽食品の昭和39年発売というこの「ポンちゃんラーメン」の古さが分かります。
確か2004年の中越地震の時だったとかすかに記憶しているのですが、製造元の信陽食品が地の利を生かして、いち早く「ポンちゃんラーメン」を新潟県内の避難所に救援物資として届けたと地元ではニュースになりました。
因みに製造元である信陽食品は、霧下蕎麦で有名な信濃町で元々蕎麦粉の製粉事業でスタートした由。そのためか、現在でも業務用を中心とした蕎麦粉製造が主力で、「ポンちゃんラーメン」のパッケージに記載された内容に依ると、現在はこのインスタントラーメンは自社製造ではなく、OEMとしてマルちゃんの東洋水産北海道工場での委託製造とのこと。

 「ポンちゃんラーメン」は松本でもツルヤや松電(デリシア)などの地場のスーパーマーケットの麺類コーナーに並んでいます。懐かしさで、本当は一袋で(味見をするなら)十分なのですが5袋入りしかなく、やむを得ずパッケージで購入してみました。
麺は、ノンフライ麺やラ王に代表される生麵風でもなく、油で揚げられた即席麺と粉末状のスープという極々普通の昔ながらの袋麺です。香味湯や液状スープやスパイスなども無く、粉末スープのみ。しかし、発売以来全く進歩が無かったのではなく、恐らく60年の間にそれなりに改良改善はされているのでしょうが、久し振りに(それこそ60年振り?)食べる消費者心理としては「昔はこうだったよネ!」という昭和レトロの昔のまま!・・・というイメージです。
指示通り、3分茹でてから丼に事前に入れてある粉末スープに鍋の中身ごと注ぎ、スープと混ぜるタイプ。正直、生麺風の進化した「ラ王」などの袋麺に比べると、ブヨブヨとしたソフトな食感の麺は如何にも(昔の)インスタント麺という印象です。でも鶏ガラの醤油味のスープは正直美味しい!奇を衒ってはいませんが、スパイスが効いていて、あっさりですがコクも感じられて独特な印象。麺は余りいただけませんが、このスープは素直に美味しい!と感じられます。
昔食べたであろう半世紀以上も前の記憶はありませんが、懐かしさや珍しさというよりも、発売以来60年以上、長野県という地域限定ながらしっかり“生き残って”定着しているロングセラーの理由が分かった気がしました。

 もし麺をノンフライか生麺に変えて、このスープで食べたらもっと美味しいかも・・・そんな気がします。

 突然ですが、何と言っても箱根で一番の“ご馳走”は温泉!・・・ではないでしょうか。

 今ではたくさんの旅館ホテルなどが立ち並ぶ仙石原ですが、すすき草原に代表される様に、
『箱根火山カルデラ内の北部に位置し、湿原や草原が広がる。総面積は約16ha。これはかつてこの地域がカルデラ湖の一部だった名残りで』、そのため源泉は無く、明治期になって大涌谷から引き湯をしたことによって、温泉旅館等の開発が進み、現在の様な一大リゾートが形成されたのだそうです。
その仙石原温泉は、説明書きに依ると、
『箱根町にある温泉。箱根山の北部,火口原である仙石原の高原地域にある。旧爆裂口である大涌谷の噴気孔から引き湯。泉質は単純泉,石膏泉。泉温は 20~70℃。神経痛,皮膚病に効能がある。一帯には別荘や寮のほか,旅館,ホテルも多く,温泉街を形成している。近くにゴルフ場や美術館があり,湿原植物群落の一角は箱根湿生花園となっている。富士箱根伊豆国立公園に属する。』
泉質は単純泉とのことですが、白濁していて硫黄分が多く含まれていて、結構熱めの温泉です。個人的には、“烏の行水”に近い方だったので、白骨の様なぬるめの温泉に長く浸かるよりも、どちらかというと(特に歳を取りその傾向が強まった気がしますが)熱めのお湯に浸かって汗をかいたらパッと上がる・・・という方が好み。その意味で、この箱根(仙石原)の温泉は熱めで好みでした。
しかも、昔は草原でしかなかった仙石原に、明治期になって大涌谷からの引湯が成功したことに依り、今では多くのホテルや旅館が立ち並ぶリゾート地になったのだとか。先人に感謝です。

