カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
3月7日の日曜日。朝のウォーキングを兼ねて、松本城公園を経由して四柱神社と天神さまにお参りに。途中、旧開智学校から松本城を経由して行くのですが、“文武両宝”と旨いPRがされている二つの国宝を見ながらのコース。考えてみれば、ナントモ贅沢なウォーキングコースです。
帰路、旧開智学校の脇を通って中央図書館へ行くと、まだ3月上旬なのにロトウザクラが咲いていました。ロトウザクラ、漢字で書くと魯桃桜。
彼岸桜よりも早く、真っ先に咲くサクラです。同じバラ科でもサクラより桃に近い品種だそうですが、サクラと名が付くだけで、何となく「開花」と聞くと嬉しくなります。
これまでは、大体春のお彼岸前後に咲いていた筈なので、今年は10日から2週間程も早いのではないでしょうか。この分だと、ソメイヨシノの開花も早いのかもしれません。
それは、長野県の林業総合センターの紹介記事でした。それに拠ると、
『昭和34年に発行された「県立長野図書館三十年史」によると、「シベリア原産で、埼玉県の安行で栽培されたものである。」と書かれています。その後、平成6年に発行された「魯桃桜と図書館(県立長野図書館発行)」によると、ロトウザクラは佐久市桜井尋常高等小学校に植えられたもので、埼玉県安行では接ぎ木を行っただけとのことがわかりました。
そこで、佐久に植えられていたロトウザクラについて調べてみたところ、日露戦争の凱旋記念に苗木を持ってきたとの逸話が残されているだけで、原産地も不明とのことでした。しかし、ロトウザクラの名はこの逸話からロシアの「ロ」(ロシアのロには露と魯の二通りがある)を当てて名付けられ
たもののようです。
ノモモやハヤザキモモの原産地は旧満州で、北緯45度を超えるようなシベリアには存在しないことが問題になりました。それでもと日露戦争について調べてみると、日本側が主に戦場としたのはシベリアではなくて中国東北部から北満州だったようです。こうなると、この地域から持ち込まれて佐久に植えられたとの推測も出てきました。このほか、ノモモが「魯の国」とされている中国中央部に多いことから、ここから来たのでは?という説も残されており、原産地が定かでなく、結局明確な答えは出ていません。
昭和8年に長野市の県立長野図書館に植えられて以来、春真っ先に花を咲かせる「サクラ」として長野市民を始め県下に広く定着するまでになり、昭和30年代からは、接ぎ木や実生で苗木の増殖が積極的に行われるようになりました。1994年に県立長野図書館が調べたところ、県立長野図書館を起源として接ぎ木・実生により育てられた苗木は、県内の各地に100本程度は植えられていることがわかりました。』
ロトウザクラ。
河津桜の様に全国的に知られた種ではありませんが、何やら、歴史的、もしかすると悲劇的な由来や謂れがあるのかもしれません。どちらかというと、長野県内だけで大事にされてきた種なのかもしれませんが、春の遅い信州で、いち早く春の訪れを知らせてくれる貴重な種でもあります。
ロトウザクラの花を見ながら、シベリアか満州か、国内最大の開拓団を送り出した長野県から、血の滲む様な苦難の末に何とか祖国にたどり着いた満蒙開拓団の引揚者同様に、戦火の海を越えて来たであろう彼らの数奇な歴史、大陸のどこからかここ信州まで辿り着いたロトウザクラ。そして、或る意味平時の象徴の様な県内各地の図書館脇に植えられたというロトウザクラ。彼らの生まれ故郷とその由来のいきさつ経過を問いたい想いで、暫し物言わぬピンクの花を眺めていました。
【追記】
翌週の14日にもほぼ同じコースを歩きましたが、ロトウザクラは満開でした。
今回掲載した4枚の内、前半が3月7日で後半2枚が14日です。