カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
調べてみると、山中温泉は石川県でも福井県寄りで、国道364号線のトンネルを抜けるとそこはもう福井県。山中温泉から永平寺までは僅か30㎞足らずで、車で40分程。県内の金沢へ行くよりも時間的にも遥かに近いのです。
永平寺には私メは昔職場旅行で行ったことがあるのですが、奥さまは無いというので、せっかくですから(奥さまは、「のんびりと、湯治に来たんだろうがっ!!」とブー垂れておられましたが、聞こえなかったことにして・・・)永平寺に行ってみることにしました。
山中温泉から峠道の国道364号線を走り、県境の「丸岡・山中温泉トンネル」を抜けると福井県坂井市。その隣町が永平寺町で、確かに40分掛からずで到着。門前町入り口の町営駐車場に駐車して歩いて行きましたが、それ程混んではおらず、よりお寺に近いバスターミナル横の民間の駐車場でも十分空きがありました。
先ずは土産物店が並ぶ門前町ではなく、永平寺川沿いの参道を歩き、10万坪という七堂伽藍の境内に入って樹齢500年の杉並木を通って通用門へ。
マスク着用は勿論ですが、入り口で検温とアルコール消毒を済ませてから拝観料を払って吉祥閣という研修道場からお寺の中へ入ります。そこで簡単な説明を受けた後、順路に沿って拝観へ。
事前にネットで調べた時に、カートやキャリーバッグに入っていればワンコ連れでの参拝可能とあり、実際に犬連れで参拝された方の紹介記事もあったのですが、伽藍は全て回廊で結ばれているとはいえ上り下りの階段が多いので、結果的には(ワンコの代参ならともかく)お留守番で置いてきて正解だと思いました。
座禅を中心とした修行をするための場所として山奥に建てられた寺であり、今でも二百名近い曹洞宗の修行僧が朝3時半から夜9時まで日夜修行に励む道場そのもの。總持寺と並ぶ曹洞宗の大本山ですが、曹洞宗の「第一道場」とされる修行の場です。従って、素人目にも観光の寺とは趣を異にします。学生時代に親しんだ京都奈良のお寺とは違い(どのお寺もそれぞれの宗派に沿った祈りを捧げる場ではあるのですが)、何だかここは「寺が活きている」気がします(そういう意味では、長野の善光寺もそれに近いのかもしれません)。
そうした禅宗の教えが醸し出すのか、静謐な雰囲気が境内に漂い、境内に入ると自然と背筋を伸ばし、修行の邪魔をせぬ様にと静かに拝観を「させて頂く」という気持ちに自然になるから不思議です。
最初の建物「吉祥閣」から最初に向かうのが「傘松閣」。156畳の大広間と昭和初期に活躍していた日本画家による230枚の花鳥風月の天井画に圧倒されます。
その横の山門は境内最古の建物で、入門する者がその覚悟を問われ、許可された者だけが、正式に入門する時と修行を終えて永平寺を出る時の生涯二度しか通ることが許されない“永平寺の玄関口”なのだとか。
その後、長い階段の回廊を上り、ご本尊を安置する仏殿、最上段にある説法などのお勤めが行われる法堂を廻って、回廊を下って伽藍を一周します。廊下も階段も、毎朝濡れ雑巾で清掃されているのでしょう。キレイに磨かれ、塵一つ落ちていません。そうやって修行されることで、心の中も浄化されていくのでしょう。
永平寺もちょうど紅葉の盛り。山門からは「ゆく年くる年」で除夜の鐘が放送される鐘楼が望めます。回廊を歩きながら、すれ違うお坊さんは皆さん静かにお辞儀をされて行かれますので、自然と我々もお辞儀を返します。そうしたことも含め、座禅をせずとも、拝観する誰もが静かに呼吸を正し、自然と背筋を伸ばして心を静めていく気がします。
加賀、越前と言えば、一揆の嵐が吹き荒れた一向宗の本拠地でもあった筈。770年前に、この山深い里に禅宗である永平寺を招いた越前の人たちに想いを馳せます。
何年か前、NHKの新日本風土記で永平寺が特集されたことがありました。その中で修行に励む若い雲水さんと町の人々の交流が描かれていましたが、770年の時を経て、里の人々の中にも信仰と永平寺への尊敬が普段の生活の中にお寺さんと一体となって息づいていました。
参拝を終え、門前町で永平寺名物の越前おろしそばをいただきました。そこは老舗というお蕎麦屋さんで、新蕎麦で自慢の二八蕎麦と仰っていたのですが、
「う~ん、こんなモンかなぁ・・・?」
特に新ソバの香りもなく、二八の喉越しも今一つ。辛味大根も坂城のネズミ大根の方が遥かに辛いし、ぶっかけのつゆも甘すぎて・・・。禅宗らしく、胡麻豆腐も小鉢で添えられていたのですが、二つ食べられた奥さま曰く「普通・・・」とのこと。
「信州から来て、蕎麦を食べてはアカンかったか・・・?」
もっと評判の高いお蕎麦屋さんが他にあったのかもしれませんが、感動した永平寺に比べ、チョッピリ残念な“名物”でした。
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