 今回の箱根滞在中はコロナ禍でもあって、あちこち観光で出歩くことは出来ませんので、せめて密を避けた戸外かホテル滞在が中心になります。
従って、朝夕のワンコとの滞在しているドッグヴィラ周辺の散歩と共に、朝夕の二回入る温泉が何よりの楽しみ。今回も、爽やかな緑を眺めながらの“朝湯”を楽しみ、そして旨いビールを飲むために、また夕食前に入浴を楽しみ・・・と、まさに温泉三昧。
 「あぁ、イイ湯だな!・・・」
【追記】
今回の大雨で、二日間で700㎜という途方もない降水量を記録した箱根町。TVニュースでは、駅伝の“山登り”ルートでもある国道1号線を川の様に水が流れ下っているのが放送されていました。この大雨のために大涌谷では土砂崩れが発生し、温泉の供給施設が流されてしまいました。その影響で、強羅や仙石原の一部の宿泊施設約50カ所への温泉供給がストップしているとの報道がありました。一日も早い復旧をお祈り致します。

 今回の箱根滞在中の“箱根グルメ”。コロナ禍故に、夜は部屋食で外食はランチのみでした。
そこで、前話の小田原漁港での海鮮の買い出しに加え、夕食用のテイクアウトは、箱根の別荘族御用達という仙石原の「相模屋精肉店」(第1562話参照)のローストビーフです。我々も箱根に来る度に購入しています。今回も、別荘族の皆さんでしょうか、狭い店内は大変混んでいました。いつも通りで、ローストビーフとミートローフ、メンチカツを購入。今回はキャベツも信州から買って来たので、たくさん千切りキャベツをしっかりと添えていただきました。

