カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
最近社会的に話題になったのが、『車いすで生活する川崎市のコラムニスト伊是名(いぜな)夏子さん(38)が、無人駅を利用しようとした際、駅員から一時「案内できない」と言われたとブログに書いたところ、「わがまま」という批判も多く寄せられた。』という件(検索すれば事の一部始終が分かりますのでここでは詳細は省きますが、その是非についてはそれを確認してからご判断ください)。
批判を承知で敢えて言わせていただくと、私自身も最初に読んだ時に、今回の伊是名女史のご意見については同じ様に批判的に感じたのです。その一番の理由は、JRの「事前に連絡してもらえれば出来るだけ対応する」という原則に対し、女史は直前に連絡したために対応してもらえなかったことに対して、法律を根拠に一方的に批判しているからです(因みに、帰路は事前に連絡していたのでJRは対応)。
その時感じた印象を私に代わって説明してくれているのが、この件についての『デイリー新潮』のオンライン記事でした。
以下、部分的に抜粋します。
『法律的に見ると、障害者差別解消法にある「合理的配慮の範囲内で」対応すべし、という際の「合理的配慮」の解釈が一つの争点になるようだ。人手の無い駅や、格安航空会社がどのくらい障害者に対応することが「合理的」と言えるか。』
『もちろん、あらゆる場所がバリアフリーになることは素晴らしいことだ。反対する人はいない。しかし、それには当然コストがかかる。そのコストは交通機関の利用者や、社会全体が負担することになる。その負担を社会はどこまで許容するのか。』という課題提起の後、紹介されていたのが、
『この問題について、これまで色々発言されてきたのが車イス芸人のホーキング青山さんだ。著書「考える障害者」には、何度もこの社会的コストについての考察が述べられている。』として、彼の著作から引用されていたのが、
『障害者の社会進出、あるいは障害者が普通に暮らすということを考えた場合、常にこの問題にぶつかってしまう。障害者が働くためには「合理的配慮」が必要になる。』として、更に、
『この20年ほどで一気にバリアフリー化が進み、今は少なくとも「事前に連絡」さえしておけば、乗車拒否されることはなくなっています。
多くの障害者が障害を理由に、本来人が当然の権利として行使できることを侵害あるいは剥奪された経験があること、その悔しさや怒りを抱えて生きてきたという現実があります。それを知ってほしい、わかってほしい……こんな思いをしている障害者が多いことは同じ立場なのでよくわかります。
一方で、“バリアフリー”といっても、あくまで理解があってこそ進むものなわけで、怒りをベースに進めようとしたら、反発を招いてしまって、結局誰も得をしない』という内容でした。
そこで思い出したのが、菅総理大臣が就任した際に、
『自民党総裁選の時から自らの政策理念として「自助・共助・公助」を掲げており、これに対して野党は「まず自助というのは政府の役割を放棄しているに等しい」と批判』したという件でした(注)。
というのも、冒頭の伊是名女史の批判は、上記の野党の批判同様に何でもかんでも「権利」ばかりを主張して文句を言う野党と同じではないか、それでは周囲の支持も理解も得られないのではないかと思ったからです。
個人的には、「権利と義務」また「自由と責任」ついて、例えば「権利を唱える時はすべからく義務を負う」と思っています。
今回でいえば「障害者差別解消法」で認められた「権利」の行使において、その人(障害者)の果たすべき「義務」は何であったかということです。
馬鹿げた野党の様に、先ず「自助」を言うのはケシカランという順番の問題ではなく、「公助、共助にはすべからく自助が伴う」のではないかと思うのです。従って、今回私が感じた違和感の理由は、彼女の批判にはご自身の「義務」や「自助」が(恐らく、キチンとされたのであろうけれども、読む側が感じるのは)全く記載されていない、或いは何も果たしていないと思われてしまったからではないか・・・ということです。
障害者問題について、我々健常者が色々批判をすれば、障害者の方や弱者保護の立場の人たちからは、兎角「お前は何も分かっていない」とか言われるのがオチなのですが、果たしてそうなのかと思うのです。
そこで考えるべきは、障害者問題についても(その順番は別として)やはり「自助・共助・公助」であると思うのです。
以上、今まで述べて来たことに対しての直接の回答になっている訳ではないのですが、障害者問題に関して考える時にいつも思い出すのは、社会人時代に会社に講演に来ていただいたヤマト運輸の中興の祖であり、「宅急便」の生みの親でもある故小倉昌男さんの言葉です。
小倉さんは経営の第一線から退いた後、福祉現場を訪れた際の「月給1万円」にショックを受けて、莫大な私財を投入してヤマト福祉財団を創設し、ベーカリー事業を軸とした障害者の共同作業場を設立運営します。当時の記憶を頼りに氏の言葉を要約すれば、
「障害者福祉は“お涙頂戴”の慈善事業であってはならない。障害者が自立してこそ初めての支援になる」として、経営的視点をベースに「“儲けて”月給10万円を得て、初めてノーマライゼーションが達成出来る」というような内容だったと思います。氏の著作から一部分を借用させていただくと、
『福祉に長年携わっている人は「カネもうけは汚いこと」と思い込んでいることが多い。「福祉的就労」という言葉もあり、低賃金を正当化したい気持ちが込められているが、これはおかしい。障害者も健常者と同様、自分で稼いだカネで自活し、趣味や買い物を楽しむ。それが「自立」であり、「社会参画」ではないか。』
氏は、ある日、作業場「スワンベーカリー」に働く知的障害者の方を親御さんが給料日だった日に迎えに来られた際に、障害者の方が、
「お母さん、今夜はソバでも食べて帰ろうよ。あたいのおごりだよ!」
と誇らしげに話しているのを聞いて涙したと云います。
『自助、共助、公助』。
今回のケースで、駅で助けてもらうことがもし当然の“対価”であるとしたら、その“対価”を得るために為すべき自身の“労働”は果たして何であったのか・・・?
【注記】
「自助、共助、公助」は菅さんご自身が考えられた造語などでもなく、元々は保険などの説明の際に使われていて、そのオリジナルも野党がケシカランと批判する「自助」から始まる順番であり、阪神大震災以降、特に防災の中で住民、地域コミュニティー、行政の役割分担を考える際に使用頻度が高まったそうです。
そして、その言葉の起源については諸説あるそうですが、一説には江戸時代に出羽国米沢藩の藩主になって藩政改革を成し遂げた上杉鷹山が、藩の統治についての考え方として「三助の実践」というものを考えたのがその始まりであると言われています。因みに、上杉鷹山といえば、“灰の中の火種”や『なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』でも知られる名君です。
(「三助の実践」は、今の「自助・共助・公助」とは少し異なっていて、「自助・互助・扶助」の3つですが、意味は同じ)