カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 4月中旬、ナナとこゆきがそれぞれの誕生日を迎えました。
先住犬のナナが14歳。保護犬だったコユキ(正しくは「こゆき」ですが、読み易い様にカタカナ表記にしています)が10歳。彼(女)等の“犬生”での誕生日には、それぞれナナもコユキも“無事に”という修飾語が付きます。
(これまでも何度かご紹介させていただいておりますが、改めての経緯経過でご容赦ください)

 先ず、マルチーズのこゆきが12日に10歳(但し推定です)になりました。
ブリーダーから不要犬として捨てられ、埼玉県内の保健所に保護されたのが2年前の4月12日。そこで埼玉の保護団体に助け出され、ボランティアさんに預けられて初めて人間の愛情に触れた後に、縁あって2週間のトライアルを経て我が家のワンコになったのが7月末。当時推定8歳とのことでしたので、保護された日の8年前をコユキの誕生日として、名前もボランティアさんが付けてくれた仮の名が如何にも相応しかったので、そのまま市役所に登録しました。
トライアル期間中、ブリーダーから切られた声帯が腫れて息道を圧迫していたために、トライアル中の散歩時に過呼吸で呼吸困難になって掛かり付けの動物病院に入院して酸素室に入ったり、その結果手術をしていただいたりと色々ありましたが、すっかり慣れてナナの後を追いかけたり家の中を飛び回ったりして、無事10歳の誕生日を迎えました。
 一方の先住犬、シーズーのナナは16日に無事14歳を迎えました。
2年前の5月に心臓の増幅弁閉鎖不全症で肺水腫となり、ナナも酸素室に入り入院。その後、薬は勿論エサも殆ど食べなくなり、色々試したのですが痩せるばかり・・・。掛かり付けの獣医の先生からは「覚悟した方が良いかもしれない」とも言われ、「どうせダメならば・・・」と、食べられるドッグフードや大好きだったおやつに戻した結果、次第に食欲が戻り、少しずつですが食べる(おやつに隠した薬も一緒に)量が増えていきました。
先代の先住犬チロルが18歳の天寿を全うし“虹の橋”を渡った時に、いくら長生きだったとはいえ彼女を看取った時はとても辛かったのですが、ペットロスの程度を些かなりとも和らげてくれたのはナナが居てくれたからでした。そのため、「最悪を覚悟する様に」と獣医の先生に告げられた時に、家内がペットロスを恐れ、探してたまたま出会ったのが保護犬のコユキでした。
すると、そのコユキにも良い意味で触発されたのか、ナナの動きも食欲も次第に増えていきました。その結果、先生も「こんなこともあるんだなぁ!」と驚く程に回復(先生曰く、普段の生活が出来るように、病気に体を順応させた)し、コユキが来る前とでは見違えるようにナナも元気になってくれたのです。
病気になった時は、誕生日どころか、その年の年越しさえも危ぶんだことが今では信じられない程で、その後は毎日の投薬と3ヶ月毎の定期検査は欠かせませんが、ここで無事14歳の誕生日を迎えてくれました。
 犬にはお互いの相性があると云います。従って、多頭飼いをする場合は注意が必要です。合わないと、特にそれまで愛情を独占出来ていた先住犬が他の犬が来たことでストレスを感じ、中には鬱になってしまうこともあるそうです。その意味で、ナナとコユキは相性が良かったのか、最初から何の問題も無く過ごしています。どちらかというと、チャンピオン犬の孫だったナナの方は(狩猟犬の様な職業犬ではなく、宮廷の門外不出の愛玩犬だったシーズーという犬種故か)唯我独尊で我関せず。一方のコユキはナナの後をついて回り、寝る時もくっ付いて“犬団子”状態になって良く一緒に寝ています。くっ付かれても、後追いされても気にしないナナの(我関せずの)性格が良かったのかもしれません。しかし我関せずと云いながら、ナナの食欲が戻って見違える様に元気になったのはコユキが来て意識したお陰です。
一方、今まで愛情を注がれずに声帯まで切られ、単なる金儲けのブリーディング用のモノ扱いをされて来たがために、見知らぬ人間(ブリーダーが男だったのか、特に男性)を警戒する余り極度に怖がって臆病なコユキも、ナナが居たからこそ安心して一早く我が家に慣れてくれたのかもしれません。その意味で、ナナとコユキは運命的な“偶然という必然”があってお互いに求め合い、そして呼び合った結果なのかもしれません(そう言えば、手術するにあたって事前に検査データをやり取りしていただいた我が家の掛かり付けの動物病院の院長先生と、手術をしていただいた埼玉の保護団体の主治医である協力病院の院長先生が獣医学部の同級生だったというのも偶然とはいえ運命的でした)。
 一日でも長く、一年でも長く、お互いの年を重ねて長生きをして欲しいと願っています。今年も無事に、ナナは14歳、コユキが10歳の春を迎えました。