 ランチでは、仙石原にあるインド料理店「アズール・ムーン」です。前回来た時にも行こうと思ったのですが、コロナ禍でシェフがインドから帰国出来ず、そのため店が開けずに休業中でした。今回はちゃんと営業していたのでランチに寄ってみました。
北インド料理店らしくちゃんとタンドール(釜)がある様で、プレーンとガーリックのナンをチョイス。カレーは(ちゃんとしたインド料理店だとカリーと呼びたくなります)はバターチキンとシュリンプ。通常バターチキンは甘そうですが、こちらでは辛さも調整してもらえるとのことでしたので、両方共中辛(3だったかな?)にしてもらいました。ただ、思った程(必ず毎月食べに行った、シンガポールの今は無き北インド料理の名店「モティ・マハール」ほど)カレーの種類は多くなく、せいぜい5種類ほどで少し残念でしたが、ナンとカレーは量もたっぷり。でも、出来れば量は少なくて良いので、何種類かカレーを選べたら良いのに・・・。欲しくないモノまでセットになった2種類カレーのメニューは有るのですが、とにかくシンガポールの北インド料理店の様に、少しずつで良いので何種類も食べてみたい気がします。
こちらの良い所は、木々に囲まれた庭にテラス席があって、テラス席はワンコOKとのこと。ネット評価では「スタッフが不愛想・・・云々」などと書かれていましたが特に気にもなりませんでした。むしろ味の方が遥かに重要で、ちゃんとした(≒ネパール料理店がやっている似非インド料理ではない)北インド料理店として水準以上だと思いました。
 他に、「星の王子さまミュージアム」併設のフレンチレストラン「ル・プチ・プランス」。アルファベット表記でPETITE PRINCE。こちらも(テラス席は)ワンコOKなので行ってみました。
すると、美術館の「星の王子さまミュージアム」のアルファベット表記が、フランス語で“MUSEE DU PETIT PRINCE“なのです。
・・・ということは、日本語の題名“星の王子さま”は、サン=テグジュペリの原題はフランス語では“星”ではなくて「小さな王子さま」??そこで、奥さまに、
 「PETITって、小さいって意味のプチで、プランスはPRINCEだよネ?」
 「そうだよ。小さな惑星の王子様の物語で、原題は英語なら“Little Prince”だし、“星”が付くのは日本だけの和訳でしょ。」
 「えっ、そうなんだ・・・。知ってた?」
 「当然、でしょ!」
子供の頃も、サハラ砂漠に不時着したサン=テグジュペリや童話の概要は知っていても、何となく「星の王子さま」って“女の子向け”の様な印象で、物語そのものは読んだことはありません。
そうなのか・・・全く知りませんでした。もし和訳が“星”じゃなかったら、五代目円楽師匠もオリックスの星野投手も“星の王子さま”じゃ無かったのかもしれない・・・感慨深いものがありました。
 閑話休題・・・選んだ料理は、ランチメニューの中から、私メはサン=テグジュペリゆかりの地より白身魚のリヨン風クネルとソテー アメリケーヌソースで、レストランの説明をお借りすれば、「リヨンの郷土料理“クネル”をミュージアム風に仕立てました。白身魚のふわふわムースとソテーに小エビを添えて、アメリケーヌソースで仕上げた優しい口当たりの一皿」で、セット 1,900円。スープ・サラダ・パン・ドリンク付き。
奥さまは、本日のキッシュ&ローズガーデン風サラダプレート。説明曰く、
「季節の具材たっぷりの自家製キッシュに、スモークサーモンと生ハムのバラが咲くサラダ。ローズガーデンをイメージした華やかな一皿」でセット 1,400円。スープ・ドリンク付き。
それと、ローズがほんのり香るプチシューと、ローズ形のクリームの上を舞う蝶々がかわいい期間限定のローズスイーツ 1,200円をご注文。
奥さまはキッシュもスイーツも美味しくて至極ご満足のご様子。私メは・・・、と云えば、未だ小田原漁港の海鮮丼の記憶から離れられず・・・(あぁ、また“どど丼”が食べたい!)。
こちらのレストランは外側のテラス席がワンコOKで、美術館側のテラス席は美術館に入館しないと不可とのことでした。
いずれにしても、「ル・プチ・プランス」は幾つになっても乙女心を失わない女性の方々にとって、少女時代に戻れる様なメルヘンチックなレストランなのでしょう、きっと。
 さて、「ル・プチ・プランス」同様に、箱根には美術館に併設された素敵なレストランがたくさんあります。
例えば、これまで二度行ったルネ・ラリック美術館の「LYS」(第1388話)。「ル・プチ・プランス」と同じ様に、LYSも美術館に入らなくてもレストランだけの利用も可能。しかも、こちらは室内もOKです。広い芝生の中庭を望む素敵な雰囲気で、我々のお気に入りです。但し、テラス席もあるのですが、こちらは残念ながらワンコは不可。
また「ポーラ美術館」(第1385話)の開放的なカフェやレストランも、美術館を取り巻くヒメシャラの森が眺められる素敵な雰囲気です。
他にもベネツィアガラスを展示する「ガラスの森美術館」は、当然ですがイタリアンで、定期的にカンツォーネの生演奏が聴けるそうです。
どちらもワンコ不可。
こうやってみると、箱根はワンコOKというレストランが意外と少ない気がします。むしろ軽井沢の方がワンコOKの店が多く、全体にワンコに優しい気がします。那須も“ワンコ・フレンドリー”を目指すと云う割にはイマイチに感じました。信州も“観光県”を標榜する割には、ワンコ連れには軽井沢以外は松本も含めてどこも落第です。
別に、六道で下位に見る仏教施設までペットをOKにすべきとは思いませんが、しかし、これからは(子供たちが独立して)ワンコ連れのアクティブなシニア族が更に増えるでしょうから、彼等(我等も含めて)を如何に取り込むかが(特に観光&飲食業では)重要な気がするのですが如何・・・?

 今回の旅行では、コロナ禍故に出来るだけ外食は避けて、キッチン付きのドッグヴィラでの部屋食が中心です。そこで、調理器具と食器類は部屋に常備されていますので、今回は野菜類や調味料を信州から車に積んで持参して来ました(箱根にはJAの小さな食品スーパーしかありません)。

 箱根は山の中ではあるのですが、“天下の嶮”を挟んで東西の小田原や御殿場へ、車ならそれぞれ30分程の近さ。特に小田原は、駅伝の中継地点の鈴廣本店に代表される様に蒲鉾で有名(提灯も)ですが、相模湾に面しており、日本三大深湾(注)の一つであるその相模湾には、なんと魚類約1600種類、カニ約350種類という多種多様な魚などが生息しているといわれ、魚介類の宝庫でもあります。謂わば、山国信州の人間にとっては垂涎の的、憧れの地です。
以前西伊豆へ行く際に寄った静岡の沼津魚港と、小田原魚港(早川漁港)。規模は沼津の方が遥かに大きいのですが、こじんまりした小田原の方がコンパクトでむしろ分かり易い感じがして、もし宿から等距離だったとしても、個人的には小田原漁港の方を選択します。

 小田原漁港の“名物”海鮮丼。前回は市場の2階にある人気の「魚市場食堂」へ行ってみたのですが、確かに評判通りの行列店で、メニューも多くて値段も安くコスパは良いとは思いましたが、鮮度は良かったものの、味については(特に期待していたお目当てのアジフライは)正直評判程は感心しませんでした。
今回は、個人的にはフライやたたきや刺身などの鯵尽くしの専門店が気になったのですが、残念ながら奥さまは光物が苦手。そこで今回は地元の仲卸の水産会社の直営店で、地魚の海鮮丼がお薦めという「めし家やまや」へ行ってみることにしました。
「やまや」は、コロナ対策で各席をアクリル板のパーテイションで仕切った10席程しかないL字型カウンターの小さな店で、12時前に着いたのですが既に満席で順番待ち。こちらも人気店です。
外で待っていると、スタッフの若いお兄さんが気を使って出て来られ、
 「もし決まるなら、席が空いたらすぐに食べられるように注文をお聞きしておきますヨ。」
とのこと。
そこで、私メはこの日のサービス定食だった、地魚が10~12種類だったかが載る海鮮どど丼(以下税抜きで1600円)と追加のアジフライ(2枚で500円)のセットで1800円。家内は、珍しい鯵を使ったコロッケの入るというミックスフライ定食(1350円)をチョイスしました。
 20分ほど待って店の中へ。男女各2名が働く板場は狭くて窮屈そうですが、和気あいあいとして活気があり、板長さんはナントうら若き女性。スタッフにテキパキと指示もしながら、惚れ惚れする様な彼女の見事な仕事ぶりで、カウンター越しに感心しながら間近で拝見していました。もし声を掛けていいなら、「イヨッ、アッパレ!!」は間違い無いでしょう。
魚は全て彼女が捌いていて、どど丼に載ったこの日の地魚を時計回りに全部説明してくれました。マグロの脳天に始まり、アジ、何種類かの鯛(炙りも)、ヒラメ、スズキ・・・覚えられませんでした。その日の入荷内容に依って地魚の種類は変わるそうですが、どれも新鮮でシコシコ。ヒラメや鯛、マグロは家内も好きなのでシェアしていただきましたが、今まで食べた海鮮丼で一番美味しかったと二人とも感激でした。セットのアジフライも(ミックスフライ定食のアジフライに比べると少し小振りですが)サクサクふわふわで、タルタルソースととんかつソースで頂きます。加えて、味付けの上品な煮付けの小鉢、お新香、味噌汁(この日はアオサ)も付いています。ご飯(丼は酢飯)の量は、大盛か小盛か事前に聴いてくれます。家内は小盛、私は残してもいけないので普通盛でお願いしましたが、海鮮丼は酢飯もイイ味でしたし、山盛りの刺身と更にアジフライもあったので、もしかしたら大盛でも食べられたかもしれません(普通盛で十分にお腹一杯にはなりましたが・・・)。
家内の頼んだミックスフライ定食も、大振りのアジフライに始まり、エビ、白身の地魚に加え、店の名物という鯵のコロッケは、ポテトと鯵のたたきを使い、梅肉と、大葉も加えて臭みも消されていて、大変美味しかったそうです。
「やまや」はカウンターだけの狭くて小さな店ですが、鮮度と味は勿論、女性店主をはじめとするスタッフの皆さんの作る雰囲気も実にイイ店でした。
値段は多少高くても、前回の魚市場食堂よりも遥かに感動モノ!でした。小田原で食べる時は、もう他を探さずに毎回ここで良いと思います。たった二店だけで判断しては小田原に失礼かもしれませんが、“海無し県”信州人にとっては「もうここで十分!」と、納得の名店発見でした。
お礼を言って外に出ると、3組ほどが順番待ちでした。因みに、神奈川県の蔓延防止対応で酒類は提供されていません。従って、ランチは良いとしても、暫くの間の夜は(飲兵衛にとっては)少々辛いかもしれません。
 食べてから、すぐ横の干物屋さんとさかなセンターで、買い出しです。
予定では、鍋用の地魚を買おうと思って(松本からそれ用の野菜まで持って来て)いたのですが、既に鍋の季節ではなかったので、この時期は鍋に使えるような鮮魚類は無く、せいぜいハマグリやホンビノスなどの貝類か伊勢エビくらいとのこと。そのため予定変更で、前回も同じ処で買ったマグロとヒラメの刺身が、どう頑張っても山国信州では食べられない程にプリプリで美味しかったので、今回もマグロの刺身(残念ながらヒラメ等は見当たらず)とステーキ用にマグロのほほ肉(「やまや」にあったステーキ丼に感化されました)を購入。持参した保冷バッグに(お店でも「氷入れますか?」と聞いてくれましたが、凍らせた保冷剤をちゃんと持ってきたので大丈夫!)に入れて、更にお隣の店で今回も大振りのアジの干物(ワケあり品のため6枚で600円!)をパックで購入して、一路箱根に戻りました。
【注記】
日本三大深湾は、相模湾と伊豆半島を挟んだ駿河湾に、日本海側の富山湾。水深は駿河湾が一番深く2500mで、伊豆の西海岸で深海魚やタカアシガニが名物なのも納得です。相模湾は1500mで、氷見ブリや白エビ、ホタルイカで知られる富山湾が1200mとのこと。それぞれ魚の宝庫です。
こうしてみると、駿河湾と相模湾は正に日本列島の大きな溝であるフォッサマグナ(大地溝帯)に位置しており、また富山湾もその西側を走る糸魚川静岡構造線のすぐ横にあるので、深湾の形成に関係しているのかもしれません。しかも、駿河湾と相模湾のすぐ“脇”には“日本一”の富士山があり、富山湾のすぐ背後には“日本の屋根”北アルプスの3000m級立山連峰が聳えるという、それぞれ興味深い地形です。
【追記】
今回の大雨で、箱根は二日間で700㎜の降水量を観測とのこと。熱海では大規模な土石流が発生し、懸命な救助作業が続いています。私自身、15年前に起きた長野県岡谷市湊地区の土石流の片付けで被災地へ応援に行った際、土石流の凄まじさを実感しました。今回被災された方々には謹んでお見舞い申し上げます。

 芦ノ湖畔に佇む“関東総鎮守”の箱根神社。ロープウェイで大涌谷から芦ノ湖に下り、海賊船の遊覧船で箱根駅伝のゴール地点の元箱根に向かう際に、左舷から見える湖の中に浮かぶように見える神秘的な赤い鳥居。それがこの箱根神社です。
古くは山岳信仰における神仏習合の神が祀られ、源頼朝をはじめとする関東武士の崇敬を受けてきたという歴史のある神社。現代でも、勝負事や事業の成功、良縁や安産などに強力なご利益があるとされ、政財界から若い女性まで、多くの人が参拝に訪れているのだとか。

 箱根神社の由緒書きに依れば、
『箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
 鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、二所詣(当神社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。』
とのこと。
 前回参拝した3年前は、まだ保護犬コユキが来る前で、ナナも心臓病の発症前だったので妹に預かってもらい、是非一度乗りたかったロマンスカーの先頭車両で新宿から初めての箱根湯本に来て、ケーブルカーとロープウェイで大涌谷を経由し、芦ノ湖では遊覧船に乗ってと、箱根登山鉄道や路線バスで移動した箱根滞在でしたが、今回は車。そこで、娘たちのことを色々お願いすべく、箱根神社へ再度お参りに行くことにしました。
仙石原からは、湖尻を経て芦ノ湖畔の元箱根の町営駐車場(無料です)に車を停め、湖畔を歩いて箱根神社に参拝します。車道とは別に湖畔沿いにも遊歩道の様な小道もありますが、途中で車道を渡って鳥居をくぐって境内に入り、参道を歩きます。因みにこれが箱根神社の第三鳥居で、手水舎で清めてから次の鳥居をくぐって、太い杉並木が続く100段近い石段を登ります。その石段下の鳥居が第四鳥居で、因みに駅伝の元箱根港の往路ゴール直前に選手たちが駆け抜ける鳥居が第一鳥居とのこと。

石段を登り終えて最後の第五鳥居をくぐると、朱色の社殿が現れます。門の先に箱根神社の本殿、そして右側が九頭竜神社の新宮です。本宮が不便な所に在るので、本宮に代わりこの新宮でお参りが出来るのだそうです。
戦勝祈願や事業の成功祈願は箱根神社で、良縁祈願が九頭竜神社。そしてその社殿横の大きな杉の木が、源頼朝・政子が安産祈願をし、鎌倉三代将軍実朝を無事出産出来たと伝わる“安産杉”なのだそうです。娘たちと我が家のことも含め、その全てにお参りしました。
因みに、本殿に行く石段途中に、境内社として祠の様な社殿の曽我神社があります。仇討ちの“曽我物語”で知られる曽我兄弟を祀っているのですが、弟が箱根神社の別当に元服前に稚児として預けられていて、仇討ちに際しては、別当から今も伝わる神社の宝刀を兄弟に授けられたのだそうで、箱根神社は曽我兄弟ゆかりの神社でもあります。曽我兄弟の仇討ちは、鎌倉時代以降“武士の鑑”として仰がれ、能や浄瑠璃、歌舞伎にも取り上げられているので、日本人は何となく頭の片隅に記憶や残像として残っているのでしょうか。そういえば、3年前に初めて箱根に来た時に、バスで駅伝ルートを走りましたが、往路最終区の山登りの最高地点を過ぎて芦ノ湖畔に下る前に「曽我兄弟の墓」と書かれた案内板を見たような気もしますが・・・。
 石段を下り、車道を渡って芦ノ湖畔に下りて行くと、そこに鳥居が湖の中に建っていて、これが遊覧船から見える赤い鳥居の「平和の鳥居」。フォトスポットだそうなので、我々もここで写真を撮り湖畔沿いの道を元箱根に戻りました。途中、元箱根港に停船している海賊船と駅伝ゴールのシンボル第一鳥居が見えました。